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2019年4月19日 (金)

朝日新聞小宮山亮磨氏の記事に関する私見

 8年近く放っておいたブログが、今でも残っていたことに自分でも驚いていますが、久しぶりに記事を書きます。

 朝日新聞(大阪本社版)2019年4月18日朝刊に「若手で受賞 でも20超す大学不採用――研究者は追い込まれていった」という記事が掲載されました。一面と、さらに続きが33面にも出る大きな記事です。執筆者は小宮山亮磨記者です。じつはそれ以前にネット版にも掲載されていました(多少違いがあるようですが)。概要は以下で読めます。

 https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

私の名前が出るところから、何人かの方から私宛にも問い合わせをいただきましたので、私の意見を表明するほうがよいと考えました。小宮山記者には事前に本稿を送り、誠意あるご返事をいただきました。私としては、決してケンカを売るつもりではなく、あくまでも私の意見を述べ、議論を進めたいという意図ですので、その点、誤解のないようにお願いいたします。

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 はっきり言って、この記事は不適切なものであると考えますので、以下私の意見を記し、同記者に抗議します。簡単に言えば、記事の中の事実に大きな誤りがあるわけではないのですが、一部の事実のみを記すことで、あらかじめ用意した結論に無理やり結びつけるという手法であり、読者をミスリードするものです。

 まず経緯ですが、事前に私に対して電話取材がありました。その時に、無理に一方的な結論に結び付けようとする誘導尋問的な語り方でしたので、そのように単純な問題ではないことを申し上げ、下記のような問題点も指摘しました。死者を自分の都合のよいように利用するということは厳に戒めるべきことであり、できるならば記事にしないでほしい旨、要望しました。ただ、それ以上は私にできることではなく、従って、私がしゃべったことを断片的に談話として使うことは拒否しました。ただ、私の書いたものから引用するのは、すでに公表したものですので、私としても拒否できませんので、記事には引用として私の言葉が出ています。しかし、出典を明記していないので、この掲載の仕方は不適切です。また、本来このような人の死と関係する複雑な問題は、きちんと対面取材すべきであり、電話で簡単にコメントを取って、自分に都合よく使うというようなことをすべきではありません。

 ちなみに、私はN氏が学振の特別研究員の際の受け入れ教員であり、それ以後、アドヴァイスは行っていますが、正式の指導教員ではありません。ただ、ずっとさまざまな場で共同研究を行ってきました。従って、記事に「指導してきた」というのは厳密には間違いですが、私も電話取材で「指導」という言葉を使ったところもありましたので、これは私が誤解を招いたところとして訂正します。

 ここでこの記事の問題点ですが、確かに取り上げられたN氏(享年43歳)が、安定した収入を伴う研究・教育職に就いていなかったことは事実です。そのことが精神的な不安定を招き、その後プライベートな問題で自死に追いやられたということも、まったく間違っているとは言えない面があります。ただ、人の生死を無理やりに一つの原因に結び付けるのはしてはならないことです。しかし、小宮山記者は、記事自体の中では、N氏が死に追いやられた事実を追うように見せながら、最後のところで「博士急増でも教員ポスト増えず」「国の交付金減り大学は財政難」という、現在の大学の問題を取り上げて、結局はN氏の死を、国の大学政策に結び付けるという方向付けを与えています。もちろん、今日の大学政策がいいとは言えません。この部分に関する限り、この指摘はこれで正しいところもあります。しかし、N氏の自死を現今の大学政策批判に直結させ、後者を結論として出すためのインパクトのある実例として、N氏の自死のことを利用したという形になっています。これは完全にミスリードで、認められません。

 まず指摘したいのは、小宮山氏は、N氏の問題を大学問題一般の問題に解消し、それを近年の大学政策を批判するという文脈に結び付けていますが、これは不適切です。N氏の研究分野は、日本思想史であり、そのなかでも近世の仏教思想を専門としています(このことは記事に書かれています)。従って、仏教学や宗教学とも関係するもので、その方面の学会でも発表しています。私自身は仏教学が専門であり、その方面から日本思想史や宗教学とも関わっています。私は、東京大学の印度哲学(現インド哲学仏教学)研究室の出身であり、その教員として学振特別研究員のN氏を受け入れました。しかし、この分野は最近就職がなくなったというのではなく、創設以来、就職の困難な領域でした。私自身も、大学の助手(いまの助教)を3年務めた後、任期で退職し、その後、安定した職を得るまで5年間就職浪人をしました。その間、職業安定所(今のハローワーク)にも通い、失業手当も受けました。40年も前のことですが、N氏とまったく同じ状況でした。従って、N氏の精神的に不安定な状態は、私自身もまったく同じことを経験しているので、よく分かります。私は37歳で職を得ましたが、N氏はそれより遅れています。しかし、今日全般に研究教育職への就職が遅れているので、40代半ばというのは普通です。それ故、それを直ちに最近の大学政策に結び付けるのは間違いです。

 確かに大学院重点化以後、ポスドクの就職の手当てが十分でないということは問題です。大学院重点化により、大学院生を定員まで増やすようにという圧力は大きいものがありますが、それに対しては、それぞれの専門で工夫していますし、特に修士課程から博士課程に進学させる場合はかなり絞っています。私どもの専門では、多少院生は増えていますが、外国人留学生や、定年後や他の専門を経た方の再入学も多いので、ただちにそれで若い人の就職難が大きくなったというわけではありません。そのように、国の大学政策のせいで一律に問題が起ったという書き方はミスリードするものです。

 私どもは、研究者の人数も少なく、厳しい状況の中で、長い伝統を守りながら、地味な研究を続けています。それは決して世間の脚光を浴びる分野ではありません。就職や収入も不確かです。それでも、研究が好きで、誇りをもって日々の研究を進めているのです。億単位の金が動く理科系とはまったく異なるのであり、それと同一に論ずるのは間違っています。

 それと関係して、N氏がまったく就職と無縁であったかのような書き方も間違っています。N氏は公益財団法人中村元東方研究所の専任研究員という専任職を持っていました。この研究所は、もともと私の恩師でもあるインド哲学の大家中村元先生が創設したものですが、中村先生は学生時代、尊敬する先輩がやはり就職がないということから自死したということがあり、職のない若い研究者を救済するということを大きな目的として、同研究所の原形である東方研究会を設立しました。確かにそこでは生活するに足る給料は出ませんが、奨学金の返済免除、科研の応募資格など、研究上の便宜はきわめて大きく、若い研究者にとって、大変心強いものです。私自身も就職浪人中、専任研究員として所属していました。このように、この分野の就職難は最近の政策の故ではありませんし、それに対して、研究者の側もまったく自衛策をとって来なかったわけではありません。そのことは、電話取材で私もきちんと申しましたが、今回の記事では完全にスルーされました。記事の最後に、「科学技術政策に詳しい」という方のコメントが出ていますが、N氏の場合から見ればまったく見当違いの内容であり、おそらくN氏の事情を知らされないままに、記者から求められて出したコメントであろうと思います。

 最後に、この記事は、N氏の研究上の業績にはほとんど触れることなく、「ずっと研究していたかった」というようなお涙頂戴式のリード文で、「経済的困窮」を際立たせるのは、死者に対して大変失礼なことであり、してはいけないことです。N氏は、2冊の著作(1冊は没後ですが)を有し、優れた成果を着実に上げてきた第一線の研究者であり、学会でも次第に指導的な地位に向かいつつありました。存命していれば、おそらくまもなく大学の責任ある職についたであろうと推測されます。確かに生活上の悩みはあったとしても、まず研究者としての実績に注目すべきであり、裏のプライベートな生活を暴き立て、非常に一面的な偏見を持った視点から、自分の主張のために利用するというようなことは、許されることではありません。ここに強く抗議致します。

 ちなみに、これは私の偏見かもしれませんが、もしN氏が男性であれば、このような記事の書き方になっただろうか、という疑問を持ちます。ジェンダーバイアスがなかったかどうか、これも十分な検討を要するところかと思います。

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