金子快之(前札幌市議)
札幌市役所に巣食う利権の一つ、それがアイヌである。
4月24日、札幌市はアイヌ担当の市職員や出入業者を官製談合の疑いで北海道警察に刑事告発した。これは市役所アイヌ施策課を舞台に出版物の発注をめぐって業者との官製談合が12年間も続いていたというものである。
市の発表によると談合が始まったのは平成15年。それから昨年まで延べ12年間も歴代の担当者に引き継がれ、不正がずっと水面下で続いていたとされている。
私は昨年秋、決算審査の過程で入手した膨大な資料の中から偶然この不正を発見した。札幌市幹部は私の指摘に当初は「知らぬ存ぜぬ」を決め込んだ。しかし、私のブログ記事を読んで不正に怒った市民グループが立ち上がり、監査請求を行った。その結果、市はしぶしぶ不正を認めるに至り、春の選挙をまたいでようやく刑事告訴に至ったのである。
アイヌの不正は摘発されたものの、肝心の私が選挙で落選して議席を失ってしまった。
不正に目をつぶる道内マスコミ
利権の調査に前後して、「アイヌ民族はもういない」と私はツイッターでつぶやいた。これに北海道新聞をはじめ一部の反日マスコミが食いついてきた。言葉尻を捕えて「差別発言」「ヘイトスピーチ」とヒステリックに非難を繰り返した。
しかし、なぜか彼らは私が追及するアイヌ官製談合については黙殺を決め込むのである。上田文雄市長が記者会見で不正に陳謝してもベタ記事扱い。この事件がアイヌ利権というパンドラの箱を開くことになることを恐れたのか。
思えば札幌市役所では12年間の上田市政で数えきれないほどの不正が摘発され、職員が逮捕された。下水道工事を巡る官製談合で局長級の幹部職員が自殺する事件もあった。書類のねつ造、つじつま合わせ、業者同士の談合、幹部への付け届け、セクハラなど、札幌市役所は「何でもあり」、いわば不正の総合商社とも言われている。
私は議員になって市職員の仕事ぶりを見るうちにすぐ札幌市役所の体質に気付いたが、これらの不正が道内の新聞、テレビで取り上げられることはない。市役所の一角には大勢の報道記者が常駐しているが、彼らはただ市の報道発表をコピペで流しているだけ。目の前の不正に目をつぶるマスコミに果たして存在価値はあるのだろうか。
アイヌ官製談合で市から刑事告発された業者「クルーズ」は、実は上田文雄・前市長と深い関係にある。このことは上田氏自身が私の質問に対する議会答弁で認めている。
上田氏は「クルーズ」から自身の著書を発刊しているほか、上田氏の政治資金収支報告書には「クルーズ」の名前がたびたび登場する。官製談合が始まった平成15年といえば、上田氏が市長に初当選した年である。それから、不正が発覚して上田氏が引退するまで3期12年間にわたって官製談合が続いた。上田氏の市長在任期間とアイヌ官製談合は期間がピタリ符合しているのである。
上田氏は談合への直接の関与は否定しているが、市政のトップとして上田氏の責任は極めて重いと言わざるを得ない。
官製談合とは普通は官が私腹を肥やすために業者と共謀するものである。しかし12年間にわたり組織的に談合が繰り返されたとなると、不正の目的は職員の私利私欲ではなく、他の組織の目的に従ったと考えざるを得ない。道警の今後の捜査で事件の全容が解明されることを望むものである。
議員の本分とはなにか
「アイヌ民族はもういない」とのツイートには予想外の反響があった。私は真実を述べただけなのだが、時に真実ほど冷酷なものはない。同僚の議員からは「差別者」と罵られ、市議会の総意として議員辞職勧告決議を受けた。
しかし私が問題提起したのはアイヌ民族の存在ではなく、アイヌを騙る札幌市役所の不正だ。議員辞職どころか、市政のチェックは議員の本分ではなかろうか。
実は札幌市のアイヌ施策の不正は官製談合に止まらない。住宅貸付や市営住宅、生活保護、職員人事、健保不正請求、宗教団体の関与など様々な疑惑がささやかれている。これらの不正を正すため議員として職責を全うすれば、利権の立場からは「差別者」のレッテルを貼られ職務を妨害される。
彼らは利権を守るために必死だが、こちらも命懸けだ。なぜ私が危険を冒して得にもならない不正の追及をするのか。それは税の使途の監視は納税者から付託を受けた議員の本分だと信ずるからである。
しかし、春の市議選で有権者の審判は悲惨なものであった。私が得た得票数はわずか5315票と、得票総数の5%にも満たない数字だった。
アイヌを騙る左翼たち
そもそも、アイヌ民族は本当にいまもいるのだろうか。この根源的な問いにまだ答えは出ていない。道内ではアイヌ文化の振興を名目に国民の税金でラジオ・アイヌ語講座が開かれている。アイヌ語の公用語化や小中学校でアイヌ語教育を求める動きもある。しかし、アイヌ語を話し、アイヌ古来の生活を営む人々には私はついぞお目にかかったことがない。
ツイッター事件の時、いくつかの団体が「謝罪しろ」と抗議文をもって集団で私のもとにやってきた。名刺を見ると、労働組合、女性団体、慰安婦活動家、歴史研究家など、アイヌとはあまり関係のなさそうな人たちだ。不思議なのは、たいがいアイヌの衣装をまとった方がひとり借り物のように付いてきて、その傍らには「報道」と社名不明の腕章を巻いたカメラマンも同行しているのである。私に抗議文を手渡すシーンをパチリと写真に収め、日々の活動成果としてどこかに掲載するのだろう。
反原発、反自衛隊、反アベノミクスと政治的主張も私と相反するのが彼らの特徴である。しまいには九州の部落解放同盟やスウェーデンの学者からも抗議文が届いたが、「この人たちはアイヌとどういう関係なのか」と誠に不思議に思ったものである。
一方で肝心かなめの札幌アイヌ協会からは今のところ、なにも抗議は受けていない。要するに、ただ単にアイヌを騙って左翼が騒いでいるだけ。これが問題の構図なのではなかろうか。
平成20年に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で可決された。それ以来、アイヌが北海道の先住民族だと思っている方が多い。しかし、これは間違いだ。
アイヌ文化が成立したのは13~14世紀のことで、それよりずっと以前から札幌に人が住んでいたことが分かっている。札幌市内で出土する土器、石器はアイヌ文化期よりさかのぼること数万年前のものである。この時代の人たちはもちろんアイヌではない。
アイヌが北海道の先住民族でないことは歴史年表を見れば誰の目にも明らかなのだ。にもかかわらず、一遍の国会決議が日本の歴史を簡単に上書きしてしまった。「和人(日本人)がアイヌの人々を殺し、土地を侵略し、言葉や文化を奪った」として、政府はいま償いを求められている。
従軍慰安婦や南京大虐殺と同じく、まったくいわれのないことだ。
歴史は勝者が書き換えるものと考えれば、わが国の歴史は敗戦でアメリカに大きく塗り替えられた。平成の日本は「アイヌ民族」のプロパガンダ戦にいま再び敗れたのかもしれない。選挙に敗れた私はこう思うようになった。
ツイッターでの私のつたない発言をきっかけに、この問題への国民の関心が高まり、わが国の正しい歴史を取り戻す道につながることを願うばかりである。