日本書紀の謎を解く・143(秦氏を訂正)

140で滋賀県東近江市に一大拠点を持っていた依知秦氏について、私なりの考えを述べさせてもらいました。そして依知秦氏の正体は倭漢直阿知使主を分身とする大伴金村だとしましたが訂正を入れさせてもらいます。依知氏は大伴金村が半島から連れてきた一大技術者集団ですが、秦氏は別だということです。秦氏の正体こそ天皇家なのです。
実はかなり前には秦氏こそ天皇家なのだろうと考えていたのです。それはどうしてかというと履中五年秋九月条で天皇が淡路島で狩を楽しんでいた時に神前皇女が亡くなったという声が天から聞こえてくるのですが、この時「羽田(はだ)の汝妹(なにも)は」と天の声が言うのです。羽と田でハダと読ませていますが、これは秦氏としていいだろうと考えていました。つまり安閑天皇、春日山田皇后、神前皇女の属する部族が琵琶湖東岸から、おそらく木津川を通って宇治川流域一帯を支配していた秦氏だということです。
ところがその考えが去年湖東三山をめぐる小旅行をした時、正確に覚えていないのですが湖東三山の寺の一つのそばにある郷土資料館のようなところに入って、依知秦氏の存在を知ったのです。帰ってWikipediaでも調べてみて大伴金村が連れてきた集団だろうという考えに変わりました。履中五年九月条の記録も「鳥往来(かよ)ふ」は天鳥船と神前皇女が結婚したことを意味するのだろうという意味と解釈して、彼女は秦氏となったのだろうと。
それで140に書いたのですが、やはり「羽田の汝妹」が気になるのです。
昨日ふとわかりました。
仮に日本書紀の編纂者たちの中に中国や朝鮮半島からの渡来人が関わっていたとしても、彼女の姓は男性の姓に変わらないということです。中国や朝鮮半島では結婚しても女性の姓は変わりません。日本人の女性が結婚して男性の姓に変わるというのは西洋の真似をしたからです。つまり父系制が浸透した中国、朝鮮半島の渡来人が関わったとしても、彼女の姓を男側の姓に変えるということはしないということです。ということは秦氏は元々の彼女の氏族の名ということになります。
つまり天皇家の先祖は琵琶湖東岸から木津川を通って宇治川から淀川に至る流域を支配した秦氏で、そこから神前皇女が分家した藤原氏ということになります。
高群逸枝氏の説に従えば依知秦氏は復姓になっていて、父親の出自が依知で母親の出自を表しているのが秦ということなのです。
140では藤原宮に住む神前皇女のもとへ婿入りした大伴金村が自分たちの一大技術者集団を率いて琵琶湖東岸に入り実権を握ったと述べましたが、当時は母系社会です。別の見方をすれば天皇家の先祖である秦氏は大伴金村がのもつ技術者集団をまんまと取り込んだということにならないでしょうか。
それからややこしいですが、継体天皇は秦氏ではありません。安閑天皇とは別の部族(氏族)ということになります。この安閑天皇と妹の春日山田皇后の一族が天皇家の先祖ということになります。


さらに私の故郷因島の豪族「巻幡(まきはた)」のハタは秦氏のハタかもしれません。この巻幡氏の元の姓は藤原氏と伝えられています。それに巻くは渦(うづ)ですから依知秦氏とは別の流れ、大伴金村の子供の間にも子供ができていた可能性があるのでそちらの流れの可能性があります。
このことについては次回述べます。
う~ん、やっぱり狭手彦かなぁ。




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