進捗が芳しくない状態の仕事が山積みで、それらを優先すべきなのですが…
ストレスで仕事に対する気力を失いそうな状態になっていますので、吐露することによる精神的なデトックス効果を狙ってダラダラと記します。きちんと体系立てて整理すれば、私と同じような状況に陥った人の為の一助として有意義な情報になるかもしれませんが、その余裕はありません。たぶん、介護が終わるまで余裕なんて得られないと思っています。
前回の戯言から3年半ほど経過しましたが、その間のことについて綴ります。
介護についての話をする前に、まずは要介護認定について簡単に述べておきます。親類の介護などの経験の無い方々にとっては馴染みの薄いことですので無関心だと思いますが、自身に降り掛かってくるかもしれないことですので他人事ではマズイと思います。
西暦2000年(平成12年)まで、介護は家族で行うべきこととされていました。しかし、高齢化社会になって介護が必要な老人が激増。それゆえ、家事を担当することの多い女性は酷い負担を被り、国からの援助が求められるようになりました。そして西暦2000年(平成12年)の4月に施行されたのが介護保険制度です。市区町村に設置される介護認定審査会から要介護認定を受けると、その程度に応じて、利用料金の一部負担のみで介護サービスを利用することが出来ます。
要支援1 | 日常生活の排泄や食事はほぼ自分でできる。要介護状態に至らぬよう支援が必要。 |
---|---|
要支援2 | 日常生活に一部介助が必要だが、要介護に至らずに機能が改善する可能性が高く、要介護状態の予防のために支援が必要。 |
要介護1 | 立ち上がりや歩行が不安定。日常の中で排泄や入浴などで部分的な介助が必要。 |
要介護2 | 自立での立ち上がりや歩行が自力では難しい。排泄や入浴などで一部または全介助が必要。 |
要介護3 | 立ち上がりや歩行が自力では不可能。排泄や入浴、衣服の着脱などで全面的介助が必要。 |
要介護4 | 重度の介護を必要とする状態。排泄、入浴、衣服の着脱など日常生活で全面的介助が必要。日常生活能力の低下がある。 |
要介護5 | 最重度の介護を必要とする寝たきりの状態。日常生活において、全面的な介助が必要であり、意志の伝達も難しい。 |
「それなら大丈夫だな」と思うのは早計です。要介護認定は主治医の意見書と市町村の介護認定調査専門員の訪問調査だけで判定されますし、様々な制約がありますので、期待するサービスは受けられないと思っておいたほうが良いです。
そして、制度そのものが家族の都合の悪い方向に改定されていくこともあります。現在利用している介護サービスをずっと受けられるという訳ではないのです。
ちなみに今日現在、父は要介護2、母は要介護1です。
脳梗塞でヤバイ状態になって数週間意識不明だった父ですが、何とか命を取り留めました。しかし、担当医から「重篤な後遺症が残ります。回復は困難でしょう。」という絶望的な宣告。そして直面したのが、施設利用期間の上限が設けられた独特な医療制度です。
区分 | 対応施設 | 施設利用上限 |
---|---|---|
急性期 | 救急病院 | 発症から1ヶ月 |
回復期 | リハビリ病院 | 入院後半年弱 |
維持期 | 福祉施設 | 入所後3ヶ月~1年 |
利用期限が来るまでに次施設の手続きが済んでないと追い出されると思っておくべきです。福祉施設は冷淡に追い出すということをしませんが、介護老人保健施設(老健)の場合、3ヶ月毎にある利用計画書作成の面談でジワジワと退所プレッシャーを掛けられますので覚悟しておきましょう。(経験談・後述)
ちなみに福祉施設が「特別養護老人ホーム(特養)」の場合は終身介護なので絶対に追い出されませんが、そもそも入所待ち人数が数百人とか、もはや入所は不可能と考えるべき状態。さらに厚生労働省からのお達しで、2015年(平成27年)4月から要介護3以上でないと特別養護老人ホームに入所できなくなりました。つまり、天涯孤独な老人以外は家族が介護しなさいという制度に変わりました。施設を利用したければ「有料老人ホーム」へどうぞということ。…そんなお金ないです。
急性期を過ぎて救急病院からの退院を余儀なくされ、リハビリ病院への転院になるということまでは前回の戯言で書いたとおり。父は「右片麻痺とそれに伴う失語」という状態でリハビリ病院でリハビリを受けることになりましたが、その後、特別に状態が改善することはありませんでした。改善点としては嚥下障害(飲食物の飲み込みがうまく出来ず気管に入ってしまう)の改善と、自力でトイレに行けるようになったことです。
これによって「要介護3」から「要介護2」になりました。本来なら介護度が下がることは喜ばしいことなのですが、介護が必要なことに変わりはなく、さらに2015年施行の制度改革(要介護2以下は居宅介護とせよ)で介護サービスの選択肢は減り、介護する側の負担が増えただけでした。
なんとか入所できる介護老人保健施設(老健)が見付かりましたが、退所後に居宅介護ができるように住宅改修をしたり、通院の方法を色々と考えたりとか、あれこれとすべきことが盛り沢山。住宅改修は介護度別に額面上限はあるものの一部負担のみで済ませることが出来ますが法令などでの縛りも多く、正直なところ期待外れで、十数箇所をDIYすることになりました。(それらについてはここに書ききれないので後日に書くかもしれません。)
今後の長い介護のために急性期の治療に要した費用を少しでも埋めるべく、様々な制度利用の為に市役所へ足を運んだり、生命保険の給付金請求などバタバタと動き回りましたが、とんでもないことが発生しまくりで精神的にヘトヘトでした。
中でも一番疲れたのが「かんぽ生命」の対応。なんと、かんぽ生命の証書の父の生年月日が間違っていたのです。どうしてそんなことが起こるのでしょう…。調べてみたところ、戸籍の生年月日と運転免許証記載の生年月日が違うではありませんか。そういうのは早めに訂正しておかなきゃダメでしょ。かんぽ生命の契約の際に運転免許証記載の間違った生年月日で契約してしまってたのです。
ほとんどの生命保険会社では生年月日訂正手続きと月額保険料差額の支払いで保険金の給付申請ができるようなのですが、かんぽ生命の場合は「不実記載なので契約無効です。保険金の支払いは一切できかねます。」ということでした。
泣き寝入りか…と思っていましたが、突然、これまでに支払った保険金全額の払い戻しをするということで話が進んで決着しました。もしかすると、怒りの沸点が極めて低い弟が電話で何度も担当者に怒鳴って交渉したのかもしれません。
父は介護老人保健施設(老健)に2年ほど滞在しましたが、その間やんわりとしっかり退所を促されました。介護老人保健施設(老健)をハシゴするという裏技もあるようですが、それはやっぱり倫理的にダメでしょう。
退所後、父は月曜から金曜までの週5日デイサービスに通いながら居宅介護です。とにかく意思の疎通が困難で疲れます。さらに認知症のような症状まで出始めたため、父のする身振り手振りをそのまま信じてはダメな状態です。
以前に母は認知症の疑いがあるということを書きましたが、医師からアルツハイマー型認知症の確定診断が下りました。脳の萎縮が酷く、特に海馬の萎縮が甚だしい状態で、それはMRI撮影画像を見れば素人でも分かるような状態でした。
思い返せば、認知症を疑った数年前から予兆があったと言えます。いまさらですが…。
母に起こった上記の何れもがアルツハイマー型認知症の前兆現象として説明できるものであることを事後に知りました。心当たりがあれば早めに手を打っておくことを強くオススメします。進行を遅らせる以外の治療法はありませんので、発症してからでは手遅れです。軽度認知障害のレベルであれば、訓練やトレーニングをしたり、早めに投薬(アリセプトやメマリーなど)を開始したりすることで事なきを得られる可能性が高いです。大抵の場合、本人に自覚は無いので周囲が気付いて受診を勧めないと駄目です。
こうなる前に私がしておくべきだったと思ったことは次の通りです。
認知症で一番厄介なのは「取り繕い」という行動です。これは認知症患者本人のプライドとかではなく、誰もが持っている処世術に起因します。
認知症の人からすれば、周囲の人々が急におかしくなったという現象が起きているのです。ワガママ放題が許されている一部の特殊な環境の人以外は、トラブルを回避する為に納得していなくても上っ面の肯定をしたり誤魔化したりすることで相手との関係や自らの正常性を保とうとするのです。
人は自分の記憶の中で生きていますので、記憶と異なることばかりが起これば混乱します。しかも、誰もが自分の記憶認識を否定してくるのですからキツイです。周囲が結託して自分を騙していると思っているかもしれません。そして、それが自分の日常を支配し、周囲との齟齬に気付かず空回りし始めます。取り繕いのせいで、注意深く観察していない限り、認知症の発見が遅れてしまいます。
やがて、論理的判断も出来なくなってきますが、本人にその自覚は一切ありません。うっかりそれを指摘したりすると逆鱗に触れるか、恐ろしく落ち込んだりして非常に面倒なことになります。
介護する側からすると、この「取り繕い」にイライラさせられます。間違っていてもそれを指摘できないのです。
取り繕いに対して取り繕うというエンドレス・スパイラル。とにかく気力を削がれますが、仕方ありません。
認知症になったからといって何も出来なくなるわけではありません。これまでの介護の経験で得たのは「出来ることをこちらから頼んでやってもらう」という対応です。何か問題行動を起こす前に、こちらからお願い事を連発するという手段。こうすれば取り繕いのイライラ発生を減らせます。(頼んだことが達成されないこともしばしばありますが…)
父とは違って会話は成立しますので話しかけることが大切かもしれません。ただ、今以降が全てで、1分前のことを話すのは無意味だという大前提があります。2年ほど前まで母は比較的に昔のことは覚えていましたので昔のことを話したりしていましたが、最近は母の語れる昔が「母の子供時代」にまで遡ってしまっており、もはや私にはどうしようもありません。
母も父と同様に、月曜から金曜までの週5日デイサービスに通いながら居宅介護です。父と母では必要な介護サービスが異なるので、それぞれ別の施設に通っています。
請負(エキストラ)系のオーケストラは全てクビになり、音楽の仕事はほぼ壊滅状態となりました。当然ながら収入は半減。生活保護の申請をしたくなるレベルの収入ですが、そんなことをしたらそれこそ人生が終わりそうなので何とか回避したいです。
幸いなことに幾つかのコンピューターの仕事は在宅作業で捌くことが可能ですが、それでも進捗は思うようにならず、厳しい状況は続いています。こんな状態の私を雇ってくださる人こそ恩人なのだと思うのですが、まったく恩返しが出来ずにいます。申し訳ないことこの上ないです。このままの状況が続くと解雇されるかもしれません。
現在のところ、「週の前半は弟/週の後半が私」という形で交代で介護介助をしています。私は出向が必要な仕事を日曜から火曜に押し込んで何とかしています。
月曜から金曜、両親の利用しているデイサービスは送迎してくれますので、朝夕の送り出しと迎え入れさえ行えば昼間は介護から解放されます。弟はこの間に時短勤務で出勤し、私は食材の買い出し等や在宅作業に充てています。土日に関してはデイサービスを利用していないので、土曜日は私、日曜日は弟が全日対応です。
食事については宅食サービスを考えていましたが、結局は自炊することになりました。母には食器洗いをしてもらっています。
両親の通院については基本的に私が担当です。弟は既に利用できる制度を限界まで使ってしまっているので通院のために休むことは不可能だからです。
(育児・介護休業法 第11条~第15条)
労働者は、事業主に申し出ることにより、対象家族1人につき、要介護状態に至るごとに1回、通算して93日まで、介護休業をすることができます。
これ、1年間に93日ではないのです。老人介護の場合、要介護者が死亡するまでに取得できる介護休業のトータルが要介護者一人毎に93日だと言えます。介護が続いたからといって再取得はできないのです。さらに弟の場合は、週の半分を時短勤務にしてしまっている為、正社員という待遇が危ぶまれています。だからといって、私がずっと実家に滞在したら私の生活が完全に破綻してしまいます。どうしろと…。
両親が亡くなって介護が終わる頃、私は何歳になっているでしょうか。ひたすら目前にある必須事項をこなすだけで、プライベートに使える日はこの数年間皆無。焦燥感に駆られながら、何も解決できずに日々が慌ただしく過ぎ去っています。
母が認知症になったっぽいことは以前に書いたとおり。
時間のあるとき実家に電話したりしていたのだけれど、母との会話は通話の内容では論理破綻もなく、そこまで酷い状態ではないように感じてました。それに、父がいるわけだし、少々のことなら二人で何とか出来る状態だと考えていました。けれども、それは違った…知るのが遅すぎました。去年の2月の時点で感じていた不安が、最悪な形で現実となってしまいました。
11月初旬に父が脳梗塞で倒れたのです。
浜松の本番ステージの前日夜にその知らせを受けたのですが、当然ながらオケの仕事の代役が前日夜に確保できるわけもなく、精神的に不安定な状態でステージに臨み、翌日に病院へ向かいました。
父は処置が遅れてしまったので一時ヤバイ状態に陥り、容態が安定した後も右半身が動かせなくなり言葉を話すことも出来なくなりました。頷いたりはするので言葉は分かっていると信じたかったのですが…
↑こんな感じの文字盤を作って持っていったら、動くはずの左手で文字を指し示すことすら不可能でした。つまり、文字が分からないということです。たぶん、こちらが話しかけている言葉もあまり理解できていないということでしょう。
これは父のリハビリが不可能(あるいは極めて困難)であろうということを意味します。
仕事を大量にキャンセルし、実家に出来るだけ滞在するようにしました。そこで気付いたのは、母の認知症の症状がもはや軽度ではないということ。父は母の症状の進行を息子に気を遣って大袈裟にならないようにしてたんでしょう。けれど、それがマズイことになりました。
昨年の時点で介護支援認定の申請をしておくべきだったのです。けれども、私にそういう経験や知識もなく父に任せっぱなしにしていたわけです。父は自分が世話すれば大丈夫ということで何も申請はしていませんでした。そして、父と母の介護支援認定の申請が同時に発生。当然ながら医師の意見書・訪問調査などそれぞれ別件として扱われるので、まとめて処理してもらうことは出来ません。しかも、その決定と通知には1ヶ月程度を要することを知りました。
私はちょこちょこと東京に戻ってこなければならず、弟の負担が…
それから、お金の管理。父は当然ながら不可能。そして母も無理。なのに、息子である私や弟が銀行に行っても定期預金の解約すら出来ないという現実。病院のソーシャルワーカーさんに相談してみたら、成年後見人制度を利用しなさいとのこと。家裁に行って手続きせねばならない…。
急性期を過ぎた父の転院先は確定したものの、そこも5ヶ月しか入院できない。その後どうなるのかは未だ白紙。
緑の昴 URL 2014年03月10日(月)20:21一筆啓上
ご両親の現状と、先生のご心労、本当に大変ですね。お疲れ様です。
私は現在61に成ろうとしています。 当然のごとく、周囲の親類縁者が逝く道に旅発ち始めております。
この雪に閉ざされた折に叔父さん2名が旅立たれましたが、当方甲府。 親類北海道にて、何も出来ない状況に置かれました。
父は、74歳の時に風邪を引き、病院でMRSAうつされて肺炎で逝きました。 母は遠く石狩で脳軟化が始まってます。 兄に先手の保養施設に預ける事を進言しています。
日本は、高齢化社会に突入しているのに、高齢者に対するケアーを、少ない若者に背負わせ過ぎてます。
もう少し、子孫に対して重労働、介護貧乏にさせない工夫を欲してるのが現状です。
今、大変でしょうが、 必要な処理をタイムリーに処理して行けば、やがて時間が解決して呉れるでしょう。
芸術・美術の世界は、国の財産です。 ですから国自体の金銭的時間的保護政策が必須です・・・が、第一次産業、特に農業者、臨時雇用者同様、保護政策が欠如していますね。 残念で成りません。
どうか、苦しいでしょうが、山を越え元気なサウンドをどしどし音楽界に響かせて欲しいです。
固定電話の子機が壊れてしまいました。
かれこれ10数年も使ってましたし…お疲れ様でした。
さて、どうしたものか。
「通話なんてケータイでいいじゃん!」などと言われそうですが、
電話サポートのお客様相手だと小一時間、時には数時間の通話になります。
私はauのプランSSシンプルですから1分あたり42円。1時間で2520円…。
無料通話の枠1050円が1回で吹っ飛びます。
一方、固定電話(NTTひかり電話)は3分あたり8.4円なので、1時間で168円。
2520-168=2352
通話1時間毎に値段高めな銘柄のバーボンのボトル1本をドブに捨てることに…
…あれ、例えがおかしいな。(^^;)
そんなワケでして、出番は少ないですが固定電話は必要なのです。
いいえ。それは出来ません。「auひかり」には帯域制限があるのです。
我が家には公開サーバーがあるので、上りデータ通信量がハンパではないのです。
現在利用している規制ほぼゼロのプロバイダを解約したら、それこそモッタイナイ!
さて…、長い前置きになってしまいました。
親機(兼FAX機)は楽譜や書類が積み上がってる傍にあるので、そこでの通話は不可能。
そうかと言って、手元に持ってくるには少しばかり(いや、かなり)大きすぎます。
でも、あまり出番のない電話機をわざわざ買いたくないし。
移動中の電車の中で色々と探してみたら、こんなものが…。
NTTひかり電話契約者で無線LAN環境があれば、スマホが子機になるのです。
知りませんでしたよ。というか、そもそも通話が嫌いなので調べてませんでした。
「専用の機器を推奨」みたいなことを書いてありますが、それ以外でも問題ないようです。
アプリは無料で、iPhone版とAndroid版の両方があります。
とりあえずはルータの設定。
私のルータはNTTのRV-S340SEですが、他の機種でも似たような手順でしょう。
ブラウザで管理画面にアクセスして「電話設定」→「内線設定」に入ります。
↓
端末ニックネーム(テキトーでOK)とユーザーIDとパスワードを入力。
MACアドレス(物理アドレス)が分かるのなら、入れておいた方が安全です。
「設定」ボタンをクリックして設定を保存して内線設定の画面に戻ります。
内線設定の画面に戻ったら、設定した内線番号にチェックを入れて設定をクリック。
ルータの設定は、これだけ。
続いて「AGEphone(エイジフォン)」をiPhoneにインストールして起動。
設定しろと言われるので右下の「設定」をタップして設定画面へ移動。
設定画面で左上の若葉マークをタップします。
ルータのIPアドレスと内線番号、ユーザーIDとパスワードを入力。
(今回、着信はしたくないので「BG着信を許可」はオフのまま。)
入力が終わったら左上の「設定」をタップして、メイン画面に戻ります。
↓
呆気ないほど簡単に設定できました。
今までの子機は電話帳が入ってなくて電話番号は手打ち…とても不便でした。
これでiPhoneから固定電話回線でコールバックできます。便利で、しかも通話料が安い。
さらに、当然ながらイヤホンマイクでハンズフリーOK。
NTTひかり電話でスマホ持ちの方は設定しなきゃモッタイナイ!
って、知らなかったのは私だけかしら?
きっとそうだ…(´・ω・`)
最近ブログ更新してない!!!
hihi URL 2015年03月05日(木)19:44素敵な方法をシェアしてくれてありがとうございます。大変勉強になりました。
2月6日の夕刻にエアコンが壊れて、今日までエアコンなし…というか、まともな暖房機器なしで2週間ちょい…。
何故こうなったかというと、使ってたエアコンが「マルチエアコン」というタイプのもので、1台の室外機から2台の室内機につながっているものだったからです。
壊れたのは室外機…つまり、
全滅です。
全滅です。
全滅です。
もう、マルチエアコンは二度と買わないと心に決めたものの、普通にエアコンを2台買ったら工事費込みで20万円突破コースでしょう。だから半ば諦めていたんです。「夏までに買えればいいや」と。
「でもまあ、価格調査はしておこう」と価格.comとかで下調べをしてみたら、6畳用だったら3万円台からあることが分かり、8畳用でも4~5万円程度。ちょっと無理すれば買えるかもしれない…ということで色々あたってみた結果、北斗エンジニアリングさんに決めました。
ただ、我が家の場合、既設機の撤去も新設機の取付も難儀するのです。既設機の取付を行った業者さん(実は音大時代の後輩の父親)に「もう二度とやりたくない」と言わしめた作業環境なのです。配管部分が「隠蔽配管」という種別のものなのだけれど、作業口が約35センチ四方しかないというトンデモな状態。
(今日の既設機の取り外し工事の風景)
業者泣かせですわ、ホンマに。
6時間以上にもわたる工事で無事にエアコン総入れ替えが完了しました。
北斗エンジニアリングの小松さん、大変ありがとうございました。
そして、ホントにお疲れさまでした。
安すぎ。これで儲けあるのかしら? 大丈夫?
さらに、今までエアコン本体に塞がれたりして機能してなかった通気口(換気口)を移設してもらいました。
今までは台所の換気扇(かなり強力)を回すと部屋の気圧が陰圧になって玄関ドアが開きにくくなるという状態だったのだけれど、通気口がきちんと確保されたおかげで、換気扇を回しても玄関をフツウに開けられるようになりました。まさに一石二鳥。
エアコン本体2台と工事費、既設エアコン処分費もろもろ全部で10万円程度でした。
今、部屋がすげぇ暖かい。…ナニコレ。
17年前のエアコンと比べたら格段に違うし、
しかも電気代が安くなるとか。…ナニソレ。
今日は寒かった。
帰宅してエアコンのスイッチON!
…風が出ないよ、おかしいな。
室外機が動いてない。はい、ブレーカー落として分解。
ブレーカーONにして試運転。
一番右のLEDが点滅してる。10回点滅→消灯→10回点滅→消灯の繰り返し。
15年以上も前に買ったエアコンだし、メーカーにも部品は無いでしょ…。
(日立製1996年モデル 室内機:RAS-259GX/室外機:RAC-259GX)
どうしようもないじゃん。買い替え?…んな金ないよ。
今日は寒いね。
今日からずっと寒いよ。
//
[その後の話題]
エアコン復活!…というか新設。
ご無沙汰してます。
エアコン修理でも部品によって3~4万取られる事有りますからやはり新規の方が良いかもしれませんが・・・
取りあえずガスコンロ攻撃とかカセットコンロ攻撃で凌ぎましょう。
僕は以前そうしてました・・(爆)
やちまう URL 2013年02月23日(土)01:55>Jeffさん
布団乾燥機攻撃してました…(笑)
まあ、私がそういう年頃なのかもしれませんが…。
今回の訃報はちょっと違います。
先日(2013年1月17日)、マリンバ奏者の酒井聡さんが逝去されました。
私がどん底状態の時に氏と知り合い、音楽の仕事で大変お世話になりました。
音楽だけではなく、人として自信喪失していた私に色々と助言・力添えを頂きました。
昨年末に亡くなられた西村初夫さんは90歳を超えてますから、
ある意味、天寿を全うしたと言えるかもしれません。
けれども、酒井さんは還暦にすらなっていません。
私からしてみたら、兄を失ったような気分。
歳を重ねる毎に、近しい人たちさらに亡くなってゆくでしょう。
もしかしたら、自分が先かもしれない。
恩は恩人に返してはダメとも言います。(いや、私が勝手にそう思っているだけかも。)
なぜなら、そこで閉じてしまうから。授かった恩は複数に伝えてナンボです。
一人から受けた恩を複数の人に与えられれば、優しい気持ちになれる人が増えます。
「孝行のしたい時分に親はなし」と言いますが、
見返りを求めてる親のほうが少ないハズですよ。
偉くもなく子供すらいないという立場にいる私に、大したことは出来ません。
けれども、今、出来ることを淡々とやってゆきたいと思います。
酒井さん…安らかにお眠りください。
炊飯・食事・睡眠の時間を最小限で済ませるために約200日間、
ダイニングのテーブルで仕事をしてました。
帰宅してすぐに仕事に取り掛かれて、かつ、限界まで仕事が出来るように。
確かに仕事を遂行できる時間は増えました。
けれど「人間らしくない生活」となりました。
客人が来ても、くつろぐ場所が無いという有様。
まあ、それ以前に客が来るのを拒むしかないワケで。
これは…良くない。
今日、大雪が予想され、それがその通りになりそうということで、
外の仕事が全てキャンセルになり午後を仕事環境移設に充てました。
ダイニングで仕事をするのをやめるために。
母艦PCはOSがWindows8Proになってしまってアレですが、
性能自体は部品取り寄せで大幅スペックアップしてますし。
そして…
…こうなりました。
却って環境悪化してねーか?
画面だらけやん。
私の恩人の一人、西村初夫さんが昨日(2012/12/17)逝去されました。
日本のクラシック音楽界現場の生き字引の一人。
ご無沙汰してましたし、そろそろ伺いたいなと話していた矢先…(T_T)
故人の遺言により今朝(18日朝)に荼毘に付され、家族のみで葬儀を済まされたとのこと。
いかにも、西村さんらしいです。
明後日、西村さん宅に伺ってお別れの挨拶をしてこようと思います。
(急遽キャンセルしてしまった取引先2社さん、ゴメンナサイ。)
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
私がデタラメな生活を何年も続けていても大病してないのは、
こうして心遣いを頂いているからかもしれません。
…っていうか、野菜ジュースは好物です。
Jeff 2012年07月07日(土)00:50お元気そうで良かったです♪
戯言の更新がプッツリと途絶えている理由。
それは、プライベートな出来事やら開発案件による負荷やら色々とありますが…
一番大きな理由はケータイが壊れたことかもしれません。
ショップに行ってみたら、iPhoneへの機種変更が実質無料だったので
とうとうiPhone持ちになったのですが、その仕様に悩まされっぱなし。
正直なところ、使い手の意思を無視する仕組みが非常に厄介です。
いわゆるガラケーは機能的な縛りも多く、出来ることが限られているので、
「出来ないことは出来ない」と開き直って「出来ることをする」ことになり、
目的に応じてユーザーは自分の意図した結果が得られる操作を行います。
例えば、送信するメールの形式の指定はユーザーに委ねられているので、
「文字だけ」とか「デコメ」とか「写真添付」などを予め決められたのです。
文字だけなら
デコメなら
写真添付なら
これらは厳格なルールに従っています。非常に礼儀正しい仕様。
だから、ケータイのメールで戯言を投稿する仕組みが簡単に出来たのです。
iPhoneの場合、そうは行きません。
どの形式で送信されるかはiPhoneが決めるのです。
ユーザーはメール形式を指定できません。
さらに言えば、iPhoneのメールは受信相手に自分仕様を強要します。
それ故にブログ用の受信システムはメールソフトと同等の機能が要求されます。
んなもん作ってるヒマなんて無いです。
検証した範囲で、iPhoneのメール形式の決定トリガーになっているものを
以下に記しておきます。(自分用のメモ)
メール宛先を欄内右の「+」ボタンで指定して、本文全てが「手打ち」の場合…
普通にテキストメールになります。
メール宛先を「+」ボタンで指定せずに手打ちしたり表示候補から選ぶと、
本文全てが「手打ち」の場合でも…
Quoted-Printable形式になって、本文がエンコードされたものになります。
本文に7bit超キャラクタがあるわけでもないのに…この仕様の存在意義が分かりません。
本文の一部にでも他所(メモなど)からコピペした部分があると…
HTMLメールになります。しかも、HTML部分の文字コードがutf-8ですので、
少しでも古いWindows環境のメールソフトだとで文字化けが発生します。
エンコードの再指定方法を知らない相手だと、たぶん読んで貰えませんし、
utf-8のメールを解釈できないガラケーだったらアウトです。
本文を全て「手打ち」して、本文内に写真を貼り付けた場合…
メール本文はプレーンテキスト、画像はインライン扱いになります。
本文に「コピペ」が存在し、本文内に写真を貼り付けた場合…
HTMLメールとなり、本文の文字はプレーンテキストとHTMLの両方に記載、
画像はHTMLへimgタグで埋め込まれます。
…こりゃ、受信モジュール作りは当分無理ですなぁ…
さて、仕事仕事!
//
【2013/1/30追記】
iOS5以降では文字をどこからコピーしても書式属性が付いてしまいます。
それゆえ、コピペするとHTMLメールになってしまうという理屈。
でも、WEBフォーム(TEXTAREAなど)を経由してコピペすれば属性が消せますね。
コピペでプレーンテキストメールを送りたい場合は、これが唯一の方法かも。
はじめまして。
google で調べていて、ここに辿り着きました。
この仕様困っていますが、html になるトリガーが分かったので、これこらは少しコントロール出来そうです。
助かりました、ありがとうございます!
>松内さん
いえいえ、どういたしまして。
長文コピペなどがある場合は【2013/1/30追記】の方法が一番楽で確実みたいです。
フォームのTEXTAREA内で本文を作ってからまとめてMailに貼り付ければ、
HTMLメールになりません。
助かりました。ありがとうございました。
数ヶ月ぶりの戯言です。生きてます。死んでません。
「本日の頂き物」にしたかったのですが、昨日は全く余裕がなくて…。
「あごおとし」っていう明太子はとても旨いらしい。
ってことは、調理せずにそのまま食すのがベターだよね。
そもそも、明太子パスタとか明太子うどん、明太ポテト程度しかレシピが浮かばないし…(^^ゞ
んなもん、安物の明太子で充分。
野暮な料理をしないのが吉でしょう、きっと。
はじめまして。
以前からちょこちょこ拝見しております。
久しぶりに更新されてて、ちょっと嬉しかったです。
>キョウさん
初めまして。
コメントありがとうございます。
現在、色々とあって更新が滞りがちですが…
すみません。
んで、とりあえず…
インディーズ・デビューおめでとー!
やちまう聴いてくれてるのかしら!!!
日記をぱったり更新しなくなって心配
無理しないで無理してね
やちまう URL 2012年03月06日(火)22:35>二月さん
聴いてますよ~。
次回の戯言の更新はいつになるか分かりません。(´・ω・`)
まあ、色々とあった訳で…
ほぼ毎日綴っていた戯言。
一週間以上も書かなかったのは何年ぶりだろう。(6年ぶり?)
ただ単にサボっていたということで済ませたいところだけれど…
一応少しだけ言い訳を書いておきます。
2月7日の夕刻に、母が倒れたという知らせを受けました。
幸い、手足に麻痺等が発生した訳ではなく命に別状はないのですが、
母の様子が少し変なのです。認知症が始まっているような感じ。
父も「最近変なんだよ」と言ってましたし、そろそろ覚悟しないと。
今回、内臓系の疾患が見付かったので手術となりました。
(これが倒れた原因ではないようです。)
一方、仕事のほうは相変わらず色々と発生していて、
これはこれでこなして行かなければなりません。
(あちこちの案件で、今現在は待って頂いてる状態です。)
いよいよ、ということになったら…
練馬の自宅兼仕事場を店終いして、実家に戻らないとマズイかも。
父は炊事とか出来そうにないし。
何も出来ずに、頭の中でぐるぐると。
漠然としつつも明らかな不安。
内臓疾患も心配ですが、
特効薬がない認知症も心配ですね。
一番の薬は、
安心できる家族と一緒に過ごすことなのかもしれませんね。
なんだか、いろいろ重なってしまったようで、大変ですね。
ただ、難しい事は重々承知ですが、
無理しすぎにならないように、
ほんの少しだけでも仕事や生活の手を抜いてくださいまし。
ずっと一人暮らしだった僕の母も昨年倒れてしまい 自分も実家へ戻りました。
違う意味で行動範囲が広がってしまい
時間的余裕も少なくなりましたが
一年半経った今 何とかなってます。
いろいろと ご心配でお忙しいとは思いますが
お身体ご自愛下さいませ。
無理なものは無理なのです。
今は出来ません。承りかねます。
少々お待ち下さい。
yoshiko 2012年02月16日(木)19:47やちまうの戯言が、
1週間も止まってる・・・(・ш・`)
明日は引き籠もります。
あちこち連絡もしなきゃ…なのだけど、それは夜に。
昼間はラッパを練習しまくることにします。
この気分のままではコンピュータの仕事もままならず。
当然ながら、まだ帰宅してません。
ラッパの本番の翌日が出向の仕事という…いつものこと。
仕事の翌日の「余韻」すら味わえない。
テンション、落ちまくるんだろうな。