こんにちは。
ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。
ええっと、このブログにご訪問くださりありがとうございます。
ギフテッドという傾向に興味を持ってくださるのはありがたいと思います。
でも、残念ですが、たまにご訪問者の方のなかには、差別用語としてギフテッドという表現を好みで使っている方がおりますね。
だれとは言いませんが・・・・・・
私のブログをご覧になっていただければ、私は何度も説明していることですが、ギフテッドというのは、人の行動による傾向ですから、だれにもあるのです。
ただ、そうした行動の偏りの頻度が人に寄って違いますし、また、その行動がどこでどのようにでているかによっても、人が認知できる場合とできない場合があります。
医者や学者に、人間の能力を認定する権限って、だれが与えたんですか???
与えてませんよ!!
自分勝手に主張しているだけです。
この子は泣き上戸ですか?、笑い上戸ですか?ということで、皆さんは、わざわざ医者や学者に見てもらって、診断?認定してもらう必要があると思われますか???
また、この子は、笑い上戸ですと認定?判断されたところで、それをどうするとか、どう活かすといった方向に指導してもらえるんですか?
医者や学者は、診断?認定するだけで、何もしませんよ。
お子さんがギフテッドと認定されたとか、診断されましたということでブログを書かれているのをたまに拝見しますが、大体が、その後は、「それからどうしたの?どうなるの?」という肝心な部分は、書かれていませんね。
結局は、各家庭で試行錯誤して取り組むしかないわけですよ。
ギフテッドと認定されたから、がんばって子育てしますっていう人は、お子さんがギフテッドと認定されなかったら、頑張れないの??
おかしいです。
医者や学者に後押しされないと子育て頑張れないように、偏見による子育て、母親が子供を差別する思考を医者や学者が洗脳しているようなものです。
病気や障害を持って誕生した子供の親は、差別や偏見があるかもしれないわが子の将来に対して、不安を感じても、それ以上に、わが子の寿命が一日も長いことを願います。
おかしな認定がなくても、がんばって子育てしている母親はたくさんいるんですよ。
明日の命もわからないわが子の幸せを願い、一日も長く生きて欲しいとわが子を愛する親はたくさんいるんですよ!!
数字の証明、医者や学者の認定がないとわが子を愛せないなんてことありません。
3歳にも満たないうちに、文字の読み書きができたからギフテッドで、
誕生時に障害や不治の病を持った子が障碍児で、
どっちの子供がどんな可能性を持ち、どっちの子供が価値があるとか、どうか、そんな悲しい目線でお子さんをジャッジしないでいただきたい。
子供は、どの子も幸せになるためだけに誕生してきているのですよ。
人に迷惑をかける邪魔な存在で誕生してくる命などないのですよ。
どの子も、みんな、それぞれの命の輝きがあり、人を喜ばせることに自分の幸せを感じるのが人間の本能です。
私が提唱している日本におけるギフテッド教育とは、子供の能力を限定したり、分野を特定した能力開発ではありません。
人間の魂を育てる、人間本来の本能に気づいて温かい心、人格を育てる教育を目指してます。
通常の教育というのは、文字の読み書き、数字の計算、社会のルールを学び、社会で役立ち、働けるスキルを持たせるのが教育ですよね。
ですが、ここで一番、肝心なことが抜けてます。
それは、自分がだれであるかを知らない、学ばない、気がつく事がないままに社会人になること。
だから、何をしていいかわからない、なにをしてもつまらない、なにもしたくない、なにもかもが面倒だという思考が形成されていることに気が付かないのです。
結果、社会人になってみたら、何をしてもやる気がないとか、長く継続できない。
そして追い打ちをかけるように我慢を強要されて、抑圧されたなかで社会人生活をしているうちに、どんどん心が疲れてしまうのです。
今現在において、私の考えに共感したり、賛同してくれる医師や学者、もしくは教育者はいませんが、私のブログを読み逃げしてあたかも自分の意見のようにする人は出てくるかもしれませんので、いまのうちにはっきり言っておきますが、私の考えるギフテッドという人の傾向について、賛同したり、共感している学者や専門家は一人もおりませんからね。
そのために、私を異端者とか、間違った解釈をしていると考える方もいらっしゃりますが、だから、それがそもそも、私からみたら、反対なわけですから。
私の考えに同意してもらう必要はないので、個々の考えを自由に持ってくださって結構ですが、とりあえず、IQが高いというだけでギフテッドと語るのは、本当に迷惑な情報です。
高いIQだからギフテッドという情報を流しているのは、ただの差別者の情報です。
IQが高いことが役立つ能力ではありませんからね。
確かに私の娘をみても、高IQの持ち主の高い能力なり、特定された分野において突出した領域があるのは事実ですよ。
ですが、それが社会の役立つスキルになるかどうかまではわかりませんし、また、それを発揮できる分野で活躍できるという保証もありません。
ですから、そんな数字でお子さんの将来を差別することが、誰のためになりますか?
数字というのは、もっと美しい存在であり、宇宙の法則に沿った哲学でもあり、美学であり、人間の汚らしい欲を測るツールとして発見されたわけではありません。
メンサの会員だとギフテッドだろうとか、IQ値が130を過ぎているからギフテッドというような、要するにIQの数字だけでギフテッドだと診断している学者がいるのか、医師が判断しているのかわかりませんが、お子さんのIQだけでギフテッドという情報を出すのは、偏見を生み、差別を作るだけです。
あの・・・・自分が他者を差別している方は、一度、自分が差別される側に立ってみてください。
絶対に嫌ですからね・・・・
言論の自由というのはありますが、差別発言は自由ではありませんからね。
犯罪です。犯罪を正当化などしないで下さい。
ギフテッドという傾向は、大なり小なり、だれもが持っているのです。
特別なお子さんだけが持っている、特別な子供だけが選ばれるというような偏見や情報を鵜呑みにしないでください。
私のブログでは、たくさんの実在するギフテッドの傾向の人を紹介してますが、別にIQを測って証明などされてませんし、幼少時から突出している人ばかりではありません。
健常児、障碍児も関係ありません。
ギフテッドという傾向は、
だれもが持っている傾向ではありますが、だれもがその傾向を突出させたいわけじゃありませんし、その傾向を出さないことが人間失格というわけでもありません。
笑い上戸の人が、些細なことで笑いやすいように、ギフテッドという傾向も、些細なことに感動して人のために行動しやすいっていうだけですからね。
ギフテッドという傾向があたかも特別な能力のある人だと誤解などしないでください。
人の能力に優劣を仕分けして、差別することが人間の社会で役立つことはありませんから。
人は、どの子も、だれもが幸せになるためだけに誕生し、自分の生きる道を全うし、幸せになれば良いのです。
高い収入を稼いで、名声を轟かせることに、誕生した意味や価値を見つける必要などありません。
どれだけ幸せな日々を感じ、充実できたかを感じるのが人生ですよ。
辛いことも楽しいことも、すべて感謝。