皆様の中には、もしかしたらM女性はどうしようもないほど淫乱な生き物、また、そのように育てるのが調教だと思っている人もいるのではないだろうか。それは、間違えだとはいえない。M女性の多くは、非常に性欲が強く、いわゆる淫乱であるからだ。
その理由は、幼少期の頃に両親から厳しく育てられたであるとか、社会において規律や規則を遵守しなければならない立場にあるなど、様々なものが考え得られるが、心理学者ブレームが主張した「心理的リアクタンス」、世間一般に流布している表現を使えば「カリギュラ効果」と呼ばれる作用が働いているからである。
つまり、M女性の多くは、幼少期なり青年期、成熟期なり、どこかの時点あるいは今に至っても「~をしてはいけない」と厳しく禁止され、規律を遵守させられているので、その反動として、フランスの哲学者バタイユが述べるような禁止されることによるエロティシズム、淫乱さを備えているのだ。
しかし、そのまま淫乱なままのM女性を受け入れてしまうことはどうなのだろうか。もちろん、「ネトラレ」などのSMプレイがあるように、乱交を楽しみたいという人もいるだろう。だが、それではそのM女性はいつまで経っても自分のM性をコントロール出来ずに、最悪の場合、その淫乱さにつけこまれて風俗店に勤務させられるとかAVに出演させられるといったいわゆる男性社会に搾取される道具に堕してしまうであろう。
人には人それぞれの生き方があるので、私はそうした生き方をしている女性を否定するつもりはない。ただ、M女性に潜む「自己破滅願望」につけこみ、それを金儲けに活かすという発想は私は好まない。もちろん、ご主人様のために働いているという女性ならば話は別であるが、それが不特定多数の男性に利用されているだけであれば、それは不当なジェンダーによる搾取と言わざるを得ないだろう。
私が考える「DS(支配と服従)」や「SM」というのは、こうした商業主義とも一線を画したい。M女性は淫乱であるが、それはあくまでもご主人様に対してだけその淫乱さを発揮するように調教することが主人の役目だと私は考えるからだ。
そして、その理想はご主人様が指一本触れなくても、ご主人様の傍にいるだけで、感じてしまうような奴隷に育て上げること。それは、淫乱さと貞淑さという二つのアンビバレントな感情・欲求を併せ持たせるということである。そして、その即自(淫乱さ)とその反省を経て生まれた対自(貞淑さ)をAufheben(止揚)させ、愛奴として育て上げることに調教の冥利があるように思えるのだ。
ご主人様の前では淫乱な牝であるが、ご主人様の傍にいないときには貞淑なレディ(淑女)であるような高邁なプライド(誇り)を持ったM女性に育て上げることこそが、私の説くご主人様の役目である。
もちろん、こうした役目は非常に手間が掛かるもので、生来淫乱で自己破滅願望の強いM女性をこのように育成していくことは困難である。しかし、それが面倒臭いだとか、そこまで負担したくないというならば、SMプレイを実施している風俗店に通うのがベストな選択肢ではないだろうか。