M女性とは。

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ある程度の経験を積まれたサディストの方には既に周知の通り、「服従(submission)」を望むM女性の多くは、社会的な一員としての自分と自分の内面に潜むM性のバランスを自分自身でコントロールすることができていません。

 

実は、M女性の多くは一見自分自身をコントロールし、社会にうまく適合しているように見えることが多いのです。実施、このような女性の多くは社会的には一定の地位を築いてもいます。女性管理職はもとより、女医、看護師、美容師、果ては芸術家など社会的にはジェンダーの格差を乗り越えて成功している女性が多いと思われます。

 

これについては明確な理由があります。それは、M女性に強く認められる特徴である勤勉さや真面目さ、そしてヒエラルキー型組織に適した従順さ、苛烈なプレッシャーやきつい業務に耐えるM性が、彼女たちの社会的な成功を形作っているのです。

 

しかし、冒頭でお話ししましたように、このような女性は自分の内面に潜むM性を自分自身でコントロールしているわけではありません。ですから、ワーカーホリックであったり、自分の身体や精神が過大な負担にさらされていても、なりふりかまわず仕事に打ち込んでいたりすることがよく見受けられます。

 

彼女たちは、自分では気が付かないうちに自分自身を苛めているのです。近代社会において、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが語るように、我々は身体刑という刑罰から免れたものの「監視されているという心理的圧力」にさらされています。こうした心理的圧力にうまく適合した形で彼女たちは社会的な一員として現代社会を苦しみながら生き抜いているのです。

 

M女性に限らず、人間には「自己への承認欲求」というものが強くあります。M女性は、とりわけこの「自己への承認欲求」が強く、負けず嫌いであったり、強い競争心を持っていたりします。その強い承認欲求が満たされないと、無意識のうちに自分を追い込んだり、自分を傷つけるような行動を取ったりした経験が必ずあります。

 

再三申し上げておりますようにM女性は自分自身で自分のM性をコントロールできていないために、こうした頑張りすぎたり、自分を責め続けたりするような傾向は往々にして「行き過ぎ」になってしまうのです。その結果、不幸にも「過労死」してしまったり「鬱」になってしまったり「自傷行為」を繰り返してしまったりすることが多く見受けられます。

 

このように、M女性は、自分自身のM性をコントロールできずに、制御不能になっています。これは裏を返せば、M女性たちは「自己破壊願望」を密かに抱いているということを理解しなければなりません。

 

身近な例を挙げてみましょう。よせばいいのに無理な(きつい、無茶な、急な)仕事を引き受けてしまったり、他人からはビックリされるような大胆な行動や決断をするような女性を皆様も一度は見たことがあるのではないでしょうか。しかし、こうした行動こそが、実がM女性の心の内奥に潜む「自己破滅願望」の表れと言っても良いのです。

 

ですから、こうしたM女性は、暇そうにボーッとして時を過ごしていることが少なく(あるいはそうしたことが全くできず)、常に忙しそうに動き回っています。M女性は、周りの人からは行動的で積極的な責任感の溢れる女性に見えます。

 

しかし、これはドイツの社会心理学者エーリッヒフロムが指摘しているように「自発的隷属者」として自分のM性を社会・システム・権威・集団等に利用されているだけなのです。フロムが述べているように、自発的隷属といっても、文字通りM女性が主体的に隷属を意思、決断しているわけではありません。

 

あくまでも内在化されたM女性の心の内に潜む無意識(のM性)のうちの意思決定の過程で、隷属しているのであり、当の本人は全くそれを自覚しておりません。多くのM女性たちは、無自覚なまま無理をして社会に適合(隷属)しようと四苦八苦しているのです。

 

なので、こうしたM女性は無理が過ぎて、時々パニックを起こしてしまうことがままあります。心のバランスを崩してしまい、自分自身にその刃を向けてしまうのです。しかし、M女性は、こうしたパニックや自分自身を責めるような行為・信念を持っても、それは自分が悪いんだ、と自分で自分を納得させています。

 

なぜなら、M女性の多くは、既に述べたとおり、現代社会にとっては非常に都合の良い存在であり、社会の一員として社会的にある程度の地位を獲得し、仕事もばりばりとこなしているので、「自分は1人で生きていける強い人間だ」と思い込んでいるからです。

 

M女性が、DS(支配と服従)やSMの世界を知って惹かれていくのは、こうした不安定な自分をコントロールしてもらいたいという、本人では無自覚な「無意識」の願望に基づいているということを理解して下さい。

 

ですから、私がここでM女性と呼んでいる女性は、世間一般で誤解されているような、身体的(肉体的)に痛めつけられることで快感を得るのが好きな女性のことではなく、もちろん、こうした願望も含むものの、本質的には、社会の歯車として、誰でもない誰かとしてハムスターが滑車を回すようにクルクルするのではなく、たった1人のご主人様の奴隷として飼われたい(自分の意思決定をゆだね、従いたい)と願い「絶対的な支配」によって自分を(社会から)守って貰いたいという本能的な欲求を持つ女性のことを指し示しています。

 

レディスコミックやSM小説のように羞恥と屈辱にまみれたSMプレイとしての快楽だけがお望みであれば、私がこれから述べていく「DS(支配と服従)」や「SM」の世界とは無縁だと思っていただいて結構です。