人生の暗号 サンマーク出版 村上和雄
人間が考えたり行動したりするほとんどのことに遺伝子が関係していて、遺伝子暗号に書かれたこと以外はわれわれの身に起きないのです。(P58)
細胞をつかさどる遺伝子の仕組みとはたらきがわかりはじめたことで、クローン動物ができ、治療が困難な病気への遺伝子治療が可能になったのです。(P55)
私たちの体の一つ一つの細胞の中の遺伝子は、たった一個で人間一人をつくり出せるだけの潜在能力をもちながら、はたらいている遺伝子はごく一部にすぎず、あとは眠っているのです。(P55)
人間の遺伝子に組み込まれた情報量は、本にしたら千ページの本が千冊できる。これだけの膨大な情報のうち、私たちが生きるために使われているのは、せいぜい5~10%であとは眠っている。(P58)
これはごく最近になってわかってきたことなのですが、遺伝子の機能は電灯のスイッチのように、つけたり消したりすることができる。(P18)
要するに人生をよりよく生きるためには、よい遺伝子をONにして、わるい遺伝子をOFFにするようにコントロールすることが必要になってくるわけです。(P19)
よい遺伝子を目覚めさせる方法
思い切っていまの環境を変えてみる
人との出会い、機会との遭遇を大切にする
どんなときも明るく前向きに考える
感動する
感謝する
世のため人のためを考えて生きる
環境を変えると、体も心も新たな刺激を受けて眠っていた遺伝子が目覚める。それから心構えを変えることは、意識の変化となってやはり遺伝子のON/OFFにかかわる。だから環境と心構えが遺伝子をコントロールする二つの大きなカギといえるのです。(P21)
遺伝子のスイッチをON/OFFする三つの要因
物理的要因(熱、圧力、張力、訓練など)
食物と化学要因(アルコール、喫煙、環境ホルモンなど)
精神的要因(ショック、興奮、感動、愛情、喜び、恨み、信条、信仰など)
高熱により遺伝子がONになり、熱ショックにより新しいタンパク質が生じたことが、微生物から人間まで科学的に証明されています。
圧力も遺伝子ONの有力な材料です。ごく最近、張力によっても遺伝子がONになることがわかってきました。したがってスポーツ選手などは訓練によって、遺伝子がONになり、筋肉タンパク質をつくることができます。
昔から悟りを開くために滝行をやりますが、厳寒の時期に凍るような水に打たれても「温かく感じる」「心地よい」という人がいる。これはふだん経験しない緊張が加わることで、ある種の眠っていた遺伝子を起こしたと考えられます。
栄養成分が性格や行動にまで影響を及ぼすと指摘されていますが、食生活を正すことも、よい遺伝子を目覚めさせるうえでとても大切なことです。
たとえば精神的なショック、肉親や配偶者の死などは、ストレスの度合いが非常に大きいことで知られています。しかし、それが必ずしもマイナスに作用するとはかぎらない。深い悲しみを経験することで、眠っていたよい遺伝子を目覚めさせることもあるのです。
感動はそれがどのような種類の感動であれ、よい影響を与えると考えられています。できるだけ多くの感動を経験することが遺伝子ONには有益です。
愛情や喜び、信条や信仰もよい影響を与えます。愛情豊かな人やいつも楽しげに明るく生きている人が、そうでない人よりも幸福でいられるのはそのためで、同じ環境や境遇でも心の持ち方によって人生は大きく違ってきます。
全体によい遺伝子を目覚めさせるには、あらゆることにプラス思考で取り込むことが大きなポイントといえます。ストレスは一般にマイナスに受け取れますが、プラス思考の人はストレスすら有効に活用してしまいます。
プロと呼ばれる人たちを観察してみればわかることですが、基本的な態度においては、例外なくプラス思考をしています。何かの分野でプロと呼ばれたいなら、いま述べた三つの要因をすべてよいほうへともっていくと、それだけでも人生は好転すると思います。(P108~113)
火事になると、か弱い女性でも重い荷物を持ち上げて外に飛び出せるといいますが、これはふだんOFFだった遺伝子がONになったと解釈できます。(P59)
あるいは末期ガンで余命三ヶ月と診断された人が、「もうこれだけ生きたのだからいつ死んでもいいや」と素直に受け入れたら、「患部の退縮がはじまった」という例もあります。いずれの場合も、何かの理由でこれまでとは違った心の状態、それも好ましい心の状態におかれると、病気は改善に向かう。体で起きることはほとんど遺伝子が関係してきますから、これらはよい遺伝子がONになったとみることができるのです。(P61)
親は早い時期から、「他人を喜ばせることが、こんなにも自分を楽しくするものなのか」ということを教え込む必要があります。それには親がモデルになるのがいちばんいい。(P202)
ここでもう一つ重要なことを述べておくと、遺伝子の構造と原理は、すべての生物に共通していることです。現在、地球上には二百万種以上の生物がいるといわれていますが、あらゆる生物が同じ起源をもつということは驚異的なことではないでしょうか。
問題は、いったいこの遺伝子という生命の設計図がどうしてできたかです。人間自身がこしらえたものではないことははっきりしている。では自然にできあがったのでしょうか。しかし材料がいくらあっても、ほうっておいて自動的に生命ができたとは思いにくい。ここはどうしても、人間を超えた何か大きな存在を意識せざるをえなくなってきます。
私はこの人間を超えた大きな存在とはたらきのことを、ここ十数年来「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼んできました。(P22~23)
「この研究をしていて、つくづく不思議に思うのは、ヒトの生命設計図の精巧さと、それを極微の世界に書き込んだのはだれかということである。人間が書いたものではないことだけは確かだ。そこから私は人間を超える創造主、神のような存在を感じざるをえない。その存在を私はサムシング・グレートと呼んでいる」(P144)
科学というものは、もともと創造主のつくった宇宙や自然がいかにすばらしいものであるかを立証し、それを称えようとしてはじまったものであるという意味がよくわかります。宇宙も自然も生物も、けっして偶然にできたものではない。その背後に人間を超えた大きな力 - サムシング・グレート - を想定しないと、とても納得のいくことではありません。本当に神業としかいえないのです。(P167)
たとえば人間と猿をくらべたとき、遺伝子からみるとほとんど変わりません。97%くらいの遺伝子は共通しています。しかし猿と人間の間には天と地ほどの開きがある。この開きに私はサムシング・グレートの意図を感じるのですが、そのことをダーウィンはまったく無視してしまった。これはおかしいことだと思うのです。
人間には、ほかの生き物にはない知性が与えられている。もし人間がほかの動物と同じであるというのであれば、動物と同じように生きなければなりません。もし、そのように生きたら弱い人間はたちまち動物たちにやられてしまい、食料の確保も子孫を残すこともできなくなってしまうことになるでしょう。
つまり人間は文明や文化をもつことではじめて、ほかの動物と伍して生きていけるのです。サムシング・グレートは、こうして唯一人間だけに文明や文化をつくり出す知恵を与えました。(P180)
この本のキーワードは、サムシング・グレートです。私は、サムシング・グレートは目に見えないがたしかに存在すると思っています。大自然が長い歳月をかけ、丹精こめてつくりあげた遺伝子の姿を眺め、その絶妙なはたらきを知るとき、その存在を確信するのです。
世の中には、目には見えないもの、現代の常識や知識で理解できないものはいっさいないと思っている人が多い。しかし、「いのち」に関する知識にかぎっても、生命科学や現代科学で明らかにされているものは、ごく一部しかありません。
したがって、常識や現代科学では理解できない現象のほうがはるかに多くあり、その存在を認めないという態度は科学的ではありません。私たちは、幼い子供のように素直な目で、こざかしい常識を捨て、物事を眺めてみることが必要です。(P232)
たしかに人間の英知はすばらしい。しかし、私たちは遺伝子の謎を解明したが、遺伝子をつくったわけではない。遺伝子のすごさがわかったということは、それを設計した大きな存在があることを証明したにすぎないのではないでしょうか。
科学がここまで発達して、ヒトの遺伝子暗号まで読み取れるようになったことは、非常に重要なことを意味しています。それは、いままで科学がけっして踏み込むことのなかったサムシング・グレートの世界が無視できなくなったことです。
人は何のために生まれてきたのか、人はいかに生きるべきか。もっと根源的な問いかけでいえば、人はいかなる理由でつくられたのか。こういう問題は科学が扱う問題ではないと長年考えられてきましたが、遺伝子暗号が解読されるようになったことで、まったく事情が違ってきました。
これからはそのような問題を考えないと、この先、科学をどう進めていってよいかわからない。わからないまま進めて、もし間違った方向へいってしまうとたいへんなことになる。これからは科学が宗教の教えることを証明し、宗教は科学の成果を取り入れて説明する。そういう時代へと進んでいくと思います。(P219)
人はだれでも困難な状況に陥ることがあります。そいうときの振る舞いが、その後の人生を決めることが少なくない。だから困難をどう乗り切るかが大切なのですが、ピンチに陥ったときは得てしてマイナスの対応をしてしまいがちです。そういうときの対処法について考えてみましょう。
まず第一に「これはたいへんなピンチだな」と思えるようなとき、どういう心構えで対処したらよいかということです。そういうとき私がみなさんにおすすめしたいのは、「一つ、二つくらい努力すれば、あとの八つ、九つはサムシング・グレートが応援してくれる」と考えることです。(P120)
この考え方は子供のころから親に教わったものです。私もはじめはかなり懐疑的でしたが、大人になってから「これはサムシング・グレートが応援してくれたんだな」と思えるようなことを何度も経験した。それでみなさんにも困難克服法としてぜひ知っていただきたいと思うのです。(P121)
問題はそういうサムシング・グレートの応援を、どこまで信じられるかです。最初は私も疑いました。「本当ならありがたいが、あまりに都合がよすぎないか」と思っていました。でも私はその後もピンチになると、決まって同じような体験をしました。だから、この考え方をいまでは確信しているのです。大丈夫、がんばれば必ず応援がきてくれます。(P124)
正しい目的をもって必死の努力をしていれば、天は必ず味方をしてくれるといえます。(P44)
人生には転機というものがあります。
それをうまくつかみ、よりよい人生への跳躍台としていくには、出会いということが大きな影響力をもっている。あのとき、あの人に出会わなかったら、自分の人生はどうなっていただろう。あとで振り返ると、そう思うことが必ずあるものです。
どんな出会いも、過去・現在・未来をつなぐ時間のなかで、巡り合う必然性があるようにも思われるのです。
人だけではなく、何かの出来事、ある物に出合うのもそうです。
人と人、人と出来事、人と物は、一見バラバラのようでありながら、相互に関連をもっている。それが「人生の暗号」だと私は考えます。(P10~11)
よい出会いをするにはどうしたらよいのか。
私の経験では、自分からよい出会いを求める気持ちが大切だと思います。どんな想いもそれを外に伝える前に、まず自分がその想いを強くもたなければならない。強くもてば必ず相手にも伝わるものなのです。(P11)
よい出会いをするためには一つの条件がある。それは「何かを必死に求める」ということです。(P26)
まさに人との出会い、それが人生の暗号でもあったのです。(P28)
人はだれでも自分の運命を変えるような貴重な出合いをいっぱいしている。その出合いの暗号に気づかないだけなのです。(P50)
人生には、こちらが求めていると、それに関連したことに出合うという何か不思議な暗号めいたものがあります。こうした暗号に出合えるときというのはどんな状態でしょうか。
私の経験からいうと条件は三つあります。一つは先にも述べたように「こういうことをやりたい」という明確な目的意識があること、第二にその目的に向かってひたすら努力を重ねていること、そして第三は何かの障害があって手づまり状態になっていることです。
この三つの条件が揃ったとき、論理的、科学的にはちょっと説明しにくい不思議な現象が起こることがある。(P53)
そういう状態で脳をはたらかせると、一見、何の関係のないような現象や物が結びついて、そこに類推力がはたらくようになるのです。
類推力がはたらくと目には見えないものが見え、耳に聞こえないものが聞こえる。常識では考えられないことが考えられる。そういう力が生まれてくるようです。これはいったい何なのか。自分のなかで、ふだんはたらかなかった遺伝子がはたらき出した、と考えることもできると私は思っています。(P54)
競争社会で暮らすと、必ず出てくるのがライバルという存在です。いったいこの存在をどう考えるか。これも人生においてはかなり重要な問題になってきます。私は、ライバルとは自分にやる気にしてくれたり、能力を高めるきっかけを与えてくれる存在として、むしろ必要なものと考えます。
オリンピック競技でもライバルが存在するから、少しでも先へいってやろうと一生懸命に練習に取り組む。それによって記録が更新されていくのです。学問の世界もライバルが存在しなければ、その進歩は大幅に遅れてしまいます。(P125)
ライバルは「好敵手」という言葉のとおり、好ましいと思ってつきあうことができる存在と考えればよいと思います。
では敵の場合はどうでしょうか。ライバルは同じ土俵で覇を競う存在ですが、敵となると話が違ってくる。敵は必ずしも同じ土俵とはかぎらない。同じ土俵でないからルールも定かではない。ライバルは存在してくれないとこちらも困るが、敵はいないほうがよいとだれもが考えます。
私は「ライバルはあるけれども敵はいない。いたとしても味方にできる」と思っています。
敵があるということは、それだけ自分の存在が認められているということ、だから敵をたたきつぶすという考え方はしないほうがいい。「いまは敵でも、いつか必ず味方にするぞ」と思うことです。(P126)
人生で敵をもったら、それを「やっつける」という考えをもつ前に、どうしたら「味方にできるか」を考えてみることです。そして、そのときは「大きな敵ほど大きな味方になる」場合があることを思い出してください。(P127)
何事かで暗号と感じたときは、そのことに全力をあげて取り組む絶好のチャンスといってよいのです。暗号にはよい場合もあれば、わるい場合もあります。たとえば、ある人が会社を辞めたと同時に病気になれば、これも一種の暗号です。辞職という人生の一大転機と、病気という肉体上の転機が立て続けに起きたということには、何かの意味があるのです。
そういうとき「自分はなんてツイていないのだろう」と思うのは、視野が狭いといわなければなりません。自分の身近で同時に起きてくる出来事というのは、一見、関連性がないようでも、それが何かのメッセージであることが多い。ですから、そのとき起きた出来事が自分に好ましくない場合は、心を入れ替える努力をしてみることです。
そうすれば、自分にとっては不幸と見えた出来事が、その人自身を飛躍的に成長させるきっかけになる。会社を辞めたとき病気になったのなら、このことが、徹底して健康診断をする一つのチャンスを与えてくれたのだと思えばいい。再出発をするためには何といっても健康が大切だからです。そのきっかけを天がつくってくれたのだと思えば、すべてプラス思考へとつながるはずです。(P151~152)