ーまずは、中高時代についてお聞きしたいです。
「何時間かかるかわからないけど…笑。
中学校の時から話すと、その頃の将来の夢は「痛みを感じずに死ぬ」でした(笑)。社会がだるすぎて本当にそう感じていました。地元茨城での暴走族のボスをしていたので、その頃から「やると決めたことはやる」という精神が形成されていったのかもしれません。もう働いてもいたので、中学を卒業してからそのまま働こうと考えていたのですが、当時好きだった女の子と同じ高校に行きたいという気持ちから勉強を始めました(笑)。ただ学力が足りなさすぎたので普通の方法以外で受験するしかありませんでした。それが資格の取得です。決めた時から資格取得のことだけを考えていました。情報系の資格取得を狙っていたので、その頃からパソコンをいじり出した感じです。もともとバイクや車をいじることは好きだし、機械系は好きなので、そのおかげもあってか中学生では取れないような資格をいくつも取ることができたのです。」
いやいやいや、ってなりますよね笑
変化が著しいその背景には、やはり「やると決めたことはやる」というマインドがあったのだと思います。しかし、もちろん先生には信用されず、資格取得後は本当に取っているのかを本部に電話で確認されたりとか。(笑)
その後、結局その女の子とは違う高専に行くことになるのですが、その学校は日立製作所直営の学校でとても厳しい環境だったようです。
「推薦をもらってからも行くかどうかは迷っていたのですが、ちょっと誓約を守っていなかったところがあり、高専か中卒かの二択でした。ただ、高専はお金をもらいながら通えるし、学費や寮費等一切お金がかからないということで最終的に決断しました(笑)。しかし、その一方で授業はとても大変でした。赤点を2回連続でとると強制退学になるし、学校を辞めてしまうとそれまでにもらっていたお金は一括で全額返済…。授業は一回に30ページほども進み、内容も大学生レベル。2年生の時には海外に行き、英語の勉強もしまくりました。また、技能オリンピックというものにも出場したので、、とにかく勉強をした高校時代でした。」
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