アジアを躍動する東大卒の起業家 塚本廉。その破天荒な軌跡と決断

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「大学2年生の頃からビジネスで、毎週のようにASEANの国々に行っていました」

さも何でもないことのように語るのは塚本廉さん、24歳。学生でありながら起業家としてビジネスを立ち上げており、現在はそれに加え投資家として日々世界中を歩き回るような毎日を送っている。大学在学中から、他には類を見ないほどの爆進撃を繰り広げている塚本さんだが、一方で大学の授業は入学以来一度も休んだことがないというから驚きだ。平日は大学へ通い、金曜の夜に現地に飛んで月曜の朝に帰国し大学に直行する。レポートや課題はすべて飛行機の中でこなしていたという当時のスーパー大学生は、“全部全力でやれば、大抵のことは成し得る”と言い切る。そうした塚本さんの強靭な精神力と行動力はどのように磨かれてきたのか。また卒業後の進路として、かの名門MIT(マサチューセッツ工科大学)、そしてイスタンブール大学をはじめ複数の大学からオファーをもらっていたという塚本さんが、どのような決断をし、これからどのような道を歩んでいくのか。日本中の大学生誰もに一度は読んでもらいたい、塚本さんの生き方にフィーチャーする。

思い付いたら即行動、わからないならとりあえず行ってみる

―本日はお忙しい中誠にありがとうございます。大学在学中から東南アジアなどを飛び回ってビジネスをされていたということですが、詳しく聞かせていただけますか。

―塚本
大学1年生から2年生にかけての春休みに、「今後は東南アジアが来るかも…」と本で読んだり、講義で聞くことがあり興味本位で、カンボジアに行きました。そこでびっくりしたのが、当時英語も日本語も通じないこと。ふと思い立って、現地の大学の日本語学科の学生に直接会いに行って、現地の学生にインタビューをしました。 “どうして日本語を学ぶの?”  “どうして日本に興味があるの” って。

“日本に留学したい、日本の企業で働きたい”

みんな口を揃えて言うんですね。だけど、日本は移民には厳しいですし、企業で採用されるためには基本的に日本語検定1級を取得しないといけない。だから各学校で学年トップを取るような優秀な学生でも、国費留学生の狭き門をくぐれない子がたくさんいました。こういう学生たちと、日本の企業をもっとうまくマッチングできたらいいな、と思って作ったのがASEAN Communityです。

ASEAN Community

ASEANの若者が夢を叶えるために主に3つの事業を行っている。
1,教育(若者を対象にした教育事業 ※分野は多種)
2,人材紹介(教育後の若者を、世界中の会社へ紹介)
3,コンサルティング(紹介した若者が会社でうまくやって行くために、会社側・紹介者共にコンサルティング)
その他日本でも、国からの依頼でASEANの学生を招致してツアーを行うなど、幅広く活動している。大学2年生の秋には体制を整え、塚本氏自身は新たな事業に乗り出すべく後継の学生に引き継いだと言うが、2014年の10月にブルネイにコミュニティができたことで、現在ではASEANすべての国を網羅している。


03(カンボジアで出会った子どもたち)

  当時の辞書に“大学”という文字はない。今の自分が作られた高校時代

 ―これだけ聞くだけでも普通の学生ではないことがひしひしと伝わってくるのですが、そうした塚本さんの考えや行動力はどのように形成されてきたのでしょうか。

―塚本
自立せざるを得なきゃいけない家庭環境だったことや、中学の頃までは地元のヤンキーのボスをやっていたことなども関係するかもしれませんが、高校で鍛えられたというのが大きいかなと思います。そもそも中学のときは卒業したらすぐに働きに出ようと思っていたので、高校に進学する予定ではなかったのですが、とあるきっかけで進学した高校は高等専門学校(いわゆる高専)で、言ってみれば日立製作所の直営の学校です。卒業すればそのまま日立に就職できるんですが、その分卒業するまでが血を見るような毎日で。成績が悪いと強制的に退学になる他、卒業後に即戦力となるよう専門分野の勉強・実地もとことん課せられ、あらゆることが有無を言わせず勉強するようなプログラムになっていました。地獄のような生活でしたが、でもまあ、このときの過酷な経験があるからこそ、どんなときも「まだ頑張れる」と思うし、何事にも本気で取り組めるのだと思っています。もう一回やれと言われたら全力で拒否しますけどね(笑)高校の環境では進学も他企業への就職も禁止だったので、周りに大学に行く人も全くいませんでした。それに加え、家系内でも大学に進学している人はいないので、受験をしてみたいなんて思いもしなかったし、僕も例に漏れず高卒でそのまま日立製作所に就職しました。

「大学ってどんなところ?」「大学に行ったら視野が広がるってホント?」

―えっ、塚本さん一度社会に出られてるんですか!?そうした中でどうして大学、それも最高学府と言われる東京大学に入ることにされたんでしょうか。

―塚本
成人式のときに、大学に進学した友人に久しぶりに会って、彼が学生団体で活動をしていたんです。その学生団体がイベントをするというので呼んでもらったんですが、ゲストとして茂木健一郎さんが来ていて。打ち上げのときに茂木さんと話す機会があって、僕の社会人としてのキャリアを話してみたら、 “君みたいな人が大学に行ったら、もっと視野・世界が広がるよ” って言われたんです。茂木さんみたいな人がそう言う“大学”ってどんなところなんだろう?そう思ったのが、大学に興味を持ったきっかけです。

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それから職場の先輩や上司に大学について聞いてみたのですが、大学行ってもみんな遊んでばっかりだとか、勉強をしないとか、マイナスのことばっかり言うんです。それでも東大の模試を受けてみると、高専で英語や理系科目を叩き込まれていたおかげで、理系科目はほぼ満点。すごく簡単に感じたので、受験してみることにしました。ただ金銭的に見れば、大学ってお金が出ていくばっかりで、働いていることに比べるとマイナスでしかない。だから当時は大学に行く意味として、卒業後に日立よりもよい給料がもらえるところに就職することしか考えていませんでした。

大学、それはアカデミックで戦える唯一の場所

―大学という選択肢自体が、全く新しい価値観だったわけですよね。実際に大学に入ってみてどうでしたか?

―塚本
こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、ぶっちゃけ授業はどれも知っていることばかりで簡単で、はじめの頃はこんなんで視野が広がるのかなぁと疑問に思っていました。ですが勉強とは別のところで、なんとなく感じたものはあります。
4年前はまだあまりインターンも盛んじゃなかったので、日立で働いていたときの取引先の方に頼まれて、ニーズに合った学生の紹介をしていました。自分としては紹介はボランティアだと思っていたのですが、あるとき交流会で「人の紹介は価値があることで、お金が発生することだ」と言われたんです。それがきっかけで1年生のときに初めて紹介業で起業をしたんですが、人は一度紹介してしまうと自分が間に入る意味がもはやないなとも感じていました。ですが、よくよく見てみると、理系の学生と一口に言っても、前提知識が違うせいで紹介先のクライアントと話が噛み合わないマッチングもあったんです。僕は電気工学が専門なんですが、自分の専門分野であれば、紹介後も自分が間に入ってよりよい関係を取り持つことができるということに気づき、ビジネスを拡大していきました。

―ご自身の専門を武器にして、研究や開発以外の選択肢を得られたんですね。

―はい。働いているときは専門分野を活かすと言っても、その分野の研究だとか営業だとかしかないと思い込んでいて、それを利用して他のことができるとは考えもしませんでした。一般には専門を究めると、本当に狭い範囲でしか需要がないというように思われがちですが、専門を究めることは様々に応用できる武器を身に付けることなんだなと。他にも大学に入ってよかったと思えることがあって、専門分野は日常生活において一般の多くの人には理解されません。僕が今ここで電気工学のことについて語っても、それを理解してくれる人はごくわずかなはずです。ですが大学には、同じ分野の最先端で研究をしている人がたくさんいる。大学は、アカデミックなことを本気で話すことができる、唯一の場所なんです。そうした人たちと話すことで、茂木さんが言っていたように“視野が広がり”ました。授業に出席するかどうかは人それぞれで僕が何か言えることではありませんが、せっかく大学という素晴らしい環境にいるのであれば、それを十分に活用できるといいのではないかなと思います。

塚本さんコラ(左上=「みんなの夢AWARD4」@日本武道館 / 左下=ヤンゴン大学での講演 / 右=東京大学卒業式)

揺れる今後の進路

―大学を卒業された今、今後はビジネスに専念されるのでしょうか。

―塚本
いえ、大学院に行きます。MITとイスタンブール大学以外にも数校からオファーをもらっていて、どこにするかかなり悩んでいます。

大学に入学した時点で専門分野に関するアドバンテージがあった塚本さん。日立ではエレベーターを専門にされていたということで、大学で学ぶ前からその仕組みなどには精通していたそう。そのため、周りの学生が一から勉強している間にも、基礎を応用して新しいものを生み出すことからスタートできたという。論文は学会でも賞を受賞するレベルで執筆していたというから脱帽だ。そのうちの一本がMITに伝わり、今回MITからのオファーに至ったという。


―MITは電気工学の最先端ということで理解できるのですが、もう一方のトルコ大学はまた何故に?

―塚本
ASEANでの事業を見たトルコ大使館からの依頼で、トルコでも留学生向けのプログラムの作成などを行っていたんです。それがきっかけで中東に行ったり、アラビア語やトルコ語を勉強して通訳を行うようになりました。それで実際に行ってみて感じたのが、日本人が日本で思っている中東像と全然違うなということ。日本にいたら、中東と言えば “危なそう” とか、 “石油” くらいのイメージしかないじゃないですか。だけど、紛争が起こっているのも一部だし、行けばみんなびっくりするほどもてなしてくれます。多くの日本人は実態を知らないからこそ、中東は怖いなと思ってたりする。だから僕がそこの橋渡しになれたらいいなと考えているんです。

09(世界中の友人の結婚式に駆けつけることもしょっちゅう)

人と違うことをすることで生まれる自分の価値

―塚本
新しく事業を作ったりするのが好きだということにも通じると思うんですが、誰かの二番煎じで行動するよりは、僕はその道のパイオニア的な存在になりたいと思っています。中東に関わっている人はそんなに多くもないし、中東圏の大学に行ってる日本人なんてこれまでもほぼいない。自分だからこそできることをする、人と違うことをあえてすることで、本当に価値が出ると思うんです。いわば希少性ですね。人がまだ踏み込んでないとこに一人足を踏み入れて何かを達成したら、かっこいいじゃないですか。だからずっとグラグラ揺れていますが、今の時点ではトルコに傾いているところです。

―なるほど、めちゃくちゃかっこいいですね。でもMITは名門ですし、こちらを推す人も周りに結構いらっしゃるんじゃないですか?

―塚本
結構どころじゃないです(笑)会う人会う人ほぼ間違いなくMITを推してきます。起業家の人は特にそうですね。ソフトバンクの孫正義さんに“絶対MITに行った方がいい”なんて言われたときには正直かなりMIT の方に振れました。MITはやっぱり最先端だし、だからこそ世界中から面白い人が集まるし。今の時点では自分でもどちらに振り切れるか本当にわからないのですが、どちらにしろ9月には入学なので、それまでに決断をします。それに、世界中どこにいても、目の前のことに全力でアタックするということは変わらないですし、常にパイオニア精神でワクワクを追い続け、新たな価値を生み出していきたいと思います。

02(投資家としても活動する塚本さん。アゼルバイジャンにて現地の投資家の人々と)


インタビュー当時、MIT進学かトルコ大学進学かで最後の最後まで迷っていた塚本さん。その後、熟考の末イスタンブール大学に進学することを決断され、現在はイスタンブール大学に在籍中。……が、最近また新たにサービスをリリースし、この半年で勝負をかけるために、入学早々半年間の休学中であるという(笑)弱冠24歳にしてこんなにも波乱万丈な人生を他に見たことがない。何事にも全力で、かつ心の底から楽しんで活動されている塚本さんは、様々な活動から見えてくる社会問題にも積極的にアプローチをし、その行動や姿勢は同年代の多くの若者にも影響を与え続けている。ASEANから中東に活動拠点を移した塚本さんの更なる躍進に大いに期待したい。


 塚本廉(つかもと れん)

高等専門学校を卒業後、日立製作所へ入社。その後一念発起して東京大学を受験、同大学に2011年入学。起業家として様々な事業を手掛ける他、トルコ親善大使や「みんなの夢AWARD」最高顧問、トルコ語とアラビア語の通訳なども務める。大学と共同して授業設計を行ったり、最近では国内外の不動産投資も始めるなど多岐に渡る活動を続ける。2015年に東京大学卒業。同年9月よりイスタンブール大学へ入学。

アウトエリート編集部

アウトエリート編集部

若き異端児達の“自”論展開メディア「アウトエリート」編集部。ちょっとした瞬間や毎日の生活の中で役に立つ…かもしれない知的な情報を上手いこと編集して流していきます。

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