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【芸能・社会】

ルパンも悲痛! モンキー・パンチさん死去

2019年4月18日 紙面から

映画「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の一場面(原作:モンキー・パンチ (c)TMS)

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 人気アニメ「ルパン三世」の原作者で漫画家のモンキー・パンチ(本名加藤一彦=かとう・かずひこ)さんが11日午後7時26分、肺炎のため死去した。81歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日しのぶ会を行う。長年、ルパンの声を演じている栗田貫一(61)も悲痛な胸の内を明かした。昭和、平成と子どもから大人まで楽しませた希代の漫画家は、新しい時代を見ることなく逝ってしまった。

 モンキー・パンチさんは高校卒業後、貸本専門の出版社でアルバイトしながら漫画を執筆し、1965年にデビュー。翌年ペンネームを「モンキー・パンチ」として再デビューした。

 67年から「週刊漫画アクション」で連載を始めた「ルパン三世」は、アメリカンコミック風のおしゃれなタッチが受け、注目作に。怪盗ルパンの孫で大泥棒のルパンと、すご腕のガンマン・次元大介、寡黙な剣の達人・石川五ェ門、美貌の峰不二子という一味と、逮捕に執念を燃やす銭形警部との追いつ追われつのストーリーで魅了した。

 71年以降、現在まで何度もテレビアニメ化、映画化され、大野雄二さんが作曲した疾走感のあるテーマ曲と相まって国民的人気作となった。

 ルパン三世は、アニメだけでなく実写版の映画化もされていた。74年公開の「ルパン三世 念力珍作戦」(国際放映)では、目黒祐樹(71)がルパンを演じ、次元を田中邦衛(86)、銭形警部を伊東四朗(81)、殺し屋が前川清(70)という顔触れだった。

 以降実写版は作られなかったが、2014年、小栗旬(36)を平成のルパン役に40年ぶりの「ルパン三世」(東宝)が公開。次元に玉山鉄二(39)、銭形警部は浅野忠信(45)、五ェ門を綾野剛(37)、不二子を黒木メイサ(30)が演じ、ファンの話題になっていた。パンチさんは戦前生まれながら早くから作画にパソコンを導入し、デジタル漫画の可能性に着目。松本零士さんやちばてつやさんらと設立したデジタルマンガ協会の会長を務めた。AMD Award(デジタルメディア協会主催)功労賞、東京アニメアワード功労賞などを受賞。2003年からは東京工科大(東京都)の大学院で漫画のマルチメディア展開を学んだ。05年からは大手前大(兵庫県西宮市)の教授として漫画を教えた。

◆実写版映画で主演 小栗旬「誇りに思う」

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 実写版映画「ルパン三世」で主演した小栗旬=写真=が17日、所属事務所を通じコメントを発表。「いつも笑顔でとても優しいモンキー先生」と呼び掛け、「ルパン三世をやらせていただけたことをとても感謝し、また誇りに思っております」とつづった。

 同作で五ェ門役の綾野剛は初めて会った時に「あ、五ェ門がいる」と声を掛けられた思い出を紹介した。

◆日テレあす追悼放送 映画「ルパンVS複製人間」

 日本テレビは17日、アニメ「ルパン三世」の原作者で11日に死去したモンキー・パンチさんを追悼し、19日夜の同局系「金曜ロードSHOW!」で、映画第1作「ルパン三世 ルパンVS複製人間(クローン)」(1978年)を放送すると発表した。

 当初予定していた「名探偵コナン 天空の難破船(ロストシップ)」の放送時期は未定。

◆漫画は大人向けハードな作風 小中学生には「アニメを見て」

2004年6月、シンポジウムで「ルパン三世」の峰不二子を描くモンキー・パンチさん=兵庫県西宮市の大手前大で

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 11日死去した漫画家モンキー・パンチさんは、漫画の読者が少年から青年へ拡大した1960年代、青年漫画誌の誕生に同伴する形で「ルパン三世」の連載をスタート。当初は大人向けのハードな作風だったが、4年後にテレビアニメ化され人気が爆発、世代を超えて愛される作品となった。

 「キャラクターや舞台設定は全く考えてなくて、仕事が欲しい一心で『後はどうでもなれ』みたいな…」。2011年、アニメ化40周年を記念した「ルパン三世展」の開幕イベントに出席したモンキー・パンチさんは、こんな誕生秘話で来場者を笑わせた。

 怪盗ルパンの孫のルパン三世が、相棒の次元大介、石川五ェ門、峰不二子や敵役の銭形警部と繰り広げる冒険活劇は「コミカルでブラックユーモアがあって、ハードボイルドなところがあってお色気があって」。漫画はあくまで大人を意識していた。小中学生には「ルパンを見たかったらアニメを見て」「漫画は高校生になったら読んで」と話していたほど。

 一方、71年に放送が始まったアニメのテレビシリーズは、子どもや女性も含め幅広いファンを獲得。スペシャル版や映画も相次いで制作され、宮崎駿監督、高畑勲さんら多くのクリエーターが作品を手掛けた。疾走感のある大野雄二さんのテーマ曲も大人気に。

 高校卒業後に北海道から上京し、アルバイトで漫画を描き始めたモンキー・パンチさん。「僕は漫画家になりたいという夢を持っていた。夢はかなえられるんだ」。こう言って子どもたちの背中を押す優しい巨匠だった。

<モンキー・パンチ> 1937(昭和12)年5月26日生まれ。手塚治虫さんの漫画の影響を受けて漫画を描き始め、高校卒業後すぐに上京。65年「ムタ永二」のペンネームにて「プレイボーイ入門」で本格的なデビュー。66年、編集長の命令で「モンキー・パンチ」に改名。2003年、66歳で東京工科大学大学院の修士課程に入学し、05年に修了。10年5月、東京工科大学メディア学部客員教授に就任した。

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