すれ違う交渉
52話
もう仕方がない。友好的にいくのは無理そうなので、淡々と事務的にいこう。
「そんなことよりも、本日はアラム殿に相談があって参上した」
「相談、ですか?」
アラムの服には汗ジミが浮かんでいて、表情もかなりひきつっている。かなりのストレス状態のようだ。
何をしでかすかわからない人狼、それもミラルディアで特に悪名高いヤツと向かい合っているのだ。立場が逆だったら、俺なんか失禁しててもおかしくない。
俺はアラムを気の毒に思いつつも、手短に説明する。
「ミラルディア同盟だけでなく、魔王軍とも友好関係を結んでいただけないだろうか?」
「なっ!?」
アラムは腰を浮かせて変な声をあげた。
「私にミラルディアを裏切れと仰るのか!?」
「いや、そうではない。落ち着かれよ」
ここからは慎重に会話を進めないとな。
交渉の基本は、相手に利を説くことだ。「こちらの提案に乗れば、こんないいことがありますよ」と説明することが大事だと思う。
なお、脅迫もこれに相当する。こちらの提案に乗れば安全を取り戻せますよ、という商談だ。
もちろんこれは最後の手段だ。
俺は低い声で、ゆっくり言葉を選びながら続ける。
「いずれ滅ぶ国に忠義立てしても始まらぬであろう?」
「滅ぶ……?」
どんな国も、いつかは滅ぶ。前世の歴史の授業で俺はそれを学んだ。半分ぐらい寝ていたが。
とにかくシャルディールのような都市国家が生き延びるためには、移ろう流れに乗り続けることだ。
古臭い同盟にいつまでもしがみつくよりも、絶賛売り出し中の魔王軍のほうがいいぞ。
アラムは俺をじっと見ている。顔色が悪いな。
「やはり、ミラルディアを滅ぼされるおつもりか?」
「場合によっては滅ぶであろうな」
もし魔族を受け入れれば、国としての形は変わってしまうだろう。
だが幸い、ミラルディアは王制ではない。元老院とやらに魔族も加えてもらえれば、案外何とかなるかもしれないな。
しかしさっきからアラムの顔色がどんどん悪くなっていくんだが、もしかして何か誤解してないか?
「誤解しないでいただきたい。我々は流血に興味はない。現にリューンハイトをはじめとする三つの都市は、魔王軍の支配下で生活している」
「つ、つまり……味方になれば、シャルディールは滅ぼさないと?」
「もちろんだ。味方になればな」
味方にならなくても別に滅ぼさないぞ。でもそれを言うと交渉にならないから、今は黙っておこう。
アラムは唇を噛んで、うつむいている。
なんか誤解が深まっている気がするので、違う方向から利を説いてみよう。
「シャルディールをはじめとする南部の諸都市が、北部に反感を持っていることは承知している。それゆえ、魔王軍は南北からミラルディアに揺さぶりをかけている」
これは嘘だ。
第二師団と第三師団の方針があまりにも違いすぎるため、魔王様は仕方なく両師団に別ルートからの進行を命じたのだ。
俺たち、辺境の森や山で暮らしてた田舎者だからな。
同盟の内部事情なんて知っているはずがない。
もっとも、事実がどうかなんて大した問題ではないのだ。相手が信じてくれればそれでいい。
「南部のベルネハイネン、トゥバーン、リューンハイトは既に魔王軍の占領下だ。特にベルネハイネンとリューンハイトは、太守自らが魔王軍に恭順の意を示している」
ベルネハイネンの太守は吸血鬼になってしまったから、自発的意志ではない。しかし黙っていればわからないだろう。
「南部の八都市のうち、残るは五都市だ。魔王軍としても、早い段階で味方になってくれる都市には手厚く報いたい」
味方になるなら早いほうがいいですよと、さりげなくアピールだ。
「特に、ここシャルディールは多少離れてはいるが、リューンハイトの東隣にあたる。できれば早期に友好的な関係を築きたいのだ」
アラムの顔をちらりと見ると、顔色が落ち着いてきている。たぶんあれは、計算をしている表情だ。
ただし、これ以上の執拗な交渉は禁物だ。
シャルディールは、れっきとしたミラルディア同盟の一員だ。裏切りには多大なリスクが伴う。
独立した結果、もしミラルディア軍から攻撃されても、守ってくれる魔王軍がいない。できれば守ってやりたいが、今は戦力が足りない。
まともな判断力が残っていれば、ここはたとえ自分が殺されようとも「ノー」と返答するしかないだろう。
そして今ここで明確に拒絶されると、交渉はこれで終わりになってしまう。
そいつは困るのだ。
だから俺は立ち上がり、うなっているアラムに軽く会釈した。
「もちろん今すぐ返答を、という訳ではない。信頼関係というものは、醸成するのに時間がかかる。返答は後日で結構だ」
俺の言葉に、アラムが露骨にほっとした表情を浮かべる。
「わかりました。少し検討させてください」
「ああ、そうして頂けると助かる。ではまた」
俺はついでにシャルディール市内を簡単に視察して、帰路に就いた。
北側に湖があるせいか、隊商でにぎわう街だ。あちこちから来た様々な服装の商人たちが、酒場や宿でくつろいでいる。
活気はあるし、人々の生活水準も良いようだが、衛兵の数がやけに少ないのが気になるな。
その代わり、衛兵と同じような服装の兵士を随所で見かけた。彼らは何者だ?
帰路はハマーム隊の愚痴を聞かされることになった。
「隊長、なんであのまま太守をやっちまわなかったんですか?」
「そうだよな、俺たち五人でも攻め落とせたんじゃないか?」
「久々に暴れられると思ったのにな」
どんだけ暴れたいんだ、お前たちは。
俺が溜息をついていると、分隊長のハマームがぼそりと呟く。
「副官を信じろ。副官は俺たちには及びもつかないような、優れた知略を持っている」
その言葉に人狼たちは顔を見合わせ、うんうんとうなずいた。
「それもそうか」
「隊長に任せとけばいいよな」
いい部下を持ったなあ。
でも優れた知略を持ってる訳じゃなくて、単に前世で人間だったおかげなんだけどな。
帰還後、アラムがミラルディア軍を受け入れなかった本当の理由がわかった。
交易商たちの噂によると、アラムは密かに私兵を集めているようだ。
シャルディールの衛兵割り当ては、わずか百二十人。リューンハイト以下だ。これは統一戦争のときの因縁らしいが、それにしても少ない。
交易路の周辺には、都市に属さない遊牧民族もいる。彼らは近隣住民であると同時に、ときには交易路に出没する盗賊にもなる。旅人から通行料を勝手に徴収するのだ。
金さえ素直に払えば道案内などの便宜をはかってくれるとはいえ、あまりお行儀の良い連中ではない。
当然、警戒は怠れない。
しかし百二十人の衛兵では、市内の治安を守るのが精一杯だ。人の出入りが多い街なので、城門の審査だけでもかなりの人手を要する。
一応、有事には常備軍を派遣するということになっているが、間に合わなければ意味がない。
そこでアラムは太守就任直後から潤沢な資金を使い、傭兵や剣客などを雇い入れたらしい。俺がシャルディールで見かけたのは、その私兵たちという訳だ。
正確な人数は不明だが、おそらく二百人はいるという噂だ。そして俺が見る限り、装備や練度も衛兵隊に匹敵しているようだった。規律も悪くない。
だがこれは、都市固有の常備軍を禁じるミラルディアの協定に違反する。この発覚を恐れたのだ。
道理であんなにビクビクしていると思った。小心者の割にやることが大胆だな。策士だけど策に溺れるタイプかもしれない。
だがこれは、魔王軍が食い込む絶好のチャンスだ。我々の力を売り込んで、ぜひ味方になってもらおう。
近いうちに、また行くとしよう。