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【東京】

<東京人>反骨の多摩、武蔵野 三多摩の自由民権運動

町田市立自由民権資料館(同館提供)

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 西・南・北多摩郡と三郡に分かれていた現在の多摩地域(=三多摩)が、明治初期から一八九三(明治二十六)年まで神奈川県に所属していたことを知る人も、最近は少なくなりました。しかし、東京府移管前の時代、多摩地域が輝かしい歴史を持っていたことを忘れてはいけません。

 明治前期、新政府への強い批判と不満から自由民権運動が全国に展開し、三多摩はその最大の拠点としての役割を果たしていました。主役は横浜開港前後から成長してきた村の豪農層。町村や郡を越えてネットワークを形成し、演説会をはじめ、懇親会、討論会、読書会などが開かれ、新しい政治文化が誕生しました。

 例えば、西多摩の山村から、現憲法にも通じる民主主義的な「五日市憲法」草案が生まれ、南多摩郡の農村から、神奈川県の民権運動をリードした石阪昌孝が輩出されています。石阪は初代神奈川県会議長や国会議員を歴任し、娘美那子は北村透谷と結婚、息子公歴は渡米して在米民権運動に関わります。

 その石阪がいた村に、一八八三(明治十六)年、地元の民権家村野常右衛門が私財をなげうって、文武を鍛える道場「凌霜館(りょうそうかん)」を開き、多くの若者が集いました。一九八六(昭和六十一)年、その跡地に「町田市立自由民権資料館」が開館。全国に先駆けて自由民権運動に関する資料館がつくられたことも、明治から現代につながる三多摩の実力と言っていいでしょう。 (高麗博物館館長・新井勝紘)

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