カラフルボックス
5月19日 日曜日 雨
 なんだかよく降る。既に梅雨入りしたということだろうか。

※TBSのサッカー番組「タカと伸二」(ドキュメンタリー)を録画。
 ありモノのVTR素材とインタビュー。
 でもまあ、良いデキだと思う。
 少なくともファンにとっては。
 なにより、インタビュアーが前面に出てこないのが良い。
 高原の病気が、かえすがえすも残念。


5月20日 月曜日 雨のち曇り
朝から雨。
体調すぐれず。
夕方まで寝る。
 
※吉報到来
 カメルーンVSサウジアラビア6/6@さいたまスタジアムのチケットをゲット。
 ある筋から、「よろしかったら行きませんか?」と。
「行きます行きます行きます!」
 と、犬のように飛びつく。犬突進。犬跳び。犬喜び。ワンワン。

 吉報はいつも予想外の方向から、突然、やってくる。
 たぶん凶報だって同じことなのだが、悪い知らせを受け取った時には、反射的に
「そんな気がしてたぜ」
 と、そう思うことにしているので、あんまり突然な感じがしないのだな。うむ。
 ベルよだれ回路。
 犬反射。
 
 ん?
 このお話は、ポール・サイモンの歌そのままだぞ。

When something goes wrong,
I'm the first to admit it
First to admit it,
And last one to know.
When something goes right,
Oh, it's likely to loose me,
It's apt to confuse me,
Because it's such unusual sight
Oh,I can't get used to something so right.
Something so right.
何か悪いことが起こったとき
ぼくは真っ先にうけいれる
何が起こったのか理解する以前に
とにかく事態を丸呑みにする
良いことが起きると
ぼくは呆然とする
ひどく混乱してしまう
だって滅多にないことだから
そう、ぼくは僥倖にうまく適応できない
何かがうまく行くことに
from "Somethins so right" by P.Simon
 

 チケット獲得に奔走しながらついに一枚も手に入れられずにいる人々をたくさん知っているだけに、ちょっと申し訳ない気持もある。
 が、幸運に適応しなければいけない。
 でないと、運が定着しない。
 それどころか、つまらぬ遠慮は凶事を呼び寄せる。
 銘記しよう。
 オレはツイてる
 このセリフを毎朝復唱しよう。
 幸運を呼び寄せるコツは、まず自分の幸運を信じることだ。

 疑っている人のために、私の知っているある運の良い男(Oよ、お前のことだぞ)の話をしよう。
 彼はたとえば自分の買った宝くじが当たらなかったことに心底からびっくりしているような男だ。そう、彼には意外なのだ。宝くじがハズれると、Oは意表を突かれるのである。
  1. おい、ハズレだよ。ウソだろ? どういうことだ? 何が起こったんだ?
  2. え? 宝くじは普通ハズれるもんだって? 何言ってんだよお前は。
  3. だって、考えてみろよ。買ったのはオレだぞ。O.Yだぞ。そこいらへんの凡人じゃないんだぞ。
  4. ……たぶん、勘違いしてるんだな、こいつは。いや、クジのことだけどさ。
  5. 要するにこの宝くじは、自分が今誰のポケットの中にいて、何をするべきなのかってことがよくわかっていないわけだ。
  6. つまり自覚を欠いているわけだよ、まっとうなあるべき宝くじとしての。
  7. ったく、バカじゃねえか?
  8. ってういか、クズだよ、クズ。クジの風上にも置けない紙っきれだ。
  9. こんな根性曲がりの間抜けなクジが当たってたまるもんかよ。まったく。
 おそらく、彼の頭の中の自問自答は以上のような筋道で展開している。
 だからたとえば、自分が大学に落ちたのは自分のせいではなくて大学のせいということになる(「いや、京大には心底あきれたよ。あんな了見の狭い大学だとは思ってもみなかった」)し、プレゼンの失敗は、当然クライアント側の不手際(「驚いた。とんでもないバカだった」)として理解される。
 見事だ。
 ん? 単に図々しいだけじゃないかって?
 そうかもしれない。
 でも、四十歳を過ぎてなお図々しい男でいられるってこと自体、ラッキーな話じゃないか。
 Oよ。オレは図々しいお前が好きだぞ(笑)。


5月21日 火曜日 晴れ
 Y誌原稿アップ。
 ワールドカップ特需。

 想像してごらん 戦争なんて無いんだって
 ほら、町は失業者だらけだ


  5月22日 水曜日 くもり
 川口まで買い物。
 ボーダー(横縞)のTシャツを買う。
 早速着てみる。
 うん。なかなか良い感じ。でも、周囲には評判が悪い。
「囚人みたい」
 といわれる。
 なるほど。薄いグレーと黒の横縞。見事な囚人服だ。
 ヒキコモの潜在意識が買わせたのだろうか。


  5月23日 木曜日 くもり
 B誌原稿およびイラスト。
 A誌原稿。

「どうぶつの森+」というゲームをやっていると
 私のキャラが「プリズンな服」というのをゲットした。
 着させてみると、おおお、まったく同じだ。
 プリズンなTシャツ。
 囚人の日常。
 でも、悪くないぜ。
 自由な囚人。
 自発的な禁固。
Any day now,any day now,I shall be released.
我有スル、随時釈放ノ鍵


  5月24日 金曜日 くもり
 U誌原稿アップ。
 午後、S誌編集者I氏と打ち合わせ。
 夕刻、T新聞電話取材。

※カメルーン到着
 いつの間にか大ニュースになっている。
 各局が定時ニュースのトップ項目で伝えていた。
 ワイドショーその他の番組でも、一番長い時間枠を取って紹介されていた。
 なるほど。カメカメ騒動は、この5日の間に、国民的関心事に成長したわけだ。

 落ち着いて考えてみれば、たった5日遅れただけの話だ。
 5日やそこいらの遅れは、国際サッカーのカレンダーからすれば誤差の範囲である。
 でなくても、アフリカのサッカーチームの振る舞いとしては、ごく穏当な部類だ。
 っていうか、ちゃんと到着しただけでも立派なものなのである。

 遅れたことで誰が迷惑したのかという点について検討してみても、たいした実害があったわけでもない。
 って、この程度のことだ。
 つまり、実際のところは、さしたる被害はなかった。
 むしろ、今回の事態(カメルーンの遅延、続々と集結する取材陣、連日全国に紹介される村の映像、村内を闊歩するメディアの人々と村人たちの間で交わされた数々のトンチンカンな会話)は、過疎の村(←人口約1600人)に久々に訪れた華やかな騒動であって、気疲れした人間がいたのが事実だとしても、全体としては決して陰惨な事件ではない。

 では、こんなものがどうして一大ニュースになったのか。
 面白い。
 ある種の報道では、「今日も事件が起こらなかった」ということ(すなわち事件の不在)が事件として扱われる。
 芸能マスコミのインタビュー取材が「ノーコメント」を最も雄弁なコメントとして扱っているのと同じ手法といえばいえる。

 要するに、あらかじめ予定稿を用意した形で放映枠なり記事枠なりを確保しておくメディア側の報道姿勢が事件をデカくしたわけです。
 そんな姿勢で報道をしているから、規定の放映枠に想定外の事態が起こった場合、「来ませんでした」「トルシエは記者会見を拒否しました」「地震は起こりませんでした」といった間抜けなニュースでお茶をにごさねばならなくなる。
 来なかったら、無視すれば良い。
 本来はそうすべきなのだ。
 で、やって来たときに「来ました」と言えば良い。それだけの話だ。

 が、そうは言うものの、現場の感覚からすると、中津江村の絵柄は、あまりにもおいしかった。その気持ちはなんとなくわかる。
 牧歌的な日常。
 癒し系ニュース。
 視聴者にも好評をもって迎えられるし、第一誰に迷惑をかけてるわけでもないだろ? な、いいじゃないか、ニュースバリューはゼロかもしれないけど、たまにはこういうヌルいニュースで時間を稼がせてくれよ。

 加えて、この絵ズラに対応するカメルーンのニュースがまた素晴らしい。
何日遅れても一向に焦っていない選手たち。
健康な若者たちの屈託のない笑顔。
黒い顔の選手たちののどかな練習風景。
 まったく素晴らしい。
 
 うがった見方をするなら、こうした画像が連日配信された裏には、ある種の偏見(ないしは予断、ステレオタイプ)があったと思う。
 つまり、「過疎の村の老人とアフリカのサッカー選手」という枠組を設定したところにそもそも「現代のおとぎ話」を捏造しようとする底意があったわけだ。
 事実、このニュースのBGMには「もしもし亀よ」や「村の鍛冶屋」みたいな、およそニュース映像の背景音楽としては不似合いなメロディーが当てられていた。結局、メディア(ならびに彼らが想定するところの視聴者)は、明らかにこの事態を「面白がって」いたのである。
 まあ、だからって誰が迷惑したわけでもないんだから、そんなに罪のある話でもないんだけど。

藤沢市藤枝市のW杯キャンプ担当者が自殺
 たぶん過労死ということなのだと思う。
 気の毒な話だ。
 だって、どこからどう考えても犬死になわけだから。
 意義ある仕事のために一身を捧げたというのならともかく、彼を殺したのは河原に石を積むみたいな無意味なタスクだった。哀れだ。
 来日するチームの担当者が過労死したというのならまだ理解できる。なぜなら、W杯出場チームにとって、事前キャンプは決して失敗が許されない最重要課題で、とすれば、キャンプのコーディネーターにかかるプレッシャーは尋常ならざるものであるに違いないからだ。
 一方、迎える側にとって、キャンプは、一過性の突発事件に過ぎない。言ってみれば祭りみたいなものだ。
 なのに、実際には迎える側のお役人や報道陣がやけに深刻な顔をしていて、やってくるチームは悠然としている。
 逆だぞ。
 どうして迎える側が憔悴したり消耗したりしなけりゃならないんだ? 悠然と待ってれば良いじゃないか。
 思うに、歓迎セレモニーがいけない。
 国際交流というお題目も良くない。
 お偉方に気を使ってあいさつやら贈呈式のプレゼンターを依頼したり(しかも、どうせバランス良く方々の立場の人たちの顔を立てるためには、演説の順番やら座席の位置やらについてくだらん議論をしなければならないに決まっている)、立ちんぼ役聴衆役のカボチャ要員を確保するために色んな名簿を通じてゲロみたいな動員をかけたり、そういうバカな努力をするから消耗するのだ。
 なーんの準備もしないでいて、先方が到着した時になってはじめて「お、来たのか」てなことでバラバラと野次馬が集まる、と、そいうスキームで進めれば良いのである。
 オレにまかせてほしかったなあ。
 A4の白い紙に墨痕鮮やかに「未定」と書いて、関係者に配ってやったのに。
 

    5月25日 土曜日 晴れ
 N誌ウェブサイトのための原稿。およびイラスト。
 午後、B誌と打ち合わせ。


ball20.gifW杯壮行試合 日本VSスウェーデン@豚六
 T豚Sにてテレビ観戦。BS-iの中継は録画にまわしたが、観てない。観る気もしない。たぶん一生観ないだろう。
 ひどい中継だった。Jリーグ開幕以来の10年にわたるサッカー観戦歴の中でも最悪。伝説のフナコシ中継やこれまでの極悪中継のデファクトスタンダードだった2001年Jリーグ開幕戦@TBS(クイズバラエティー実況)を超えた。
 実況、解説は悪くなかった(いや、良くやっていたよ。大ちゃん土井ちゃんでしたねはこれに懲りず、今後もクサらずに頑張るように。退社・独立を考えてるんなら相談に乗るぜ)が、周囲がよってたかって台無しにしていた。


 ひどいカメラワークだった。

 試合については省略。
 小野君が心配。
 なんだか体調が悪そうだった。
 心配。