トップ > 中日スポーツ > スポーツ史 平成物語 > 記事
【スポーツ史 平成物語】宮里藍が咲かせた女子ブーム 高3アマチュアVが国民的人気呼ぶ2019年1月24日 紙面から
第8部 ゴルフ編(4)2003(平成15)年9月、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで当時、宮城・東北高3年だった宮里藍(33)が国内女子ツアーで30年ぶりのアマチュア優勝を飾った。この快挙を機に、日本の女子ツアーには毎年のように新しいスターが誕生。空前の女子プロブームを呼び、「AON」(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)を中心にした男子ツアーを人気面で逆転した。女子ゴルフを活況に導いた宮里の内面に迫りながら、右肩上がりとなった現象を追った。 (文中敬称略) 国内女子プロゴルフツアーの母ともいうべき樋口久子(73)が、2度泣いた。2005(平成17)年のことである。 当時の樋口は日本女子プロゴルフ協会(LPGA)会長に就任して9年目。還暦を迎えたころとあって、少し涙もろくなっていたのかもしれない。それでも、LPGA創設以来、強気のプレーで通算72勝を挙げ、バブル崩壊後の苦しい時期に会長を引き受けてからは常に先導者としてたくましく戦ってきたときでも、人前で涙を見せたことはなかった。 最初の涙は2月。宮里と北田瑠衣(37)のコンビが、南アフリカで開かれた第1回女子W杯で優勝した時。もう1回は10月、神奈川・戸塚CCで行われた日本女子オープン最終日の最終ホールで、2万1000人の大ギャラリーに取り囲まれた最終組の光景を目にした時だ。1日のギャラリー数が2万人を超えたのは史上初めて。「こんな時代がやって来るなんて…」。樋口は日本人女子プロゴルファーのパイオニアとして、LPGA会長として、誰より胸を打たれていた。その2度とも歓喜と興奮の中心にいたのは宮里だった。 まさに日の出の勢いで成長し、活躍を続ける姿から国民的アイドルアスリートになっていた宮里は、当時のことを次のように振り返った。 「アマチュア優勝する前までは、本当は米国の大学に行きたかったんです。高校を卒業して1年間ほど英語を勉強して米国の大学に、なんてぼんやり考えてた。プロにはなりたいと思っていたけれど、本当になれると思っていなかったし。それが、(優勝して)思っていた以上に大変な状況になった」 ゴルフ場だけでなく、どこにいても、何をしていても注目される日々だった。「でもね、すごく刺激的でしたし、やっぱり楽しかったですよ。頑張ることで注目されるというのはもう分かっているので、そのプレッシャーというより、根は目立ちたがりなので単純に注目されてることがすごく楽しいっていう思考回路」。そんなものおじしない性格も、人気沸騰の理由だった。 宮里がアマチュア優勝した03年、日本の女子ゴルフツアーはレギュラー30試合、下部4試合だった。翌年から毎年のように増え続け、18(平成30)年にはレギュラー38試合、下部は5倍以上の21試合にまで成長。06(平成18)年から宮里が主戦場を米ツアーに変えても、同世代のライバルだった横峯さくら(33)や上田桃子(32)、諸見里しのぶ(32)、古閑美保(36)、有村智恵(31)らの激しい優勝争いや賞金女王争いにファンはヒートアップした。大会や選手のスポンサーに名乗りを上げる企業も増え、この15年間で賞金総額は倍増の約37億2500万円に膨れ上がった。 13(平成25)年には横峯と最終戦の最終日までもつれたデッドヒートの末、森田理香子(29)が4年ぶりの日本人女王となった。翌14年には、当時高校1年だった勝みなみ(20)が15歳293日で最年少優勝記録を塗り替えた。 10年ごろからは韓国勢の著しい台頭で人気低下を危惧する声も上がっていたが、それも杞憂(きゆう)だった。15、16年に連続女王となったイ・ボミ(30)を筆頭にルックスが良く、ファッショナブルな選手が日本選手以上に日本ツアーを盛り上げた。 宮里は17年、短くも極太だった14年間のトーナメントプロ生活にピリオドを打った。沖縄で育ち、真っ黒に日焼けした155センチの小柄な高校生は、この15年間にたくさんの種をまき、女子プロゴルフを人気の職業に引き上げた。 (月橋文美) 平成に入って不動裕理-宮里藍と続いた世代を受け継ごうとしているのが、1998(平成10)年度生まれの勢力だ。勝、小祝さくら、新垣比菜、大里桃子、原英莉花、そして米ツアーを主戦場にしている畑岡奈紗ら「黄金世代」と呼ばれる彼女らは、声をそろえるように「宮里藍さんに憧れてプロゴルファーを目指しました」という。 宮里が高校3年でアマチュア優勝した2003年、彼女らは4~5歳だった。いわば「藍ちゃんチルドレン」。昨季は小祝と勝が賞金ランキングの10位以内に入るなど、平成最後の国内女子ツアーを盛り上げた。新たな元号の女子ツアーは、まず黄金世代が引っ張ることで幕を開ける。 PR情報
|