①西岡京治は、ブータンンの農業の父として記憶されている。故西岡氏は、JICAによって農業の専門職の指導者としてブータンへ初めて派遣された人物だった。彼がブータンにいた間に、日本とブータン間の協調に基づいた関係が始まった。
②ブータンはヒマラヤ山脈に位置しており、完全に陸地に囲まれている。その立地のせいで、農業のために必要とされる平らな土地は限られている。それにもかかわらずブータンでは、人口の80%が農業に頼って生計を立てているのだ。
③西岡氏がその国へは派遣される前は、インドがブータンの農業開発の全権を握っていた。その国の農業部門の最高の地位は、ほとんどインド人が占めていたのだ。彼らは、状況を改善しようとする西岡氏の試みに抵抗した。しかし彼は、途中であきらめなかった。西岡氏は地元の人々の考えに耳を傾け、要望に応えて、適切な作物に投資し始めた。農業試験場で働いていた期間に、彼は国中に農業機械を導入した。
④1992年に現地で亡くなるまで、西岡氏は28年間ブータンに尽力した。その年に、彼はブータン国王が与えることのできる最高の栄誉の一つを与えられた。外国人がこのように栄誉を与えられたのは、それが初めてだった。西岡氏は、ブータンの農業をよくするために自分のすべてを捧げ、文字通りそこをついのすみかにした。西岡氏が所属していた農業試験場は、ブータンの農家の人々のために農業機械を整備するのに、今でも重要な役割を果たしている。今日では、西岡氏の志を受け継ぐ人々が影響力のある地位を占めている。彼らは、ブータンが農業の面で繁栄する手助けをしているのだ。