少女は、もう一人のおっさんに昔話を聞く。
迫り来るブネの拳を、クトーは薙刀の柄で受けた。
重い感触ではあったが、受け切れないほどではない。
今回は同士討ちを狙われた時とは違い、クトーは自身本来の魔法で身体能力を強化している上に、獲物は最硬度を持つSランク装備だ。
だが、こちらが青い強化魔法の輝きを纏うのと同じように、相手も赤い輝きで拳を覆っている。
「……」
クトーは拳と柄がぶつかり合った場所を起点に薙刀を回し、柄尻で相手の側頭部を狙った。
上半身だけを後ろに倒して、ブネがそれを避ける。
クトーは外れた薙刀を勢いのまま振り回し、さらに足を踏み込んで長大な刃を相手の真上から振り下ろした。
避け切れない一撃を、ブネは白刃取りで受け止める。
そこで、クトーは初等魔法を発動した。
「沈め」
物体の重さを増す『
魔力を練り込んだそれを掛けると、武器に支える自分の足が床を踏み抜くほどの重量が薙刀に加わった。
当然のように人間の両腕で受けきれるわけもなく、ブネの体がそのまま後ろに倒れこむ。
しかし超重量の武器が脳天を割る前に、彼の目が赤く染まった。
地面に後頭部が叩きつけられた、と思った直後に、床に頭からズブリと沈み込み、水に潜るように消える。
クトーは、薙刀の刃が床に深く
「やれやれ。やはり人間に化けたままでは無理ですか」
ブネが現れたのは、リュウが放り捨てていたデストロの死体のそばだった。
デストロがリュウから逃げたのと同じ影渡りの魔法に見えたが、光の下で行使した事を加味すると、より高位の空間移動だったのだろう。
「化ける、か……」
ブネがデストロの死体に手を当てると、彼の皮膚が黒く染まり始めた。
それに呼応して、デストロの死体が瘴気と化してブネの体を包み込んでいく。
瞬く間に行われたその融合が終わった時、そこに立っていたのは奇怪な生物だった。
全体的には、人に見えた。
礼服の男の顔を模した仮面を付け、二本角を生やした黒い頭。
左右の、本来なら耳があるべき部分に暗殺に来た『ギョロ目の男』の顔と『デストロ』の顔がそれぞれに張り付いている。
背には、蝙蝠のような翼に鋭く尖った尾。
異様に腕が長い筋骨隆々とした肉体は、胸部と腕の先が仮面と同じ白く硬質なモノで覆われていた。
足は鋭い三本爪の獣に似た形で、地面を踏みしめている。
「デスマスク、か」
デストロの変化したダークネス・マインドやイーヴィルなどと呼ばれる悪魔族の魔物が共食いをし、強い力を得た姿であり、Aランクに分類される。
このランクの魔物は高い知性を持つ事が多く、悪魔族は例外なく高い知性と人に似た姿を備えていることから、特に『魔族』と呼ばれるようになる。
デスマスクは、その魔族の形態の1つだった。
「ミズチの遠見が馬車を追えなかったのも、それが原因か」
魔族は、高位存在だ。
その中にも優劣はあるものの、強い者……例えば魔王などであれば、創造の女神ティアムを筆頭とする神族に匹敵する力を持つ。
目の前のデスマスクから放たれる瘴気は、かつて相手にした魔王の側近に匹敵するほど、濃いものだった。
『貴様や勇者と遊ぶのに、あまり簡単に物事が運んでは面白くないだろう?』
クトーは、その言葉に目を細めた。
同士討ちをさせるにしては杜撰なやり口と、主人の屋敷を使うという奇妙な裏の掻き方。
共鳴の魔法が切れる前に、デストロが漏らした『我々の目的』。
それらの違和感が形となり、クトーは答えを知った。
「なるほど。お前は、かつて魔王に従っていた者か」
『ご明察。もっとも、これだけヒントを撒いてそれに気付けなければ愚鈍とも言えるが』
悠然と両手を広げたブネは、全身に覇気を漲らせる。
『魔王様を倒したパーティーは、我々の間では非常に有名でな。勇者と親しげに話す貴様を見かけた時から、正体に気づいていた』
魔族は、非常に残虐で好戦的な種族だ。
上位者に敬意を払おうとも、己の力を過信し人を下に見る。
彼らの『遊び』で滅ぼされたり、恐怖に陥れられた村は数多く見た。
『『勇者よりも先に排除するべき人間だった』と。魔王様にそう言わしめた男……』
「……」
ムラクとルギーに出会った村での出来事も、魔族の奸計だった。
そんな風に人を弄ぶ魔族の企みをいくつもリュウと共に暴き、叩き潰していたのは事実だ。
魔王城突入の作戦を立案計画したのもクトーだったが、そこまで買い被られるほどの事をした覚えはない。
「お前たちは、いつも悪趣味だ。そんな目的の為だけに人を巻き込む」
『生を受けた以上、己の快楽に興ずる事こそ命ある者が為すべき事だ。我々にとっては、貴様らの在りようこそ不可解。疑心暗鬼をしながら群れ集う……その脆弱な繋がりにつけ込むのは楽しいがね』
「その楽しみも、今日、ここで終わりだ」
クトーは、改めて薙刀を構えた。
自分の力への過信が、自らの死を呼んだのだと教えるために。
「後悔しながら逝け。俺はクシナダを追い込み、レヴィを傷つけたお前を許すつもりはない」
『どちらもシラミの望んだ事だ。我々は、人の汚い欲望を叶えてやっているに過ぎん』
「楽しんでいれば同罪だと、気づけるだけの知恵があれば生き長らえただろうな」
お喋りをやめたクトーは、ブネの息の根を止めるために今度は自分から肉薄した。
※※※
クトーとブネの戦闘を眺めていたリュウが、くしゃりと頭を掻いた。
「おい参ったな。魔王軍の生き残りかよ」
「クトーは大丈夫なの……?」
ブネが変化して濃密な瘴気が発生した直後から、リュウが緑の輝きを周りに放出し始めていた。
森の中にいるような安らかな光の粒子に阻まれて、瘴気はこちらに届いていない。
「クトーさんなら、特に問題はないですよ」
レヴィを安心させるように、ミズチが背中をさすってくれる。
リュウは、2人の戦いから目を離さないまま、レヴィに言った。
「あいつは俺の幼馴染で、最初の仲間だ」
彼の口調には、クトーに対する親しみと信頼がにじんでいる。
それは、昔リュウが助けに来てくれた時に、その場にいない仲間の事を村人に話した時と同じ口調だった。
「あいつは手柄に興味がないから名前は知られてねーけどな。そのくせ人一倍動くんだよ。だから休暇をくれてやったのに、結局こうなるんだよなぁ……」
「「「リュウさんも人のこと言えないっすけどね」」」
「うるせぇな。俺は普段、ちゃんと休んでんだろうが」
一緒にするな、と仲間たちに向けて嫌そうな顔をするリュウ。
その間に、レヴィは恐ろしい事実に気づいた。
ーーーって、クトーがリュウさんの幼馴染?
彼は【ドラゴンズ・レイド】を率いて、数々の功績を挙げて、魔王を倒した英雄だ。
その上、世界が平和になってからもレヴィの村を助けてくれたりした。
そのパーティーリーダーの、幼馴染。
という事はつまり。
「クトーが雑用してるパーティーって……もしかして【ドラゴンズ・レイド】なの!?」
「何だよ、知らなかったのか?」
「だって、だってクトー、パーティーの名前なんて……!!」
最近は、たしかに凄いヤツだと思ってたけど。
一体、どこが、駆け出しよりもちょっとマシ程度?
駆け出しどころか……それならクトーは、世界最高峰の1人なのだ。
混乱しながらも、レヴィはさらに恐ろしい事実を思い出す。
自分がクトーに向かって叩いた大口や、生意気な物言いの数々を。
レヴィは、両手で頭を抱えた。
リュウの言ったことが事実なら、クトーは、呼び捨てで呼んでいいような相手じゃない。
ーーーでも、でも、だからって……今更、態度変えれないじゃない!?
肩書きを見て態度を変えるなんて、なんか凄く雑魚っぽい。
それでも、リュウの最初の仲間なら『さん』付けくらいはするべきなんじゃ、と思い悩むが……レヴィは今まで一緒にいた間に、クトーが見せた奇行の数々を思い出す。
無表情で。
着ぐるみ毛布とか着ちゃう上に。
可愛いものの為なら、手段を選ばない変態。
たまに、今みたいにカッコいいけど。
普段は手作りのセンツちゃんの衣装とか、うさ耳の着ぐるみ毛布とかを嬉々として出してくるヤツなわけで。
「…………いや、やっぱりないわ……てゆーか無理……」
『どうしたね?』
「……何でもない……」
トゥスの問いかけに、レヴィは力なく頭を振った。
結局、今まで通りにするしかない。
そんな風に諦めを覚えるのは、欲しいけど高くて手が出ないものと、クトーに関する事だけだ。
自己解決するレヴィをよそに、リュウとミズチが話していた。
「勧誘までしてるのにパーティー名を教えないのは、クトーさんらしいと言えば、らしいですけど……」
「あいつどーせ『聞かれなかったから、わざわざ答えなかった』とか言うんだろうな……」
はぁ、と2人でため息を吐いた後、リュウの方は気を取り直したようにレヴィに笑いかけてポンポン、と昔みたいに頭を軽く叩いてくれた。
「つまりあれか。お前が将来有望って言って、クトーがうちに入れようとしてた奴なんだな。なかなかやるじゃねぇか」
「! わわ、私が、どどど、【ドラゴンズ・レイド】に……!!??」
思いがけない事を言われて、レヴィはまた心臓が跳ね上がる。
でも、クトーがメンバーなんだったら、そういう事になるのだ。
あまりにも事態が衝撃的すぎて、レヴィはもう思考が追いつかなかった。
あわあわするレヴィをよそに、ミズチがリュウの顔を見上げて問いかける。
「クトーさん、あれを握るのはいつ以来ですかね?」
「お前を生き返らせた時と、ビッグマウス大量発生の時だけだな。ティアムに『約束された勇者』でもないのに自分を認めさせた割に、そのくらいしか表に出なかったからな」
リュウはどこか笑みを意地悪げなものに変えた。
「大方、アレを出せって言った理由も、敵を殺すためじゃなくて本当はレヴィの腕の為だろ。素直じゃねぇんだよなー。わざわざ一人でやるとか言い訳しちゃってよ」
リュウの口に掛かると、可愛いものが絡む以外ではいつも冷静に見えるクトーも、ひねくれ者の子どもみたいに聞こえて不思議だった。
そして、先ほどさらっと言われた名前に、レヴィはおそるおそる尋ねる。
「ティアム、って、リュウさん……もしかして、創造の女神様?」
リュウはその言葉をあっさりと肯定した。
「そうだよ。……どーせクトーがやり合ってる間は暇だし、昔話でもするか?」
※※※
ーーー10数年前、魔王城にて。
「これで……くたばりやがれァ!」
【真竜の剣】によってリュウが渾身の一太刀を浴びせると、魔王がグラリと
「へへ……勝った、ぜ……!」
満身創痍で剣を支えに立っていたリュウだが、膝から力を抜いて倒れ込んだ。
「リュウ……!」
駆け寄ったクトーは、全てのピアシングニードルを使い切っていた。
仲間たちも皆倒れ伏しており、ミズチも未来予測の力をリュウに与え続けていたせいで、片目から血を流して座り込んでいる。
『時の神の巫女』である彼女は、『約束された勇者』を助けるために存在する少女だった。
「死ぬな」
「死なねぇよ……せっかくこれから、楽しく……」
と言いかけたところで。
リュウが、クトーを突き飛ばした。
「……!」
細い殺意を感じて吹き飛びながら目を向けると、魔王が頭と指先だけを上げて、黒い光を放ったところだった。
瘴気による死の波動。
断末魔の間際に放たれた一撃は、まっすぐにリュウに向かう。
だが、瘴気の輝きが貫いたのは、リュウではなく、その前に体を投げ出したミズチだった。
「「ミズチッ!!」」
トサ、と倒れ込んだミズチは、クトーが跳ね起きて抱き上げた時には既に事切れていた。
「ミズチ……!」
最後の最後に、こんな所で、とクトーは血が流れるほど唇を噛みしめる。
リュウも、ゴリ、と歯ぎしりをして倒れたまま拳を握り締めていた。
「あの、クソ魔王……!!」
ミズチの魂は、まだそこにある。
蘇生魔法さえ使えれば、間に合うのだ。
だが、媒体はない。
死力を尽くした戦闘で、切り札として持っていた高位の呪玉も使い切ってしまっていた。
「いや……まだ手はある」
クトーは必死に考え……そして思いついた。
ミズチを床に寝そべらせて目を向けた先にあったのは、リュウが魔王に弾き飛ばされてそのまま放置していた、真竜の薙刀。
それには、魔力の媒介となる呪玉がついている。
「おい、無茶だ……」
「だからどうした」
狙いを察したリュウが言うが、クトーは、床に突き刺さった薙刀を魔力を込めた手で握りしめた。
その瞬間。
『約束された勇者』以外が自身を扱う事を許さない武器が、定められた規律に背くクトーを弾き飛ばそうと牙を剥いた。
薙刀の周囲にある大気が渦を巻き、クトーの外套の裾をはためかせる。
抵抗するこちらに対して、肉体と精神を引き裂く力が襲いかかり、激痛が全身に走っていた。
「ぐ、ぅ……!」
だがクトーは両足で踏ん張りながら、真竜の薙刀を握る手に、反発力を抑え込むために残った魔力を指先に込め続ける。
ビキビキと腕の血管が浮き上がり、今にも弾けそうになっていた。
「やめろクトー! お前まで……!」
「俺は死なん……!」
ミズチを救うまでは。
ほんの一瞬だけでも、この神霊力を押さえ込んで呪玉を得られればいい。
二度と魔法が使えなくなろうと。
戦う事すら、出来なくなろうと。
自身そのものである魂すらも魔力に変換しながら、クトーは耐え続ける。
ーーー仲間を失う痛みに比べれば、この程度……!
「聞いているか、創造の女神、ティアム……!」
クトーは自分の文字通り全霊を振り絞りながら、リュウに加護を与え、今、自分の行動を否定しようとしている神に向かって語りかける。
「俺にとって、仲間の命は……!」
神霊力の反発を、クトーは魔力をもって徐々に薙刀の内部へと押し戻し始めた。
「仲間たちの、未来は……!」
これからなのだ。
平和になった世の中で、役目を課せられた者が、ようやく自由を得るのは。
「お前ら神の定めた、
これからなのだ。
リュウと、ミズチが、本当の意味で自由を謳歌するのは。
「ありとあらゆる全てに、優先するのだ……!」
神霊力を完全に抑え込んだクトーは、即座に薙刀の呪玉に魔力を流し込んで、獲物を床から引き抜く。
「ーーー癒せ!」
クトーが吼えるのと同時に、清浄な白光がミズチの肉体を包み込んだ。