ライトノベルの表紙が性的過ぎると、ネットで話題になっているみたいです。
結局、話は表現規制とかゾーニングとかをどう線引きするかで、一人一人考え方は違うわけですし、全部の作品がそうだってことはないでしょうなら、いつものようにあまり議論はまとまらないけど、それはそれでそういうものだよなと思って眺めています。
話は変わって、ここからは私個人の話。特に上の話題と完全に繋がるものではありません。お好きなひとだけどうぞ。
私はこういうものについて基本ゾーニング派なんですけど、コンビニならまだしも、本屋さんで、性的なコンテンツをゾーニングすることにはあまり興味がありません。
というのは、私は本屋さんが好きじゃないので、私は当然行かないし、子どもを本屋さんに連れて行くことがないからです。雑誌ぐらいしか新しい本がない寂れた本屋さんや、キオスクレベルの本屋さんは特に気にならないんですが、ビル内やロードサイド型の、ラインナップが比較的豊富な規模の大きい本屋さんはとても居心地が悪いんです。
理由ははっきりしていて、この種の本屋さんは私にとって刺激が強すぎるんですね。「現代人、必読の本!」「あなたの悩みもこれで解決!」「四回泣ける!」とか、本の帯だけではなく、POPなんかもセットで、どう生きるかとか、何が世の中で求められているかが力説されてる。こういうのを見たくないんです。私がエビデンスやファクトをベースにして少しずつ積み上げてきた生き方を、そういうPOPを見ると、修正しないといけないのかなと思って検討してしまって疲れてしまう(そして、多くの場合、新しく得られる学びは労には見合わない)。
同じ理由でテレビも見ていません。テレビも生き方に対するアドバイスが多すぎる。新製品とか新しいサービスとか健康法とか、私が求めていないのに、勝手にアピールしてきて欲しくない。私は好きなタイミングで取捨選択をしたい。
アパレルショップで、店員がずっと横にいてお勧めの服をアピールしてるのと同じものを、テレビと(ちょっと大型の規模の)本屋さんに、私は感じます。
以前、自分が書いた本が出版されたときも、正直、本屋さんに現物を見に行くのは憂鬱で、近所の店を一軒だけサラッと見ただけでした。
子どもの本は、雑誌だったらスーパーや町の書店で買い、そうでなければ図書館で借りたり、ネットで注文してます。今の書店の雰囲気が好きな人がいるのはもちろんまったく否定するつもりはないですけど、少なくとも私には大きな本屋さんはしんどいので距離を取っています。子どもが親抜きで、その種の本屋さんに行くことは特に止めてはいません。
子どもがもう少し大きくなって分別がつくようになったら、毎月定額、一人で本屋さんで本を買ってよく、中身は一切親が干渉しないという方針にするつもりです。
更に話が脱線して、私の高校時代の友人に、連続殺人犯や拷問方法について書かれた本ばかり読んでいる子がいました。この子は結局医者になったんですが、人間の身体に興味を持っていたようなので、適材適所だなと思ったことを覚えています。
あくまで私の印象として、もしこの子の読書の秘密を親が侵していたら、医者になろうとしていたかはちょっとよく分からなくて。別に医者になるのが良いというのではなく、好きなことを追求できたかという観点で、です。
私にとっての本屋さんは今は辛い場所ですけど、子どもにとっては自らがどんな本を選んで読んでいくかは子ども自身の人生を形作るものです。親としては子どもが本を読みやすい環境を作った後は、好きなように本を読んでいってもらえるといいなと考えています。