前後截断録 第28回
「刀剣乱舞の世界」と刀界の実勢
ー残存唯一振といわれる宝刀に兄弟刀が出現!!ー
私にはとんと門外の世界であるが「刀剣乱舞」というゲームがあるという。著名刀剣をイケメン神格化して、文字通り乱舞させたものらしい、これが超人気を博した結果、こんにちの刀剣女子と称される若き女性たちが大量に誕生したという。
ーーー
たとえば博物館で三条宗近などが展示されると、若い女性の長蛇の列が出来、その行列は他の展示室まで延長して、目的の宗近のウインドの前に至るには大変である。それだけでもそうとうの忍耐ともろもろの困難を覚悟しなければならないわけだが、彼女たちは平気であるという。
以上のような意外な事情から名刀への興味、スター視、神聖アイドル化がおこり、刀剣に対する人気が若年女性層に大きく浸透するようになった。けれどもそのわりには、というよりその人気は、刀剣の需要に全く反映されていないらしい。
ーーー
理由は簡単である。刀剣女子たちは、実際には刀を買わないからだ。勿論そこには経済的理由もあろうけれど、彼女たちは刀の純粋観賞や実証的研究には全く興味がないのだ。だから、刀剣の実勢価格には全くといっていい程影響を与えることはない。むしろ近頃の一般的刀剣の価格は下がる一方の情況にある。
ただし、このことは特別の名刀には関係ない。それは古今を問わず需要に対する供給が少ないから、値下りすることがないのである。
しかし、一般の駄刀(こういう表現は刀に対して実に失礼であるが、単に優刀、名刀に対する言葉で、三流刀工、しかも無銘の刃切れや大キズものをさすと思ってもらいたい)はいくらでも存在するから購買する人間の方が少ない。結果値下りをつづけるのだ。刀剣女子はなんら与り知らぬことである。
ーーー
つまり現在の若い女性を中心とした刀剣人気のブームは、一種の信仰といった方が適切だろう。信心である。それもいわば架空の世界において成り立っている。その世界では、対称の刀剣が、再刃であろうと真黒に焦げていようが、一切構わないのだ。なぜならそれはカミサマといってよいものだからなのだ。彼女たちはカミに逢うのである。
ーーー
ここで従来からの愛刀家たちは、改めて刀の本来のもつ精神を思い知らされることになる。刀は地鉄や刃紋、銘の如何を云々するばかりではいけないということをーーーである。飛躍すれば刀はそのまま人間の精神の在処を示す重要な指標なのだ。すなわちそれは「カミ」といいかえてもよい。何ものがおは(わ)すか知れない有難いものが神仏であるとすれば、刀はより一層明確な「おは(わ)し物」であり、涙がこぼれる底(てい)のものでなければならない。
ーーー
何か支離滅裂的な展開になってきたが、書き放し稿ゆえ御容赦願いたい。畢竟するところ、いわゆる「刀剣女子」はこれまで常識とされてきた刀剣のみかた、つまり地鉄、波紋、錵、匂いあるいは時代の新・古などという諸常識を外して、もうひとつ異る次元ではあるけれども、大事な秘訣を教えてくれた。それは勿論ひとつの時代の異端であるかも知れないが、新しい刀剣文化の誕生かも知れないのだ。この不思議な現象は、やがて常識となるかも知れない。時代は常にすぎてゆく。停まってはいない。乱舞して流れ、流れてゆく。
ーーー
さて、刀剣の名品で我国唯一振という平安の由緒刀がある。「刀剣乱舞」の舞台でも勿論有名である。ところがこれの兄弟太刀が最近発見され、正真のものであることが確認された。しかし、まだ世間には公にされていない。さて、これは何という銘の太刀であろうか。
新発見のこの太刀も、もちろん古時代の戦火羅災品であるが、某著名寺の旧蔵品といわれ、南北朝の超有名武将戦死の節の所佩刀だという。思わせぶりだが、わざと謎かけるように書いている。実戦による激しい切込のいくつからは凄惨な戦場の修羅場が想起され、雄叫びさえ聞こえてくるようである。
来年の四月からの井伊美術館特別展には、この太刀が展示されるだろう。さて、有志の方々にはこの名刀を思案していただきたい。「あ!それは◯◯だ。あの◯◯丸と同じ作者だ」と。

太閣元重
秀吉遺物として井伊直政に送られし御家名物。
井伊家諸記録に記載、本阿弥光温折紙、河瀬偉風堂旧蔵 2尺4寸6分
〈添付の元重刀は本稿とは関係ありません。ー某家蔵〉
ー残存唯一振といわれる宝刀に兄弟刀が出現!!ー
私にはとんと門外の世界であるが「刀剣乱舞」というゲームがあるという。著名刀剣をイケメン神格化して、文字通り乱舞させたものらしい、これが超人気を博した結果、こんにちの刀剣女子と称される若き女性たちが大量に誕生したという。
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たとえば博物館で三条宗近などが展示されると、若い女性の長蛇の列が出来、その行列は他の展示室まで延長して、目的の宗近のウインドの前に至るには大変である。それだけでもそうとうの忍耐ともろもろの困難を覚悟しなければならないわけだが、彼女たちは平気であるという。
以上のような意外な事情から名刀への興味、スター視、神聖アイドル化がおこり、刀剣に対する人気が若年女性層に大きく浸透するようになった。けれどもそのわりには、というよりその人気は、刀剣の需要に全く反映されていないらしい。
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理由は簡単である。刀剣女子たちは、実際には刀を買わないからだ。勿論そこには経済的理由もあろうけれど、彼女たちは刀の純粋観賞や実証的研究には全く興味がないのだ。だから、刀剣の実勢価格には全くといっていい程影響を与えることはない。むしろ近頃の一般的刀剣の価格は下がる一方の情況にある。
ただし、このことは特別の名刀には関係ない。それは古今を問わず需要に対する供給が少ないから、値下りすることがないのである。
しかし、一般の駄刀(こういう表現は刀に対して実に失礼であるが、単に優刀、名刀に対する言葉で、三流刀工、しかも無銘の刃切れや大キズものをさすと思ってもらいたい)はいくらでも存在するから購買する人間の方が少ない。結果値下りをつづけるのだ。刀剣女子はなんら与り知らぬことである。
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つまり現在の若い女性を中心とした刀剣人気のブームは、一種の信仰といった方が適切だろう。信心である。それもいわば架空の世界において成り立っている。その世界では、対称の刀剣が、再刃であろうと真黒に焦げていようが、一切構わないのだ。なぜならそれはカミサマといってよいものだからなのだ。彼女たちはカミに逢うのである。
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ここで従来からの愛刀家たちは、改めて刀の本来のもつ精神を思い知らされることになる。刀は地鉄や刃紋、銘の如何を云々するばかりではいけないということをーーーである。飛躍すれば刀はそのまま人間の精神の在処を示す重要な指標なのだ。すなわちそれは「カミ」といいかえてもよい。何ものがおは(わ)すか知れない有難いものが神仏であるとすれば、刀はより一層明確な「おは(わ)し物」であり、涙がこぼれる底(てい)のものでなければならない。
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何か支離滅裂的な展開になってきたが、書き放し稿ゆえ御容赦願いたい。畢竟するところ、いわゆる「刀剣女子」はこれまで常識とされてきた刀剣のみかた、つまり地鉄、波紋、錵、匂いあるいは時代の新・古などという諸常識を外して、もうひとつ異る次元ではあるけれども、大事な秘訣を教えてくれた。それは勿論ひとつの時代の異端であるかも知れないが、新しい刀剣文化の誕生かも知れないのだ。この不思議な現象は、やがて常識となるかも知れない。時代は常にすぎてゆく。停まってはいない。乱舞して流れ、流れてゆく。
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さて、刀剣の名品で我国唯一振という平安の由緒刀がある。「刀剣乱舞」の舞台でも勿論有名である。ところがこれの兄弟太刀が最近発見され、正真のものであることが確認された。しかし、まだ世間には公にされていない。さて、これは何という銘の太刀であろうか。
新発見のこの太刀も、もちろん古時代の戦火羅災品であるが、某著名寺の旧蔵品といわれ、南北朝の超有名武将戦死の節の所佩刀だという。思わせぶりだが、わざと謎かけるように書いている。実戦による激しい切込のいくつからは凄惨な戦場の修羅場が想起され、雄叫びさえ聞こえてくるようである。
来年の四月からの井伊美術館特別展には、この太刀が展示されるだろう。さて、有志の方々にはこの名刀を思案していただきたい。「あ!それは◯◯だ。あの◯◯丸と同じ作者だ」と。
太閣元重
秀吉遺物として井伊直政に送られし御家名物。
井伊家諸記録に記載、本阿弥光温折紙、河瀬偉風堂旧蔵 2尺4寸6分
〈添付の元重刀は本稿とは関係ありません。ー某家蔵〉