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三万年の日本の歴史文化伝統は、たかだか数十年の教育や政治ごときで変えられるような底の浅いものではないものです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)「三十年戦争」というのは、1618年から1648年にあったカトリックとプロテスタントによる最後にして最大の宗教戦争で、ドイツ、フランス、スペイン、デンマーク、スウェーデンなどの各国が参戦して戦われた当時のヨーロッパにおける世界大戦です。
この三十年戦争をテーマ描いた本に、グリンメルスハウゼンの『阿呆物語』(岩波文庫)があります。
戦災孤児となった主人公の半生を描いた小説ですが、その中に、まさに三十年戦争の時代の傭兵たちの様子が詳細に描かれています。
引用してみます。
*******
それからはどの兵隊もそれぞれとんちんかんなことをやり始めたが、そのどれもが落花狼藉といった感じを与えた。
これからはすばらしい酒宴を始めるかと思われるほど何頭もの家畜を刺し殺し、それを煮たり焼いたりする兵隊があるかと思うと、1階から2階を風のように駆けめぐって、便所のなかまで探しまわり、コルキスの金羊皮でも捜し出そうとするような兵隊もあった。
一部の兵隊は布地や衣類やさまざまな家具を包みこんで大きな包みをつくり、どこかで古物市でもひらこうとするつもりに見えた。
失敬して行くほどのものでないと考えたものは、たたき壊し、ばらばらにした。
一部の兵隊は敷布団から羽根をふるい出し、そのあとへベーコンをつめこんだりしたが、そのほうが羽根布団で寝るよりも寝心地がよいとでもいうようだった。
また、これからは常夏がつづくとでもいうように、ストーブと窓をたたき壊す兵隊もあった。『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |

銅の器物や銀の器物を打ち砕いて、折れ曲がった器物を包み込む者もあった。
寝台やテーブルや椅子やベンチを燃やす者もあった。
とにかく最後には鍋と皿が一つのこらず割られてしまった。
私たちの下婢(かひ)のアンは厩でさんざんな目にあい、厩から出る気力もないほどであった。
それをここで語ることさえ恥ずかしいほどである。
下男は手足を縛られて地面にころがされ、口へ木片を立てられて口をふさがらなくされ、臭い水肥(みずごえ)を乳搾りの桶から口へ注ぎこまれた。
兵隊たちはそれをスウェーデン・ビールと称したが、下男にとってはありがたくないビールであったらしく、百面相をしてもがいた。
それから兵隊どもは短銃の撃鉄から燧石(ひうちいし)を取り外し、そこへ百姓たちの手の拇指をはさんで締めつけ、憐れな百姓たちを魔女でも焼き殺すかのように責めたて、捕えてきた百姓の一人などは、まだなんにも白状しないうちからパン焼き竃の中へ放りこまれ、火をつけられようとしていた。
他のひとりの百姓は頭のまわりに綱を巻きつけられ、その綱を棒切れで絞られ、口や鼻や耳から血が流れ出た。
要するにどの兵隊もそれぞれ新工夫の手段で百姓を痛めつけ、どの百姓もそれぞれお抱えの拷問者に傷めつけられた。
しかし当時の私の眼に誰よりも運がよいと考えられた百姓は、私のちゃんであった。
他の百姓たちは痛めつけられ、ひいひいと悲鳴をあげて白状しなければならなかったが、ちゃんはげらげら笑いこけて白状させられたからである。
ちゃんがその家の主人であったので、そのように敬意を表されたのにちがいない。
兵隊どもはちゃんを火のそばへ坐らせ、手も足も動かせないように縛り上げ、水でぬらした塩を足の裏へすりこみ、私たちの年取った山羊にそれを舐めさせたので、ちゃんはくすぐったがって、身をもがいて笑いつづけた。
私はちゃんがそのように長く笑いつづけるのを見たり聞いたりするのは初めてだったので、それがとても楽しい結構なことにちがいないと考え、お相伴するつもりで、もしくはほかに知恵も浮かばなかったので、一緒にげらげら笑いつづけた。
ちゃんは口を割り、隠してあった虎の子を取り出してきたが、それは百姓などには身分不相応なたくさんの黄金や真珠や宝石であった。
連れてこられた女や下婢や娘がどうされたかは、兵隊どもが私にそれを見せようとしなかったから、私にもよくわからない。
しかし、あちらの隅やこちらの隅から悲鳴がきこえたことは、今もよく覚えている。
【望月市恵訳『阿呆物語』岩波文庫・上巻】******
この三十年戦争が行われていた時代というのは、日本では江戸時代の初期にあたります。
日本では風神雷神図屏風が描かれたり、井原西鶴や松尾芭蕉が活躍していた時代のことです。
それと同じ時代に、西洋ではかかる蛮行が日常として行われていたのです。
近世の西洋社会というと、映画やドラマなどで紹介される華麗な宮殿や、美しくドレスアップした女性たち、背筋を伸ばした貴族たち、着飾った紳士淑女や、白馬に乗った王子様など、多くの日本人の女性たちの憧れの世界のように描かれます。
最近のは知りませんが、我々の世代ですと小中高生の女子たちが読むマンガは、まさに理想の西洋社会が描かれたものが多かったように思います。
「もし次に生まれ変わるとしたらどの国、どの時代?」などと聞かれると、一昔前ならフランスとかドイツ、あるいは北欧などと答える人がたいへん多かったものです。
けれども、それらは人口のわずか5%の貴族たちの世界でしかありません。
しかもその5%という数字さえ、奴隷を含まない市民たちの中での数ですから、奴隷を含めれば実際には人口の0.1%くらいの人たちだけの贅沢な暮らしでしかないのです。
ところがおもしろいもので、最近では、同様に「もし次に生まれ変わるとしたらどの国」というアンケート調査の結果を見ると、次に日本に生まれたいと答える人が86.4%に達するものとなっています。
これはアサヒグループホールディングスが実施しているネット調査の結果ですが、推移を見ると、
2007年=74.3%
2013年=80.3%
2017年=86.4%
と、この10年で12.1ポイントも「日本に生まれたい」と答える人の割合が世代を越えて上昇しているのです。
理由は
・海に囲まれて山もあり四季もある。(女性30代、大阪府)
・治安の良さ、社会保障の充実、身分差別がないなど、どれをとっても不条理がないのは他国にはない日本の良さだと思う。(女性20代、福岡県)
・仕事でヨーロッパに住んでいましたが、やっぱり日本が一番!食べ物が美味しい。(女性50代、神奈川県)
・生水が飲めるし清潔だから。(女性40代、大阪府)
・素晴らしい歴史や文化伝統がある。(女性40代、大阪府)
などで、四季折々の美しさや、均質的で互いを大切にする社会構造、食べ物の美味しさ、歴史や文化、食、安全、住み易さなどで、日本に勝る国はないと考える人が、年々増えているのです。
70年前にGHQが敷いたレール、つまり日本が嫌いで欧米に憧れる日本人を生産するという積年の努力と、それに沿った政治や教育、そしてメディアの努力の成果が、まったく逆に日本を愛する日本人を増産させ、その勢いが、すでに8割を超えるものになっている。
このことの持つ意味は大きいです。
つまり、普通なら政治と教育とメディアを奪って洗脳を行えば、その国の国民は頭の中が別なものになるはずなのです。
とりわけ日本の場合、漢字や文字の表記のしかたまで、当面用いる漢字(当用漢字)や、漢字の筆順まで変えて、日本文化の伝統性を破壊し、日本人の弱化を図り、それを70年以上続けてきたわけです。
その結果が、逆に日本を愛する日本人を量産するという、まったく逆の結果になったということは、日本人をアホにするための工作に手を貸していた人たちには、「全員クビ」を言い渡さなければならないところです。
なぜこのような結果になったのか。
三万年の日本の歴史文化伝統は、たかだか数十年の教育や政治ごときで変えられるような底の浅いものではないからです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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君則天之。
臣則地之。
天覆臣載。
四時順行、萬気得通。
地欲天覆、則至懐耳。
是以、君言臣承。
上行下靡。
故承詔必愼。
不謹自敗。
十七条憲法「三に曰く」です。
『詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、臣をば地とす』
国家最高権威は天皇。
臣民は國の歴史伝統文化を守る。
伝統文化を踏まえた法や憲法や道徳や国家観。
これらは全部ねずさんから教わったことばかりです。
曲学阿世の徒にだけはなりたくない…そう思っています。
それにしても…ねずさんは何年経っても変質しない!
正に大和民族そのものですね。