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2019-04-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・たしか、もう3年以上も、ずっと
 毎日ヨーグルトを食べていたのだけれど、
 さすがにこのところ食べない日が混じるようになった。
 これを、つまり「飽きた」というのだろう。
 ヨーグルトを食べていることが、いいことであると、
 そう考えていたからこそ続いていたわけで、
 おいしいなぁとつくづく思って食べていたわけではない。
 ま、どれだけおいしいと感じていても、
 毎日食べ続けるというのは困難なことであって、
 何年も食べ続けられているヨーグルトというやつは、
 かなりたいした食べものであるとも言える。
 問題は「なんでいいんだっけ?」というところが
 意識されなくなっていることではないだろうか。

 (とか書いていたら、ヨーグルトのことを
 もっと知りたくなって、検索しはじめた。
 例によっていろんな論があるのだけれど、
 なんにせよヨーグルトへの興味が復活してきたぞ。
 そして、ここでヨーグルトを食べたのだった。)

 よきにつけ悪しきにつけ、大事なのは興味なのかぁ。
 興味が尽きることを「飽きる」という。 
 飽きていることを、飽きたままやり続けるというのは、
 ずいぶんとおもしろくないことである。
 そういう意味で、ヨーグルトについて、
 ぼくが「飽きた」と気づいたことはいいことだった。
 からだにいいか悪いかの論争をするつもりはないが、
 ヨーグルトを食べるということが、
 つまらないことではなく「おもしろいこと」になった。 

 古い話だから、いまでは否定されているかもしれないが、
 こういう実験結果があったのだそうだ。
 ある工場で生産性をあげるために、
 工場内の明かりを明るくしたら、生産性があがった。
 やがて、また元に戻ってしまったので、
 こんどは逆にやや暗くしたら、また生産性があがった。
 煎じつめて言えば、明るかろうが暗かろうが、
 なにかの変化があったほうが、生産性はあがった、と。
 ぼく個人の感覚では、そのことはよくわかる。
 興味は、愛ということばに近いくらい大事だからね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
興味のない愛とか、ないよね。愛のない興味は、あるよね。


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