馬韓の中の「怒藍国」「月支国」
怒藍国
怒 ローマ字表記
普通話
ピンイン: nù (nu4)
ウェード式: nu4
広東語
イェール式: nou6
藍 ローマ字表記
普通話
ピンイン: lán (lan2)
ウェード式: lan2
広東語
イェール式: laam4
(Wiktionary)
月支国
月 ローマ字表記
標準中国語
ピンイン: yuè (yue4)
ウェード式: yüeh4
広東語
イェール式: yut6
支 ローマ字表記
普通話
ピンイン: zhī (zhi1)
ウェード式: chih1
広東語
イェール式: ji1
(Wiktionary)
また、大月氏の都は『漢書』では監氏城、『後漢書』では藍氏城、『魏書』では盧監氏城から薄羅城となっている。
(Wikipedia「月氏)
なのだそうだ。
月支国がどこにあったのかってのはわからないけれども、この怒藍国と月支国ってのはセットなんじゃないのかなあ。怒藍国ってのは、素直に読むと「ぬらん」だろうと思える。でも「ぬ」ってのは発音しなくてもいいような気がするんだよな。だから単なるラン国って意味で。
でもな、馬韓は辰韓とも言葉が違うってことだからなー。
神功紀に出てくる「蹈鞴津」ってのは、現代の釜山の多大浦(タデポ)にあたるらしい。「草羅城」ってのは「さわらのさし」と読みがふってある場合が多いみたい。うーん。でもさ、似てるのは、弁韓の方の「走漕馬国」かなあ。まあ、神功皇后の時代に「新羅」って国はないよ。
釜山は、弁韓の方に入ると思うけどなあ。だって対馬から行き来があっただろうと思うからだよ。つーことは倭人も当然いたハズだ。
タタラノツってのは、タタイ(ウ)ラからきてんのかな。
ん、まてよ、とすると、後の伽耶の多羅国ってのは、昔の弁辰の領域で、鉄をとってたところかもしれないね。多羅国ってのは慶尚南道陜川郡にあったってことになってるらしい。私が持っている地図では詳しい地名はわからないけども、慶尚北道の方に金泉という地名があるね。そこらあたりから南に向かって洛東江という川が流れていて、それが釜山に注ぐようなカンジになってるね。
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