Matsuura Blog
2019年4月13日土曜日
北海道内科リウマチ科病院・理事・最高顧問 小池隆夫先生
昼御飯のおかずに、ローソンから買ってきて初めて食べた「牛すじ煮込み」を箸でつつきながらテレビのチャンネルサーフィンをやっていると、なつかしい御顔を拝見した。(この、とてもではないけれども、私の「口には合わない」牛すじ煮込み、については別のエントリーでアップする)
今は、北海道内科リウマチ科病院の理事・最高顧問をやっているらしい。
この小池隆夫先生が、(北海道内科リウマチ科病院のホームページにある経歴紹介からは抜け落ちているけれども)NTT東日本札幌病院の院長をやっている期間中に、私の「職員健康診断費用を自腹で払え強要事件」が起きたのである。
もちろん、事務サイドの手違いなのか、あるいはあからさまな差別・嫌がらせなのかは不明であるけれども、当時の病院長であったのがこの小池隆夫先生であったのは紛れもない事実である。
少なくとも「少しは道義的責任・監督責任」はあると思うのだが、どうだろうか。
まだ、会社側は私から不当に搾取している健康診断費用を払ってくれてはいない。
井上福造社長のところに話は行っているのだろうか。この有名な会社は、労働法を平然と破っても頬かむりをして済ますつもりなのだろうか。納得のいく説明と費用の返還を求めているのだけれども、定年退職直前になったときになって事務長から渡された(というか送り付けられた)文書も、要約すると、会社としては金は返すがどうして不当な扱いを私だけが受けたのか理由は不明で説明はできない、という居直った内容のふざけたものだった。
ということで、NTT東日本は職員の健康診断費用をまだ払ってくれてはいないのである、ということを、当時の院長小池隆夫先生の元気なお姿をテレビ画面で拝見してふと思ったものなのである。
参照
https://www.hokkaido-np.co.jp/event/17582
https://matsuuraatsushi.blogspot.com/2018/04/blog-post.html
資料 ベトナムの闇
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190413-00190038-hbolz-int
暴力・尋問・投獄 ベトナムの「闇」と日本が当てるべき「光」
4/13(土) 8:31配信 HARBOR BUSINESS Online
ベトナムと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう? 多くの読者は、「平和な観光地」「安くておいしい食べ物」「活気のある市場」「安い服や靴」などを挙げることだろう。これらのイメージは、日本からベトナムを訪れる年間80万人以上の観光客や国内メディアが現地での体験などを根拠に築き上げたものであり、ある意味正しいイメージであろう。
◆政権批判で20年の禁固刑も
一方で、ベトナムにはあまり語られない深い「闇」も存在する。それは、ベトナムに住む1億近くの国民が、その政府によって、基本的な自由(表現、結社、集会、信教など)を日常的に奪われているというものだ。’19年の初めには少なくとも130人が政治犯として収容されたままとなっている。これは一般的なベトナムのイメージからは遠くかけ離れた現実だ。(参照:「Vietnam National Administration of Tourism」「日経MJ」)
この「闇」を主に作りだしているのは、数十年に渡って監視されず一党制国家を治めてきたベトナム共産党が展開している抑圧的な政策である。たとえば、今年1月にベトナムでサイバーセキュリティ法が施行された。この法律のもとでは、プロバイダーはデータを国内に保管し、ユーザーについての情報を「証明し」、裁判所の命令がなくてもユーザーのデータを当局に開示しなければならない。(参照:「AFP」)
事実上、政府が一般ユーザーのデータにアクセスできるため、批判者を特定するのがより容易になった。これによりネット上の言論・表現の自由がいっそう厳しく規制されたのだ。実際に、同法律が施行されてすぐ、ベトナム国営メディアは、Facebookの違法性を指摘した。ユーザーが“反政府”発言を投稿するのを許したという主張である。(参照:「Viet Nam News」)
ベトナム政府による人権侵害は政策にとどまらず、暴力行為・ハラスメント・逮捕などにも及ぶ。‘18年にベトナム各地で全国規模の抗議運動が勃発し、多くの人が経済特別区での長期リースに関する法案に反対したところ、警察は何十人もの参加者を逮捕。そのうちの多くは暴行や尋問をされた。なかには5年もの禁固刑を宣告された人もいる。(参照:「Human Rights Watch」)
’17年には、ベトナム共産党が支配する裁判所が少なくとも15人のブロガーや活動家に有罪判決を下した。’18年には42人が有罪宣告を受け、多くは10年を超える刑を言い渡された。環境運動家のレー・ディン・ロン氏(Le Dinh Luong)などは、特にひどい20年の禁固刑を宣告された。
’15年5月には、ベトナム人活動家のグエン・チー・トゥエン氏(Nguyen Chi Tuyen)が息子を小学校へ見送ったあと、見知らぬ男たちに囲まれ意識を失うまで暴行を受けるという事件が発生した。トゥエン氏の顔はひどく腫れあがり、血まみれだった。
また、’10年に国営ベトナムテレビの最優秀アルバム賞を受賞して全国で知られるようになった歌手のド・グエン・マイ・コイ氏(Do Nguyen Mai Khoi)は、政府や政権党であるベトナム共産党を批判する歌詞を書いたことにに対する報復として、’16年5月以降コンサートの開催が中止されているほか、二度も住まいから立ち退きを命じられ、拘束までされたことがある。(参照:「The New York Times」)
◆ベトナムの人権活動家の期待を裏切る日本政府
こうした組織的な弾圧が起きているなか、ベトナムの人権活動家たちは日本に対して希望を抱いている。なぜなら日本がベトナムの最大資金援助国であり、国家主席を含む政府の幹部たちと定期的に会談を実施しているため、ベトナム政府に対して改革を行い人権を尊重するよう圧力をかけるのに絶好の立場にあるからだ。(参照:「外務省ホームページ」)
実際に、’18年5月には、安倍首相は当時国家主席だった故チャン・ダイ・クアンと会談し、5か月後にグエン・スアン・フック首相とも会談した。今月1月には阿部俊子外務副大臣がベトナムを訪れ、今月4日にはレー・タイン・ロン・ベトナム司法大臣が来日して会談を行っている。
しかしながら、これらの会談はベトナムの人権活動家たちの期待を裏切るかたちで終わった。経済的パートナーシップについては話があったものの、日本政府側は政治囚をはじめベトナムの人々に対する極めて深刻な人権侵害について言及しなかった。日本政府がミャンマーなどに対しても、中国の脅威に対抗するため民主主義的価値観を犠牲に展開している「無価値観外交」がベトナムでも浮き彫りになったのだ。
◆日本政府は民主主義や人権を尊重する外交を
たしかに、中国とベトナムは親しい隣国同士であり、ともに同じ「共産党」と名が付く政党の一党独裁体制によって支配されているものの、戦争と対立の長い歴史や傷跡も残っている。ベトナム市民の間では、中国の影響力に疑念や抵抗感が生まれており、同時にベトナム政府は最大援助国の日本との友好関係を重宝している。
だからこそ日本政府は、人権問題に触れることでベトナムの「振り子」が中国に傾いてしまうという懸念に固執せず、その絶妙な立場を利用してベトナム市民のために声を上げるべきだ。そうすることによって、ベトナムの活動家たちは勇気づけられるだけではなく、日本政府は民主主義や人権を尊重する外交政策に向かって舵を切れるのではないだろうか。
<文/笠井哲平>
かさいてっぺい●‘91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。‘14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。‘18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている
▲:このHarbor business online は、扶桑社系のメディアである。
暴力・尋問・投獄 ベトナムの「闇」と日本が当てるべき「光」
4/13(土) 8:31配信 HARBOR BUSINESS Online
ベトナムと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう? 多くの読者は、「平和な観光地」「安くておいしい食べ物」「活気のある市場」「安い服や靴」などを挙げることだろう。これらのイメージは、日本からベトナムを訪れる年間80万人以上の観光客や国内メディアが現地での体験などを根拠に築き上げたものであり、ある意味正しいイメージであろう。
◆政権批判で20年の禁固刑も
一方で、ベトナムにはあまり語られない深い「闇」も存在する。それは、ベトナムに住む1億近くの国民が、その政府によって、基本的な自由(表現、結社、集会、信教など)を日常的に奪われているというものだ。’19年の初めには少なくとも130人が政治犯として収容されたままとなっている。これは一般的なベトナムのイメージからは遠くかけ離れた現実だ。(参照:「Vietnam National Administration of Tourism」「日経MJ」)
この「闇」を主に作りだしているのは、数十年に渡って監視されず一党制国家を治めてきたベトナム共産党が展開している抑圧的な政策である。たとえば、今年1月にベトナムでサイバーセキュリティ法が施行された。この法律のもとでは、プロバイダーはデータを国内に保管し、ユーザーについての情報を「証明し」、裁判所の命令がなくてもユーザーのデータを当局に開示しなければならない。(参照:「AFP」)
事実上、政府が一般ユーザーのデータにアクセスできるため、批判者を特定するのがより容易になった。これによりネット上の言論・表現の自由がいっそう厳しく規制されたのだ。実際に、同法律が施行されてすぐ、ベトナム国営メディアは、Facebookの違法性を指摘した。ユーザーが“反政府”発言を投稿するのを許したという主張である。(参照:「Viet Nam News」)
ベトナム政府による人権侵害は政策にとどまらず、暴力行為・ハラスメント・逮捕などにも及ぶ。‘18年にベトナム各地で全国規模の抗議運動が勃発し、多くの人が経済特別区での長期リースに関する法案に反対したところ、警察は何十人もの参加者を逮捕。そのうちの多くは暴行や尋問をされた。なかには5年もの禁固刑を宣告された人もいる。(参照:「Human Rights Watch」)
’17年には、ベトナム共産党が支配する裁判所が少なくとも15人のブロガーや活動家に有罪判決を下した。’18年には42人が有罪宣告を受け、多くは10年を超える刑を言い渡された。環境運動家のレー・ディン・ロン氏(Le Dinh Luong)などは、特にひどい20年の禁固刑を宣告された。
’15年5月には、ベトナム人活動家のグエン・チー・トゥエン氏(Nguyen Chi Tuyen)が息子を小学校へ見送ったあと、見知らぬ男たちに囲まれ意識を失うまで暴行を受けるという事件が発生した。トゥエン氏の顔はひどく腫れあがり、血まみれだった。
また、’10年に国営ベトナムテレビの最優秀アルバム賞を受賞して全国で知られるようになった歌手のド・グエン・マイ・コイ氏(Do Nguyen Mai Khoi)は、政府や政権党であるベトナム共産党を批判する歌詞を書いたことにに対する報復として、’16年5月以降コンサートの開催が中止されているほか、二度も住まいから立ち退きを命じられ、拘束までされたことがある。(参照:「The New York Times」)
◆ベトナムの人権活動家の期待を裏切る日本政府
こうした組織的な弾圧が起きているなか、ベトナムの人権活動家たちは日本に対して希望を抱いている。なぜなら日本がベトナムの最大資金援助国であり、国家主席を含む政府の幹部たちと定期的に会談を実施しているため、ベトナム政府に対して改革を行い人権を尊重するよう圧力をかけるのに絶好の立場にあるからだ。(参照:「外務省ホームページ」)
実際に、’18年5月には、安倍首相は当時国家主席だった故チャン・ダイ・クアンと会談し、5か月後にグエン・スアン・フック首相とも会談した。今月1月には阿部俊子外務副大臣がベトナムを訪れ、今月4日にはレー・タイン・ロン・ベトナム司法大臣が来日して会談を行っている。
しかしながら、これらの会談はベトナムの人権活動家たちの期待を裏切るかたちで終わった。経済的パートナーシップについては話があったものの、日本政府側は政治囚をはじめベトナムの人々に対する極めて深刻な人権侵害について言及しなかった。日本政府がミャンマーなどに対しても、中国の脅威に対抗するため民主主義的価値観を犠牲に展開している「無価値観外交」がベトナムでも浮き彫りになったのだ。
◆日本政府は民主主義や人権を尊重する外交を
たしかに、中国とベトナムは親しい隣国同士であり、ともに同じ「共産党」と名が付く政党の一党独裁体制によって支配されているものの、戦争と対立の長い歴史や傷跡も残っている。ベトナム市民の間では、中国の影響力に疑念や抵抗感が生まれており、同時にベトナム政府は最大援助国の日本との友好関係を重宝している。
だからこそ日本政府は、人権問題に触れることでベトナムの「振り子」が中国に傾いてしまうという懸念に固執せず、その絶妙な立場を利用してベトナム市民のために声を上げるべきだ。そうすることによって、ベトナムの活動家たちは勇気づけられるだけではなく、日本政府は民主主義や人権を尊重する外交政策に向かって舵を切れるのではないだろうか。
<文/笠井哲平>
かさいてっぺい●‘91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。‘14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。‘18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている
▲:このHarbor business online は、扶桑社系のメディアである。
2019年4月12日金曜日
奈良吉野山の桜 奈良の山はゴミだらけ
火曜水曜木曜と、2泊3日で奈良吉野の桜を見物してきた。26年ぶりの吉野の桜。
観光バスに乗って奈良の山の中をあちこち移動したけれども、バスの窓から奈良の山の路肩や谷を観ていると、呆れるほど多くのゴミが捨てられていることに気づいた。
作成途中
函館山のゴミ拾い
観光バスに乗って奈良の山の中をあちこち移動したけれども、バスの窓から奈良の山の路肩や谷を観ていると、呆れるほど多くのゴミが捨てられていることに気づいた。
作成途中
函館山のゴミ拾い
2019年4月8日月曜日
ベトナム雑感
ベトナムで思ったことは・驚いたことは、カンボジアで見かけたような「乞食」の姿がベトナムでは全く見かけなかったことである。当然といえば当然なのだろうけれども。
昔、添乗員と話をしていて、彼が「ベトナム航空には何度煮え湯を飲まされたかわからない」と呟いていたことを覚えている。ベトナムは、結局、共産党が支配する国家であり、そのナショナルフラッグであるベトナム航空のサービスの悪さ・横柄さ・官僚主義は有名である。
ベトナム人は、仲間内では笑顔を見せるが、他国の人間に笑顔を向けることは殆どない。これはベトナム航空の客室乗務員に関しても言えるのである。怒っているのではなく、殆ど感情を示さない能面のような顔。
成田からハノイまでの便。一度だけ出た食事は美味しかった。ベトナム航空も捨てたものではない、と思った。ところがサイゴン(ホーチミン)から成田までの便で出た食事は、食べられるようなものではなく、パンすらパサパサしていて噛んでも味のない品物だった。……つまり、成田からハノイまでの食事は「日本の業者が製造している」。サイゴンから成田までの便で出る食事は「ベトナムの業者が製造している」という違いなのである。結局、帰りの便の食事は、果物以外はヒトクチで箸を置いた。
ベトナムの街に多数あるギャラリー。風水。稚拙な絵の数々。大統領府にあった絵ですらひどいものだった。
流産した子供の霊を慰める礼拝所が、家の前に立てられている。
作成途中
昔、添乗員と話をしていて、彼が「ベトナム航空には何度煮え湯を飲まされたかわからない」と呟いていたことを覚えている。ベトナムは、結局、共産党が支配する国家であり、そのナショナルフラッグであるベトナム航空のサービスの悪さ・横柄さ・官僚主義は有名である。
ベトナム人は、仲間内では笑顔を見せるが、他国の人間に笑顔を向けることは殆どない。これはベトナム航空の客室乗務員に関しても言えるのである。怒っているのではなく、殆ど感情を示さない能面のような顔。
成田からハノイまでの便。一度だけ出た食事は美味しかった。ベトナム航空も捨てたものではない、と思った。ところがサイゴン(ホーチミン)から成田までの便で出た食事は、食べられるようなものではなく、パンすらパサパサしていて噛んでも味のない品物だった。……つまり、成田からハノイまでの食事は「日本の業者が製造している」。サイゴンから成田までの便で出る食事は「ベトナムの業者が製造している」という違いなのである。結局、帰りの便の食事は、果物以外はヒトクチで箸を置いた。
ベトナムの街に多数あるギャラリー。風水。稚拙な絵の数々。大統領府にあった絵ですらひどいものだった。
流産した子供の霊を慰める礼拝所が、家の前に立てられている。
作成途中
2019年4月7日日曜日
外務省バカ官僚・植沢利次
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190407-00000015-pseven-soci
セクハラ疑惑で処分のケニア大使、女性限定交流会を頻繁開催
4/7(日) 16:00配信
遠い異国の地で、外交官トップである大使の“スキャンダル”が飛び出した。「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない行為」をしたとして、外務省は3月29日、駐ケニア大使の植澤利次氏に停職12か月の懲戒処分を下した。植澤氏は同日付で依願退職している。
処分の理由は「セクハラの疑い」と報じられているものの、外務省は「関係者のプライバシーに関わり、特定につながるので詳細は答えられない」としている。一体ケニアの地で何があったのか。現地在住の女性実業家が語る。
「3月8日に植澤大使が緊急帰国してしまい、以後は大使不在という異常事態が続いていました。処分理由は正確には分かりませんが、植澤大使の“女好き”は有名でした。3年前に彼が着任して以降、大使公邸でしばしば、女性のみ参加の交流会が行なわれるようになったんです。大使の招待ですから断わることもできず、私も何度か出席しました」
出席者は毎回10人ほど。高価なワインをともなうディナーと歓談が数時間にわたって続くという。
「好みの女性を見つけると、『こっちへおいでよ。最近、どうなの?』と声をかけて、最後は『週末にゴルフと食事しようよ』が、お決まりのパターン。ある駐在男性から“なぜ女性だけのパーティを頻繁に開くのか”と大使館に抗議めいた問い合わせもあった。植澤氏の部下である大使館職員も含め、週末の付き合いを断わり切れなかった女性たちもいます」(同前)
外務省に取材を申し込んだが、期限までに回答は得られなかった。これが日本人の代表と思われてはたまらない。
※週刊ポスト2019年4月19日号
▲:3年前から、「女性限定パーティー」を頻繁に開催し、そこに男はこの植沢大使だけ。
ケニアで疑似ハーレムでも作って楽しんでいたのだろう、日本国民の税金をふんだんに使った。こんなバカ官僚を懲戒免職もできない外務省という名のバカ組織。こんな「外交官」たちが集まっているのだから、他国は幾らでも(特に2つのコリアン国家は)日本を手玉に取れるわけである。
セクハラ疑惑で処分のケニア大使、女性限定交流会を頻繁開催
4/7(日) 16:00配信
遠い異国の地で、外交官トップである大使の“スキャンダル”が飛び出した。「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない行為」をしたとして、外務省は3月29日、駐ケニア大使の植澤利次氏に停職12か月の懲戒処分を下した。植澤氏は同日付で依願退職している。
処分の理由は「セクハラの疑い」と報じられているものの、外務省は「関係者のプライバシーに関わり、特定につながるので詳細は答えられない」としている。一体ケニアの地で何があったのか。現地在住の女性実業家が語る。
「3月8日に植澤大使が緊急帰国してしまい、以後は大使不在という異常事態が続いていました。処分理由は正確には分かりませんが、植澤大使の“女好き”は有名でした。3年前に彼が着任して以降、大使公邸でしばしば、女性のみ参加の交流会が行なわれるようになったんです。大使の招待ですから断わることもできず、私も何度か出席しました」
出席者は毎回10人ほど。高価なワインをともなうディナーと歓談が数時間にわたって続くという。
「好みの女性を見つけると、『こっちへおいでよ。最近、どうなの?』と声をかけて、最後は『週末にゴルフと食事しようよ』が、お決まりのパターン。ある駐在男性から“なぜ女性だけのパーティを頻繁に開くのか”と大使館に抗議めいた問い合わせもあった。植澤氏の部下である大使館職員も含め、週末の付き合いを断わり切れなかった女性たちもいます」(同前)
外務省に取材を申し込んだが、期限までに回答は得られなかった。これが日本人の代表と思われてはたまらない。
※週刊ポスト2019年4月19日号
▲:3年前から、「女性限定パーティー」を頻繁に開催し、そこに男はこの植沢大使だけ。
ケニアで疑似ハーレムでも作って楽しんでいたのだろう、日本国民の税金をふんだんに使った。こんなバカ官僚を懲戒免職もできない外務省という名のバカ組織。こんな「外交官」たちが集まっているのだから、他国は幾らでも(特に2つのコリアン国家は)日本を手玉に取れるわけである。