サバイバル・オブ・ザ・モモンガ   作:まつもり
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第二十三話 脱出

この地下牢は、あくまでも犯罪者を一時拘留しておく為のもののようで、そう大きくはない。

階段を下りたら、すぐ目の前には鉄格子で隔てられた二つの小さな牢があるだけだ。

 

片方の牢にンフィーレアが閉じ込められている他には、誰もここにはいない。

 

もう外は日が暮れただろうか。

力なく床に横たわりながら、ンフィーレアはぼんやりと考える。

 

どうしてこんな事になってしまったのだろうかと。

 

元凶はあのモモンが自分を拐った事に間違いない。

その後、祖母のリイジーが一人の冒険者と共に亡くなり、それを取り戻そうと手段を選ばずにお金と情報を求めた。

 

あの時、リイジーの死を受け入れて大人しくエ・ランテルに帰還して本当の事を話せば、今頃は親戚の家にでも引き取られて、安穏の暮らすことが出来たかもしれない。

 

でも幼い頃に両親を亡くしたあの喪失感を再び味わう事に耐え切れず、結局は失われたものを取り戻そうとしてしまった。

 

こうなった以上、もう自身は犯罪者。

確か犯罪者は冒険者として登録出来なかった筈であり、もう強さによりお金を得る手段は失われてしまった。

 

思考を止めると初めて手に感じた、人間の骨を砕き、肉を歪ませる感覚が蘇る。

目を閉じれば、地面に横たわり動かなくなった男の姿が映し出される。

 

ンフィーレアは薄闇の中で目を見開き、延々と答えの出ない思考を繰り返した。

 

(僕はどうして生きているんだろう。 こうなってまで生きている意味は何なんだろう)

 

モモンが自分を脱獄させる為に動いているらしいが、もはや外の世界に執着が沸かない。

自分で舌でも噛切って死んでやろうか、と思ったが、軽く舌を歯で挟んで感じた痛みに思い直した。

 

(ま……、何もしなくてもその内死ぬか。 初めにお母さんとお父さん、次にお祖母ちゃん、そして最後は僕。 ………僕が死んでも誰も悲しまない事だけは良かったかな)

 

そうして何時間経っただろう。

衛兵は朝まで誰も来ないと言っていた筈だが、地下牢に通じる扉が開かれた音がした。

 

壁を向いて横たわっていたンフィーレアが入口に目をやると、そこには黒く染めた革製の服とズボンを身に纏った男がランプを持って階段を下りてきた。

衣服の関節部は他の部位よりも厚手の革で補強されており、普通の生活で着るものというよりは、荒事に対応したものに見える。

 

その証に階段を降りる時に服が捲くれ、男の腰に取り付けられたナイフの鞘が見え隠れしていた。

 

「……起きていたんだ。 ま、寝ていても起こすから良いけどさ」

 

無理に優しげに話そうとしているらしいが、ンフィーレアには背筋を撫でるような奇妙に高い不快な声色にしか聞こえない。

 

男は油ぎった長い黒髪を肩まで垂らし、頬の肉がこけている程に痩せていた。

だが幾らかは修行僧(モンク)としての修行を積んだンフィーレアには、男は貧弱という訳では無いと分かった。

一つ一つの所作が滑らかで、普通に歩いているように見えても足音は殆ど聞こえない。

 

恐らく何らかの戦闘訓練を積んだ人間。

それも一般的な兵士としてのものではないだろう。

 

「……もう朝ですか?」

 

体感時間からすれば恐らく違うだろうと思いつつ、無言でいるのも不安になり尋ねてみる。

男は口角を釣り上げて、狂人のように不気味に輝く瞳を細めた。

 

「違うよ、君にもう朝は来ないから心配しないでいい」

 

「………どういう事です?」

 

明らかに碌な答えは返ってこない事は、少年であるンフィーレアにさえ理解出来る。

ただ彼の不思議と心は波打たなかった。

 

それはンフィーレアがこういった状況でも冷静さを保てるだけの精神力を持っていた、というより、既に心が疲れきって感情が磨り減っているからだろう。

 

問いかけに男は饒舌に喋りだした。

 

「君が今日、殺した男さ。 俺の所属する組織の幹部の息子だったんだよ。 ま、親の力をひけらかして子分と暴れていただけのしょぼい奴なんだけど、それでもあの人にとって息子は可愛かったらしくてさ。 俺がその報復に駆り出されたって訳。 王都の詰所ならうちの組織の伝手を使って簡単に出入り出来るからね」

 

「そうですか」

 

ンフィーレアのやけに冷静な声に暗殺者は拍子抜けしたように眉をひそめた。

 

「で、君はこれから突かれたり斬られたり、ちぎられたり、もがれたり、剥がされたりする訳だけど………」

 

「………………いいですよ。 どうせ人はいつか死ぬんですし、兵士まで動かせるような組織を敵に回してしまったんですからね。 お手柔らかにお願いします」

 

長い沈黙の後、ンフィーレアが死を受け入れる意思を示す。

その声には、恐怖よりも深い疲労感が漂っていた。

 

「………諦めが良いのか、単に潔さでも見せたいのか。 まあ、いいさ」

 

油断なくナイフを片手に構えつつ、暗殺者は牢の鍵を開けて中に入るとンフィーレアを見下ろす。

多少は武術の心得があるようだが、所詮相手は子供。

 

これまで何人もの人間を殺してきた自分とは踏んできた場数が違うし、そもそも近づかなければ幹部の注文である拷問の末の無残な死が与えられない。

 

一メートル半程の距離をおいて向かい合った二人。

その時、ンフィーレアは暗殺者の顔を見て呟いた。

 

「ああ……、でもやっぱり、そうなんですね」

 

「うん? ………何か可笑しい事でもあるかい?」

 

ンフィーレアは、その問いかけに曖昧に笑いながら答える。

 

「いえ、僕は前に一度、そして今も殺されそうになっていますけど……、やっぱり思う事は同じなんだなって」

 

瞬間、暗殺者の視界の中でンフィーレアの姿がぶれる。

身に染み付いた動きで反射的に飛び退くが、腹に重い衝撃を感じる。

 

「か……、はっ」

 

想定よりも遥かに重い一撃。

それもその筈であり、モモンガが推測したンフィーレアの現在のレベル、5~6というのは、この世界では厳しい訓練を積んだ熟練の戦士が辿り着くような領域。

 

暗殺者としての訓練は受けても、今までやってきたのは騙し討ち、不意討ちの類。

今回こそ少年の見た目に惑わされて強さを見誤り目の前に立ってしまったが、実際に互角以上の力を持つ敵と死闘を繰り広げた事はない。

 

(こ、こんなガキが……)

 

たかが子供と侮っていた相手の予想外の力に驚愕するしかない。

 

衝撃と自ら飛び退いた勢いで激しく壁に叩きつけられた男を、ンフィーレアの拳が追撃する。

それでも暗殺者は初手の一撃を喰らい、朦朧とする意識の中で、何とか服の裾に仕込んでいたナイフを突き出すが体重が乗っていない攻撃にしかならない。

冷たく鋭利な刃がンフィーレアの頬に当たるも、スキルにより硬質化した肌を浅く切るだけで終わった。

 

顔、鳩尾、腹。

明確な殺意が込められた連撃が暗殺者の息の根を止める頃、ンフィーレアの両手は赤黒い血に染まっていた。

 

「直前までは死んでもいいかな、なんて考えていても、いざとなるとやっぱり生きたいんですよね」

 

ついに自分の意思で人を殺した。

身を守る為、生きる為、そんな理由をつけても殺人を犯した事実が変わることはない。

 

ンフィーレアは人を殺した掌を見る。

 

思考が人を殺す事を避けようとしているのに、この手は躊躇いなく人を殺せた。

直前まで生きる意思を放棄しようとしていたのに、体が勝手に生きようとした。

 

ただその理由は分かっている。

 

(生命が僕を動かすんだ。 生きろ、幸せを求めろって)

 

「鍵はこいつが開けた、外には出れる。 兵士達が邪魔したら、また殺せばいい。 こんな男を入れて僕を殺そうとした時点で全員敵だ。 ここの兵士も、他の奴らも」

 

ンフィーレアは自分に言い聞かせるように、思考を声に出して呟いた。

今までの人生で学んだ道徳や常識、習慣は暴力的なまでの生命の命令にかき消される。

 

生命の危機を感じた事で、乱れていた思考が急速に一方向に纏まっていく。

 

(とにかくモモンが来るまで何とか逃げよう。 あの人の魔法があれば王都から逃げ出せる。 考えてみれば犯罪者になってもお金を稼ぐ方法なんて幾らでもある。 下らない常識に縛られていただけだ)

 

今はただ生きる事を考えよう。

 

そう決意したンフィーレアは地上へと続く入口の扉を勢いよく跳ね上げる。

 

新鮮な空気を胸に満たし、ンフィーレアは周囲を見渡した。

 

(もう手段なんてどうでもいい。 とにかく生きて、失ったものを取り戻す。 …………ああ、でも、お祖母ちゃんは僕を叱るかな)

 

脱出の前に、ここに入る時に取り上げられた鞄を取り戻そう、とンフィーレアは思う。

その鞄にはバレアレ薬品店から持ち出した、絶対に失う事の出来ない大切な物が入っていた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「く、くそっ、何てことだ!」

 

高ぶった精神は直ぐに沈静化されるが、問題が解消される訳ではない。

夕方から走り続けて既に真夜中。

王都に全速力で向かう途中、ンフィーレアと伝言の魔法で連絡を取ったが、僅か数時間の内に事態が急変していた。

 

(殺してしまった男の仲間に襲われて、今はそいつを返り討ちして詰所から逃走中だと?)

 

しかも逃走の過程で兵士数人と戦い、恐らく殺してはいないという話だが、確実に重傷は負わせたらしい。

 

(犯罪組織に兵士達……、明日の夕方まで逃げ続けられるとは思えないし、見つかれば直ぐに殺される事も有り得る。 あのタレントは、一度失えば二度と手に入らないかも知れないのに……)

 

厄介な事になったと頭を抱えたい気分だが、ンフィーレアが兵士の詰所で殺されるという最悪の事態だけは避けられたと思うしかないだろう。

 

今は生きているのだから、まだ希望は失われていない。

 

(これはリスクが大きいが……、これしか思いつかない。 ンフィーレアの捜索を混乱させる方法は他にはないだろう)

 

他のプレイヤーもこの世界に居るならば、この方法を使えばプレイヤーの臭いを感じ取られる可能性がある。

それに捜査を混乱させる事は出来るだろうが、ンフィーレアが巻き込まれる危険性も無いとは言えない。

 

だが少なくとも追手に捕まる危険性よりはマシだろう。

 

意を決したモモンガはアイテムボックスから、ンフィーレアに使用可能にさせた五枚の依頼書を取り出す。

出現箇所は王都内部が三枚、王都近辺が二枚。

 

出現する魔物は最も弱くて5レベル、強くても10レベルだが、この世界の大部分の人間には大きな脅威となるだろう。

 

(出現する魔物は悪魔が二枚、アンデッド一枚、昆虫一枚……、そしてネームドが一枚か)

 

ネームドモンスターとは一般的に出現するものとは異なり、その個体特有の名前を与えられているモンスターである。

フィールドやダンジョンに出現し、レイドボスでは無いものの、同レベル帯の一般的なモンスターよりも強いものが殆ど。

 

そしてクエストの討伐対象となる事も多く、依頼書で受けられるデイリークエストもその例外では無い。

 

(王都の中に出現するみたいだし、数は少ないが取り巻きも討伐対象に入ってるな……)

 

出現させる事が出来るモンスターの中では一番強く、数による混乱も少しは期待出来る。

 

デイリークエストは二十四時間に一度しか受ける事が出来ないという制限から、王都に着くまでに発動出来る依頼書は一枚だけ。

 

モモンガは他の四枚をアイテムボックスに戻して、ネームドモンスターを召喚する依頼書を手に取った。

 

「頼むぞ……、クエスト受諾!」

 

声と同時に、依頼書の上に赤い刻印が現れる。

それはンフィーレアの逃走を手助けする為だけに、数多の脅威が王都に召喚された事を示していた。

 

 



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