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2019-04-14

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いわゆる太平洋戦争を経験してきた大人たちは、
 たとえば「とうもろこし」のことを好きじゃなかった。
 米のめしが食いたいのに、とうもろこしを食わされたと、
 いやな思い出として語っていた。
 とうもろこしを大好きなこどもだったぼくは、
 なんでだろうなぁと不思議に思っていた。
 おなじように「すいとん」という食べものについても、
 大人たちはいろいろ語ってくれたものだった。
 「いまのすいとんはごちそうみたいなものだ」と言った。
 「ふかしたさつまいも」も、そういうものだった。
 豆腐の「おから」についても、同じようなことを言った。

 とうもろこし、すいとん、ふかしいも、おから、
 そういうものを、おいしいもののひとつに数えるまでに、
 けっこうな時間がかかったんじゃないだろうか。
 ぼく自身も、幼いときの給食で飲まされた「ミルク」は、
 まずいものの代表のように思っていた。
 「スキムミルク」がまずいものでないと知るのは、
 それから四半世紀も経ってからだと思う。

 価値のないとされるもの、いやいや消費するものなど、
 いわば「見下されているものごと」は、
 過剰にマイナスのイメージをくっつけられる。
 偏見というものを身にまとわされてしまうのだ。
 しかし、たいていの場合は、
 いずれ時間が経ってから名誉回復することになる。
 偏見に時効がきてしまったら、
 そのままの価値を認められることになるのである。
 「おいしいすいとん」「おいしいおからの料理」は、
 そこで新しい市場を開拓することになる。
 ぼくは、わりと、そういう物語が好みだ。

 いまの時代に、余計に低く見積もられているもの、
 価値がないどころかマイナスのように語られるもの、
 そういうものものが、実は新しい市場をつくるはずだ。
 思えば、みうらじゅんプロデューサーのやってること、
 「ゆるキャラ」「マイブーム」「仏像」などについて、
 あらためて考えてみたらよくわかるだろう。
 「捨てたもんじゃない」を、「おいしくする」こと。
 おもしろいことは、そこらへんにあるように思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ややバカにされているうちに、腕を磨いておくのが吉とな。


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