去年の今日、預言者・宮内春樹とお話ししました

去年の今日(2013年3月30日)、私は自称「預言者」の宮内春樹氏とTwitter上でお話ししました。その頃はまだこのブログを始めていなかったので、一年越しで会話を取り上げることにします。

ただ、記述がこれだけだと何が何やら分からないと思いますので、詳しい説明が要るでしょう。私が宮内氏を知ったきっかけ、宮内氏の概要、私が宮内氏に話しかけようと思った動機などを説明致します。

宮内春樹の経歴について

まず、宮内春樹という人物について説明しましょう。

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、2011年11月に「就活ぶっ壊せデモ」というのがありました。この「就活ぶっ壊せデモ」デモの実行委員を務めておられたのが宮内氏です。

このデモの後、就職活動の現状を変える組織として「就活生組合」が結成されます。宮内氏はその代表を務めていらっしゃいました。

2012年1月には宮内氏含む「就活生組合」の4名が、元「ガイナックス」社長・評論家の岡田斗司夫が放送するニコニコ生放送番組「岡田斗司夫の海賊生放送」に出演されました(岡田斗司夫の海賊生放送1月18日「就活ぶっこわせデモ対談」)。

私は元々岡田斗司夫のニコニコ生放送番組をいつも視聴していたので、この番組も岡田繋がりで見ました。あと、当時就活をしていた私にとっては興味深い内容でした。

この時点では宮内春樹氏にはそれほど興味はなかったのですが、この後非常におもしろい展開になりました。

詳しくはTogetterNaverまとめをお読みいただきたいのですが、2012年1月22日、宮内氏は突如「神からの啓示が降りた」と発言し、宗教的言辞を繰り返すようになります。1月24日には「就活生組合」代表を辞退し、1月25日に「聖久律法会」なる新宗教を設立します。

かつて就活界隈で活動していた人物が、突然新興宗教の教祖になる。この変化はなかなかセンセーショナルであったようで、色々と反響を呼びました。

この変化を知ってから、私は俄然宮内氏に興味が湧きました。彼が一体どのような心理的変化から宗教を立ち上げるに至ったのか、それを知りたいと思ったのです。

私自身は「啓示」というものを甚だ疑わしいと思っていますが(神の存在自体を疑わしいと思っているので)、「啓示」が実際にあったにせよ宮内氏の妄想にせよ、彼がそれをあったと考え、宗教を立ち上げたという心境の変化のほうが重要だと思っています。宮内氏を「統合失調症」とか「気が狂った」と評価する方がいらっしゃいますが、彼が正気か病気なのかは私にはどうでもよいことです。

宮内春樹氏と私の会話

2012年11月にTwitterアカウントを取得した私は、2013年3月30日に宮内氏にリプライを送りました。

この後、しばらくやりとりが続きました。全文を読みたいからは、私の最初のリプライからお読みください。

宮内氏の意見を簡単に要約すると、

  • 神からの啓示を受けて「聖久律法会」を立ち上げるに至った
  • 「聖久律法会」はイスラーム系の宗教である
  • 「聖久律法会」はイスラーム教の律法と現代人権法の融合を目的としている
  • ユダヤ教やキリスト教の律法が「法律」ではないのに対し、イスラーム教の律法は「法律」としての効力を有するので、現代人権法と融合しうる
  • 他宗教については、神に「帰依」するふりをして「帰依」しないものについては攻撃する
  • 科学とは公理から成り立つものだが、公理は人間によって正しさが証明されるものではなく、神によって証明されるものであるので、科学とは宗教の下位にある

という感じです。

宮内氏の「律法」理解が正しいのかどうか私には判断できませんが、宮内氏のいう「法律」とは、恐らく世俗法という意味ではないでしょうか。

宗教法であれば、ユダヤ教やキリスト教にも当然存在します(トーラー・タルムードや教会法)。イスラーム教にもシャリーアという宗教法があります。ただ、世俗法となるとユダヤ教やキリスト教はローマ法・ゲルマン法になりますが、イスラーム教にはカーヌーンというイスラーム法があります。ユダヤ・キリスト両教と違って、自前の世俗法を持っている点でイスラーム教は現代人権法と融和しやすいと宮内氏は考えているのではないでしょうか(断っておきますが、これはあくまで私の推測ですし、私は別に宮内氏の信者ではありません)。

法律についてはともかく、科学と宗教の関係については宮内氏は誤解されている気がします。

彼のいいたいことは、科学というのは何らかの公理(ユークリッドの公理など)や原理を基礎として築かれるものだが、公理は他の公理や定理を元に証明することができないので、その正しさは人間ではなく神によって証明されるものだ、ということです。

公理とは証明も反証もできない原則のことですから、証明できないのはその通りです。ただ、公理は証明できない原則を真として議論しようというものですから、公理の正しさを「神」に担保してもらう必要はない。平行線の公理はユークリッド幾何学では成立しますが、非ユークリッド幾何学では成立しません。正誤をこうだと決めて矛盾が発生しないかどうか調べ、体系が成り立つかどうか調べればよいだけです。

「科学ではすべての謎は解明できない。宗教こそが謎を解明できる」などといって科学を批判した気になっている宗教家がたまにいますが、宮内氏の議論はそれと同じに思えます。科学の基礎である公理は神によって担保されているのだと説き、科学を宗教の下位に引きずり降ろそうとする手口です。

それだけであれば宗教家の無知で済みますが、宮内氏は、「聖久律法会」は科学的な宗教だとおっしゃっています。「幸福の科学」などもそうですが、「科学」を自称しながら科学に無知というのは、宗教というよりエセ科学や疑似科学に近い立場です(宮内氏の科学観を批判されている方もいらっしゃいます。預言者・宮内春樹氏の「科学的に永遠の命を与えます」発言の「科学的」について参照)。

私自身は宗教に入っていませんが、他人の信仰の自由は認めますし、入っている本人が幸せなら新興宗教やカルト宗教でも構わないと思います。ただ、科学を騙りながら科学について何も知らない宗教やエセ科学については糾弾します。

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