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夢学級 〜ゼンセノキオク〜 作者:地狐
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2. 流転する日常、惑う心情 一

 

「――これにて、私来栖の本日の発表を終わります」

 結衣ははっとして顔を見上げた。

 見上げた先には来栖が壇上でこちらに向き直り、深々と礼をした所であった。黒板にはいくつもの文字式や文字が羅列されて下の方には大きめなQ.E.D.(証明終わり)の文字が書かれていた。

 まただ……。

 そう小さな声で呟きながら肩を落とした。

 また、と口に出すだけあって似た様な事は今回が初めてではなかった。

 近頃の結衣は過去の事を頻繁に思い出してしまい、物事の何から何まで集中が出来なくなっていた。

 今回も過去を思い出して来栖の発表の大半を聞き逃してしまった。

 気落ちしたまま周りを見ると、他の面々は既にノートを自前のバッグや入れ物にしまって出口から出ようとしていた。

「ねぇゆかちゃん」

「ゆいちゃん、どうしたの?」

 ふいに誰かに喋りかけたくなって最後に出ようとしていた由香に声を掛けたが、その後に続く言葉を見つけ出す事は出来なかった。

「――ううん、何でもない」

「そう? じゃあ、また来週会おうね」

 ……来週?

 由香の発した言葉に一瞬理解が追いつかずに固まったが、すぐに思考が追いついて理解した。

 そうだった。今日は金曜日だ。だから明日は休みで――

 たったそれだけの事を理解するのに数十秒も費やした自分に一人赤面し、辺りをもう一度見直す。

 全員出て行ってしまった夢学級の校舎に人などいる訳がない。

 きっと自分が疲れているだけ。

 結衣はそう言い聞かせ、ノートや筆記用具の片付けを始めた。


 ▼


 夏の夕暮れは遅い。

 未だ薄明るい帰り道を一人、結衣は歩いていた。

 遠くで蝉が鳴いているのを感じて歩みを進める。

 村の中は広く、家と家の間には距離がある。今歩いている農道も決して楽な道ではなく気を少しでも抜くと隆起した土に足を取られて転ぶ事もしばしばある。

 ふと、後ろから車のエンジン音が聞こえてきた。

「おーい、結衣かー?」

 エンジン音が近づくにつれて声も聞こえてきた。その声は歳をとって少ししわがれた声で、結衣が聞き慣れた声の一つでもあった。

 やがて隣に軽トラックが停車し、中に乗っていた一人の年老いた男性がドアを開ける。

 乗っていたのは結衣の祖父だった。

 結衣は助手席に乗り込み、軽トラックを発進させた祖父に話し掛ける。

「じーちゃん、今日も農作業?」

「いや、今日は去年越してきた鳥さんの家で少し話をしてきた」

 珍しい。それが結衣が思った感想だった。ツグマは名前からも分かる通りハーフである。そのツグマの両親が誰かを家に招き入れる事は滅多になく、結衣や他の同級生もツグマの家に入った経験は一度もなかったのだ。

「へぇ、ツグマくんが」

 結衣は祖父に聞こえる様に呟いてみるが、何の返答もなかった。

 それから家に着くまで会話も何もなく、ただガタゴトと揺れる車内の中で自分の「過去であるはず」の記憶について考えていた。

 実は、最近気にしているのはその記憶の事についてだけではない。

 ――もう一つ、いや二つ。気になる事が――

 しかし、そんな事をより深く考える暇も与えないかの様に結衣の乗る軽トラックは停車した。

 理由は簡単。家に着いたからだ。

 結衣は仕方なく考える事を中断し、軽トラックから降りて家の玄関の扉を開けて入り込む。

「ただいまー」

「あや結衣ちゃん、お帰りなさい」

 帰った事を伝える挨拶をいつもの様にすると、いつもの様に奥から声が飛んでくる。

 これは祖母のものだ。

 声に混じって水の流れる音も同時に聞こえる為、恐らく皿洗いをしているのであろう。

 結衣はそのままリビングへと向かい、誰もいない事を確認する。

 三世帯住宅ならばここで親がいても良いものなのはそうであろうが、結衣は父親と母親。両親の姿を一度たりとも見た事がない。大半の時間は家にいる祖母の訊いてみたところ、結衣の両親は若い内に亡くなってしまったと言っていたのを記憶している。

 暇になった結衣は、テレビのリモコンを手にして電源をつけた。

『えー、先日よりお伝えしています、集団昏睡事件について政府より国民に警戒を求めるとの発表がありました事を新しくお伝えします――』

 こうも同じ事と言うのは続くのか。

 結衣は心底うんざりした気分になった。

 このニュースは東京の何とかと言う橋を中心にして複数名の人間が昏睡状態に陥って回復しない、という内容のものなのだが、結衣はこのニュースを一週間ほど前からテレビをつける度に目にしていた。

 ここまで気分が滅入ると人間は何もする気がなくなるらしく、テレビも同じニュースしかやらないので電源を消し、特にする事がないまま自室のある二階へと登る階段に足をかける。

 そして自室についた結衣は部屋の端にあるベッドへ身を投げ出して身体を預けた。

 ここ最近、結衣自身が疲れているせいで授業にも集中出来ずニュースにも八つ当たりしてしまう――いつしかその様に考えは変わっていた。

 結衣は一度決めた事はすぐ行動に移す人である。一度そうと考えればやる事は一つだけだった。

 小学校の宿題などはなく、頭の中の記憶を思い起こして明日の発表が自分ではないかを確認する。

 確認した結果は違った。

 なら、寝る。

 それが結衣の出した結論だった。

 夕飯がまだだとしても、寝さえすれば疲れは取れて翌日には元気になって授業中でもしっかりと集中する事が出来る。

 短絡的と言ってしまえばそれまでの話ではあるが、実に単純明快な答えでもあった。

 そうして結衣は、ベッドに身体を預けたまま、深い眠りへと落ちてゆくのであった。

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