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夢学級 〜ゼンセノキオク〜 作者:地狐
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1. 夢の様な学級 三

 

 それは、進級した四年生による夢学級が出来る二ヶ月前の冬の出来事。当時小学三年生の結衣達がまだ教室内で他の学級の生徒と一緒に授業という名の自習をしていた時の話だった。

 その時間は算数の時間。結衣は自習範囲として出された範囲の問題を解き終え、監督する教室もおらずと暇を持て余している状態だった。

 何も思う事なく窓の外へと目を向けてはみるが、外に映るのは延々と広がる真っ白な景色のみで心を引くものは何一つない。

 ――村ってのはこれだから……。

 結衣は静かに、深く長い息を吐いた。

 ストーブが焚かれた部屋の中では透明な息しか吐けず、結衣の退屈を募らせるばかりだ。

 時計を見てみても、授業開始からまだ数十分ほどしか経っていない。

 ――これだから……。

 先程解き終えた問題の範囲は結衣の使う教室で言えばそれなりに終わりに近いページに載っている範囲だった。

 しかし、終わりに近いとは言えども小学三年生程度の問題である。多少の理解さえあれば誰でも解けてしまう様な代物である事には代わりはない。

 それに、結衣はとうの昔に教科書の全問題は解き尽くし、端から端まで暗記までしてしまっている。

 ――これだから、変な転生は嫌だって言うのに……。

 結衣は、前世の記憶を持ち合わせたまま産まれてきた存在なのだった。

 結衣の前世は法律を無視した時間で働かせ、休日や休み時間、モラルの欠片すらもない会社、俗に言うブラック企業に勤めるサラリーマンの男性だった。

 勿論そんな会社に勤める人が何も思わず、何にも支障をきたさず生活も出来る訳もなく、日頃から軽い鬱を患っていたと記憶している。

 そんな生活の中で最も傾倒していたのが異世界転生ものの小説を読む事だった。

 きっかけはテレビをぼんやりと眺めていた時に流れた一つのコマーシャル。そのコマーシャル自体はアニメを宣伝するといったどこにもありそうな普通のものではあったのだが、そのアニメの内容が異世界で第二の生活を送るというもので、その頃の結衣は途轍もなく強い憧れと衝撃を持った事を憶えている。

 自分の暮らすこの世界とは根本から違っていた。

 その「異世界」は自分が特異な能力を持ち、今自分の住む世界では出来ない事が当然の様に出来、誰にも何にも縛られる事なく自由気ままに生活する事が出来た。

 まさに自分の望む生活がそこにはあり、正反対の暮らしがそこにはあった。

 そのコマーシャルを見てからの生活は羨望の塊の様な生活を送り、元より少ない休憩の時間や通勤の時間を、雀の涙の方が多いのではと思うほどの給料のほとんどをその異世界転生物の読み物に費やした。

 読み物にしたのは持ち歩きが効くからだ。

 そして、そんな生活に溺れてから一年が丁度経とうとしたその日その時に、とうとう行動に移した。いや、この場合は移していた、の方が正確に言うに相応しい表現だろうか。

 それは異世界に憧れ過ぎた者の末路とも言えた。

 無意識のうちに橋から飛び降りたのだった。

 そしてその瞬間だけ、その者としての快感を味わった。

 状況だけ見れば気の狂っていた者の感じた事なのかもしれない事ではあるのだが、確かに味わったのだった。

 しかしそれも一瞬。暗く深い水の闇へと沈んで行ったと思ったら、こうして「結衣」としてこの世に生を受けていたのだった。

『みなさん、今日は雪が深く積もっています。寄り道しないでまっすぐ家に帰りましょう。それではさようなら』

『さようならー!』

 結衣はまた深く長い息を吐き出した。

 暇だから、と「昔の事」を思い出していたら算数の授業どころか帰りの挨拶までもが終わってしまった様だった。

 とりあえず、と確認の意も込めてで周囲を見回してみると、同じ学年である三年生だけが全員残っていた。

 残っていたと言ってもやっている事はそれぞれで、本を読んでいる者もいれば仲睦まじく話をし合っている子もいた。

 結衣は立ち上がり、机の横に掛かっているランドセルを手に取って帰り支度を進める。確か、今日は祖母から頼まれた事があってその為に早めに帰らなければならないはずだ。

 引き出しにあるいくつかの教科書とノートを乱雑にランドセルの中へ入れ、重くなったランドセルを肩に背負う。

 他の学級の人たちも帰った事だし、早く私も帰らなければ。

 結衣はそう思って教室の後ろに位置するドアに近寄り、手をかけて開けようとしたその時。

「三年のみんなに重大発表がありまーす!」

 唐突に響く大きな声に一瞬身体全体を震わせ、手を引き身を微かに縮こまさせた。

 眉を顰めて声のした方を向いてみると、教壇に立った歩が笑った顔で見渡ししていた。

「なんですの? あら、ゆくさん。そんな大声で言うからには今この場で言う事でして?」

 先程の結衣と同じく帰り支度をしていた来栖が席で批難する。何故あの口調なのかは置いておいて口調こそはお嬢様のそれではあるが、言葉の節々からは幼さが感じ取れる。そこはさすがに小学三年生と言った所か。

 ちなみにどうでも良いが来栖のお嬢様口調は結衣が会った時からそうであり、結衣自身も常日頃から疑問に思っている事の一つであった。無論小さな村の娘である事には代わりないので服装や髪型は至って普通の村娘そのままのそれである。

「まぁまぁ落ち着きなって。くるすもその服装とか髪型とかをどうにかしてからおジョーサマみたいな喋り方してくれよな」

「な、な、なんですって!」

 いや、普通は歩の様に思うだろう……。

 そこは一切の状況関係なく歩に完全同意してしまう結衣ではあったが、そんな事で時間を費やしていてははっきり言って時間の無駄だ。

「歩くん、それで重大な発表ってなに?」

 出来るだけ怪訝な雰囲気を言葉に表さない様に気を付けて言葉を出した。

 歩はそんな結衣の心情を知ってか知らでか声を張り上げて簡潔に言った。

「おれは、前世の記憶を持ってるんだぜ!」

 直後、教室内の者の動きが完全に止まった。

 全員の頭上には当然の如くいくつものクエスチョンマークが浮かんでおり、他の者の顔からは明らかな動揺と困惑が窺えた。

 勿論結衣もその中の一人で何を言っているのかと困惑する傍ら、本当かと耳を疑った自分もいた。

 思い起こせば歩も授業中早々と範囲を終わらせて熟睡していたのを時々目にした事はあり、テストでも常に百点やその付近の点数を取っていたのは良く覚えている。だがそれは他の同級生にも言えた事でもあった為にそうですか程度にしか捉えてはいなかったのだが。

 そんな沈黙に包まれた教室の中で歩は一人語り始めた。

「それで、みんなは今年の夏からいる同じ学年の転校生は知ってるよな?」

 全員が首肯する。転校生と言えば鳥・N・ツグマしかいない。しかもその彼は色々な意味他とかなり違っている為全校の皆が良く知る存在とほぼ同義である事もあって印象は強いだろう。

「で、そいつに色々聞いてみたんだけどな、そいつも前世の記憶を持ってるみたいなんだ」

 段々の声に興奮の感情が帯びてゆくのが分かる。そんな歩の気持ちとは逆に結衣は驚くばかりであった。

 私と同じ「仲間」が同級生にいるのか――と。

「だから、おれとツグマが先生になって、みんなと一緒に授業してみたいなーって思った。だから、こうして重大発表として今言ってみたんだが……どうだ? どう思う?」

 結衣としては勿論大歓迎の提案だ。自分と同じ存在である事を知った今、その存在から何を学べるかや話をしてみたいと思う気持ちがうるさく自分の中を騒がせていた。

 だが、結衣は思いとどまった。もし本当に前世の記憶があったとしてもどうだろうか。結衣と歩、そしてツグマの三人だけで楽しんで、他は果たして理解出来るだろうか、などと疑問が湧いてきてしまったからだった。

 しかし、その疑問も次の瞬間には杞憂だった事に気付く。

「前世の記憶……懐かしいですわね」

「ゆくくんと同じだったなんて……」

「仲間……いたんだ……」

「嘘……みんなもそうだったの……?」

 来栖、由香、修、愛子が。それぞれがそれぞれの感嘆の言葉を呟く。

 どの言葉も何を思って呟いているかを推測するに足りないものは無かった。

「嘘……だろ? じゃあまさか……結衣、あんたもなのか?」

 そう尋ねる歩の表情は驚愕に満ち、その声は震えていた。

 当たり前だ。ここにいる六人全員が「前世の記憶」を持ち合わせて生まれた存在であると知れば、誰もが驚きを隠さずにはいられないだろう。

 ましてや歩もこうはなるとはいつ考えた事があっただろうか。

 それは訊かれている側の立場である結衣も同じだった。

「……うん」

 捻り出した言葉がその一言だった。

 だが、その言葉だけで伝わらない事は何一つ無かった。少なくとも、この場合は存在しなかった。

 直後、歩が大きな声で笑い出した。清々しさを感じさせるほどの気持ちの良い笑い声が教室に響き渡った。

 それにつられて結衣も、皆も笑い出す。

 この頃にはもう祖母の頼まれ事は忘れて自分の幸運さと今まで変な転生の不運を嘆いた自分を笑い尽くす自分だけが残っていた。

 この時の結衣達に、もはや言葉は必要なかった。


 ▼


 数日後――。

 結衣達三年生組は村の神社の少し奥に建てられたプレハブ小屋の前に立っていた。

 その中にはツグマの姿もあり、三年生は全員を揃えてこの場所に来ていた。

「着いたぁーっ。ここがおれの見付けた秘密の場所だぜ。ここでみんな集まって『授業』するってのはどうだい?」

 歩が古びた小屋を指差して言う。

 確かにここなら広さも十分で私達だけで授業するには丁度良いな、と結衣は思った。

 数日前の出来事があってから、三年生同士の会話や他の関わりがかなり増えた。結衣もそろ例に漏れず話す事が多くなり、今では他の面々と趣味を共有し合う仲にまで進展した。

「でも、わざわざ『授業』とか『秘密の場所』って言うのはちょっと恥ずかしくないかな……」

 裁縫好きの修が言った。普段は女々しいのにこう言う時には男の子っぽいのか。

 結衣は変な所に感心するが、当の訊かれた本人歩は待ってましたと言わんばかりの表情で名前を口にした。

「おれさまがそんな事を考えつかないとでも思ったか〜? ちっちっちっ、もう決めてあるぜっ!」

「少し古いですわ」

「うるせぇっ! このおジョーサマくずれっ!」

「なんですって〜!」

「はぁ……ほら、早く名前言ってよ」

 歩の発言の揚げ足を来栖が拾って結衣が宥める。これもこの数日間でお決まりの事となってしまった。

 後ろの方では他の衆がくすくすと笑うのもいつもの事。歩は来栖をチラ見してから続けた。

「おれたちがこうして全員転生出来てこうやって知り合えたんだ。だから、夢の様な学級。略して『夢学級』だ!」

 歩が高らかに名前を宣言した瞬間、ここの場にいた歩を含む全員が興奮して沸いた。

 ――夢学級。

 響きも悪くなくてその意味も悪くない。

 結衣はそう思った。

 そして、これからはこの学級で勉強出来る――。

 そう思うと興奮する自分の気持ちを抑える事が出来なかった。

 転生して、良かった――。

 この数日間で何回目か感じたその感情を、結衣はその胸に今一度はっきりと感じた。

「あ、冬寒いから来年から授業してくよー」

『ええー』

 歩のその言葉に多少気を落とした結衣達ではあったが、その内面には未だ興奮の炎が爛々と輝いていた。

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