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夢学級 〜ゼンセノキオク〜 作者:地狐
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1. 夢の様な学級 二

 

「よいしょ、と」

 結衣がプレハブ小屋のフレームだけになった、元々ガラス戸だったはずの引き戸を開けた。

 全体的に錆びつきも多く見られる小屋だったこともあって、開けるのに少し苦労こそするがそれもいつもの事。戸を開けている結衣や、他のここにくる皆は既に慣れている。

 元はこの神社を管理する神主の居住空間だったのだろうか、床は少し藺草(いぐさ)が傷んではいるものの、使える程度に綺麗な畳が敷き詰められており、空間もかなり広く十人ほどが寝転がっていられるスペースがあった。

「ん、来たみたいだね」

 靴を脱いでから中に上がってみると、見慣れた姿が四つあり、その中で結衣達に一番近い位置にいた姿の内の一つの、大岩(おおいわ) (しゅう)が結衣達に気付いたらしく声を掛けてきた。

 作業中らしく彼の左手には破れが所々にある服、右手には針と糸を持って服の破れた箇所を直している様だった。

「また、服の補修をばあちゃんから頼まれたんだ。僕もこういった裁縫は好きだから進んで受けてるよ」

 結衣の視線に気付いたらしく、頼まれてもいないのに修が説明した。

 前々から修には女々しい所があり、好きな物事も今している裁縫や歌を歌う、という事もあって元気で快活な年相応の男の子の性格をしている歩とは対照的な性格をしていた。

「あ、ゆいちゃんとゆかちゃんとゆくくん。おはよう」

「あら、遅いですわ。もうわたし達は準備できてますわよ?」

 修の言葉で残りの三人もこちらに気付いた様だ。

 おはようと声を掛けてきたのは森本(もりもと) 愛子(あいこ)だ。

 彼女は常に笑顔を絶やさず皆に気を配る、結衣達やこの小屋にいる者達の太陽の様な存在だ。

 そして彼女はこの中で一番可愛く、村でも一番と言われているアイドルでもある。

 もう一人のお嬢様口調の方は木々崎(ききざき) 来栖(くるす)

 彼女は常日頃から高圧的な態度を取っていて、何事にも負けず嫌い性格をしている。とはいえ運動については神経の良い結衣や男子には敵わずいつもキーキー騒いでいる。

 二人は入り口からは遠い所に置いてある教壇の近くで話をしていた様だったが、修の声で結衣達に気付いて声を掛けてきた。

(とり)くん、その本なんて本? 見せて見せてー」

 由香がそう言いながら一人片隅で座って古ぼけたブックカバーの掛かった本を読んでいる子の方へと向かう。

「ん」

 鳥くんと呼ばれた少年――鳥・N・ツグマ――は、由香が寄ってくると、目にまで髪の毛がかかっている顔を上げて小さな声で受け答えをする。

 その返答の声はあまりにも小さく、まだ入り口の近くに立つ結衣と歩には聞こえはしなかったのだが、由香にはしっかりと聞こえていたらしく、その二人で会話が進んでゆく。

(鳥くんももう少し心を開いてくれると良いのにな……)

 鳥・N・ツグマは昨年胡蝶村に引っ越して来て、この学級に編入してきた子である。学年は結衣と同じなのだが、元々内気で内向的な性格をしているのか、本読み仲間の由香以外と喋る姿を結衣は滅多に見ない。当然、そんなだけあって結衣自身もあまり喋る事はない。

 このプレハブ小屋にいる七名は結衣と同じ小学四年生、つまり同級生である。

 結衣と歩は一通り小屋の中の状況を確認した所で小屋の中程に座り、入り口から最も遠い所にある教壇と黒板の近くにいる来栖に目で合図を送る。

「さて、全員揃ったかしらね」

 教壇に立ち来栖が言うと、その言葉を聞いた由香がツグマとの話を止めて、修も服の補修の手を止めた。

 皆それぞれ適当な位置に座り直して来栖の姿を見る。それを確認した来栖は、いつものお嬢様口調をせずに一言一言区切って言った。

「今日も『夢学級』、授業を始めます」

 その言葉は聞く者全てに酷く冷たい何かを感じさせ、小学四年生が言う言葉とはほど遠いものであった。

「では、本日の発表は私、木々崎来栖が行います」

 空気が異様に緊張する。

 来栖からは先程の様な子供の柔和な目の明かりと、自尊心の高いお嬢様の雰囲気は既に消えており、代わりに鋭い眼光と本物の大人の気質がそこにあった。

 ――私は今日の発表までにフェルマーの最終定理について考察を行なってきました

 結衣は、この空気の中で目だけを動かして周りを見回す。

 左隣には歩、右隣には由香が座っているが、来栖同様〝大人〟の雰囲気を纏っていた。

 目だけなので後ろを向く事は勿論出来ないが、後ろにいるツグマからも同じ気配が感じ取れる。

 ――フェルマーの最終定理というのはここにいる皆が知っている通り、『n≧3(nは3以上であり)(、かつ)xⁿ(xのn乗)(かける)yⁿ(yのn乗)(イコール)zⁿ(zのn乗)』の式を満たすx、y、zの組み合わせは存在しないという予想をフェルマーが立て、長らく立証も反証もされなかった、別名フェルマー予想とも呼ばれるものであり――

 結衣は前を向き直した。

 目の前では来栖が、フェルマーの最終定理について式や文字を黒板に書いている。

 結衣達は、それを自分達で持ってきたメモ帳やノートでそれをまとめていく。

 この大学の研究さながらの発表がこの、夢学級の「授業」である。

 ――そして、この事よりフェルマーの最終定理と高校数学で習う放物線や楕円などの方程式は関わりを持っていきます――

 一日一人一回、自身で考察してきた事についての発表を行う事が、もう一つの結衣達の日常なのだ。

 ちなみに、もちろんの事ながらフェルマーの最終定理の考察などは小学生が進んで学ぶ事ではなければ、彼ら彼女らは天才キッズと世に知られているものでもない。

 では何故、この様な「授業」を行なっているのだろうか。

 その理由はここに集う者達の記憶の中にある。

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