母からのメールで、判明です。
すっかり忘れていました。
どれくらいたったっけ…
会社に入って3年目の6月1日だから…
平成9年です。
11年か。
思い出してみると。。。
もう癌でだめなのはわかっていました。
今夜が山場なので、病院にいて下さい、って。
で、病室には父の奥さんが泊っていたので、
僕は車で寝てました。
朝、携帯に電話があってすぐ上がってこいって。
実際はもうなくなっていたんでしょうが、
僕が病室に入ってから、「ご臨終です」と。
一応看取ったことにしてくれたみたいです。
で、お通夜は翌々日だったかと思うんだけど、
することないから会社行ったら、
扱いに困るから帰ってくれ、って、言われたような記憶が。
僕は父と暮らした記憶がないので、
そんなに生活そのものは変わりませんでしたが、
やはり、ショックはショックだったかなぁ。
やっぱり、人は死ぬんだ、ということが一番リアルに感じられたからなあ。
おじいさんとかおばあさんは亡くなっていたけど。
でも、営業じゃなくなってからは、生きててくれたらなぁと、
よく思うようになりました。
一緒に仕事出来たかもしれないのに、って。
ま、仕事大好きな人だったので、
現役のまま、盛大にお葬式をやってあげられるうちで、
よかったのかな、とも思うけどね。
でも、カッコつけないで、サッサと手術しとけばまだ生きてたよ、きっと。
酒とたばことゴルフと仕事ができなくなったら生きている意味がないって。
だから、いけるとこまで行くんだって。
で、手術が半年遅れました。
早めに手術してたら、どうしてたんでしょうか。
間違いなく、時代の流れにはのれない、昭和の人だったから、
さみしい老後だったかしら。
解りませんね。
本人はどうだったのでしょうか。
カッコつけてすぐに手術しなかったこと、
後悔して死んだのかな?
よし、いつかあの世で聞いてみよう、覚えてたら。
死に方としてはありだと思うけど。
2008年6月2日月曜日
おっと今日はおやじの命日だ
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1 件のコメント:
ありだな。
自分で選び行動した人生だったんだよ、きっと。
後悔はしてないと信じよう。
うちの親父は亡くなって2年半。
やはり癌だった。
今、うちの息子が8ヶ月だから、あともうちょい待っててくれてたらなあ…としょっちゅう考える。
それだけが僕の後悔。
親不孝だったなあ。
いいから、早く治せ。
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