新一万円札に描かれる渋沢栄一は日本経済の土台をつくった経済人だ。そこには利益追求と人として正しくという思いが込められていた。資本主義の行きすぎが言われる中、思い起こすべきだろう。
渋沢は大正時代に著した「論語と算盤(そろばん)」を中心に、人格を磨きつつ利益優先にならずに経済の道を歩むべきだと提唱し続けた。
正しい経済発展には高い倫理意識と利益追求の両立が必要との主張だ。さらに富は独占せず国全体が豊かになるよう使うべきで、権謀術数を用いた経済活動に対しては強く批判をしている。
渋沢は多くの大銀行や大企業の設立に深く関わった。日本赤十字社といった医療関連機関、商法講習所(現一橋大)など教育機関の創設にも携わった。同じ時代の実業家である岩崎弥太郎や三井高福(たかよし)らと違い財閥はつくらなかった。
得た富を独り占めせず社会に戻す。渋沢は主張を実行した。同時に、資本が暴走した果てに起きる埋めがたい格差を予測し、その怖さを後世の人々に訴えていたともいえるだろう。
もちろん放置された資本主義が起こす問題に対しては、国内外の知識人が古くから警鐘を鳴らし続けてきた。
渋沢と同時代、十九世紀から二十世紀前半に活躍した英国経済学の大家、アルフレッド・マーシャルは、経済学者らに向けて「冷静な頭脳を持つ一方、温かい心を持て」という言葉を残している。冷徹に経済を考えながら、社会の底辺にも温かい配慮をすべきだという教えだ。
ただマーシャルが学者だったのに対し、渋沢は自らが会社を起こし経営する実業家だった。論壇ではなく、実社会の中で得た富や生きた学びを後輩たちに惜しげもなく分配した。
政府は新紙幣の理由について「偽造防止」としている。しかし、新元号発表とタイミングがほぼ同じだ。もし気分一新という意味合いがあるのなら単なる政治利用という批判も出るだろう。
今後、人々は経済生活のさまざまな断面で「渋沢栄一」を意識していくだろう。
渋沢の人生は、資本主義が常に内包している「一部の圧倒的な勝者と膨大な敗者の存在」という課題に、資本側から挑み続けたといえよう。
今、問われているのも強すぎる資本が起こすゆがみである。渋沢の教えを改めて思い起こし、ゆがみの是正に生かせないだろうか。
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