12番目の意地
クローディア王国は、大陸の中でも有数の領土面積を誇る国だ。ただし、国力を基準にした場合にはその順位は少し落ちる。
なぜなら、王国の領土のうち3分の1は、辺境と呼ばれている未発達の地域だからだ。
今までにもこのエリアを開発しようとした国王や貴族はいたが、危険なモンスターが多い大森林や断崖絶壁の海に囲まれて開発が進まず、あえなく断念したという記録が残っている。
そもそも、そんな辺境を王国に併合したのは、時の国王が領地の拡大に固執したからであり、内政を所掌する大臣等からは、かの地域の開発は費用対効果の観点から好ましくないという意見が出ていたほどだ。
これだけの広大な面積がどこの国にも狙われず未領有だったのには、それなりの理由があったのだ。
そんな地域事情を思い出しながら、クローディア王国第十二王子リカルド・ゼノ・クローディアは馬の背に揺られていた。
王都を中心とする王国の中心部と辺境の間には、ゼニエル山脈と呼ばれる、そこそこ険しい山々が連なっており、その北にはリビエールというそれなりに大きい町が存在している。
口さがない者たちは、そこを『王国の最南端』と揶揄することも多い。そのリビエールの町が、ここ数年のリカルドの本拠地であった。
リカルドは王子ではあるが、第十二王子という、おおよそ将来に期待できない立場だ。どれだけ上の王子が不慮の事故で相次いで他界したとしても、彼までお鉢が回ってくることは期待できない。
大戦争でも起これば別だが、そんな事態にでもなれば、なによりもまず、彼自身が捨て駒の指揮官として戦地に赴かされるだろう事は想像に難くなかった。
いっそ市井に交じって暮らそうかと考えたこともあるが、身分が邪魔をして普通の職業に就くこともできない。職のない第十二王子では、妻を娶ることもかなわないだろう。
王国上層部が、内乱を警戒して低順位の王子を飼い殺しにしようとしているのは、その道では有名な話だった。
そんな時に耳にしたのが、『
そもそも、リカルドがリビエールの町を本拠と定めていた理由は、そこで辺境の情報を収集していたからであり、彼らは貴重な情報源だった。
リカルドは元々、開発可能な地域を辺境の中に見出し、その地の開発長官の座に就くことを計画していた。
先人たちが失敗し続けたおかげで、誰もこの地域に固執する者はいない。そこが狙い目だった。……いや、正確に言えば、そこにしか希望がなかった。
だが、もし彼が
まして、王族が
あまり期待しないよう自らを戒めながら、彼は
――――――――――――
正直なところ、一目見た時から面倒な予感はしていた。
店に入ってくるなり、『おお、なんと美しい人だ!』とクルネの手を握ろうとしたのは、まあ許す。客あしらいに慣れているクルネのあっさりした対応は、実に見事なものだった。内心ざまあみろ、と思ったことも認めよう。
だが、男の物腰や言葉の使い方は、俺が今まで相手にしてきたお客さんとは明らかに異なっていた。これはあれだな、下手なことは言えないな。
そんなことを思いながら、俺は同い年くらいであろう青年に意識を集中した。
「
予想していたよりも、青年の反応は冷静だった。元々、この店に来る人間のうち、
聞けば遠路はるばるゼニエル山脈を越えてきたというし、もっと悲嘆したり怒ったりしてもおかしくはない。俺は、少しだけ彼に興味を持った。
「
「……ふむ。しかし、それで商売になるのかい?
青年が爽やかな口調で訪ねてくる。それを聞いて、俺はおや、と思った。今までそんな事を気にしたお客さんはいない。
「その分、
お客様だって、『あなたに
「たしかに、口先三寸で金を騙し取られたと感じるだろうな」
うんうん、と青年は頷く。その態度に少し好感が湧くが、やはりどこか演技くさい。演技そのものが性格の一部になっている人もいるし、別にそれが駄目だというわけではないが、どうにもこの青年には隠しごとがあるように思えた。
「ところで、
うぇ、やっぱり面倒なことを言い始めた。俺は内心を表情に出さないように努めて返事をする。
「私は至って面白みのない、ただの男ですよ」
「ただの男が
青年が切りこんでくる。うーむ。こういう理論派の人間に出会うのは、この世界に来て初めてかもしれないな。
この辺りの人は、良くも悪くも直接的・短絡的な人が多い。まあ、俺としてはその方が楽なんだけどね。理論派という人種は、クレーマーになると最悪の存在に化けるから困り者だ。
俺がどう断ろうか悩んでいると、天の助けが舞い降りてきた。新しいお客さんが入ってきたのだ。一日に二人も来店するとは珍しい。
「申し訳ありません、他のお客様がいらっしゃったようですので、そのお話はまたの機会に」
これ幸いと、俺はその場を離れた。見たところ、新しいお客さんには
彼が諦めてくれることを願いながら、俺は新しいお客さんに話しかけた。
「やあ、お疲れさま」
俺が新しいお客さんを
「そんな嫌そうな顔をしないでよ。いくら僕でも傷つくよ?」
む。たしかに図星だが、そんなに分かりやすい顔をしていただろうか。表情の隠蔽にはそれなりに自信があるのだが。
「それにしても、本当に君は人を
どうやら、先ほど
にしても、この青年の目的は何なのだろうか。ここに
「そういえば自己紹介がまだだったね。僕はクローディア王国第十二王子、リカルド・ゼノ・クローディアという」
……どうやら、丁重にお引き取り願う訳にはいかなくなったようだ。
店の奥の部屋へリカルド王子を案内すると、俺とリカルドは向かい合って座った。
「誤解がないよう最初に言っておくよ。僕には、君を害するつもりはない」
開口一番の台詞はそれだった。
「例えば、この国では珍しい黒目黒髪だがどこから来たのだとか、
……思い切り言ってるじゃないかこの野郎。だが、その程度の対策は俺だって取っている。日本の手続きの複雑さからすれば、この王国のルールは穴だらけだった。
「私はこの大陸の出身ではありません。ですが、このルノール村の村長に開拓民として住民登録申請を行い、正式に受理されています。
また、
俺は、あらかじめ用意していた通りに説明をする。全ては本当の事だった。このルノール村は辺境であるゆえに、その住民登録基準が緩い。辺境に住む物好きなど殆どいないからだ。
そのため、村長がOKを出してしまえば、それで問題ないのだ。おそらく、辺境を開拓するために人を集めていた頃の法律がそのまま残っているのだろう。
その分、王都で辺境出身者は色々と苦労するらしいが、それはまた別の話だ。
また、この国には無体物を扱うという概念があまりないようで、営業許可が必要な業種を限定的に列挙しているだけだった。
一応『その他物品を売買する事業』という項目はあったが、そもそも
「ふむ……」
リカルドが押し黙った。ふう、開業前に法令集を読んでおいてよかったな。村長の家にあったものだが、長い間誰も読んでいなかったようで、ページをめくるたびに埃でくしゃみが出るのには閉口したが、それだけの甲斐はあったようだ。
「元々詮索するつもりのない事柄だからね、別にどんな状態でも気にしないよ。まあ、君が王国民として法を遵守してくれているのは喜ばしいことだけど」
リカルドはしれっと言ってのけた。これだけ言えれば大したものだ。
「それで、あなたの目的は何なのですか?」
俺は率直に話を切り出すことにした。腹の探り合いなんてのは、王族や貴族がやっていればいいのだ。一般庶民の俺には手に余る。
「……カナメ、君はその能力をどう捉えている?」
「社会に混乱をもたらす可能性がある危険因子、といったところでしょうか」
一瞬、
そう考えた末の回答だったが、どうやら正解だったらしい。リカルドの表情に満足げな笑みが浮かんだ。
「たしかに、君の存在が明るみに出れば、王都は大騒ぎになるだろうね」
「今の身分制度に大穴を開けかねない俺を、懐柔したり脅したり亡き者にしたがったりする貴族やら何やらが現れる訳ですね。商売敵として、教会も俺の事を疎んじるでしょうし」
言葉の半分はリカルドに対する牽制だ。だが、
幸か不幸か、この辺境には、そういった権謀術数を駆使する人間はいない。そのため、俺の能力が社会的なレベルでどういう立場になるのか、それを指摘できる人間もまた皆無だったのだ。
リカルドの笑みが深くなる。よく分からない男だ。なんだか怖くなってきたな。
「それに対する君の備えはあるのかい?」
彼の問いかけは、俺の想像が当たっていることを裏付けるものだった。予想通りとはいえ、残念な事実だ。やはり警戒が必要だな。
「それは、リカルド王子が後ろ盾になってくださると、そう仰りたいのですか?」
戦力的な意味で言えば、俺にはクルネもキャロもいるし、俺自身にも切り札がないわけではない。だが、わざわざこちらの内情を明かしてやる必要はない。そう判断し、質問で返すことにする。
「もちろん。……と、そう言いたいのはやまやまだが、第十二王子の権力などタカがしれているさ」
リカルドは、少し演技がかった様子で肩をすくめた。
「では、何故そのような事を?」
まさか、不安を煽るだけ煽ってさようなら、というオチじゃないだろうな。もしそうなら、王族はどれだけ暇なんだ。
「僕なら君に解決策を提示することができる。
……カナメ。神殿の主になる気はないか」
初めて、リカルドの瞳に真剣な光が宿った。
――――――――――――――――
この青年は使える。
それが、リカルドのカナメに対する評価だった。
官僚や貴族、一部の商人を除けば、王国法に目を通したことのある人間などそう見つからない。内容が難しいというよりも、そもそも法文の存在を知っている人間が希少なのだ。
家族や村などのコミュニティで、倫理的なもの、もしくは慣習として覚えるだけ、といった者が大半である。
そんな中で、彼は王国法の法文を引用してみせた。しかも、法の抜け穴にも気づいていた。
当初の予定では、懐柔もしくは弱みを握ることによって、彼を手駒に引き入れるつもりだったが、どうやらただの能力バカではないらしい。
自らの能力が社会に対して与える影響についても、過小評価の傾向はあるものの、ちゃんと認識している。社会レベルで物事を考えられる人間は、それだけで貴重だった。
だが、彼を手駒にするのは難しいだろう。弱みを握ろうとしようものなら、手ひどい反撃をくらう可能性すらあった。
口調や物腰は非常に丁寧だが、それが逆に彼を警戒させた。性質の悪い商人ほど、丁寧な物腰で迫ってくる事をリカルドは知っている。
だから、リカルドは考え方を変えた。手駒にするのが無理なら手を組めばいい。リカルドにとって重要な事は、この飼い殺しの現状を脱することであり、部下を増やすことではない。
(考えろ、リカルド。カナメに不足していて、僕が提供できるものは何だ?)
ここが正念場だった。リカルドは、カナメに自分の存在価値を示す必要があった。正直な話、カナメはリカルドがいなくても困らない。
だが、リカルドにとって、カナメはこの二十年近い人生で初めて見つけた、飼い殺しからの脱出口だった。
「たしかに、君の存在が明るみに出れば、王都は大騒ぎになるだろうね」
それは間違いない。そして、カナメの下には
「今の身分制度に大穴を開けかねない俺を、懐柔したり脅したり亡き者にしたがったりする貴族やら何やらが現れる訳ですね。商売敵として、教会も俺の事を疎んじるでしょうし」
カナメの物言いにリカルドは苦笑を浮かべそうになるが、それを自制して笑顔を貼りつけた。まさにリカルド自身がそう考えていたのだから、迂闊なことは言えなかった。
「それに対する君の備えはあるのかい?」
だが、少し動揺してしまったのだろう。リカルドは、自分が失言したことを認めざるをえなかった。
カナメが望むものを知ろうとするがゆえの言葉だったが、彼からすれば内情を探ろうとしているように感じられたことだろう。
「それは、リカルド王子が後ろ盾になってくださると、そう仰りたいのですか?」
カナメの口調はさっきまでとなんら変わるものではなかったが、拒絶の意思を感じとったリカルドの背に、つぅ、と冷や汗が流れる。しかも、聞きたかった事は上手く誤魔化されてしまった。
「もちろん。……と、そう言いたいのはやまやまだが、第十二王子の権力などタカがしれているさ」
それは本当のことだった。リカルドの名前で彼を保護したところで、役に立たないどころか「この程度の後ろ盾しかいないのか」と逆に甘く見られる可能性の方が高かった。
すぐ露見するような嘘なら、最初からやめておいた方がいい。
「では、何故そのような事を?」
――ここだ。リカルドは腹をくくる。カナメの視線を真っ向から受け止めると、彼は口を開いた。
「僕なら、君に解決策を提示することができる。
……カナメ。神殿の主になる気はないか」
それは、ちょっとした賭けだった。
一、辺境には教会も神殿も設置されていない
二、カナメという青年はこの国の出身ではない
三、カナメは
つまり、カナメは宗教に関する人脈を持っていない可能性が高い。リカルドとてそんなに強力なカードを持っているわけではないが、カナメの能力を考えれば、充分実現可能なプランを提示することができる。
「カナメ、君はこの国の宗教のことをどれだけ知っている?」
「……教会が
「それ以外には?」
「……それくらいしか知りません」
やはりそうだった。リカルドは自分の予想が正しかったことを確信すると、カナメに一つの提案を行った。
「この国の宗教について簡単に説明しよう。まず、
「……え?」
「その昔、宗教戦争で国が滅びかけたことがあってね。それ以降、宗教を統一したんだ。もちろん、宗教を一つになんてできる筈がない。
だから、かつての各宗教は一つのルールを作ったんだ。『各宗教はお互いを害しない。宗教に対する迫害は、我ら全体に対してなされたものとして立ち向かう』ってね。
そして、各宗教は宗派となり、統合や分裂を繰り返して現在に至っている。それが現在の国教、統督教だ」
カナメが目を丸くしている。そんな事があり得るのか、と言わんばかりだ。だが、いま宗教談義をするつもりはない。リカルドの計画通りにいけば、カナメは嫌でもその辺りを学ばざるを得なくなるはずだ。
「僕のコネで、カナメを神学校の特待生に推薦するよ。神学校を卒業すれば位階がもらえる。そうすれば、君は晴れて聖職者さ。
後は
普通なら神学校を卒業した後、どこかの教会や神殿で数十年の修業を積んで、ようやく分殿等を任せられる事が普通だが、カナメに限ってはそんな必要はあるまい。
「……その神学校とやらは、どれくらい通うものですか?」
「通常なら十年ほどかかるが、特待生であれば一、二年で卒業できるはずだ。そこは成績次第だな」
「そこまで私にお膳立てして、貴方はどんな利益を見込んでいるのですか?」
「今の時点ではなにも。そうだ、君と友人になりたいというのはどうかな」
「信用できません。後出しの対価ほど恐ろしいものはありませんからね。……そうですね、あなたの指定する人を、一回だけ素性も何も聞かずに
カナメの提案はなかなか魅力的だった。貴族の需要をよくついている。固辞するのも逆効果だと考えたリカルドは、その条件に頷いた。
「……ところで、取引は成立したと思っていいのかな」
「そうですね、正直に言えば乗り気です。ですが、情報の裏付けもなしに決断できる事ではありませんからね。確認する時間をいただきたいところです。
ちょっと別件で気がかりな事もありますし、すぐには動けないと思います」
「分かった。僕にも準備があるから、一度リビエールの町に戻っているよ。いい返事を期待している」
リカルドは今回、何一つ嘘をついていない。そのため、裏付けをとってくれるのはむしろ大歓迎だった。神学校への特待生推薦については、自分の数少ないコネを総動員する必要があるだろうが、それだけの価値はある。
今、必要なのはカナメとの信頼関係だ。第十二王子としての打算もあれば、彼に対する個人的な興味もある。友人にならないかと言ったのは半ば本気だったのだが、それはまた機会があるだろう。
そんなことを考えながら、リカルドは