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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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転職屋

「ここか……?」


 さして特徴のない木造の家屋。よく手入れはされているが、それ以上でもそれ以下でもない。そんな建物の前に、体格のいい一人の男が立っていた。


 彼の名はラウルス。とある噂を聞きつけて、藁にもすがる思いでこの村までやって来た『村人』だ。

 住処たるトールス村を出てからちょうど一週間。ひたすら歩き続けて、この村までたどり着いたのが先ほどの事だった。


 だが、目の前の何の変哲もない家屋を見て、彼は明らかに意気消沈していた。こんな建物の中に、彼の期待している奇跡が待っているとは思えなかったからだ。


「……いや、今更だな。駄目で元々だ」


 彼は自分に言い聞かせるように呟くと、扉の取っ手に手をかけた。


「いらっしゃいませ!」


 扉を開けたラウルスを出迎えたのは若い女性だった。赤みの強い金髪と、活発そうな瞳が印象的な美少女だ。ごく自然に浮かべられた笑顔は、彼女が接客に慣れていることをうかがわせる。


 ラウルスが単に品物を買いにきたのであれば、彼女の態度にはなんの問題もなかった。いや、むしろ好感が持てるレベルといっていいだろう。


 だが、彼の目的を考えると、その態度には場違いな感が否めない。そんな違和感に急かされるように、ラウルスは要件を切り出した。


「間違っていたらすまぬ。ここで転職ジョブチェンジができると聞いてきたのだが、間違いないだろうか」


 固有職ジョブ。この世界に生を受けた人間は必ず、生まれた時から固有職ジョブを持っている。そして、特殊な固有職ジョブを授かった人間は、一般人とは比較にならない能力を発揮することができた。


 ただし、特殊な固有職ジョブ持ちは非常に希少であり、一万人いれば九千九百九十九人は『村人』という何の特性もない固有職ジョブを持って生まれてくる。しかも、その固有職ジョブは生涯変わることはない。


 ……はずだった。


「はい、こちらで大丈夫ですよ。転職ジョブチェンジをご希望ですね」


 ラウルスは知っている。本当は、固有職ジョブを後天的に変える方法が一つだけあることを。


 それは、教会の秘奥、転職ジョブチェンジの儀式を受けることだ。だが、そのためには教会に対し多大な貢献か莫大な寄付を行う必要があり、事実上庶民には無縁の話だった。

 しかも、それだけの投資をしても成功する可能性は高くないと聞く。


「う、うむ」


 転職ジョブチェンジというからには、教会の厳かな雰囲気をイメージしていたのだが、そうではないようだ。意外感を顔に出さないように気を付けながら、ラウルスは頷いた。


「それでは、儀式の前にお客様のお話を聞かせて頂きます。こちらへどうぞ。担当が控えております」


「話……? 報酬の話か?」


 よく分からないながらも、ラウルスは少女に案内されるまま、奥にある扉の前に立った。

 少女が扉をノックすると中から返事が聞こえる。その声がまだ若い男性のものであることが、彼をさらに戸惑わせた。


転職ジョブチェンジ希望の方をお連れしました」


「ありがとう。……どうぞ、お掛けください」


 部屋でラウルスを待っていたのは、まだ二十歳そこそこであろう青年だった。この辺りでは珍しい黒い瞳と黒い髪をしている。

 上背はそれなりにあるようだが、体格のいいラウルスと比べると、横の厚みには欠けていた。


 青年はラウルスが椅子に座るのを確認すると、自らも机を挟んで向かい側に腰掛けた。


「ようこそ、転職ジョブチェンジ屋へ。私は店主のカナメと申します」


「……ラウルスだ。早速で申し訳ないのだが、一つ確認してもよいかな?」


「はい、なんでしょうか?」


 あくまで軽い微笑みを絶やさない青年に些かの違和感を感じながらも、ラウルスは正直に尋ねることにした。元々腹の探り合いは得意ではない。


「君はさきほど、『転職ジョブチェンジ屋』の『店主』と名乗ったように思うのだが、ここは教会ではないのか?」


 先程の少女といい、眼前の青年といい、彼らの物腰は宗教関係者というよりも商人のそれだった。何か怪しげな商売に引っかけられようとしているのではないか、そんな気さえしてくる。


「ああ、やっぱりそう思いますよね。……ラウルスさんが仰る通り、ここは教会ではありませんし、私は神に仕えて修行を積んだ身でもありません。

 けれど、人を転職ジョブチェンジさせることはできます。もちろん資質は必要ですけどね」


 だから転職ジョブチェンジ屋を名乗っているんです、と言った青年の言葉に嘘はないように思えた。

 そんなラウルスの心裡を後押しするように、青年は証拠を提示する。


「クルネ! ごめん、ちょっと入ってきてくれるかな」


「……失礼します」


 青年が扉の外へ呼びかけると、すぐに少女が部屋に入ってきた。おそらく扉のすぐ傍で待機していたのだろう。

 その人物はどう見ても、ラウルスをこの部屋へ案内した少女だった。


「こちらをご覧ください」


 ラウルスが何かを口にするよりも早く、少女は懐から一枚の黒いカードを取り出した。


 ステータスプレート。この黒いカードは古代文明の遺産にして、この大陸の人間なら必ず所持している身分証明証だ。当然ラウルスも所持している。


 プレートの表面には、氏名はもちろんのこと、所持者の体力や魔力、固有職ジョブや習得している特技スキルが表示されており、どういう原理か所持者の変化に応じて表示内容が変わっていくのだ。


 ラウルスが差し出されたプレートに目をやると、体力や魔力の表示はされていなかった。非表示機能を使っているのだろう。だが、そんなことはどうでもよかった。


剣士ソードマン……!? 君が?」


 彼女の固有職ジョブ項目を見て、ラウルスは思わず声を上げた。剣士ソードマン固有職ジョブ持ちともなれば、国やどこかの貴族のお抱えになって贅沢な暮らしをしている者がほとんどだ。

 それが、なぜこのような辺鄙な村でくすぶっているのか。


「私も、ついこの前までは『村人』でした。もし生まれた時から剣士ソードマンなんて固有職ジョブを持っていたら、とっくに王都へ向かっていたでしょうね」


 彼女の言葉には説得力があった。固有職ジョブ持ちは王都に集まる。国にせよ貴族にせよ、強大な戦闘力を手元に置いておきたがるのは当然であり、その結果、この国の固有職ジョブ持ちは王都周辺に集中していた。


 しかも、生まれた途端に国や貴族による争奪戦が始まるため、固有職ジョブ持ちは幼いうちから王都へ行くことが多い。

 そのため、普通ならクルネのような年齢の固有職ジョブ持ちなど、こんな辺境にいるはずがないのだ。


「あ、王都と言えば……ラウルスさん、もし転職ジョブチェンジできた場合は、その後どうするおつもりですか? やはり王都へ?」


 剣士ソードマンのプレートを目にして驚愕していたラウルスに、青年が何気ない口調で話しかけてきた。もちろん、そこに特段の含みは感じられない。


 だが、その質問の内容はラウルスにとって逆鱗とでもいうものだった。まずいと思いながらも、かっと彼の頭に血がのぼる。


「冗談ではない! 私は『村人』の固有職ジョブしか持たないが、これまでトールス村や付近の村を森のモンスターから守ってきた!

 王都でのうのうと暮らし、辺境の村と見れば助けにも来ないような恥知らずになるつもりはない!」


 ラウルスの低い声が部屋に響く。青年からすれば話のついで程度の質問だったのかもしれないが、常日頃から燻っていた不満が大声という形で噴出する。すぐに我に返ったラウルスは、青年に対して頭を下げた。


「……失礼した。つい興奮してしまったようだ。」


 しかし、とラウルスは続ける。


「この村に住む君なら分かってくれると思う。ここは私の住むトールス村と同じく、シュルト大森林と接している。

 そして、かの森に棲息する凶悪なモンスターの脅威に晒されているにも関わらず、王国からはろくな防衛戦力が派遣されていないはずだ。

 こんな状態を放置して、王都で権力争いの駒として固有職ジョブ持ちを浪費するなど、私には理解できぬ」


 結局のところ、この一帯が辺境に属していることが原因なのだ。東側は凶悪なモンスターの跋扈する森、南と西は海に囲まれており、王国の中では最南端に位置している。


 せめて海を有効活用できればよかったのだが、見事な断崖絶壁であり、港を作れるような地形ではなかったため、開発の見込みなしと王国からも見放されている状態だった。


「私は今まで、『村人』ながらも必死に修練を積み、策を練って村を襲うモンスターを退けてきた。

 だが、今年は例年に比べて明らかにモンスターのレベルが高くなっている。原因は不明だが、このままでは村を守りきれないだろう」


 口にこそ出さなかったが、彼の組織する自警団には既に犠牲者も出ていた。当然のことながら、自警団に固有職ジョブ持ちなど存在しない。

 常にぎりぎりのところでやっていたのだが、今年は森のモンスターの中でも危険とされる種が多く出現しており、明らかに自警団の対応できるレベルを超えていた。


「だからこそ、私には力が必要なのだ。万が一の可能性だとしても、もし転職ジョブチェンジできるのであれば、そこに賭けたい」


 青年の視線を真っ向から受け止めたまま、ラウルスはそう言い切った。語るべきことは語った。後は青年の言葉を待つだけだ。


「できますよ」


「……なに?」


 唐突な青年の言葉に、ラウルスの反応が遅れたのは仕方のないことだろう。本来、そんな軽い口調で話すことではないのだから。


「実を言いますと、先ほど顔を合わせた時点で、ラウルスさんが転職ジョブチェンジ可能だという事は分かっていました。

 もし転職ジョブチェンジの見込みがない人でしたら、部屋に入ってきた時点でお断りしているところです。

 転職ジョブチェンジできない方からお金を頂くわけにはいきませんからね」


 青年の言葉には一理あった。教会であれば、莫大な寄付金を懐に収めた後で『儀式は行ったが資質がなくて転職ジョブチェンジできなかった』と言うことも可能だろうが、それはあくまで教会の権力が背後にあっての話だ。

 一介の個人が同じことをすれば、詐欺師呼ばわりされることは想像に難くなかった。


「色々お話をうかがったのは、貴方を転職ジョブチェンジさせても大丈夫かどうかの判断をするためです。試すような真似をして申し訳ありませんが、ご了承ください」


 つまり、固有職ジョブの力を悪用するような人間は転職ジョブチェンジさせないということだろう。その上で『転職ジョブチェンジできる』と言われたということは、それなりに信用してもらえたということだろうか。


「さて、前置きはこれくらいにして、お金の話をさせていただきますね。もちろん、教会のように莫大なお金をもらうつもりはありませんが、私にも生活があります。

 ……そうですね、一万セレルでいかがですか?」


「一万セレルか……」


 青年は軽く口にしたが、一万セレルというと、ラウルスの感覚ではかなりの大金だった。王都ならともかく、村で質素に暮らすなら一年は生きていける額だ。

 とはいえ、教会への寄付に比べれば破格の安さであることは間違いない。


 問題は、彼の手持ちが五千セレルしかないということだった。しかもこれは、近隣の村々が『ラウルスが転職ジョブチェンジできるなら』と必死でかき集めてくれたお金だ。これ以上の工面など出来ようはずがなかった。


 そんなラウルスの苦悩を見抜いたのか、青年が言葉を続ける。


「ちなみに、今この場で一万セレルを支払ってもらう必要はありません。支払える金額を頭金にして、残りは分割返済でも大丈夫です」


「なるほどな……」


 ラウルスは考えをまとめる。今、手元に五千セレルある。先程の話からすると、残り五千セレルを数年単位で支払えばよい訳だ。


 もし本当に転職ジョブチェンジできた場合、倒したモンスターから入手できる素材を売却していけば、数年で五千セレルを稼ぐことは充分可能だろう。そう判断すると、ラウルスは青年に声をかけた。


「ここに五千セレルある。残りは君の言う通り、これから時間をかけて支払っていくつもりだ。そうだな、長く見積もっても十年はかからないだろう」


「……分かりました。それでは、五百セレルを十年払いにしましょう」


 ラウルスが取り出した五千セレル分の貨幣を確認すると、青年は契約書を取り出した。まず、青年が署名し、続いてラウルスに契約書と羽ペンを手渡してくる。


 書面の内容に目を通し、不審な点がないことを確認すると、ラウルスは署名を行った。その際、青年のフルネームが目に入る。


(カナメ……モリモトと読むのか? 妙な名前だが、どこの出身だろうか。)


 そんな事を考えながらも、署名した契約書を青年に返却する。どこの出身であれ、自分を転職ジョブチェンジさせてくれるのであれば問題はない。


 当初は慇懃な態度を怪しんでいたものの、その後のやり取りから、ラウルスは彼を信じてもいいような気がしていた。

 根拠があるわけではないが、自分自身の勘には何度も助けられている。ならば今回もそれに従うだけだ。


「……たしかに。それでは、転職ジョブチェンジを行います」


 青年は契約書を確認すると、ラウルスに向き直った。その直後――。


 ドクン、という大きな鼓動とともに、自身の身体の奥から何かが湧き出してくる。そして、その何かが身体の隅々まで行きわたった瞬間。


 ラウルスは、自分が固有職ジョブを得たことを悟った。


「これが……固有職ジョブの力なのか……」


 ラウルスは信じられないという面持ちで、自分の手の平を見つめた。見た目は何も変わっていない。四十年近く付き合ってきた自分の身体のままだ。

 だが、それが信じられないくらいに今のラウルスの中には力が溢れていた。


 これが固有職ジョブの力だというのなら、ろくにトレーニングもしない固有職ジョブ持ちが、たやすくモンスターを狩っている現実にも納得ができる。


 ラウルスは青年の許可を得て、その場で愛用のグレートソードを鞘ごと振り回してみる。軽い。かなりの重量を誇る愛剣だったのだが、まるで重さを感じない。

 むしろ、武器が軽すぎて戦闘時の感覚が狂うのではないかと心配になるくらいだった。これだけの力があれば、もう犠牲者を出さずにすむ。


「まさか、これほど劇的に変わるとは思わなかった……! 店主、いやカナメ殿、本当に感謝する!」


 ラウルスは青年に向かって深々と頭を下げた。


これは奇跡だ。このカナメという青年の能力は、『村人』として生を受けた人間にとって大きな希望となるだろう。

 その希望は『村人』は死ぬまで『村人』であるという、この世界に漂う諦念を吹き飛ばせるかもしれない。ラウルスは胸中にそんな思いを抱いた。


 ふと思い出して、ラウルスは懐から自分のステータスプレートを取り出した。見慣れた黒いカードには、見慣れた自分の名前と、そして戦士ウォリアーという固有職ジョブ名が記されていた。


「うーん……」


 ラウルスがステータスプレートを確認していると、後ろから声が聞こえてきた。いつの間にか、青年が背後に近づいてきていたらしい。彼はなぜか不思議そうな表情を浮かべると、やがて口を開いた。


戦士ウォリアーでしたか。感触的には、もう少し特殊な固有職ジョブを引っ張ってきた気がしたのですが、違ったようですね」


 そういうと、彼は首を傾げていた。捉えようによっては失礼な言葉だったが、彼に心から感謝しているラウルスには、まったく気にならなかった。


「なんの、私には戦士ウォリアーで充分すぎるくらいだよ。剣士ソードマン槍使い(ランサー)のように得物を制限される固有職ジョブよりも、むしろモンスターに合わせた武器を使用できる戦士ウォリアーのほうがありがたい」


 そう言い切った彼の言葉に嘘はなかった。たしかに、剣同士での戦いをすれば剣士ソードマンの方に軍配が上がるが、戦士ウォリアーの特性はあらゆる武器を使用できるところにある。


 自警団のリーダーとして様々な武器を駆使し、モンスターから村を守っていたラウルスからすれば、戦士ウォリアー固有職ジョブを得たことは非常に喜ばしいことだった。


「カナメ殿、この恩は決して忘れぬ。残りの五千セレルも、できるだけ早く支払うと誓おう」


「喜んでもらえて、私も嬉しいです。固有職ジョブを得た以上心配ないとは思いますが、道中お気をつけて」


 ラウルスは頷くと、恩人に別れを告げて退室する。家屋の出口まで案内してくれたのは、先程の剣士ソードマンの少女だった。








「……店員を兼ねているようだが、君はカナメ殿の護衛なのだろう?」


 玄関の扉を開けてくれたタイミングで、ラウルスは少女に話しかけた。


 普通に考えて、固有職ジョブ持ちの彼女をただの店員として雇うなど、凡そあり得ない話だ。異能を持つ彼の護衛だと考える方がよっぽどしっくりきた。


「私が言うのもおかしな話だが、彼をよろしく頼む。彼はこの世界に大きな影響を与える存在になるような気がするのだ。

 もし何かあれば、私もできる限り君たちの力となろう」


 カナメの能力は有用すぎる。その力を悪用しようと企む輩は必ず現れるだろう。モンスターだけでなく、ならず者をも相手にしてきたラウルスにとって、それは確信だった。


「ありがとうございます。私たちもそのつもりです」


 はっきり答える彼女の態度に好ましいものを感じながら、ラウルスは転職ジョブチェンジ屋を後にした。


 周囲に目をやれば、兎が草を食んでいるのが見える。それは、実にのどかな光景だった。この穏やかな暮らしを守るのが自分の使命だと、ラウルスは思いを新たにする。


「ん? あれは、まさか……?」


 平和そうにもそもそ動いている兎を眺めていたラウルスだったが、ある事に気付いた。そこにいたのは、森の奥深くでしか見られないという妖精兎フェアリーラビットだったのだ。


 妖精兎は幸運の象徴とされ、目にしたものは幸運に恵まれると言われるが、その生態のため実際に目にした者はほとんどいない。仕事柄、森に入ることの多いラウルスですら、初めて目にしたくらいだ。


「……これは幸先のいいスタートだな」


 彼は機嫌よく呟くと、村の方角に目をやった。視線の彼方にある村では、ラウルスの妻をはじめ、多くの村人が彼を待ちわびているはずだ。


 この村で起きた事をどう説明しようか。そんな事を考えながら歩く彼の足取りは、非常に軽かった。




 これが、後に『辺境の守護者』と呼ばれる男と、とある異邦人との、長い付き合いのはじまりだった。




―――――――――――




「うう、疲れた……」


 お客さんが部屋から出て行ったのを確認すると、俺はそのまま机に突っ伏した。


 転職ジョブチェンジ屋を開業してからはや一か月。この世界に来た時からカウントすると、一か月よりもう少し長くなるだろうか。


 詳しいことはよく分からないが、日本でなんとか社会人生活を営んでいた俺は、この世界の魔術の実験台にされたらしい。しかも実験主が残念なマッドサイエンティスト系で、勝手に人を実験台にした挙句、期待外れだと叩き出される始末だ。


 その後、転移魔法で辺境の森に飛ばされたり、死にかけたり、転職ジョブチェンジの能力に気付いたりして、現在に至っている。


「カナメ、お客さん帰ったわよ。……なんでそんなに疲れてるの?」


 俺が自分の世界に浸っていると、クルネが部屋に入ってきた。背はそんなに高くないが、均整のとれた手足、整った容貌を持つ彼女は、間違いなく美少女のカテゴリーに入るだろう。

 赤みの強い金髪を軽く結い上げているのがよく似合っている。そのクルネに、俺は胸をはって答える。


「ただでさえ、人と話すことで精神力を消耗するのに、あんな筋骨隆々の巨漢を前にしたら消費量が二倍じゃないか。疲れ果てるよ」


 俺は元の世界で外食業に身を置いていたため、接客モードの仮面ペルソナの一つくらいは持ち合わせている。

 接客モードだと、素の自分じゃ言えないことも軽く言えるし、ちょっと二重人格なんじゃないかと思うくらいだ。


 だが、俺の性根がヘタレなことに変わりはなく、接客モードで無理をしている分、その後ぐったりしてしまうのは仕方ない事だろう。そんな俺にクルネは呆れ顔だ。


「ラウルスさん大喜びしてたし、そんなに構える必要はなかったと思うけどね……。帰り際にもカナメの事をよろしく、って私に言い残して出て行ったわよ」


 む、ラウルスさんそんな事を言ってたのか。顔はちょっと怖かったけどいい人だな。好感度を上方修正しておこう。


「……というか、純粋な戦闘能力なら、逞しくても『村人』だったラウルスさんより、剣士ソードマンになった私の方が上だと思うんだけど、それは気にならないの?」


 クルネが、この世界にとっては当たり前の質問をしてくる。


 そうなんだよな。未だに慣れないけど、どんなに筋肉ではちきれんばかりの大男でも、固有職ジョブが『村人』である限り、常識的なレベルの強さしか持てないのがこの世界の法則だ。


「クルネはどう見てもかわいい女の子にしか見えないからなぁ。それを警戒しろというのは、さすがに無理があるよ」


「え、あ、そ、そうよね、カナメは私に慣れてるものね! ……と、ところで今日はどうするの? 一件成約したし、ちょっと早いけど閉店する?」


 あ、クルネが照れた。からかうと面白いんだけど、あんまりしつこいと怒られそうだし、今日はここまでにしておこう。

 窓から外を見ると、たしかにもういい時間だった。


「うん、もう夕方になるし、閉めようか」


 日本で朝から晩まで働いていた時の感覚からすると、我ながらゆるくなったものだとしみじみ思う。だが、お客さんが来る見込もないのに店を開け続けるなんて、それこそ不経済というものだろう。


 幸い、お金に余裕はある。元々は生活費を捻出する為に開業した転職ジョブチェンジ屋だったが、正直な話、実入りはいい。

 教会でも転職ジョブチェンジできるけど、こっちはあり得ないレベルの寄進を代償に求めるらしいからね。


 おかげで、自分では割高だと思う価格設定でも、お客さんからすれば破格の安さなのだという。

 まあ、転職ジョブチェンジできる資質を持ったお客さんなんてそういないから、そんなに大儲けしているわけではないけれども。


 閉店を決めると、クルネがてきぱきと閉店作業を始めた。実家がお店をやっているだけあって、非常に手際がいい。


「それにしても、本当に一瞬で五千セレルが稼げちゃうんだね。雑貨屋の娘としてはなんだか複雑な気分だわ」


「もっと安くしてもいいんだけど、俺にも目的があるからな。できればこの価格設定は維持したい」


 俺が自分でも高めだと思う価格設定を敢えて行っている理由。それは、俺をこの世界に召喚した魔術師を探し出すための費用を稼ぐ必要があるからだ。


 俺は元の世界に戻るつもりでいる。お世辞にも楽しい世界だとは言えないが、向こうには親兄弟や友人、同僚がいる。今まで世話になった彼らに、不義理をするのは躊躇われた。


 クルネには、俺が異世界から来たという事は伝えていないが、魔術実験で他の大陸からこの地へ飛ばされてきたと説明しているから、大陸への帰還の為に、魔術師の情報を集めていると思っているはずだ。


「もちろん分かってるわよ。ところで、情報収集はうまく行ってるの?」


「さっぱりだよ。……魔術師の名前は分かっているのになぁ。せめて、王都に行けば情報も集めやすいんだろうけど……」


「遠いもんね」


「だな……」


 このルノール村は誰もが認める辺境であり、入手できる情報も非常に少ない。だが、この村から王都までは、馬車で一ヵ月ほどかかる。

 将来的には王都へ移ることも視野に入れているが、いくつか気がかりな事もあるため、まずはこの村で足場を固めるつもりだった。







 クルネと共に閉店作業を終えると、俺は店の扉から顔を出して辺りを窺った。


「お、いたいた」


 俺の視線の先には一匹の兎がいた。俺には普通の白いもこもこした兎に見えるが、なんでも妖精兎フェアリーラビットと呼ばれるレアな動物らしい。


 兎は俺に気付くと、ぴょこぴょこ跳ねてこっちへやってきた。足元まで近づくと一気に跳び上がり、当然のように俺の肩に着地する。


「キャロちゃん、たまには私の肩にとまってくれてもいいのに……」


 振り返ると、いつの間にかクルネが後ろに立っていた。ちょっと拗ねているように見えるのは気のせいだろうか。


 この妖精兎は、俺が異世界に飛ばされてから初めて得た相棒だ。とりあえずキャロと名付けている。

 妖精に近い特性を持っており、基本的に人前に姿を現すことはない種族だが、どうもこいつは例外らしい。人に見つかっても実に堂々としたものだ。

 ……兎にキャロと名付けるセンスについては、ノーコメントとしたい。


 俺、クルネ、そしてキャロ。この二人と一匹が、現在の転職ジョブチェンジ屋の店員ということになる。店を拡大する予定はないから、当分はこの陣容でやっていくつもりだ。


 このまま転職ジョブチェンジ屋でお金を貯めて、俺を召喚した魔術師、もしくはそれに匹敵する実力のある魔術師の力を借りて、元の世界に帰還する。


 最初はどうなることかと思ったが、転職ジョブチェンジの能力があったおかげで意外とスムーズに進みそうだ。この分なら、日本への帰還もそう先の話じゃないだろう。




 ――それが甘い考えだと思い知ったのは、そう遠くない未来の話だった。


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