院長雑感(南の風)

平均寿命の延長は喜ばしいことだが・・・(後)(2015/08/24)

 日本の皆保険制度は素晴らしいものであることは誰しもが認めるところだが、財政は限界に来つつある。例えば、透析に関していえば、イギリスのように60歳以上は新規に透析導入を控えるとか、ドイツのように60歳以上は医療保険の対象から外すといったことを行っている国もある。ところが日本は低額(患者負担は月額1万円)で年齢制限等もなく。いくつになっても透析が続けられる国である。もちろん社会的活動性の高い人々に対して、単に年齢が来たからと直ちに打ち切るというのも理不尽な話ではあるが。
 今後日本の高齢化で最も深刻になるのは、認知症に関することである(上昌広さんによるMedical ASAHIの記事)。
 アメリカ(NIHに研究費として302億ドルを配分)をはじめとして全世界で治療薬の開発が急がれているが、いまだ特効薬は出現していない。またアメリカでは認知症に対して安楽死を認めるべきだという議論や、アルツハイマー病になりやすい遺伝的素因を持っている人はそうでない人に比べて、長期介護保険に加入する可能性が高かったと報告している。さらに「究極の認知症予防として、発症する前にがんで死ぬこと」が真剣に議論されてきているという。私も漠然とは「ありうる話だろうか」と考えていたが、上さんの研究室に勤務する50代の女性(独身)の声を紹介している。
 この女性、80歳代の母親と二人暮らしであるが、「現在はがん検診を受けていますが、母親を看取ったら止めるつもりです」という。彼女はがんで死ぬメリットを「診断されてから死亡するまでに時間的余裕があり、会うべき人に会い、遺言や遺産分けを準備することもできる」と説明する。彼女にとってがんは、尊厳を維持しながら一生を終える手段なのである。
 もっとも最近ではがん健診を受けることで、早期にがんが見つかれば内視鏡的な切除などで簡単に治癒できる症例も増えてきており、この女性の発言は確かに極端だと思う。特に当院のようにがん医療を旗印にしている病院で、そしてがん健診を促進している病院でこのような話を紹介すること自体不謹慎なことになるが、さまざまな考え方が世の中にはあるということである。
 また行き過ぎた延命治療に関しても、難しい問題を抱えている。私もその当事者の一人であったが、母の延命治療に関して抜き差しならぬ問題に直面しつつあった。母は95歳で、脳出血で脳死に近い状態で、当初は数日の命と告げられたが脳ヘルニアの状態が収まると、バイタルは動揺していたが一定の安定を保っていた。患者本人も家族も延命治療は望んでいないにもかかわらず、もし長期療養施設に移るとなると胃瘻造設が条件になると聞いていた。一日でも長く生きてほしいという思いとのジレンマである(結果的には18日に、静かに浄土へと旅立ったのだが)。
 医師だった義父はがんで亡くなったが、亡くなる寸前まで意識があって、また自らの病院で終末が迎えられたので自分の意思で点滴などの栄養補給を絶つことが可能だった。今でも「いい死に方」だったと考えている。
 この問題は、日本特有の「命は地球より重い」といドグマの前では議論しにくい問題であるが、超高齢社会の進む現実を前にするとき避けては通れないことである。


南風病院画像診断センター政記念消化器病研究所病院広報誌「南風便り」