2019年4月10日

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琉球大学元教授の宮里政玄先生が逝去されました

2019年4月8日,国際政治学者で本学元教授の宮里政玄先生がご逝去されました。

宮里先生は,本研究所所属の我部政明教授や研究仲間の方々と立ち上げた沖縄対外問題研究会において、つい最近まで日米関係と沖縄の基地問題等の研究に精力的に取り組んでおられました。

また数年前には,琉球大学のアメリカ研究の発展に役立ててほしいと,本研究所に多額のご寄附をくださいました。その寄附金は,現在「宮里政玄基金」として、本研究所におけるアメリカ研究・日米関係研究に活かされています。

本研究所の研究に対する宮里先生のご厚志にあらためて感謝申し上げますとともに,謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

合掌

 

 

【追悼 宮里政玄先生】

 

宮里政玄先生が、2019年4月8日未明に永眠されました。その日の昼には、入院されていた病院からご自宅に戻られました。最後だと思い、お顔を見ながらお別れを伝えようとご自宅へ伺いました。とても安らかな表情をしていました。昼寝をしているようだと、長年連れ添った恒子さんがおっしゃっていました。

宮里先生は、アジア太平洋戦争の端緒となった満州事変の起きた年に、沖縄の今帰仁にて生まれました。当時の沖縄県立第3中学校(現在の名護高等学校)在籍中に、沖縄戦を迎えます。同級生の一部が軍属(日本軍の指揮下で編成された旧制中学生からなる護郷隊)として動員される中、確か誕生日が遅いため、先生は帰郷を命じられたそうです。その後、今帰仁にてご家族とともに、戦争を生き延びました。

沖縄戦の最中に目撃したことを、先生が話してくれたことがありました。例えば、日本軍の将校に指揮された一団が逃げるとき、着物をきた女性たちを連れていたこと。きっと日本人慰安婦だったのでしょう、と。戦場で戦うことに全力を尽くすべきとき、10代の少年の目には日本軍の弱さが感じられたのだろうと思います。また、朝鮮半島から連れられて来た韓国・朝鮮人たちに対する日本軍兵士の扱いは、殴る、蹴るなど非人道的であったと話していました。こうした暴力を受けた人々は決して忘却しない、とも語っていました。

さらに、戦場のリアリティーを感じさせた話があります。除隊してきた村のある男が、避難する村人たちに話していたことの一つです。銃弾の音が聞こえるときは、こちらには飛んでこないから、その時に逃げろ、と。銃弾に当たるときは、音は聞こえない、と。激しさに関係なく、銃弾は音よりも先に進みます。銃声が聞こえたときに銃弾はすでに届いている、というリアリティーです。考えてみれば、当然な現象です。

沖縄戦の経験は、生き延びた人々にとって、リアリティーに基づく教訓であると思います。それらを情緒的でなく、感傷的でなく、道徳的でもなく、思考のなかでより現実を知る術として獲得し得ます。その現実のなかで、どのように生き抜けばよいのか、あるいは現実をどのようにすれば変えていけるのか。それが、宮里先生の原点であり、生涯、考え抜いてきたことのように思います。

宮里先生は、ポリティカル・リアリズムという1950年の国際政治学の思潮に触れ、研究者の道に入ります。そのリアリズムによれば、戦争は軍事的緊張をコントロールできずに起きてしまった結果だといいます。そのコントロールの基準は国益にある、というのです。国益を守るためには、国益に寄与しないことに関しては妥協をすることが必要だ、との考え方です。国益とは、論理的かつ客観的に存在するものだと指摘されます。パワーがあるのか、あるいはないのかによって、その国の利益が規定されるのです。国益の増大を図り、ときにそれが減じないようにするための叡智が必要となる、と。平和な状態を維持することは、明らかに国益であります。だとすれば、平和な状態を生みだすための不断の努力が求められるのです。

パワーを持つ国の多くは、軍事力でもって威圧すれば、自らの利益を増大できると過信しがちです。その結果、国益を無視してでも、ある特定の利益追及に走り、戦争への道をいとも簡単に選択しまうのです。その過信から逃れるためにこそ、国民が生みだすポリティカル・ウィル(政治的意志)にもとづく判断と行動が不可欠となる、と考えます。

確かに、宮里先生はポリティカル・リアリズムを離れて、政策決定モデルや相互依存モデルを使った研究へと展開しました。また、沖縄の米国統治や日米関係を対象としてアメリカ外交の合理性と矛盾を明らかにしてくれました。とはいえ、リアリズムでは著名なハンス・モーゲンソの薫陶を受けたアドバイザーの下で学んだ知的枠組みは、その後も健在だったと思います。

沖縄の平和を考えるとき、沖縄の人々のポリティカル・ウィルが不可欠となります。そして、行使できる沖縄のパワーとは何か,という問いへと立ち戻ることが必要となります。

宮里先生の築き上げた学問全体を紹介するには、いまの私には不可能です。私の理解できたところからの視点で、宮里先生の研究から学ぶべきことを記してみました。

(がべ・まさあき、国際政治学)