38歳、女性右翼活動家がアメリカと断固闘い続ける理由

右翼と愛国──若き活動家の主張

行動右翼、伝統右翼、新右翼、宗教保守、ネット右翼・・・・・・一口に「右翼」といっても政治信条・思想から活動形態・行動スタイルまで多種多様である。問題作『ネットと愛国』から7年余──ノンフィクションライターの安田浩一氏があらためて「右翼」をテーマに挑んだ新刊『「右翼」の戦後史』。刊行を機に、若き活動家の実像に迫った。

アメリカの正義を疑う

戦闘服に戦闘帽、黒い編み上げブーツ。右翼活動家としての、それが彼女の"正装"だ。

仲村之菊(みどり)。38歳。──右翼団体「花瑛塾(かえいじゅく)」(本部・東京都)の塾員である。同塾では"副長"の肩書を持つ。

その日も、仲村はたったひとりで沖縄の米軍基地ゲート前にいた。

"コワモテ"をイメージさせる装いだが、上半身を包むトレーナーには「米国の正義を疑え!!」という文字がプリントされている。

彼女は基地と道路の境界線を示す"イエローライン"に仁王立ちした。脇に抱えたトラメガ(拡声器)のスイッチを入れると、米軍基地に向けて、恒例の街宣活動を始めた。

 

「私の声に耳を傾けてください」

穏やかな声だった。よくある絶叫調のアジ演説ではない。

一語一語を丁寧に区切り、目の前の人に語りかけるような口調だ。

「私は沖縄の美しい海を守りたい。森を守りたい。子どもたちが安心して生きていける沖縄であってほしいと思っています」

「沖縄の痛みを理解したいと思う。戦争の傷痕、記憶に思いを寄せたいと思う。そして、基地のない島を目指す沖縄の人々に寄り添っていきたいと思います」

街宣時に着用するトレーナー

「どうか、一緒に考えていただけませんか」

仲村は、米軍の新基地建設に対する抗議を訴えていた。

周囲に人の姿はほとんどない。

演説を聞いているのは、ビデオカメラを回しながら彼女を監視している基地の警備員だけだった。

仲村は毎回、市民が座り込む場所から離れたところで抗議活動をおこなう。

「基地に反対する人々の中には、右翼と一緒に見られるのは嫌な人もいるだろうから」という彼女なりの"配慮"でもあった。

時折、頭上をオスプレイがバタバタと独特の轟音をまき散らしながら通過する。

仲村は空を見上げる。そのたびに、戦闘帽の一部がキラキラと光る。

よく見れば、戦闘帽の正面には、まるで記章のように、熊の顔をデザインしたガラス製のブローチが付けられていた。

南国の陽を受けて、多面体のガラスからプリズムが生まれる。繊細な光の放射だけが、仲村の穏やかな演説を唯一盛り立てていた。

30分間の街宣活動を締めくくったのは、次のような言葉だった。

「どうか、一緒に考えていただけませんか。沖縄の人々の思いを拒絶しないでほしい」

仲村は監視の警備員に向けて、ぺこりと頭を下げた。