トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

ケーシー高峰さん死去 肺気腫85歳 お色気「医事漫談」で人気

2019年4月11日 紙面から

85歳で死去したケーシー高峰さん

写真

 アダルトな艶っぽい「医事漫談」で人気を集め、映画やテレビドラマの名脇役としても活躍したタレントのケーシー高峰(けーしー・たかみね、本名門脇貞夫=かどわき・さだお)さんが8日午後3時30分ごろ、肺気腫のため福島県いわき市の病院で死去した。85歳。山形県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻詠子(えいこ)さん。

 日大芸術学部を卒業後、司会業を経て漫談家に。バラエティー番組に出演し「セニョール」「グラッチェ」などのスペイン語を交えながら、白衣を着てお色気混じりで医学の知識を紹介する医事漫談で親しまれた。

 その後、俳優としても活躍。1970年「喜劇 冠婚葬祭入門」で映画に初出演し、「遠雷」(81年)「楢山節考」(83年)「塀の中の懲りない面々」(87年)などで個性を発揮した。ドラマにも数多く出演し、「夢千代日記」(81年)「木更津キャッツアイ」(02年)などで脇役として存在感を示した。

 日大芸術学部へは、医学部からの転部。医者にならなかったため、別の形で親に恩返ししようと舞台で白衣を着たことが医事漫談を始めるきっかけとなったという。芸名は、1960年代に日本でもヒットした米国の医療ドラマ「ベン・ケーシー」をヒントにした。

 舌がんを発症し、2005年5月に手術。「舌白板症」の患部を摘出し舌を約20針縫った。翌月に退院し、すぐに仕事復帰。テレビ番組の収録の際に共演者から花束を贈られると「タンキュー、ベロマッチ」とオヤジギャグで和ませた。さらに「手術でまたネタが広がったよ」と話すなど、芸への貪欲な姿勢で周囲を驚かせた。30年ほど前に福島県いわき市に移住。近年は活動も少なくなっていたが、親交のあったタレント植木等さんの「さよならの会」(07年4月)や、ウクレレ漫談家牧伸二さんの「お別れの会」(13年11月)に出席。牧さんのお別れの会では発起人の一人に名を連ね、あいさつ。牧さんの漫談を絶賛し「いつかは超えてやろうと思っていた矢先ですよ…残念です」と語っていた。

◆地元・福島県の復興貢献…4年間TVレギュラー務める

 ケーシーさんは2011年の東日本大震災以降、地元福島県の復興に、闘病中にもかかわらず、精力的に貢献していた。

 ケーシーさんは震災後の14年7月から昨年7月末まで地元、福島中央テレビが放映していた各地を紹介する番組「グラッチェ ふくしま」(毎週土曜)にレギュラー出演していた。県内各地に出向いていろんな人に触れ合う5分間番組だ。

 担当の杉原和義プロデューサー兼ディレクターに思い出を聞いた。

 「師匠(ケーシーさん)は昨年4月ごろ、体調が悪くなり、鼻にチューブを差していたので、『師匠、ロケはそのままでもいいですよ』と言ったら、『そうはいかない』とカメラが回るとチューブはなしで収録に臨んでいた。プロ根性を見せてもらいました」。収録は一カ所で15分程度だが、「実は、3分の2はちょっと放送できない“スケベ話”で、編集に苦労しました。スタッフとランチとかに行っても、いつも漫談で、表裏のない師匠でした」と重ねた。

 昨年6月29日の三春町が最後のロケだった。「本当につらそうな状況だったので、『当分お休みしましょう』とお願いしたところ、何とか納得してもらったが、師匠は『まだやる』との気持ちが強く、我々の中では終了ではなく、“一時お休み”という感覚でした」と打ち明ける。

 同局のHPには10日、「ケーシー高峰さん ありがとうございました」とのメッセージがアップされ、200回を超えた「グラッチェ ふくしま」の総集編を14日午後の番組で放送、師匠を追悼する予定だ。

 一方、いわき市の名産品として栽培・販売されている「いわきゴールドしいたけ」を手掛ける生産組合や、そのしいたけを原料にした焼酎をPRするテレビCMやポスターにも震災以降登場し、同市職員も「地元ではみなさんに知られた存在でした」と話す。

 焼酎を販売する会社の女性社員は「本社がケーシーさんの近所ということもあって、協力を依頼し、一役買ってもらったと聞いています。いろんな地元のイベントにも登場していただけに、亡くなられたのは残念です」と惜しんだ。

  (三橋正明)

◆BS朝日で追悼番組

 ケーシー高峰さんを追悼して、BS朝日は「お笑い演芸館+」(18日午後9時)の内容を差し替えて放送する。18年1月に放送されたケーシーさんが出演した番組の再放送。ケーシーさんは、おなじみの黒板を使った医療漫談を披露していた。同番組は、お笑いコンビ「ナイツ」が司会を務め、幅広いジャンルのお笑いを網羅している。

◆閻魔を笑わせてやって

 落語家桂文枝(75)が10日、ケーシー高峰さんの訃報を受け自身のブログで「閻魔(えんま)を笑わせてやってください」などと追悼した。

 文枝は「彼岸に旅立たれました。白板を前に少しエッチに。よくまあ、あんなこと考えるなぁと」とケーシーさんの芸を称賛。さらに「1つのスタイルをかたくなに守るのも難しいですよね」などとつづった。

◆笑いセンス大好きでした

 映画「プロゴルファー織部金次郎」でケーシー高峰さんと共演した歌手・俳優の武田鉄矢(69)が10日、コメントを発表。

 同作は、武田が原作で主演を務めた思い入れある作品。武田はケーシーさんについて「近所のマッサージ師・多古先生を楽しく演じていただきました(パート2からパート5)。ケーシーさんはどのシーンでも懸命に笑いを探す人で本当に頼りになる役者さんでした。私はこの人の笑いのセンスが大好きでした」と振り返り、「この人には浅草軽演劇の品のいい香ばしい人肌の香りがするのです」と人柄をしのんだ。

◆近づけない雲の上の方

 漫談家の綾小路きみまろ(68)はケーシーさんの悲報を知り、「一瞬頭が真っ白になり時間が止まった感じがしました」とショックを隠さず、「若いころはとても近づけない雲の上の方でしたが、ブレーク後はありがたいことに舞台やテレビ番組の対談などでご一緒させていただきました。大切な思い出としてずっと大事にしていきたいと思います」などとコメントした。

 

この記事を印刷する

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ