巨人・吉川尚の超人的な守備範囲に負けじと、3年ぶりに先発の三ツ俣は美しいバックトスを披露した。この日の二塁手には、チケット代を払うだけの価値があった。
中日内野陣が完成させた併殺は3つ。2回、無死一塁。走者のゲレーロはスタートを切り、陽岱鋼はゴロを打った。一瞬、三ツ俣は逆をつかれかけたが踏みとどまって捕球した。下からのトスでは間に合わない。あきらめて一塁に投げるか…。そこからのバックトスで間一髪、封殺し、受けた京田が一塁に転送した。
「見た?」。30秒後に送ったメッセージに、5分後折り返し電話があった。「髪を切ってました。何かありました?」。荒木コーチ、美容院行ってる場合じゃありません! 三ツ俣がね…。
「そうっすか。バックトスなんて僕は年に1回あるかどうかでしたね。あいつはファームでは一番守れる男ですから」。名手ですら年イチのビッグプレーを、1年半ぶりに1軍戦に出た三ツ俣がやってのけた。
「京田は『ファースト!』って言ってましたが、僕は間に合うと思ってトスしました」。三ツ俣には確信があったが、流血した右手でのトスだったのだから舌を巻く。1回に走者の丸に右手を踏まれて裂傷。治療のためベンチ奥に引っ込んだが、やっとつかんだ出番を打席にも立たずに終われない。アドレナリンで血を止めた。
バックトスの草分けは、何といっても高木守道だ。名人芸を覚えたのは1962年。日系2世の半田春夫(カールトン半田)から手ほどきを受けた。少しでも速く、少しでも美しく…。だが、その裏にある努力は泥くさい。壁に投げた球を捕り、右側の防球ネットにバックトスをする。二遊間を組んだ一枝修平さんから、こんな話を聞いたことがある。
「守道はな、モノも言わんと、むちゃくちゃな数をこなしながら、丁寧に時間をかけてやっとったわ」。芸の道は一日にしてならず。2軍で積み重ねた練習があったからこそ、三ツ俣のバックトスは決まったのだ。