今回から最終章に入ります
第90話 甘い毒
蒼の薔薇の王都での常駐宿の一室。
そこに全メンバーが揃い話し合いを行っていた。
「戦争止めるはずだったのに。まさかこんなことになるなんて……」
「法国と三国連合の戦争か。ま、聖王国での件が知られたら遅かれ早かれこうなっただろうし、それに姫さんの話では元から法国は王国に戦争をふっかけるつもりだったんだろ? それが早まっただけじゃねぇか」
頭を抱えるラキュースにわざとらしい軽口を返すガガーラン。その気遣いに、ラキュースは苦笑を浮かべて顔を持ち上げる。
「ありがとうガガーラン。でも、私たちが調べた情報によって、王国が戦争に直接介入する事になってしまったのは事実よ」
「それがよく分からんのだが、王国はなぜあの手紙で戦争に介入することを決めたんだ? 法国が第一王子を利用して王国に戦争を仕掛ける気だったのは分かったが、その前に帝国が法国に対して宣戦布告をしたのなら、法国も王国に戦争を仕掛ける必要はなくなるだろう? それなら帝国と聖王国の二国同盟の協力者というおいしい立場にもなれたはずだ。それをわざわざ三国同盟にする意味は何だ?」
直接手紙を届け、その足で再びこの宿に転移で帰還したイビルアイが疑問を投げかける。
ラキュースが答える前に、ティアがイビルアイの真横に移動し肩に手を置いた。
「それは甘い」
「とても甘ちゃん」
反対側にティナも移動し左右から声をかける。
「確かに今回のことで法国は王国に戦争を仕掛ける作戦は中止するだろうけど、第一王子、つまりは貴族派閥が八本指と通じているのは事実」
「王派閥にもいるかもしれない」
「それを考えると法国は帝国や聖王国ではなく自分たちに協力するように言ってくる」
「あの王にそれを退ける力はないってことか?」
「んー、それもあるけど。たとえ断れたとしても貴族派閥だけが法国に荷担する可能性もある。法国としては王国がその対処に追われて二国に協力しないだけでも意味があるから、そうなったら王国はおいしい立場どころか、そのまま国を二分する内戦に発展しても誰も助けてくれなくなる」
「でも、先に三国同盟を組んでさえいれば、例えそれに反発した貴族派閥が蜂起しても、同盟者として帝国と聖王国も協力する必要がでてくる」
「……なるほどな。だから初めから三国同盟にしておいた方が得と言うことか。まあ魔導王の宝石箱が同盟側についたのならば、勝ち馬に乗る意味でもそちらについていた方が確実なのは間違いないしな」
「でも、私たちの行動が戦争介入のきっかけを作ったと知られたら……やっぱり組合から、なにかしらのペナルティは受けるわよね」
ラキュースとして一番心配なのはそこだ。
王国貴族としてのラキュースから見れば、今回の件は王国のためには良い選択だと思う。
しかし、冒険者には戦争や政治に介入しないと言う大原則がある。組合を通さないラナーからの個人的な依頼によって蒼の薔薇が動き、王国を戦争に駆り立てたと知られたら、ただでさえ自分とラナーの繋がりが疑われている現状、どんな
自分だけならば甘んじて受けもするが、仲間にも迷惑が掛かることをラキュースは危惧していた。
「まあ。前から結構危ない橋渡ってきたしなぁ」
八本指の調査をラナーから頼まれ、麻薬を栽培していた畑を幾つか燃やしたことを初めとして、今まで蒼の薔薇はラナーからの個人的な依頼を、冒険者組合を通さずに何度もこなしてきた。
それらも考え方によっては、冒険者が国家の問題に手を貸しているも同然だったが、それが表沙汰になることは今までなかった。
しかし今回は急ぎであったことと、本店には直接転移できないため一度カルネ村に立ち寄りそこから本店に連絡して貰い移動したことで、多くの人目に付いてしまった。
カルネ村の受付にはいつの間にか、酒場と食堂が一緒になった施設が併設されていた。本店に招かれた招待客の従者や護衛の者たちは、そこで歓迎を受けていたらしい。
その者たちの前ではっきりと、蒼の薔薇のイビルアイと名を呼ばれてしまったため、その正体が知られてしまった。
本店は会員制であり、蒼の薔薇が店の会員ではない以上、何らかの仕事で出向いたことは容易に想像がつく。
その後、王国が三国同盟を結び法国に宣戦布告をしたことが広まれば、以前からラナー、つまりは王家との関係が疑われていた蒼の薔薇は組合から完全に目を付けられることになる。
「あの村の受付も勘が働かないな。あんな大勢の前で名を呼ぶこともないだろうに」
その原因の一端を担ったカルネ村に対し、イビルアイは憤りを向けているが、店からすればそれが手順なのだから、仕方ないと言える。
どちらにしろ、冒険者チーム蒼の薔薇のことを考えるなら、もうラナーからの依頼は受けず、冒険者本来の仕事に精を出すべきだろう。
それはわかっているのだが、それでもラキュースはもう一つやらなくてはならないことがある。
だがそれを蒼の薔薇全員で請け負ってしまったら、もはや言い逃れは出来ない。だからこそ、ここから先はあくまでラキュースが個人として行わなくてはならない。
(あの娘は今から一番危険な立場に置かれる)
貴族派閥の中には、ラナーを娶ることを条件に参加してる者も多いと聞いている。
本格的に王派閥と貴族派閥で内乱が起こるのならば、派閥から鞍替えする者を出さないように、バルブロはなんとしてもラナーの身柄を確保しようとするだろう。
王宮を知り尽くしたバルブロと、八本指という国内の隅々まで指を伸ばしている犯罪シンジケートの力を使えば、王家の護衛も容易く突破されてしまうに違いない。
だからこそ、彼女の身は自分が守らなくてはならない。
だが、それも言ってしまえば国内の政争の一環。冒険者が手を出して良い依頼ではない。
「みんな、聞いて頂戴。これからのことだけど……」
覚悟を決めて椅子から立ち上がると、ラキュースは全員の顔を見回してから口を開いた。
これは冒険者蒼の薔薇のラキュースではなく、王国貴族にしてラナーの友人である、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの仕事だ。
仲間たちを巻き込むことは出来ない。
「王女様の護衛。相手が八本指なら強行手段に出るかも。私たちで護る」
自分の言葉を遮り、さも当然のように言うティナに驚きながら、ラキュースは慌てて言う。
「これ以上みんなに迷惑をかけるわけには行かないわ。これは冒険者ではなく、王国貴族としての私の──」
「今さらだ。組合相手にそんな言い訳が通じるとも思えないな」
ばっさりと切り捨てられる。
確かにイビルアイの言うとおり、今さらラキュースが一人で行動したからといって、冒険者組合がそれで納得するはずが無い。
「それに八本指には六腕がいる。全員がアダマンタイト級冒険者レベル。流石にリーダーだけじゃ無理」
「でも、もしこれが知られたら今度こそ──」
ただでさえ、魔導王の宝石箱のゴーレムが各地に導入されたことによって、冒険者の仕事が減り、組合全体がピリピリしている時なのだ。いくらアダマンタイト冒険者だからと言って見逃されるとは思えない。
罰金や、受けられる依頼に対する制限などであれば、まだ何とかなる。だが、アダマンタイト級冒険者からの降格というような処分が下りでもしたら、皆にどう償えばいいのか。
最高位冒険者という地位にしがみつきたいわけではない。だが、この地位は仲間たちみんなで依頼をこなしたことで手に入れたもの。それを失ってしまったとしたら、償おうにも何をどうすれば良いかすら分からない。
「気にしなくて良い、鬼ボス」
「そうそう。私たちも納得して付き合った。気にしない気にしない」
「だな。まあもし、冒険者続けるのが難しくなったら、ほらそん時は改めて魔導王の宝石箱と契約して専属の冒険者になったらいいんじゃねーの? 未知を求めるってのもなかなか楽しそうだろ」
「そうだな。モモン様とまた一緒に冒険する機会もあるかもしれないしな」
それぞれが軽口を叩く。それが本心ではなく、ラキュースを気遣い元気付けるためだと言うことは分かっている。
「みんな……」
今回の件は、自分が友人と王国貴族という立場を完全に捨てられなかった為に起こったことだ。だというのに、誰一人、自分を責めることなく気遣ってくれる。それに有り難さと申し訳なさを覚え、ラキュースは言葉に詰まった。
「……ありがとう」
たった一言。
それだけ言うのが精一杯だった。これ以上言葉を重ねたら、泣いてしまいそうで。
「ふっ、それにしても。相変わらず姫さんの頭の良さには感服するが、毎回後ちょっとのところで外してくるよな。ま、何もかも完璧に当てられるよりは人間らしくていいけどな」
「今回の件にしても、あの夢見がちな娘は本気であの手紙を送れば戦争が回避できると思ったのだろうが、結局はこうなったからな。今までも何度か似たようなことやらかしてるんだろう? 懲りないというか何というか──」
場の空気を変えるために、ガガーランとイビルアイがわざとらしく話題を振る。
「それは仕方ない。今回の場合は運も悪かった。けど、やっぱり王女様は人を信じすぎてる」
「演技にも見えない。本当にお人よし」
皆口々に話し出す。
言っている内容に関しては彼女の親友として言い返したいところもあったが、ふと疑問が頭をよぎる。
(でも今回に関してはラナーのおかげで、王国にとって良い方向に転がった)
今のどん詰まりの王国を立て直すと考えれば、これ以上ない結果だ。これもラナーがこの話を他の誰にも伝えず、自分たち蒼の薔薇だけが動いたからこそ。今までのラナーならむしろ、この話を根回しもせず事前に誰かに伝えて、貴族派閥に知られそうなものだが、彼女も流石に学習したということだろうか。
(でも、だったらどうして私にその話をしてくれなかったの?)
つまりラナーがこうなることも読んでいたのだとすれば、それを自分に話さなかったのはおかしい。ラキュースが事前にそれを知っていれば、もっと慎重な方法で手紙だけを届けることも出来たかもしれない。
今回の件で割を食ったのは王国に不必要な貴族派閥、八本指、法国、そして……自分たち蒼の薔薇。
もし初めから、ラナーが全てを知って自分たちの立場を悪くするためにこんな手段を採ったとすればどうだろう。
(何を馬鹿なことを考えているのよ。あんなに優しい、人々を救うために行動してきた彼女を信じなくてどうするの? きっと彼女もこうなるなんて思っていなかった、単なる偶然。ただそれだけのことよ……)
親友を疑ってしまった自分を恥じる。
こんなことになって仲間に対して申し訳ないと思う気持ちが、知らず知らずのうちにその発端となった彼女に向けられたのかもしれない。
だとすれば責任転嫁にもほどがある。
ラナーはいつだって無理強いなどしなかった。それを選んだのは全て自分、そのはずだ。
頭を振って気持ちを切り替える。
「みんな、本当にありがとう。これからどうなるかわからないけど、蒼の薔薇としてみんなと一緒に冒険できたことを、私は誇りに思う」
先ほどは涙に邪魔されていえなかった言葉を改めて口にする。
どうしても今言わなければならない気がしたのだ。
「よせよ。なんかそういうこと言われると、これが最後って気がしてくるじゃねぇか」
「ふらぐが立つと言うやつだな。いつだったか十三英雄のリーダーが言っていた」
「ふらぐって何?」
「さぁな。良く分からん」
「さ。無駄話はそこまでよ、受けると決まったのならしっかり作戦を立てましょう。護衛のローテーションと八本指の動向、それに他の国の動きにも注意を払う必要があるわ」
「おー、いつもの鬼リーダーに戻った」
「しまった弱っている隙に手を出しておけばよかった」
ティアの口ぶりが割と本気なことに寒気を覚えつつ、ラキュースは意図的に空気を切り替える。
全てはこの戦争が終わってから考えればいいだけの話だ。
それまで自分たちは自分たちに出来ることをするだけ。溢れ出しそうになる疑問に蓋をして、ラキュースは早速行動を開始することにした。
・
その日、スレイン法国の最高執行議会は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
議題は言うまでもない。行方不明になっていた漆黒聖典第五席次、一人師団クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが持ち帰った情報によるものだ。
「……要するにこういうことか? ヤルダバオトの正体はかの神、アーラ・アラフ様の従属神であり、その目的は神の復活を果たすこと。一人師団はエイヴァーシャー大森林で何者かに殺害された後、ヤルダバオトに復活魔法を掛けられたことで生き返り、その後はその指示で行動していたと」
最高神官長の問いかけに、直接聞き取りを行ったレイモンが強く頷いた。
荒唐無稽というより他にない。
本来ならば鼻で笑い飛ばしてしかるべき内容だが、一概にそうとも言えない事情がある。
一つはクアイエッセが実際に生命力を大きく落とした状態で帰ってきたこと。
つまり、法国でもごく限られた者、あるいは儀式魔法を用いることでしか使用できない復活魔法を使える者が居たこと。
そしてもう一つは、ヤルダバオトが光の神の真名を口にしたことだ。それがあったからこそ、クアイエッセは疑うことなく最高執行機関の命を無視し、ヤルダバオトに従っていたのだという。
六大神の本当の名を知るのは、法国でも極僅かしかいない。ヤルダバオトがその名を出したというのならば、本当に従属神、あるいはそれが堕ちた存在である魔神かも知れない。誰もがそう考えてしまい、戯れ言だと切り捨てることが出来なかった。
「……順番が逆ではないのか? つまり、ヤルダバオトがアーラ・アラフ様の名を告げたのではなく、復活の際に一人師団が操られた、あるいは魅了されて情報を口にした。それによってヤルダバオトがその名を知った」
「それはおかしいわ。
火の神官長ベレニスがすぐさま否定する。
「そうなると本当にヤルダバオトは、光の従属神と言うことになるのか。確かに我々もかの御方たち全てを完全に把握しているわけではない。生け贄の儀式、それで神の復活が可能とは……」
誰かが漏らした言葉に他の者たちも反応する。
六百年前、絶滅の危機にあった人間を救ってくれた六大神。その偉大さはここにいる者たちの誰もが知るところだが、当然彼らの中にその姿を直接目にした者はいない。
だからこそ、神の復活という言葉にはあらがい難い魅力があった。
自分たちの手で神の復活を成し遂げ、直接拝謁し、言葉を賜ることができたのならば、これ以上の幸せは、名誉は存在しない。
「……そうした文献は存在するのか?」
長い沈黙の後、最高神官長が口を開く。
「……いや、聞いたことがない。だが、六大神と同格である──失礼。大罪を犯した者どもである八欲王は竜王との戦いで殺される度に復活したとも聞いている。奴らができたことを我らが神ができないと言うことはあるまい」
熱弁を振るったのは光の神官長イヴォンだ。
この中でも信仰系魔法の使い手として一、二を争う者の言葉には信憑性があるが、同時に別の感情も見て取れた。
つまり、自身が信仰する光の神の復活が叶うかも知れないという欲望によるものだ。
「待て待て。その儀式とやらの詳しい内容に関して、一人師団は聞いていたのか?」
全員の視線が一斉にレイモンに向けられる。
「まず、十五万を超える、強大な力を持った者たちを一ヶ所で殺害します。その際に生じる大量の魂を用いて復活魔法を掛けることで、神の魂が存在する場への道が開けるとのことです。後は通常の復活魔法同様、魂に魔法を掛けることで現世に再光臨なさると」
その話を聞き、全員の目に妖しい輝きが灯った。
法国にも復活魔法が使える者はいる。その話が本当ならば、生け贄さえ集まれば自分たちでも神の再光臨は可能ということになる。
「ヤルダバオトはそれを、大量の悪魔を召喚するアイテムで補おうとしていたのだろう。しかし、アイテムが帝国からアインズ・ウール・ゴウンに渡った事で不可能になった。ゆえに、聖王国とアベリオン丘陵の亜人どもで賄おうとしていたわけか……」
亜人の魂ならばいくら捧げようと問題ではない。
いや、その結果神が復活するというのなら、やらない手はないだろう。
しかし、一度に十万を超える亜人が集まる場所などそうそうある話ではない。
だからこそ、ヤルダバオトはアベリオン丘陵の亜人を纏め上げて軍を編成し、足りない分を徴兵制を敷いている聖王国の民で補おうとした。
法国は、国家を問わず人間という種そのものを守ることを第一に考える。従って、その人間を犠牲にすることに対して諸手を上げて賛成する事はできない。だが、大局的に多くの人間を生かすためならば、多少の犠牲はやむなしという考え方もあり、明確に反対する事もできない。
自分たちがどれほど人間という種族のために力を尽くしても、周辺諸国の多くでは国力の低下が続いている。その結果、人間を救ってくれた六大神を架空の存在と決めてかかる者も増えてきた。
帝国のように他国に戦争を仕掛ける国も現れている。人間同士で争いを続けているこの現状を何とかするには、神の再光臨はこれ以上ない最善手だ。
「やはり人間ではなく異種族のみでその数を集められないか、試してみてもいいのではないか?」
誰かの発言に全員が賛同し、具体的な話し合いが始まった。
「カッツェ平野は霧のせいで危険が大きく、帝国が拠点を作っている。こちらが軍を派遣しては帝国を刺激しかねない。アベリオン丘陵やトブの大森林などの、複数の亜人やモンスターがいる場所は既にゴウンが抑えている」
「今までの奇妙な行動は全て、神の復活を阻止するためのものだったのか。そうなるとやはり奴も揺り返しによって現れた存在ということになるのでは?」
「いや、ヤルダバオト同様別の存在を復活させようとする者かもしれん。決めつけるのは早計だ」
「どちらにせよだ。奴の実力や正体が未だ不明な現状では、敵対するのは得策ではない。それだけの異種族がいるとすれば……評議国、くらいか」
「流石にそれは……」
「う、うむ」
現状では評議国とことを構えるのは危険だ。
「竜王国に攻め込んでいるビーストマンはどうだ? 奪われた都市を奪還する名目で大軍を派遣すれば、それぐらいの数は殲滅できよう」
竜王国には現在引退した元漆黒聖典の者たちを派遣し、ビーストマンの侵攻を留めている。が、いくら強大な力を持つといっても、個である元漆黒聖典だけでは一度に十五万という数を殺すことはできない。
それをするためには軍の派遣が必要だ。
神人でも可能かもしれないが、そうなると神都、より正確にはここに保管された神の遺産の守護が疎かになってしまう。
「いや、やはり軍を動かすのは反対だ。エルフどもが調子づく上、帝国の動向も掴めなかった以上は危険にすぎる」
軍事機関のトップである大元帥の言葉に、確かに。と何名かが同意する。
「エルフどもはゲリラ戦を得意としている以上大軍を集めることはない……捕虜を十五万集めるのも現実的ではない、か」
戦争で捕らえたエルフは奴隷として販売している。だがそれでも、ゲリラ戦を得意としているエルフを十五万も捕獲することは難しいし、時間も掛かりすぎる。
それからもいくつかアイデア自体は出るものの、これといったものはない。議論は徐々に強引な方法に傾き、やがてアインズが管理しているトブの大森林やアベリオン丘陵の占拠が不当なものだと表明し、無理矢理侵略するという強攻策すら出てきた。それではアインズのみならず各国も敵に回す可能性が高いとして皆が反対を示す中、一人の神官長が口を開く。
「……周辺諸国だけでも数千万人いる人々を救うためならば、十数万の人命程度、致し方ない尊い犠牲と考えてもよいのではないか?」
光の神官長イヴォンの言葉に全員が息を呑んだ。
彼の切れ長で鋭い瞳が輝く。痩せこけた姿と相まって、本来彼が外見通りの陰険な男ではないと理解しているここにいる者たちですら、背筋に寒気を覚えるほどだ。
「いやしかし、人を守護することこそ我らが本懐。たとえ神の復活のためであったとしても、そのような真似をしては大義を失うぞ」
「その通りだ。我々が他国に比べ国民が纏まり強国となっているのは、神に選ばれし種族として、人を守護し、他種族を殲滅するという理念あってこそだ。こちらから他国に戦争を仕掛けるような真似をしては、国民からの批判も集まろう」
目的意識が一つに固定されているからこそ、国の力が一点に集約する。だがそれは同時に、融通が利かないということでもある。だからこそ異種族国家である評議国と隣国になることを避け、王国を帝国に併合させるような回りくどい方法を採らざるを得なかったのだ。
神の復活のためとは言え、自分たちから人間の国に戦争を仕掛けるような真似をしては国家としての根幹が揺らいでしまう。イヴォンもそのことは重々承知だろう。
だが同時にその心中を、ここにいる誰もが痛いほど理解できる。
ここにいる者たちは国のトップであり、同時に神に対し誰よりも強い信仰を抱いている自負があった。
法国においては、立場が上になればなるほど給料が下がっていく。
それは私欲に溺れることなく国や人を守るために身を粉にしたいと願う者を集めるためでもある。それはつまり、誰よりも法国の教え、つまりは神の教えを深く信仰していると言い換えられる。
とりわけ各宗派の神官長は、己が信仰する神こそ全てと考える者ばかり。だからこそ、自身が信仰する神を自らの手で再臨させることができるというのなら、どんな手を使ってでも成し遂げたいと思うのは当然のことだ。
ヤルダバオトが本当に光の神の従属神であったなら、イヴォンが自分の信仰する神の再臨を後一歩のところで逃したと考え、今度こそはと願っても不思議ではない。
だがだからといって、実行に移させるわけにもいかない。
勝手な行動をとらないように目を光らせておく必要がある。
誰もがそう思い、そして同時に別の心配もしていた。
仮に上手く生け贄が見つかり、神の復活が叶うとして、その時は六大神のどの神を復活させるべきなのかということだ。
己が信仰する神を再臨させる事が出来るという可能性を前にして、自分を保つことができるのか。それは誰にも分からなかった。
答えの出ない会議は続く──
・
(今頃神官長たちは面食らっていることでしょうね)
クアイエッセは、監視の名目で置かれている元同僚と談笑しつつ、最高執行機関の会議を想像する。
様々な要因によってジワジワと追い詰められていたところに、神の復活という降って湧いた希望。それを叶えるために必要な犠牲の数を知っても。出来れば自分の信仰する宗派の神を復活させたいと考える願望が生まれる。
今はその感情を正確に理解できている者はあそこには居ないだろう。
最高執行機関の人間は皆私欲を切り捨てた者ばかりだ。だからこそ、彼らは免疫がない。
(あなた方は知らないだろうが、それが欲望の味というものですよ)
欲に慣れていない人間は逃げ道を作ってやれば簡単に餌に食いつく。
その餌はもうすぐ落とされる。自分たちからではなく、他国から戦争を仕掛けられるという餌が。
本来の法国であれば人間同士の戦いなど承認しない。先ずは話し合いや裏工作、場合によっては他国の要人を暗殺して戦争どころではない状況にするなど、あらゆる手段を用いて戦争を回避しようとするはずだ。
だが欲望に溺れた今なら、神の復活を叶えるための必要な生け贄を集めるにはこれ以上無い好機であると考え、本来絶対に選択しない戦争への道を自ら選ぶことになる。
それが神の立てた計略によってもたらされる、甘い毒であるとも気付かずに──
「しかし、ヤルダバオト、おっとヤルダバオト様って呼んだ方がいいのか? まさか従属神とはな。まぁ、聞いたとおりの力の持ち主ならそれもおかしくはねぇけどな」
思考を一時中断し、元同僚のセドランに意識を向ける。
「私もそう理解しました。しかし神の真名を知り、悪魔でありながら復活魔法や、信仰系魔法の極致とも言える
事前に用意していた偽りの情報を口にした。
彼らは従属神、つまり魔神を第七位階魔法
「確かに。聖王国で都市一つ分を覆っていた霧を一瞬で晴らしたってのは聞いているぜ。天候まで操るとなると話に聞いた魔神で間違いねぇな」
案の定勝手に納得しているセドランに曖昧な笑みを返す。
(しかし、
自分は、行方不明から帰還したということになっている。そんな自分に対して、支配や魅了で操られていないか魔法で確認しただけだ。それだけで簡単に自分を信用し、こちらから提供した情報をあっさりと信じてしまった。
六色聖典の者には全て、何らかの魔法を掛けられた状態で数回質問に答えると死亡するという処置がなされている。だからこそどんな魔法であれ、おいそれと掛けられないのは分かる。だが場合によっては、魔法を掛けて一つだけ質問して確かめる、といった手段を取られる事も考えられた。ゆえにわざわざ、直属の上司デミウルゴスから対策アイテムを受け取っていたのだが……その意味がなくなってしまった。
(同じ神を信奉している者は、協力者であり仲間。そう言う意識によるものなのだろうが……これはこれで楽になったと見るべきか)
目的を統一して皆が協力し合う。そうした理念によって作られた法国だからこその考えだ。だからこそ危険な任務から帰還した仲間を無闇に疑うことなどあってはならない、と考えて最低限の調査しかしなかったのだろうが、それが隙になる。
「おいどうした、ぼうっとして。まだ本調子じゃないのか?」
「いえ。本当は国のためにも一刻も早く力を取り戻したいのですが、まだ待機命令が出ていますからね。それが歯がゆくて……」
心にもない台詞を口にするが、セドランは疑問に思った様子もなく笑い飛ばす。
「相変わらず真面目な奴だな。だけどよ、気持ちは分かるぜ。俺も一度殺されているからな。なんなら俺と一緒に訓練するか?」
「良いんですか? 一応監視でしょうに」
「構いやしねぇよ。召喚に必要な装備を外されてる今のお前なら、俺一人でも抑えられるしな。なんなら一度死んだことある者同士ってことでボ-マルシェの奴も呼ぶか?」
互いに一度死んで蘇った身ではあるが、純粋な戦士であるセドランと召喚したモンスターを操ることが基本のクアイエッセでは身体能力に大きな差がある。それもセドランは復活からかなり時間が経ち、大分力を取り戻しているとなれば尚更だ。これほど余裕を見せているのはそのためだろう。
勿論大前提として見張りは形式的なものであり、裏切りなど想定もしていないということがあるのだろうが。
「それは良いな」
突然背後から掛かった声に、慌てて立ち上がり、礼を取る。
セドランもまた同じように、自分たちより遙かに身長の低い相手に礼を取る。
地面に届くほどの長髪と幼く中性的な容姿。漆黒聖典第一席次にして、法国が誇る最強戦力である神人の一人だ。
同時に、自分が命じられている幾つかの目的のうちの一つでもある。
「クアイエッセ。また会えて嬉しく思う」
冷ややかな、それでいて本心からの言葉だと理解させる声色に、クアイエッセは再度頭を下げる。
「この度はご心配をお掛けしました、隊長」
この年若い隊長も、以前は年相応というべきか、生意気な性格をしていた。精神が育つ前に絶大な力に目覚めたため、増長していたのかもしれない。が、ある時を境に突然まともな性格になった。部下を気遣う上司としての態度も随分板に付いている。
法国に洗脳されていた頃の自分であれば、その気遣いに感謝もしていただろう。だが、今の自分は真なる神に仕える存在。その言葉で感情が揺れることはあり得ない。
「復活させたのはヤルダバオト様らしいが、殺した奴に関しては分からないそうだな」
あっさりとヤルダバオトに様を付けて呼んでいるところを見ると、ヤルダバオトが従属神だと神官長たちも認めたと言うことだろうか。だとすれば予定通りだ。
「ええ。殺された時の記憶は復活の際に抜け落ちたようで曖昧なのですが、エイヴァーシャー大森林内で、それも一撃で殺されたことから、エルフども、その中でも強大な力を持つとされる王の仕業ではないかと」
これも事前に決めてあった嘘。法国が戦争を仕掛けられた後、エルフたちに和睦を求めないようにするための布石の一つだ。
「……だとしたら彼女には言えませんね。聞いた瞬間飛び出していきそうだ。場合によっては話を聞きに来るかも知れませんが、秘密にしておくように」
彼女とは、絶死絶命のことだ。正真正銘、法国最強の存在である漆黒聖典の番外席次。今口にしたエルフの王を父に持ち、強い恨みを抱いているとされている。
彼女もまた目的の一つだ。しかし彼女は、主に法国の聖域である五柱の神の装備が置かれた場所を守護しているため、漆黒聖典の者でも近づくのは難しい。
だがこの話を聞いて向こうから来てくれるというのならありがたい。
「承知しました……ところで隊長、今お時間はありますか?」
変に勘ぐられる前に返答し、さっさと話題を変える。
先ほどセドランが訓練をしようと言い、彼は賛成した。それは利用できる。
「少しならあるが?」
ここに来てようやく、変化の無かった表情が僅かに動く。
「よろしければ少し、訓練をつけては頂けませんか?」
「おいおい。病み上がりに隊長の訓練とか、大丈夫か?」
「だからこそですよ。未だ世界には人間を脅かす危険が数多くあると知りました。だからこそ、少しでも早く力を取り戻したいのです。その為には隊長に訓練をつけて貰うのが最も近道ですから」
本当の狙いは別にあるが、強さを取り戻すためには強者との訓練が一番手っ取り早いのは間違いがない。
「……そうですね。部下の訓練も仕事の一つ、構いませんよ」
案の定あっさりと了承する様に、内心でほくそ笑む。
これでもう一つの仕事も上手く行きそうだ。
即ち、自分が神に伝えることの出来なかった情報の一つ。隊長を含めた神人の強さだ。
出来るかぎりのことは伝えたが、そもそも自分と神人では力に差がありすぎる。ゆえにその強さの上限を見たことなど無く、自分たちより遙かに強いということしか分からない。いや調べる方法はいくらでもあったのだから、分かろうとしなかったと言った方が良い。
あの頃の、誰よりも強く神を信奉している自負があった自分は、自分より年下の彼が神の血に目覚めた事実に嫉妬に似た感情を抱いていたためだ。
今は違う。偽りの神の血に目覚めなかったことはむしろ喜びでしかない。だからこそ今の自分は目を逸らすことなく彼の力を分析し、それを伝えることが出来るはずだ。
本物の神に直接仕え、その役に立つ。これほどの喜びが他にあるだろうか。
そう考えると、神官長たちの気持ちも少しは分かるというものだ。
(あれだけの力を持ちながら、僅かな可能性も見逃さないとは。流石は我が神。法国などとは格が違う)
早速準備を始めようとする隊長に付いて歩きながら、クアイエッセは己の神の偉大さに思いを馳せた。
ちなみに隊長の部下に対する口調や態度は不明だったと思いますが、番外席次に負けた後は非常にまともな性格なった。とのことなので部下とは言え年上相手には丁寧な話し方をすることにしました
次はナザリック側の話になる予定です