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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

カニバ食堂

作者:アタマベ


僕はマンモス高に通う二年生だ。報道部に所属している。そんな僕には今、ある使命がある。

学生食堂の秘密を暴かなくてはならないのだ。もっともこれは、部の活動としてと言うよりも個人的な好奇心のほうが上に来る…。

僕らが普段使っている食堂は素晴らしい。何が素晴らしいかと言うと、味、品数の多さ、値段の安さ、量…など、とにかく学生に優しいのだ。新校舎の更に後にできたので清潔感もあり、席はソファから木製の椅子までバリエーションも豊富で、学生の語らいにももってこいだ。

けれどこの学食の本当にすごいところは、「残飯ポスト」という残飯入れから作られていると噂の特別定食である。そのポストは横に五メートル、縦に一メートルほどの四角いポストだ。なんとこのポストに残飯を入れると、それが様変わりして見事な定食になって提供されるようになっているらしい。

本当に残飯で作られてるのか? と疑問に思った生徒が学校に生っているヘチマを入れたところ、その日の特別定食にしっかりヘチマを使った料理が出てきたという。ただし残飯として扱われるのはあくまで食材だけであり、ボールペンや、すごいものだと制服などは翌日落し物入れに入っているそうだ。

日ごと、いや、一食ごとに変わる特別定食は一定の層から人気があり、その日の残飯の量や値段にも寄るが、大抵売切れてしまう。そんな一品なのだ。

しかし僕はこの特別定食の深部に手を伸ばすチャンスを手に入れたのだ。

今朝のことだった。


男子生徒A

「俺昨日さぁ、すごいことをしたぜ」


通学路でのことだ。目の前から聞こえる少し興奮気味の声。それをしゃべり始めたのは三年の見知らぬ先輩だった。周りに人はまばらで、その会話を聞けるのは僕と彼の連れくらいのものだった。僕は彼が何をしたのか気になったので、そっと気配を消しながら後ろを付いていった。


男子生徒B

「お前って本当に変なことするのが好きだよな。で、今日は何をしたんだ?」


男子生徒A

「まあ聞け、特別定食のことだ」


男子生徒B

「特別定食? あれがどうかしたのか?」


特別定食がどうしたって? 僕は男子生徒の話に胸をドキドキさせながら耳を傾けた。


男子生徒A

「残飯ポストに猫を入れた」


男子生徒B

「はぁ!? 猫ぉ!?」


連れの男子生徒の驚きの声。

つむがれたのは衝撃的な一言だった。僕だって出せるものなら声を出して驚きたかった。しかし、こんな面白い話を聞き逃すわけにはいかない。僕は呼吸音さえ抑えて、必死になって話の続きを待った。


男子生徒A

「そう大きな声を出すなって。でもな、猫だぜ、猫を入れてやった。死んだやつだ。轢き殺されてたんだ」


男子生徒B

「だからってお前、そんなことするか? 仮にも食堂のメニューとして提供されるって噂のものが入った箱だぜ? そこに猫なんて入れたら不衛生だし、不謹慎だろ。ばれたらまずいぜ」


男子生徒A

「バカだなぁ、気になるのはそこじゃないだろ。それに、俺はその日の残飯のかなり下のほうに隠すように猫を入れたんだ。あそこをあさる奴なんているもんか。なぁ、お前さ」


男子生徒B

「なんだよ」


男子生徒A

「気にならないか? 果たして猫の死体は残飯とみなされるのか? 」


男子生徒B

「はぁ!? 有り得ないだろ、普通に考えて!」


僕はもうその先輩にインタビューでも申し込みたい気持ちだった。だが待て。僕と彼は知り合いでもなんでもない。それに事はまだ起こっていないのだ。もしも猫の死体が残飯とみなされて調理されたとしても、昨日猫を入れたということは、今日の昼に提供されるはずだ。もしもここで事を大きくして学校側にばれてしまえばそれまでだ。猫は当然取り除かれるし、先輩は大目玉を食らうだろう。


男子生徒A

「でもさ、あそこに死んだ鶏を入れた日にターキーが出てきたって噂があるんだぜ? 鶏がいけるなら猫だっていける、そう思わないか?」


男子生徒B

「思わないね。というか、思いたくない。偶然だけどさぁ、俺、今日は特別定食食おうと思ってたんだよ。知らずにそんな気色悪いもの食わされる方の身にもなってくれよ。

あーあ、今日はコロッケパンに変更だ変更。特別定食自体も今日は異物混入で休むかもしれないしな」


男子生徒A

「好奇心のないやつだなぁ。俺は頼むぜ、特別定食」


男子生徒B

「へーへー勝手にしてくださいな、俺はお前が猫を食っても知らないからな」


そこまで言うと、猫を入れたと言っていた方が「なんだよ!」と肩にパンチを食らわせて、話は緩やかに次の定期テストの話題に引き継がれた。

僕はと言うとその衝撃的な告白に勝手にドキドキしていた。

猫? 猫の死骸を入れたって? 

それも特別定食として提供される可能性があるなんて…。

もしそれが本当の話で、しかも猫が特別定食として振舞われたら、こいつはとんでもないスクープになるぞ。

それを今度のネット・ニュースにあげれば、先輩からの評価も鰻のぼりだ。

そんなことを夢想していると時間はあっと言う間に過ぎて行き、いよいよ昼休みに入ろうとしていた。

特別定食を作っているところや、本当に猫がポストに入っているのか等確かめたいことがいくつかあったが、タイミングに邪魔をされいけなかったことが悔しい。しかし僕も授業に出なくてはならないので、そこは大目に見るしかない。

さて、カメラの準備はしたし後は運任せになる。なんてったって猫は一匹しかポストに入れられていないのだ。ちょうど猫の入った特別定食に当たれるかは運次第だ。他の牛肉やれ豚肉やれに当たる可能性は十分ある。

あまり期待をしすぎると痛い目を見るぞ、と自分を律するが胸のドキドキは止まることを知らない。猫の料理ってどんなものだろう。新聞部での評価。今朝の先輩たちはどうするのか。疑問が幾つも浮かんでは消えていく。

そんなことを考えていると時間はあっという間に過ぎ、終業のチャイムが鳴らされた。僕は財布とカメラを掴むと教師への挨拶もそこそこに食堂へと走った。もうすぐ物凄いスクープを手に入れられるかと思うと胸の高鳴りは最高潮だ。

食堂に着くと、そこにはパラパラと生徒がいるだけで、至って静かなものだった。それはそうだろう。走って食堂まで来る生徒なんてそうそういるはずもない。

それでも僕は大慌てで特別定食の「肉」の食券を購入して食堂のおばさんにそれを渡した。


おばさん

「特別肉~!」


受付のおばさんが叫ぶと奥から調理担当のおばさんが「はいよ!」と返した。後は料理を待つだけだ。僕は待機列の二人目に並んだ。もうすぐだ。もうすぐ真実が明らかになる…!

一人目が普通のラーメンを受け取り、いよいよ僕の番が来た。猫の丸焼きなんかが出てきたらどうしよう? それとも肉球? 猫の首がゴロンと転がっていたりして。


おばさん

「はい、特別定食の肉!」


そんな僕の期待を裏切るかのように、出てきたのはしょうが焼き定食だった。見た目は完全に豚肉だ。けれど一応確認を取りたい。僕は勇気を振り絞っておばさんに聞いてみた。


葉倉礼太

「あのう、これは何の肉なんでしょうか?」


おばさん

「見ての通り豚だよ!」


おばさんは快活にアハハと笑った。僕は肩の力が抜けてしまい、「そうですか」と返事するのがいっぱいいっぱいだった。


おばさん

「待ってるよ」


明日も、を省略したような言葉。でも僕はきっと明日はここに来ないだろう。スクープも何もかも夢と消えてしまった。

それでもお腹はすいていたし、残す義理もないので、大人しくしょうが焼き定食を食べることにした。あの先輩たちは猫の部分を食べられたろうか? それともやっぱり猫なんて調理していないのだろうか。


葉倉礼太

「いただきます」


ガッカリしながらもしょうが焼きを食べると、これがまた絶品だった。程よい辛味と甘味がマッチしており、肉も柔らかくおいしい。ご飯と一緒にほうばると、食欲を掻き立てる。そこで僕は汁椀に手を伸ばして、止める。

味噌汁ではなく澄まし汁に見えたそれは、もう一度見てみるとテールスープのようだった。中に細長い肉の塊が入っている。しかし僕には…おそらく僕と今朝の先輩たちには…それはある動物の尻尾に見えた。もちろん毛は刈り取られており、根拠も形だけだが、そう思うともうそれにしか見えない。

猫の尻尾だ。

この細さとしなやかさ、長さ、何をとってもそうとしか思えない。僕は何てついているんだろう。バラバラになった猫よりこちらのほうがうんと信憑性がある見た目をしている。大慌てで写真をパチリ、パチリと撮っていると、不意に汁の中に影が差した。


おばさん

「撮影は禁止」


後ろにおばさんが立ったからだ。

先ほどまでの快活なおばさんとはまるで違う、別人のような機械的な声だった。

この人は猫を解体して生徒に振舞う人なんだ…。そう思うと恐ろしく、僕は即座にカメラを引っ込めた。それを確認したおばさんは元の位置に戻り、また元気良い声で「うどん一丁!」等と呼びかけ始めた。その切り替えにぞっとしたが、数枚写真は取れたので問題ない。

さて、後はしょうが焼きだけ食べて尻尾は残飯にしてしまおう。そう思ったものの…。

僕はどうしても気になってしまった。その尻尾の味が。

しょうが焼きはいつでも食べられるが猫の尻尾だぞ? それも格別においしく調理されたやつだ。こんなもの食べられるのは一生に一度、あるかないかのことじゃないか? そして今僕はそれを体験できる状況にある。

写真はもう取ったし、この尻尾をどうするかは僕次第だ。けれど猫を食べるなんて…。とんでもなく不味かったらどうする? 不衛生じゃないか? 倫理的に許されることなんだろうか? けれどまだ、猫の尻尾と完全に決まったわけじゃない…。

様々な考えが頭の中を巡るが、僕は本当は最初から決めていたのかもしれない。テールスープを手にとって、その中身をじっと見つめる。


…食べよう。


記事のためにも、死んだ猫のためにも、なにより僕のために食べてしまおう。そう決めると早かった。まずは一口、スープを口に含む。

芳醇な香りと薄い塩味が口の中いっぱいに広がり、その中に僅かに感じられる太陽のようなのびのびとした甘さがそれをうまくまとめ上げている。

おいしい。

簡単な感想だが、そう思わずにはいられなかった。これは期待できるぞ。

僕は少し臆しながらも、テールスープの肉に箸をつけた。

茶色く火が通ったそれはしっかり煮込まれており、知らない人が見たら一体何の肉だろうと首を捻るだろうそれを、僕はいよいよ口に運んだ。

…なんだ? これは。

そのあまりのおいしさに、僕は混乱さえした。つくねのような肉に、コリコリした軟骨の触感。味は、猫の腹を思い切り吸い込んだときのような優しい甘さ。出汁の効いた透明な脂が口いっぱいに広がり、その味加減といったらなかった。甘露と言う言葉はこのためにあったのかと思わせるほどの美味に顎が落ちそうになる。

…気がついたら食べ終わっていた。

しょうが焼き定食と言うより猫のテールスープ定食と言ったほうが正しい気さえする絶品だった。

そして僕は悩み始める。

「これを記事にして本当にいいのか?」

「もう二度と、これを食べられなくなって自分は満足なのか?」

「嫌だ」

「もっと食べたい」

「もっと色んな食材を、もっと色んな調理で、たくさん食べたい」

「でもこんなおいしいネタはもう二度と上がってこないぞ」

「だけど…」


頭の中の裁判官たちがワーワー喚いている。仮にも僕は報道部員だ。これ以上ないスクープを大声で叫びだしたい気持ちが溢れている。けれどあのテールスープはうますぎた。それに僕にはまた新しい欲求が生まれていた。


「猫がこうもうまいなら、犬はどうだろう?」



自宅で飼っている犬のことを思い出してしまったのだ。名前はケンと言って、溺愛してはいるのだが、いかんせんもう歳で歩くのさえ覚束ない。ケン。ケンはどんな味がするのだろう? このまま僕の家で死んで火葬されるより、食堂利用者、そして僕においしく食べられたほうが幸せなんじゃないのか? 

どんどん、僕はケンを食べたくて仕方なくなった。それに、これは本音で、愛しているからこそ、普通ではないけれど、愛のある方法で弔ってやりたかった。ケンは僕の血となり肉となることで一生一緒に生きられるんだ。

…屁理屈だとは思った。僕はこの食堂の珍味に病みつきになってしまっただけだと本当は分かっていた。けれど、仕方ないじゃないか。猫の尻尾があんなにうまかったのだ。海外では食べられる犬の肉をここで調理したら、どれほどのうまさになって返ってくるのだろう。

だが、もしかすると次こそ抽選に外れてケンじゃない部分を食べることになるかもしれない。そのリスクを飲んでまですべき事なのか? ああでもケン…。ケンの味を知りたい…! 

結局下校のときまで悩んで、僕は残酷な決断を下した。


ケンを食べよう。


決めてしまうと後は早かった。僕は一度帰宅し、弱ったケンを連れて再び学校に戻ってきた。ケンの寿命も僕の食欲ももう持たなかったのだ。しかし、出来ればカバンを開けたときにはもう息絶えていて欲しかったのだが、幸か不幸か、ケンは苦しそうな息遣いで何とか生きていた。目は白く濁り、息をするたびヒュウヒュウと虚しい音がする。もはや家と学校の行き来が出来る状態ではない。ここでけりをつけてやるのが僕のすべきことだ。


葉倉礼太

「ごめん、ごめんよケン」


自分で手を下すのは恐ろしかったが、死体でなければ残飯と認められないような気もして、僕はケンの首に手をかけた。だるんとした皮が手に纏わりついて、その愛おしさに涙が出そうだった。僕はゆっくりその首を締め上げていく。ケンのきょとんとした顔が何も知らないのだと訴えかけているようで罪悪感に胸が痛んだ。

真綿で首を絞めると言う言葉があるが、まさしくそれになってしまいそうで、僕は首にかけている手の力を思い切り強めた。ケンの混乱が強まり、キュウウンと僅かに開いた気道から小さな悲鳴を上げたが、許さなかった。更に力を強めたときだ。ボキッと言う決定的な音がしてケンの首が普通なら有り得ない角度を向いた。絞め殺そうとしたのに、首の骨を折ってしまったらしい。

どちらがより楽な死に方かは分からないが、とにかくケンはその生涯に終わりを告げた。

子犬だったとき僕の手を噛んだケン。お手を覚えた日にお祝いをした。名前を呼ぶと返事を返して嬉しそうに尻尾を振っていた。大人になってからも甘噛みする癖が抜けず、僕の手やおもちゃはいつもボロボロだった。そんな愛おしいケンが、今、死んだ。

けれど僕の胸に溢れるのは悲しみではなかった。

これでケンを食べることが出来る…! 

そんな歓喜だった。僕は早速、僕の身長をはるかに超える大きさを誇るポストを開けて、中を確認した。中は「肉」「魚」「野菜」「米」「液体」「その他」に分かれており、肉が一番少なかった。少ないと言っても、僕の膝上ほどが残飯で埋まっており、ケンが隠れるには十分な量が放り込まれていた。僕はなるべく上のほうにケンを隠した。と言うのも、この量の残飯、かつケンの新鮮さだと、定食として出されるのは放課後だろうと予測が付いたからだ。

学食は昼からやっているが、特別定食はさほど出ない。皆、ちゃんとしたメニューを選ぶ。特別定食はそれらが売切れだした頃から売れ始め、放課後、部活動後に売り切れる。大体そんな売れ行きなので、ケンをこの位置にしておけば昼には出ないだろう。猫の先輩は随分下に隠した上に轢き殺された猫という鮮度が低いものだったので、昼に提供されたのだ。

そこら辺の情報は、かつて特別定食が好きな変わり者の友人が教えてくれていた。まさかそれが活用される日が来るなんて思ってもみなかったが。

さて、後は待つだけだ。明日の放課後、部活が終わってから急いで向かえば間に合うだろう…。



というのが昨日から今日にかけての事の顛末だ。急がないと見ず知らずの人たちにケンを食べつくされてしまう…!

僕は走って食堂へ向かった。ケンの味を想像しただけで涎がじわっと口の中に溢れる。昨日親には「ケンは死んじゃったから庭に埋めたよ」と嘘をついたが、本当にケンがいるのは冷たい土の中なんかじゃない。熱い釜か鍋…フライパンかもしれない。ああ、待ちきれない!

僕は大急ぎで食堂に入ると、特別定食の「肉」の食券を買い、おばさんに渡した。昨日と同じ人だった。


おばさん

「特別肉~!」


そして昨日と同じトーンでそう調理場に伝えた。そして昨日と同じく「待ってるよ」と、ただしこの上ない無機質な声をかけられた。その声は合成されたような、不自然なトーンだった。


葉倉礼太

「えっ?」


おばさん

「次の子~、どうぞ~!」


僕が驚きの声を上げた時にはもう、おばさんはいつも通りのおばさんに戻っていた。まさか聞き間違い…なんだろうか? 

少しおどおどしながら食券の半券を握り締め特別定食を待っていると、ついにそのときが訪れた。


おばさん

「はい特別定食の肉ね!」


僕の心臓が飛び跳ねた。おばさんはその定食をスライドさせて、僕のちょうど目の前に運んだ。僕は恐る恐るその定食を覗き込もうとしたが、ここで種明かしをしてしまっても残念だし、席についてからにしよう、と決めた。昨日のように元材料名を聞いても今回は答えてくれない気がしたし、何よりケンがちゃんと調理されてるかはまだ分からない。その場で沈み込むのも嫌だ。

僕は滅多に使わないカウンター席を陣取り、カバンを置いて、いよいよそれを覗き込む心の準備をした。

果たしてケンは料理に使われたのか? そしてそれは僕の定食に入っているか? 僕は本当にそれを食べるのだろうか? 様々な疑問が湧き出て止まらない。

僕の心臓はもう破裂寸前だった。そして好奇心はもう爆発してしまった。

とうとう定食の中身を見る。


葉倉礼太

「すごい…」


初めに思ったのがそれだった。そこには夢がいっぱいに広がっていた。僕の想像をはるかに超えた「ケン定食」がそこにはあった。

まず、から揚げ。から揚げなんて何の肉か分からないじゃないか、と言うのも分かるが、これがなんとも不思議な形をしているのだ。それはなんと犬のような形に加工されていた。花形のにんじんがあるが、それと同じような、あるいはもっと立体的な調理がなされている。

次にステーキ。これは見るからに牛や豚の類ではなく、見たこともない色の肉だった。味噌汁には豚汁よろしく謎の肉がふんだんに入っており、ご飯はそぼろが混ぜ込まれた炊き込みご飯だ。

本来漬物を置くであろう食器には、黒っぽいきくらげのようなものが入っていた。僕はそれを見てとうとう確信した。

…これはケンの耳だ。ペタンと垂れた耳は僕が大好きだったケンのものに違いない。ぺよぺよと何度も遊んだ耳。犬特有の臭みがあって、僕はそれが本当に好きだった。

僕はあまりの感動に涙さえ出そうになりながら、静かに箸を取った。

まずはご飯を食べることにした。一口、口に運ぶ。口に入れた瞬間、そぼろとは思えないほど肉汁が広がって、豊かな香りが鼻を抜けていく。絶品だ。

次に食べたから揚げも、未だかつて食べたことのない芳醇な薫香をさせており、非常に美味だった。ステーキは焼き加減から塩コショウの塩梅が大変よく、これもまた美味かった。

そして、耳だ。

何も知らない人が見たらきくらげか昆布にしか見えなかったろう黒く細長いそれは、僕がケンの中で一番愛おしかった部分かもしれない。そろそろと、誰の注目も集めないようにこっそりとそれを口に運んだ。

口に入れた途端広がったのは、味ではなかった。それは、ケンとの思い出だった。

よく一緒に散歩に行った。ケンは投げたボールを拾いに行く天才だった。褒めて撫でてやるとキュウンと鳴いたっけ。帰り道は少し遠回りをして帰った。よぼよぼになってからも、僕が運んでやる餌を食べていたのを覚えている。そんなケンに顔を近づけるとこんな匂いがしたものだ。

ケン、長生きしたね。本当はもっともっと生きられたかもしれない。それを僕のわがままで食事にしてしまった。ごめんよケン。痛かったろう、苦しかったろう。驚いたかもしれない。恨んだかもしれない。ああ、ケン! 

そんな懺悔を繰り返しながらも僕は止めることなく定食を食べ続けた。美味しすぎたのだ。それに、食べれば食べるほどポヘの記憶が蘇ってくるのだ。夢中だった。本当に、まるで夢の中にいる気分だった。

そんな夢に浸っていたら、いつの間にか僕は定食を食べ終えていた。なんておいしい食事だったろう。今後これを越す料理は食べられないかもしれない。そう思うと突然ナーバスな気分になってきた。

ケン、あんなに可愛く美味しい犬にはきっともうあり付けない。今から新しい犬を飼ったとして、思い出の蓄積のために成長を待たなくてはならないし、その頃には僕はもう卒業してしまっているだろう。

だから、もうケンの味を味わうことは決して出来なくなった。僕はその事が悔しくて仕方ない。


ナーバスな気分で食堂を出た。本当はもう一食くらい食べようと思ったのだが、あいにくと売り切れになっていた。僕以外にもケンを食べた人間がいると思うと胸がザワザワしたが、ケンは皆に弔ってもらえたのだと思うことで溜飲を下げた。


葉倉礼太

「はぁ…」


???

「お! 葉倉じゃないか」


葉倉礼太

「え? 釘宮先輩…」


人気のない残飯ボックス傍での出来事だった。釘宮先輩は僕の所属する報道部の部長だ。何故こんなところに? 


釘宮ゆう

「見つかってよかった、やっぱりあのことは君にしか頼めないよ」


面倒見の良い先輩だが、僕はケンのことで頭がいっぱいなんだ。しばらくそっとしておいて欲しい。


葉倉礼太

「釘宮先輩、僕今日は都合が悪くて」


釘宮ゆう

「まぁそう言わないで。あのね、偶然にもその話っていうのがまさにこの場所の話なんだ」


葉倉礼太

「えっ?」


釘宮ゆう

「私は今日食堂で特別定食を食べたんだよ」


なんだか不味い方向に話が進んでいるぞ。僕は警戒した。特別定食を食べたって? それも今日? 


釘宮ゆう

「実質メニューはハンバーグ定食だった。その原材料さえ問題なければね」


葉倉礼太

「原材料なんて、よほどはっきりしてないとそんなの分からないでしょう。それが特別定食なんだから」


釘宮ゆう

「うん、もちろん。食堂のおばさんに聞いても答えてくれなかったし。だけど葉倉、君はこれをどう思う?」


そういって釘宮先輩はポケットを探り出した。僕は背中から這い上がってくる恐怖を抑えられず自分の左腕を右手でぐっと押さえた。


釘宮ゆう

「ほら、これだ。これがハンバーグの中に混入していた」


そういって釘宮先輩が手のひらに乗っけたものを見せてきた。それは僕の想像通り、不吉なものだった。

…爪だ。獣の爪。僕には一瞬でその出所が分かってしまった。


釘宮ゆう

「どう考えても獣の爪だよね、それもきちんと先端が丸くしてある。飼い主がいたんだよ。ハンバーグも一口分くらいは残して取ってある。これはスクープよ。『学生食堂に潜む闇』とな」


悪い想像ほど良く当たるものだ。多分ケンは放課後メニューに出るはずだと思っていたが、僕は混乱するしかなかった。釘宮先輩はケンを食べながらも、その魅力に取り付かれずに記事を書くと言っているのだ。猫のテールスープに夢中になってしまった僕よりも、はるかにスクープに対する思いが強いのだろう。

だが、ここで釘宮先輩に記事をすっぱ抜かれたらえらいことだ。僕の飼い犬だったと言うことさえばれてしまうかも知れないし、何よりもうあの特別定食は戻ってこない。特別定食は様々な可能性を残した素晴らしい料理なのだ。考え直してもらうしかない。


葉倉礼太

「きっと何か別のものですよ、プラスチックとかそういうものが混入したんじゃないですか」


釘宮ゆう

「そんなわけないわ。よく見てみなさいよ、血管だって通ってる。これは間違いなく動物…犬や猫の爪だわ」


葉倉礼太

「でも…」


釘宮ゆう

「今日は随分突っかかってくるじゃない葉倉。一体どうしたの? この爪のことが知られちゃまずい理由でもあるの?」


釘宮先輩はそこで大きくため息をつくと、「まぁいいや」と引いてくれた。僕は内心とてもホッとしながら、無愛想に振舞った。


葉倉礼太

「分かってもらえてよかったです。それじゃ、僕はここで」


そう言うとくるりと踵を返し、逃げるように帰路についた。

どうしようどうしようどうしよう…!

まさか食堂がそんなずさんなミスをするとは思ってもみなかった。犬の肉だぞ? ばれたらどうなるか考えて徹底的に処理をするのだとばかり思っていた。しかもそれを見つけたのが釘宮先輩だということもまずい。あの人は気になったことにはとことん首を突っ込む性格だ。その記者魂に憧れも強かったが…。今回はそれが裏目に出た。

何とか一時はしのいだものの、釘宮先輩のことだ。やがて真相にたどり着いてしまうかもしれない。どうにかしてそれを止めなければ…。

そんなことをグルグル考えているうちに家に帰り着いた。


葉倉礼太

「ただいま」


と癖で言ってしまうが、両親は一昨日から仕事の都合で神戸のほうへ行っており、あと二日は帰らない予定だった。そのおかげで無事ケンをさらうことが出来たのだからタイミングとは不思議なものだ。

もっとも、家についても気にかかるのはケンと釘宮先輩のことばかりだった。

ケンとの思い出を踏み荒らされたような不快感や、悲壮感。そんな感情が胸の奥に渦巻き滞っていく。ケンを食べているときにはあんなに幸せだったのに…。

天罰なんだろうか。

そう考えた瞬間もあったが、これは罰ではなかった。更なる罪への第一歩に過ぎなかった。


ピンポーン。


と、唐突に家のチャイムが鳴るまで、僕はその事に気づいていなかった。


葉倉礼太

「なんだろう?」


宅配便か宗教勧誘か、はたまた新聞代の支払いか。訝しがりながらも玄関へ向かいドアスコープを覗くと、そこには…。


葉倉礼太

「く、釘宮先輩…!」


今の今まで僕の頭を悩ませていた人物が立っていた。思案しているのだろう、腕を組んで難しい顔をしている。

これを無視すると後々まずいことになるだろうということは肌で感じていた。釘宮先輩が僕の家に尋ねてくる理由なんてケンの一件しかないだろう。僕は渋る脳内を振り切ってドアを開けた。


釘宮ゆう

「やあ、葉倉。今時間あるか?」


葉倉礼太

「ええ、大丈夫ですよ。なんなら中に入りますか? 親もいないので」


釘宮ゆう

「そりゃ好都合」


何が好都合だと言うのだろう。僕は恐る恐ると言った気持ちで釘宮先輩を中に通した。

僕の家のリビングに釘宮先輩がいると言うのはなかなか変な感じだ。風景と人物がちぐはぐになっているような気がする。


葉倉礼太

「お茶でいいですか?」


釘宮ゆう

「ああ、気を遣わなくていいわ。それよりも話がしたいの」


葉倉礼太

「話…ですか?」


釘宮ゆう

「そう、ついさっき話した爪の話の続き」


葉倉礼太

「ああ…」


不穏な予想は的中した。釘宮先輩はごそごそポケットをあさり、再び僕の目の前にそれを置いた。


釘宮ゆう

「クラスに動物に詳しい奴がいてね、彼に聞いたらこれは犬――中型犬の爪だっていうんだよ」


私には何が違うのかさっぱりだけどね。と釘宮先輩は笑いながら言うが、目が笑っていない。こちらを値踏みするかのように、あるいはにらみつけるかのようにじっと目を見てくる。


釘宮ゆう

「さて、ここからが本題。葉倉、お前さっきはこの爪について探って欲しくないって口ぶりだったよね?」


葉倉礼太

「そんなことありません」


釘宮ゆう

「そうか、まぁ君がそういうなら信じてやろう。でもね、私の記憶に引っかかってるんだよ、君が犬を飼ってたってこと、それが中型犬だったことも」


いよいよだというように釘宮先輩が身を乗り出してくる。状況は悪くなる一方だ。僕はその場から逃げ出したい衝動に駆られた。


「そしたら今日は空っぽの犬小屋があるばかりじゃない。中身はどうしたの? おっと、母親が散歩中だなんて野暮な嘘はつかないでね、私は君の両親がしばらくいないことも押さえてあるんだ」


葉倉礼太

「…死んだんですよ。随分歳だったから仕方ないことでしょう」


釘宮ゆう

「墓は? 墓はどうしたの?」


葉倉礼太

「埋めました、庭に」


釘宮先輩は完璧に僕を疑いにかかってるが、勝ち筋が見えた。僕は昨日両親に言い訳するために墓を掘って、何も入れないで埋めなおした。掘った土とそうでない土など見ればすぐに違いが分かる。偽装工作はばっちりなはずだ。


釘宮ゆう

「ほお、なら見せてもらおうじゃない。その墓を」


葉倉礼太

「いいですよ、それで釘宮先輩の気が済むなら」


売り言葉に買い言葉ですぐに了承してしまう。けれど墓を掘ったのは確かだし、問題ないはずだ。

それにしても釘宮先輩はどうしてこうも僕を疑うのだろう?

釘宮先輩を庭に案内する。


葉倉礼太

「ほら、そこがケンの墓です」


釘宮ゆう

「……」


土の色が明らかに違う箇所を指差して言えば、釘宮先輩は無言になり、そしてとんでもないことを始めた。


葉倉礼太

「何してるんですか! 止めてください!」


釘宮ゆう

「何って、確認だよ、確認」


釘宮先輩は何たることか、近くに転がっていたスコップで墓を暴き始めた。こんな常識のない人だったか? 信じられない。


葉倉礼太

「人の家のペットの墓を荒らすなんて、やっていいことと悪いことがあります!」


釘宮ゆう

「悪いね、でも私はもう九割確信してるんだ。君の犬が死んだことと特別定食には絶対関係があるってね。犬小屋に捨てられたように落ちてた首輪もそうだ。普通ああいう形見は大切に取っておくものじゃないの? それにな、私は見てたんだよ葉倉。お前がうまそうに特別定食を食べるのを。もう一生食べられない…。そんな顔で泣きそうになりながら特別定食を食べる姿を」

言いながら釘宮先輩は昨日僕が使っていたスコップでどんどん墓を掘り起こしていく。まずい。もうばれてしまう。僕はとっさに釘宮先輩にタックルした。


釘宮ゆう

「おっとと、痛いじゃない、止めてよ。それにこれはもう自白したようなもんだよ」


釘宮先輩は尻餅をつきながらニヤニヤ笑い出した。その顔を見るまでもなく、僕はもう覚悟を決めていた。


釘宮ゆう

「ぎゃっ」


釘宮先輩が持っていたスコップを奪い、尖った先端でその腹を狙って突いた。少し外れて太ももに刺さる。


釘宮ゆう

「やっぱりね! 君、変だと思ってたんだよ!」


興奮気味の釘宮先輩目がけてスコップをザクザクと刺していく。釘宮先輩は顔をかばうようにして逃げようとしない。何故だ? と思ったが、どうも最初に太ももに刺さったせいで足がうまく動かないらしかった。


釘宮ゆう

「大人しそうな顔してえげつないなぁ! もう止めてよ、どうせそれじゃ致命傷にならな…」


葉倉礼太

「うるさい!」


ザシュ。

と言う決定的な音がしたのは釘宮先輩の首を突いたときだった。勢い良く血が吹き出て、庭の土の色を変えていく。


葉倉礼太

「…できるじゃないか、致命傷」


血の勢いはやがておだやかになり、垂れ流す、と言う表現がしっくり来る量になった。

…僕は人を殺してしまったのか?

ぞっとしながら硬直した手からスコップを取って、釘宮先輩の下へひざまづく。

僕は意を決して釘宮先輩の口の上に手をやって、呼吸をしているか確かめた。

…していない。

慣れない手つきで脈も計ってみたが、それも見つけられなかった。

本当に殺してしまった!

僕は自分がパトカーに乗って刑務所まで連れて行かれる姿を想像した。冗談じゃないぞ。こんなことで一生を棒にふれるか。僕の身体は、意思――じわじわと胸に広がるどす黒い罪悪感や危機感を物ともせず、まるで何もかも計算づくだったかのように動いた。

まず風呂場から雑巾を拝借し、釘宮先輩の患部を塞ぐようにガムテープで止める。これは家の中を汚さないためだ。そうした後、釘宮先輩を風呂場へ引き摺っていく。背の低い女性でよかった。これで大男だったらことだ。

また、段差の少ない家でよかった。風呂場に付いた後、服を全て脱がして、ビニールに詰め込んだ。動かない人間を相手に服を脱がすのは大変だと聞いていたが、緊急事態だからだろうか? そこまでの労力を必要としなかった。それよりも始めて見る女性の体に幾分ドギマギした。

さて、難しいのはここからだ。釘宮先輩を片付けてくれる場所には心当たりがある。問題はどうやってそこまで釘宮先輩を運ぶかだ。まさか死体をおんぶして学校へ行くわけにはいかないし、やはりここで解体するしかあるまい。その解体が厄介なのだ。

僕は物置から父が日曜大工で使う電気ノコギリとノコを持ってきて、釘宮先輩を改めて見つめた。腕を二分割、足も同様に。首と胴体を切り離し…、これなら、なんとか旅行カバンに入るだろうか。僕は憶測をつけるとひとまず自分の服を全部脱いだ。血で汚れるだろう事を予測してだ。庭であの血しぶきを前に、あまり汚れが付かなかったのは奇跡としか言いようがない。

とりあえず準備は出来た。僕は試しに釘宮先輩の服を下敷きに腕を切断してみることにした。

電気ノコギリで腕のちょうど関節を切ってみると、意外にもすんなりその歯は腕に飲み込まれていった。詰まるのはやはり骨で、これはしばらく電気ノコギリで削った後、ノコでゴリゴリと何度もこすると、ぽきんと切断された。

これなら大丈夫そうだ。僕は要領よく釘宮先輩をバラバラにしていった。途中大量出血して服を脱いでいてよかった、と思うシーンや危うく自分の指を落としかけるハプニングなどがあったが、結果としては成功だろう。僕は生首になった釘宮先輩を目線の高さまで持ち上げると「あなたが悪いんですからね」と話し掛けた。当然生首は何も言わず、静かにじっとどこかを見ていた。


僕はそれからビニール袋を二重にして中に体のパーツを入れていく。こうなってくると生き物というより肉製のフィギュアのようだ。それにしても重い。血はあんなに抜けたのに、骨の重さはバカにならない。僕は旅行用カバンを持ってきて釘宮先輩を中に入れていった。すると不思議なことに隙間なく、かといって無理もなく身体のパーツが全部入った。まるで今日のためにあつらえたかのようだ。

その後どこへ向かったかというと、当然、学校だ。

目立つカバンにもかかわらず、特に誰かから何か言われたり、不審な目を向けられることなくたどり着いた。

その後、僕はまっすぐ残飯ポストに向かい、まずは釘宮先輩の制服をほんの数メートル後ろにある焼却炉に放り込んだ。

その次は残飯ポストを開けて、肉を掻き分け空間を作る。

そう、釘宮先輩の死体を入れるつもりだった。

本当は焼却炉で服と一緒に燃やしてしまえば良かったのだろうが、僕は、どうしても確かめたいことが出来てしまったのだ。


犬や猫を調理する食堂は、人間さえ調理してしまうのだろうか?


釘宮先輩が死んですぐ思ったことだった。僕は怒りや焦りのもう一枚上のレイヤーに、その疑問を重ねていた。もし本当に調理されたらどうなるんだろう? されなかったとしたら僕はさっきの妄想通り捕まってしまうわけだが…。どうしても、好奇心が勝った。それに、焼却炉で人間が骨まで焼けるなんてなかなか想像できなかったし、案外こっちの方が現実的な逃げ道じゃないだろうか?

僕はバラバラになった釘宮先輩を残飯ポストにドサドサと入れると、上に他の残飯をかけて隠し、そこから逃げるようにして立ち去った。

猫を調理した食堂とは言え、今度はとうとう人間だ。さすがに警察を呼ぶだろうか? 先ほど考えた警察に捕まる自分を思い直してぞっとした。けれど僕には何か確信めいた思いがあった。

…きっとこの食堂は、釘宮先輩を調理するだろう。

これはまったく根拠のない考えではあったが、荒唐無稽ではないだろう。この食堂は普通じゃない。きっとうまく調理してくれるはずだ。

そう確信めいた思いを抱きつつ、僕は後ろを振り返って、釘宮先輩の荷物がきちんと燃えたか確認した。カバン類はまだだが服などの布製品はもう燃えカスになっている。これなら大丈夫そうだ。

これ以上ここにいるのは得策ではない。僕は自分の荷物を確認すると、それを持って逃げるように家に帰った。

少なくともその夜から朝にかけて、警察が僕の元に来るということはなかった。



「今日の特別定食の肉、絶品だってよ」


翌日、僕の耳に届いた生徒同士の他愛のない会話が、僕をどんなに喜ばせたかは筆舌に尽くしがたい。特別定食が今日話題に上がることと釘宮先輩の一件が無関係なはずがない。

…食堂はやってくれたのだ。人を調理するという禁忌を。


「マジで? 特別定食、たまの当たりメニューがすげぇんだよな。行こうぜ」

「まだ残ってるかな~、うまくありつけるといいんだが」


会話の中に人肉のじの字もなかったが、今までのことを思い返してもそのメニューが釘宮先輩だということは想像に難くなかった。警察が来る気配だって未だにないし、噂に流れるような量を提供できるのだって獲物が大きかったためだ。普通一食分の特別定食が美味しかったとして、噂になることなどまず無い。何故なら残飯の量で作られる料理の配分はたかが知れてるし、それと同じものはそうそう作られないのだ。それが噂になり僕まで伝わってくるとなると、相当量作られているのではないだろうか?

僕の報道部の魂に火がついてしまった。釘宮先輩を食べるなんて有り得ない。今日は食堂に行くこともあるまい。そう思っていたのに、今は事の真相を知りたくてたまらなくなっている。好奇心は猫をも殺すというが、僕は殺されてでも真実にありつきたかった。

財布を握り締めると僕は食堂へと走った。どうかまだありますように、と祈りつつ駆けると、あちこちから特別定食の話題が耳に入ってくる。


「俺はいつもと大して変わらないと思ったけどな」

「あんなに美味しいものを食べたのは初めて! 」

「最高だったな、もう一度出るまで俺は特別定食を食べるのを止めないぜ」

「特別定食ってやっぱり何かの残飯なんだよねぇ、嫌だな」

「ああ、胃袋が無限にあればなぁ! 」


やっぱり今日は異常だ。本当の本当に釘宮先輩は食べられてしまったのだろうか? そして未だ提供され続けているのだろうか?

僕は興奮冷めやらぬまま食堂へたどり着いた。そこはいつもの倍くらいの生徒で賑わっており、恍惚とした表情で食事をしている者も何人か見受けられた。あれは絶対特別定食を食べている。

僕は迷わず特別定食の肉の食券を買って、長い列へ並んだ。列の進みはいつもより速く、すぐ食券を渡す番になった。


「特別肉~!」


とおばさんが奥に叫ぶ。もうこの光景を見るのも今日で三日目だ。そしてこれは二度目、「待ってるよ」と無機質な声でぼそりと呟かれた。

おばさんは既に何もかも知っているのだ。どういう方法かは知らないが、とにかくそう感じさせる声色だった。僕以外にも言っているわけではなさそうだし、僕が釘宮先輩を殺したことを分かっていて提供される定食に「はずれ」はなさそうだった。


「はいお待ち」


そして出てきたのはビーフシチューのような料理に、鶏肉のように見える肉が炊き込まれたご飯、生ハムの乗ったサラダに牛乳と言うメニューだった。僕はビーフシチューを見たときから完全にその正体を把握していた。これは間違いない、釘宮先輩である。

とうとう僕は人肉を提供されたのだ。そう思うと胸がこれ以上ないほど高鳴り、足元はふらついた。あわや人とぶつかりそうになったので、僕は慌てて適当な席に陣取ると、そのメニューをもう一度じっくりと見つめた。ビーフシチューに浮かんでいるのはトロトロに煮込まれた肉。炊き込みご飯に混ぜ込まれた少し筋っぽい肉。サラダの上に乗った生ハム。これら全てが釘宮先輩の肉であろう事が、僕には分かった。

その美味しさを知れるのも僕と運のいい数人なのだと思うと胸が高鳴った。さっそく生ハムに取り掛かる。

柔らかく熟成された肉に程よい塩気が乗り、口の中で泡のように溶けていく。滑り込むような滑らかな断面は最適の薄さで、スルリと僕の口の中に吸い込まれていく。

なんて美味しいのだろう! ほっぺたが落ちそう、とはこのような時に使うのだな、そう思わせてくれる。残りの二品も非常に美味で、赤ワインを利かせたビーフシチューは特に絶品だった。柔らかく煮られた肉は食べたことのない上品な美味しさで、僕の口内を幸福に塗り替えた。これはどこの肉だろう?

噛む必要もないほど煮込まれたそれは、元々が柔らかい部位だったのだろうと見当が付いた。僕が真っ先に想像したのは、頬っぺただった。頬肉のワイン煮、なんていかにもありそうなメニューだ。

釘宮先輩は痩せ型だったから、この部位を食べられる人間は限られてくるはずだ。今になってようやく思い起こされる釘宮さんの顔…。

そこで僕ははたと気づく。昨日僕は、釘宮先輩の眼鏡を外し損なったのでは? という問題だ。

そういえばシャツやズボンを脱がせるのに必死で、眼鏡のことは忘れていたかもしれない。眼鏡は顔の一部、なんて言葉がある通り、僕の中で釘宮先輩は眼鏡の印象が強かった。だから眼鏡を取り損なってしまったような気がしている。いや、これは確信だ。僕は確実に取らなかった。生首に話しかけたとき、釘宮先輩は確かに眼鏡をしていた。取ったなら覚えているはずだ。

それを思い出した瞬間僕は口の中からその肉を吐き出しそうになった。

眼鏡。きっと眼鏡は残飯と見なされず、落し物箱かどこかへ届けられているのではないか?

もしそうなら不味いことになった。釘宮先輩の失踪と眼鏡を結びつける人は、普通でも結構な数いるだろうが、食堂の謎肉がこんなに広まってしまっている今、そことの関係を勘ぐる人だっているかもしれない。そして事件当日、釘宮先輩が僕を探していたこと、僕の家に来たことを知ったら、僕は…。

バッと顔を上げると、大盛況の食堂は静まり返り、そこにいる者全員が僕を見ていた。


「お前がやったことを知っているぞ」


そう言われているような威圧感。攻め立ててくる罪悪感。すぐにでも殺してやるという殺意。そんな負の感情が混ざり合って、僕を襲った。本当に誰一人物音を立てないでこちらをジイとねめつけている。

それはほんの数秒、あるいは一秒にさえ満たない短い時間だったろうが、僕を怯えさせるには十分だった。


僕のしたことは皆にばれている――! 


喧騒を取り戻した食堂の中、僕一人だけがそこに入れないでいる。何故なら皆が皆、僕のことを横目に見ているからだ。ひそひそ話でさえ僕の耳に鮮明に届く。


「先輩を殺したんですって」

「ええ! それをどうしたの?」

「食べたらしいわよ、しかも何も知らない人たちにも食べさせたって」

「こんなひどい事あるかよ」

「悪魔だな、悪魔。人間の所業じゃないよ」


そうだ。僕はなんて事をしてしまったんだろう。釘宮先輩を殺した? その上食べさせた? 有り得ない悪行だ。どうかしている。それにもっと悪いことに、それが皆にばれている…!

僕は食堂の雰囲気にいたたまれなくなり、残飯の処理もそこそこにその場から逃げ出した。けれど食堂の外でも僕のことを見る目・目・目…。どこまで逃げれば許してもらえるんだろう?


「あいつ人殺しだって」

「大人しそうな顔してよくやるよ」

「しかもカニバリズム!」

「人が人の肉を食うかよ、それはもう鬼だよ、鬼」


会話が地続きに聞こえてくる。僕はもうこの学校中から食人鬼と見なされてしまった。警察に捕まるのも時間の問題だ。どこか、どこか隠れる場所はないのか!?


釘宮ゆう

「ねえねえ、よくも殺してくれたわね。だけど君は私の大切な後輩だからね、隠れられる場所まで案内してやろう」


耳元で。

そう囁かれた。

バッと右を向くとそこには生首のまま浮遊している釘宮先輩がいた。頬が削られて骨がいくらか露出している。


葉倉礼太

「く、釘宮先輩…!」


釘宮ゆう

「いい?君は家に帰っても逃れられない。あそこで私を殺したって知ってる奴らがもう山ほど見学に来てるわよ。でも君は校内で隠れる場所を一つも思いついてない、そうだろ?」


葉倉礼太

「う…」


生首の釘宮先輩の言っていることは、前半は真実かどうか分からないが、後半は確かなことだった。僕はこの学校で彼らの目をやり過ごせる場所を知らない。


釘宮ゆう

「どう? 図星でしょ。じゃあ私の言うとおりに走るんだ。わかった?」


そう言われると僕は頷くしかなくなってしまった。釘宮先輩の「右」「まっすぐ」「斜め右」というガイドに従ってがむしゃらに走り続けてたどり着いたのは、事の発端の残飯ポストだった。先ほど僕が捨てたときにはさほどたまっていなかった残飯ポスト。こんなところに来たところで何ができるというのだろう?

もう一度逃げ場を探そうとしたその時、すぐ傍で声が聞こえた。


「葉倉礼太って奴が賞金首だってさ」

「マジで? 見つけるしかないなぁ」

「先輩殺して食って食わせてをした奴だからさぁ」


高いんだよ、首。


声はどんどん近くなってくる。

まずい! 隠れないと!


釘宮ゆう

「ほら到着だ。隠れる場所ならそこにあるでしょ。残飯ポストが」


釘宮先輩がそう促す。残飯ポストに隠れろ? そんな不吉なこと…。

けれど声の近さから察するに、僕が隠れられる場所なんてそこくらいしかなかった。もう不吉だのなんだのいっている場合じゃない。頼むから僕を隠すくらいの残飯が出ていてくれ…!

祈りながらポストを開けると、何故だか肉の廃棄が妙に多かった。釘宮先輩を食べられなかった人たちが失望して捨てたのかもしれない。だが好都合だ。これだけあれば身体を隠せる!

僕はとんかつやグリルチキンの間に身体を滑り込ませて足や胴体を覆った。立膝して寝転がったような格好で、膝が出ていないか確認する。次に大急ぎで肩や顔に残飯を乗せると完成だ。量が多くて本当に助かった。

それから急いで蓋を閉めると、生徒たちの声はくぐもると同時にぐっと近くなった。恐らく角を曲がったのだろう。


「食人鬼を捕まえろ」

「食人鬼を捕まえなくては」

「食人鬼を明け渡せ」

「食人鬼を警察に」


二人はまるで軍隊のように声を出している。あわよくば何もせずここから去ってくれ。そう思うも虚しく、彼らは残飯ポストの蓋を開けた。真っ暗だった空間に光が差し込んでいる。


「今日の煮付けは最悪だったな、量が多いばっかりでさぁ」

「まぁそれも釘宮先輩定食に労力割いたからだろ?」

「そうだな、釘宮先輩定食はさぞうまかったろうな」


僕は上から降ってくる残飯を受けながらその言葉に恐れ戦いた。「釘宮先輩定食」だって? もうそこまで情報が回ってるのか!

僕は残飯の雨に降られながらこれから一体どうしようかと考え始める。本当はここから出て真実を告白し然るべき罰を受けるべきとは思うのだが…。いかんせん泣いている親や刑務所内で嫌がらせを受ける自分の姿を想像すると、なかなかそんな気になれなかった。

すると僕は、胸に異常な重さがかかっていることに気づく。なんだ? 今の二人は何を捨てた?

だがおかしい。二人が入れたものなら残飯越しに重みを感じるはずだが、この重みは僕の胸に直でかかっている。これではまるで、押さえつけられているかのような…。僕は恐る恐るその物体に触れてみて、大いに後悔する。

これは腕だ! 釘宮先輩の腕だ!

すうっと伸びた肘までの腕。手のひらに当たる部分が僕を残飯ポストに釘付けにしている。必死で起き上がろうとしても無駄だった。僕が起き上がろうとしてもグイグイ押さえつけてきて許さない。引き剥がそうとしても無駄だった。


釘宮ゆう

「私もこんな気持ちだったよ葉倉ぁ。暗くてさびしくてさ。堪らないだろ?」


釘宮先輩の生首が喋っている。視界を塞いでいるのでそれが確かなことかは分からないが、僕にはそう思えた。

何度も試行錯誤したが腕は外れず、…もう、このままここで眠ってしまおうか。

そんな案が出始めたのはすっかり息も上がって、ここから逃げることを諦めてしばらく経ったときのことだった。

もう釘宮先輩も世間も僕を許してくれない。

僕の意思などどうでもいい。誰かに見つかって通報されても、おばさんに見つかって叱られても、どれも同じことに思えた。要は投げやりな気持ちになったのだ。

そうだ、事の発端はここだった。すると、ここで終わるのが筋ってものじゃないか? もう僕は賞金首にかけられているらしい。それは現実なのか狂った僕の妄想なのか、分からない。だけどどっちでもいいじゃないか。もう、なんでもいい。

そう考えていくとだんだん眠くなってきた。そうさ、どうせ僕には閉じられた未来しかない。諦めようと諦めまいと釘宮さんの腕が僕を許してくれない。残飯に埋もれていると、僕こそが残飯なのだと思えてくる。猫を食い、犬を殺し、先輩をたくさんの人に食わせた。こんな人間がこの先どうしようと、何が変わるというのだろう。ああそうさ、僕は行き着くところに行き着いたのだ。

僅かに見えていた外の光がだんだん薄くなり、真っ暗になる頃には僕は眠りに落ちていた。今何時なのか、それも分からない。そんな中目覚めたのは、突然残飯ポストの箱を開けられたからだった。

バタン!

と無遠慮に箱を開けられた衝撃で、僕の身体はほんの少し跳ねた。一体誰が? と思う間もなく肉の区切りの中に手を突っ込まれた。その手はゴム手袋をしている。そうか、食堂のおばさんか!

その手は次々に肉の残飯を掻き分け、取り除いていった。そうなると僕がここにいるということがばれるのは時間の問題で、それは存外すぐにやってきた。


葉倉礼太

「あ、あはは…」


膝が露出したあたりで僕の存在は気づかれていたろう。おばさんは僕の顔周りの肉をどけると、グイと首根っこを掴み僕をポストから半身出した。不思議と、釘宮先輩の腕の重圧はなくなっており、腕自体も見つからない。おばさんと目が合うと気まずさのあまり笑うしかなくなった。けれどおばさんはニコリともせず僕をねめつけていた。

その冷たい瞳にぞっとした僕は、先ほどの諦念も忘れ、どうして早く放してくれないのだとジタジタ暴れるように動く。おばさんゴム手袋が首筋につめたい。僕一人を片手で支えるおばさんに勝ち目はなく、僕は無力に足や手を動かしていた。

そして気づく。おばさんがもう片方の手に持っていたそれに。

肉切り包丁だ!

おばさんも僕が気づいたことに気づいたらしい。その包丁を大きく振った後、僕をポストの外に引っ張り出して切っ先を僕に向けた。


葉倉礼太

「ゆ、許してください…! ほんの出来心だったんです!」


殺される! そう直感的に悟った僕は必死に命乞いをした。一体何に対する謝罪なのかはまるで分からなかったが、とにかく謝った。そもそも人間を調理して振舞うような異常な人物に、そんな謝罪など全く無意味だろう事が僕にも分かっていた。けれど謝らずに入られなかった。なんとしても許してもらわなければならないという焦りが僕にあった。

けれどおばさんは肉切り包丁を素振りしている。もしももっと勇ましい人ならすぐにでもここから駆け出して逃げられたのかもしれないが、僕は腰が抜けてしまいそんなことを出来る精神状態ではなかった。それに、言い訳を重ねようと絶対に聞き入れないという気迫が僕にも伝わってくる。身体でもダメ、言葉でもダメとなると、後は情けなくズルズル後ずさることくらいしか出来なかった。

肉切り包丁が妖しく光る。僕の首と身体はきっとあれで切断されて、腕を落とされ足を落とされ…。

もうだめだ…。諦めた僕に向かって、最期、おばさんはこう言った。


おばさん

「待ってたよ」




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