東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 筆洗 > 記事

ここから本文

【コラム】

筆洗

 演歌師、添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の「ノンキ節」は一九一八年の流行歌で当時の庶民の生活の苦しさを歌っている。曲の中で繰り返される<ノンキだね>はそれでもがまんする世への皮肉であろう▼痛烈な資本家批判もある。<機械でドヤして血肉を絞り五厘のコウヤクはる温情主義>。心優しい資本家もいるが、その温情にしてもたかだか五厘の膏薬(こうやく)だとからかう。こう続く。<其(そ)のまたコウヤクを漢字で書いて渋沢論語と読ますげな あ、ノンキだね>-▼渋沢論語は安い膏薬と歌われているのは新一万円札の肖像画に起用される実業家の渋沢栄一。社会救済を通じ、富を再分配する「道徳経済合一説」を説いた日本の資本主義の父も、その歌ではかたなしである▼生涯に関与した企業は約五百。唖蝉坊は笑おうが、ビジネス分野から日本の近代化を支えた人物に違いない。社会事業、教育、学術分野への物心両面での支援も考えれば、起用に異論は少なかろう。高潔無私の人物だったとも聞く▼最高額紙幣の顔がビジネスマンという点に金の世を思わぬでもないが、そういう時代になったか。それにしても政府のはしゃぎっぷりである。唖蝉坊の毒は感染するらしい。替え歌を一節▼<変わる変わるよ 平成が令和に 福沢さんは渋沢さんに跡目を譲る 政府の祝いの太鼓に浮かれてみたけれど 財布の中身は変わらない あ、ノンキだね>

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】