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連載! 佐々木守論

佐々木守論 番外編「『アイアンキング(72年)』が戦った時代【前編】

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『ウルトラマン(66年)』等の子ども向けテレビシリーズで絶大な支持を受けたTBS日曜7時のタケダアワー
 その枠で宣弘社がテレビ史黎明期に放った傑作子ども向け時代劇『隠密剣士(62年)』を、現代風巨大ヒーロー特撮ドラマにアレンジしたのがこの『アイアンキング(72年)』である。
 『アイアンキング』は、前年の宣弘社、日本現代企画で制作されたTBS橋本洋二プロデューサー、佐々木守氏企画の『シルバー仮面(71年)』の、数字(視聴率)的な大敗への雪辱戦という意味合いもあって、徹底的な「娯楽主義」を前面に打ち出すと共に、当時としては、子ども向けドラマでは果しえない筈の、石橋正次氏と浜田光夫氏による主役コンビというキャスティングが話題をさらった。

 本作主演の石橋氏は藤田敏八監督の『非行少年 若者の砦(70年)』でスクリーンデビュー。
 元祖・実写版『あしたのジョー(70年)』でも主人公・矢吹丈を演じるなどで一気に脚光を浴び、この時期NHK大河ドラマ『春の坂道(71年)』にも出演。テレビ俳優としては『打ちこめ!青春(71年)』『飛び出せ!青春(72年)』『おれは男だ!(71年)』等の、主に学園ドラマの生徒役でで「少年っぽさを蓄えた不良青年」のイメージで国民に広く知れ渡り始めていた。
 歌手としてもここまでに『明日の俺は』でデビューしており、まさにこの時期は売り出し真っ最中であったわけであり、石橋氏はその後も俳優としては『天下堂々(73年)』『夜明けの刑事(74年)』などで立て続けに活躍。大島渚監督・佐々木守脚本の松竹ヌーベルバーグの系譜のATG映画『夏の妹(72年)』等でも好演した。
 歌手としても72年の『夜明けの停車場』で第23回紅白歌合戦に出場する等成長目覚しく、『お嫁にもらおう』『夜明けの街』等々ヒット曲も数多く飛ばした、いわば当時の国民的タレントでもあった。
 そんな石橋氏が演じるのは、『隠密剣士』では秋草新太郎にあたる、静弦太郎。実はこの『アイアンキング』で巨大ヒーロー・アイアンキングに変身するのは石橋氏演じる弦太郎ではなく、『隠密剣士』では霧の遁兵衛にあたる霧島五郎。

 その霧島五郎を演じた浜田光夫氏は、映画黄金期に日活吉永小百合嬢と黄金コンビで『キューポラのある街(62年)』『愛と死をみつめて(64年)』等で一世を風靡した国民的スターだった。
 日活時代は、石原裕次郎とはまた違った「優しさと甘い笑顔を蓄えた二枚目」として、社を支える位置にいる看板俳優でもあったのだ。
 しかし66年に起きた乱闘事件で右目を負傷し、一時的に映像業界の表舞台から姿を消し、その後も右目の保護が必須なために、サングラスやアイカバーを着用した状態でしか演技の仕事も出来なくなったという、不遇な時期を迎えていた。
 しかし、佐々木守氏が朝日放送山内久司プロデューサーと組んで企画した「脱・ドラマ」と呼ばれるホームドラマコメディ『お荷物小荷物(70年)』で、コメディリリーフとしての才能がお茶の間に知れ渡るようになってからは『なんたって18歳!(71年)』等で、広く国民に愛される人気者俳優に返り咲いていた。

 そんな「今が旬の国民的スター俳優」を二人揃えて企画された『アイアンキング』。
 内容的には、国家警察機構の工作員でもある、アウトローヒーロー静弦太郎と、とぼけた三枚目でありながら、巨大ロボット・アイアンキングに変身する霧島五郎の活躍を、明快にさわやかに、スピーディに描く正統派ヒーロー物……と思われがちだが、一皮めくると反骨反体制佐々木守氏の政治的側面がぐらぐら煮えたぎっている傑作(笑) ビジュアル的には、ウルトラマン的巨大特撮ヒーローと、仮面ライダー的等身大アクションや忍者物の殺陣や描写、西部劇風ファッション等々、様々な要素を取り入れつつも、『仮面ライダー(71年)』ではショッカーにあたる、いわゆる悪の組織「不知火一族」は「かつて朝鮮半島から侵略してきた大和朝廷騎馬民族に滅ぼされた、日本原住民族の末裔」というシャープな設定。

「僕が『ハイジ(引用者註・『アルプスの少女ハイジ(74年))』をやった時は、ハイジが都会の中でアルプスの自然を強く求めれば求めるほど周りとズレていくという部分を強く担当したので、アルプスの生活部分は、あまり書いていないんですよ。僕は『風の谷のナウシカ(84年・宮崎駿監督)』なんかは、あまり好きじゃないんです。あれは要するに、『風の谷』の人々が自然と調和して 平和に仲良く暮らしているというお話でしょう? あぁいう物を見せられても『ハイその通りでございます』としか言えないんですよ。 だけど現代の日本で、本当に自然と調和して生きていこうという人間が存在しようと思ったら、それは現代社会の体制やシステムから見た時の『悪者』としてしか現れようがないと思うんです。『アイアンキング』で日本原住民を悪者にしたのも、そういうことなんです(『夕焼けTV番長』「佐々木守インタビュー」岩佐陽一)」

その不知火一族が毎回、テロ工作を襲うために身を隠す姿は「先祖代々を拝み続ける老婆」「善良な市長」「お寺の僧侶」「漁村の漁師」 そして「警察官」「海上自衛隊員」と、どれもこれも「正しい日本人」という念の入れよう(笑) それに対して主人公の弦太郎の根幹設定は、孤児として生まれ、国家警察機構(要するに公安)によって戦闘工作員としてのみ育てられ、佐々木守氏作詞のエンディングによれば「しあわせ」「よろこび」「さびしさ」を知らずに育ってきた男。
 そんな「人工的に作られたアウトロー」だからかゆえか、弦太郎は子ども番組の主人公にも拘らず平気で「大の虫を活かすためなら小の虫は殺す」と言い「俺は明日、死ぬかもしれない男だ」とも言い放ち、旅先で知り合った少年に「どこへいくの?」と聞かれた時も、明るく笑顔で「戦争さ」と言い切る男。

 もう一人の主人公・アイアンキングに変身する霧島五郎は、こちらは平凡な人生と、登山と言う趣味があっただけの青年が、その山で命を落として、国家の手で国家の為に戦う戦闘用ロボットとして蘇ったという設定がある。その五郎にはロボットという自覚はなく、弦太郎が見捨てる女性を助けに行く時にも「俺には人間らしい血が流れてるんだよ」と強がってみせる優しい性格の持ち主。
 『アイアンキング』は「そんな二人」が「国家の為の命を賭けた二人だけの戦い」の中で、それぞれが「まっとうな人間」になっていく、そんな物語なのである。

  かつて『おくさまは18歳(70年)』で佐々木守氏は、学園という「安保闘争以降の管理教育の籠の中」に、変革させられつつあった場を徹底的に皮肉った。
 「そこ」で徹底的なドタバタコメディを延々展開させた挙句、最終回で大団円にすらせずに、ただ最終回にスタッフ・キャストに配布された台本の最後に「ほんとうによく走りました。 一年間、みなさん、お疲れさまでした」と書いたという。
 それはテレビの現場という代物が、そこで集められた面子の抱く一体感や、馴れ合い・共犯意識のような物が育っていくと、脚本の文芸性を越えて、現場全体がエスカレートしていくのだという法則性を、当時大人気脚本家だった佐々木氏は、知っていたからなのだろう。
 そうして全登場人物が走り続けた『おくさまは18歳』は、出演者全員のライブ感を反映して、見事なスラップスティックドラマとして、今なおドラマ史に残る金字塔作品になったが、この『アイアンキング』も同じように、石橋・浜田コンビの掛け合い漫才が加速していく。

  序盤の『アイアンキング』では、その石橋・浜田コンビに紅一点として、森川(真樹)千恵子嬢が、レギュラー・高村ゆき子役で旅を共にしていた。彼女の役は不知火一族のスパイでありながら、石橋・浜田コンビに共鳴していくという、佐々木守式ならではのメロドラマ的展開も用意されていたのだが、撮影中にトラブルがあり、事務所要望などもあって途中降板せざるを得なくなり(当初は彼女専用の不知火ロボもデザインされていたが)急遽降板に相成った。
 森川千恵子嬢の降板というと、やはりどうしても『仮面ライダー』13話までの、重要なヒロインレギュラー役だった緑川ルリ子というキャラの降板も思い出されるが、あちらは路線変更に伴うリストラ故の降板であったので今回とは事情が違う。しかし、森川千恵子嬢に関しては子ども番組に関しては不遇な去り方をする印象が強い。

 その代り、といってはなんだが、森川嬢降板以降は毎回の作劇が「ゲストの女優が登場し、なんらかの理由で石橋・浜田コンビと出会い、事件が終わると共に別れを告げる」パターンで構築されていき、そのパターンは同時期のウルトラシリーズが「毎回ゲストの子どもが登場し、なんらかの理由で主人公や怪獣と絡む」パターンと対を成しており、見比べてみると、ことさら『アイアンキング』の独自性が伺えて面白い。

 そこで登場する女優陣も、橋本洋二プロデューサーと当時大人気脚本家だった佐々木守氏が、互いのコネクションを駆使して集めた大盤振る舞いな豪華女優陣であり(そこは「佐々木守氏の脚本作品ならば、ジャリバンでもゲテモノ番組でもOK」という 女優が所属する事務所の政治的判断もあったのだと思われる)その面子も、関かおり、星光子という「『ウルトラマンA(72年)』の二大・南夕子」をはじめとして、『おくさまは18歳』主演の岡崎友紀『八月の濡れた砂(71年)』テレサ野田、当時すでに『アイちゃんが行く!(72年)』で脚光を浴びていた坂口良子、『シルバー仮面』ではレギュラーだった夏純子『決めろ!フィニッシュ(72年)』主演の志摩みずえ『キイハンター(68年)』で一躍人気者になった大川栄子等々、毎週が絶頂期アイドル女優ゲスト特番状態。
 しかし、旅ゆく先々で出会ったそういったゲスト女性陣から、弦太郎は次々に「貴方がいるから皆が不幸になる」「貴方からは血の匂いがする」「貴方は戦うことが好きなだけよ」と罵られ続ける。挙句には「静弦太郎の卑怯者!」と、去りゆく背中に罵声を投げつけられる。

 それは弦太郎が、不知火一族を倒すために、目前の怪我人を見捨てたり、一般市民の少女達をも「敵を誘き寄せる為」の囮に利用するからだ。 そうして闘い続ける静弦太郎は、そんな女性達が当たり前に抱く、優しさや悲しみといった「人間の感情」を知らない。
 誰からも教わっていない、味わったことがないから知らないのである。
 弦太郎は「戦う事、勝つ事、国家を守る事」しか、教えてもらわずに育てられたからだ。 弦太郎が向かう旅先で出会った女性達は、皆が弦太郎にとって母となり、しあわせもよろこびも知らない弦太郎に大事な事を教えて(多くは命を失って)作品世界から去っていく事になる。

 しかし、不知火一族の本拠地に向けて脇目も振らずにひた走る弦太郎が人知れず抱く「さびしさ」を知る者もまた、ロボットでしかない五郎ただ一人なのだ。
 弦太郎が一瞬抱いた「ゆき子への愛」は儚くも散った瞬間に「永遠」へと移ろい、その「果てしない孤独」は白いギターと共に、ゆき子の墓に置き去りにされたのだ。
 そんな弦太郎が勝ち進むたびに、かつて大和朝廷騎馬民族に滅ぼされかけた不知火一族の恨みは、それでも執拗に「大和民族」「大和政府」と共に「国家の為に全ての感情を捨てきった」弦太郎が全て背負っていくことになってしまう。 
 第8話『影の地帯』では(忍者物の定番とはいえ)不知火一族に生まれてしまった兄妹の背負わされた宿命と、大和民族(そんなものは実際は不知火一族同様に存在しないのだが)大和政府に滅ぼされた復讐によって、自ら命を散らしていく。
 しかし、次々と現れる不知火一族を倒す弦太郎は、常に爽快でニヒルでカッコよく、影はなく、何も背負わない、背負う心がそもそも最初からない。
 当時ファッションで持て囃された「孤独なアウトローヒーロー」の本質がどこにあるのか。「正義の味方」が持つ「原罪」の重たさや辛さはどこにあるのか。

『アイアンキング』は、主人公コンビによる滑稽なコントのような掛け合い漫才と、気障でシャイで不良性でアウトローな主人公像で「その真実」を暴く。
 天才・佐々木守氏はそんな「孤独過ぎて悲しすぎる青年」をして(当時)テレビの前にワクワクして座った子ども達や、石橋正次氏目当てでチャンネルを合わせた女性達に「カッコいい!」としか思わせない。

 そしてようやく第10話『死者へのくちづけ』で不知火一族編は完結をみるのだが、その不知火一族をテロリズムへ駆り立てたのも、弦太郎をカタワ者として育てたのも、人の良い青年・五郎を兵器に改造したのも、そこで生じる凄惨なる戦いを生んだのも、これは全て「大和民族・大和政府二千年の所業」なのだという構図が重たくのしかかる。
 そこであくまで「平和を乱す悪の秘密結社」として壊滅させられる不知火一族と、その次に登場する、「現政権を打ち倒すのだ! 革命の時が来たのだ!」と叫ぶ、パレスチナゲリラそのままの風貌の、独立幻野党という悪の組織について、佐々木氏は後年「佐々木氏の思想とは正邪が逆では?」という質問に答えた。

「確かに逆なんだけど、テレビじゃ反体制の人間を主人公にはできないよ。そんな企画書いても通らないし。ただ『不知火一族』にしても『独立幻野党』にしても、この日本に、国家体制に断固として逆らい続ける人たちがいっぱいいた方が面白いでしょう(笑) 断固として国家と戦い続ける人々の姿を書きたかった。自己満足かもしれないけれど、誰かがその気持ちを分かるだろう、ってね。大和朝廷とか騎馬民族とか、番組を見ていた子ども達があとになって、歴史の授業のときに『あぁそういやそんなことがあったっけ』って思い出してくれればって(『夕焼けTV番長』「佐々木守インタビュー」岩佐陽一)」

そんな「見るからにパレスチナゲリラ」の「独立幻野党」が暗躍する第二部。
 そこでは彼等が操るロボットは、見るからに「いかにもな恐竜型怪獣」の風貌。そこは他の巨大特撮ヒーロー作品群にも言えるところなのだが、特撮ヒーローの王者・ウルトラシリーズとは違う、各社の各シリーズは、各自、少しでもウルトラマンと違う作風やビジュアルを売りにしようと『ミラーマン(71年)』は「インベーダーが変身した幾何学的フォルムの怪獣」『シルバー仮面』は「等身大で暗躍する、前衛的なデザインの宇宙人」『スペクトルマン(71年)』は「公害の恐ろしさを醜さと混沌性で体現した怪獣」と、それぞれ工夫を凝らした、敵キャラのデザインワークを主軸に展開してきたのではあるが、泣く子と地頭には勝てず、子どもの移ろい激しいハートをキャッチしようとするあまり、どの番組も最終的には「ウルトラに出てきそうな恐竜二足歩行型怪獣」を出し始めた。その刹那的変化は『アイアンキング』にも言えた。

 『アイアンキング』の場合、終りかけた『ミラーマン』の裏番組として颯爽と登場し、『ミラーマン』終焉にトドメを刺した……という見方もできるかもしれないが、逆にフジテレビ別所孝治プロデューサーは、『ミラーマン』の後番組に(『ミラーマン』で円谷プロに別れを告げた脚本家・藤川桂介氏を引っ提げて)永井豪原作のスーパーロボットテレビ漫画『マジンガーZ(72年)』をぶつけてきた。
  この『マジンガーZ』は登場後すぐさま、大ヒット人気番組になるのだ。おりしも『アイアンキング』は『マジンガーZ』を先駆けた「巨大ロボット対戦活劇」の先輩作品とも言えるのかもしれないが、『アイアンキング』はこの時点でちょうど、人型巨大ロボットが敵キャラとして登場していた、不知火一族編が終了。だからなのか『アイアンキング』は次の独立幻野党編からは「中身はロボットであり、党員からは『鋼鉄の同志』と呼ばれるが、外見的には『ありきたりな普通の恐竜型の怪獣』」で特撮シーンの見栄えを変えてきた。しかしそれは逆を言えば、特撮シーンだけ観るとやはり「『ウルトラマン』の亜流にしか見えない」という弊害も生みだすことになった。

 『アイアンキング』でデザインワークスを担当したのは池谷仙克氏。
 池谷氏は『ウルトラセブン(67年)』後半からウルトラシリーズでの怪獣・宇宙人を担当し、『帰ってきたウルトラマン(71年)』序盤ではタッコングやツインテールを生み出し、その後は日本現代企画の『シルバー仮面』で全話のヒーロー、宇宙人をデザインして、『アイアンキング』でも全てのデザインを手がけきった。
 池谷氏によれば、今回のヒーローは独自のアイディアで練り込んであったのだが、プロデュースサイドから「子どもに受ける赤い色のヒーローにするように」と言われ、開き直ったかのように「シルバー仮面とウルトラセブンを足しただけ」デザインに変更。元々ヒーロー用にと暖めていたアイアンキングのデザインは、細部だけを変更して、第一話に敵ロボットとして登場するバキュミラーで流用されている。
 『アイアンキング』では、不知火一族編では人型ロボット、独立幻野党編では正統派恐竜型怪獣、タイタニアン編では昆虫型怪獣と、3シリーズに分けてコンセプトを変えた敵キャラが主人公コンビと戦うという設定であった為、デザインワークもバラエティに富んだものが要求される(中には独立幻野党編に登場したジュラスドンのように、池谷氏が過去にデザインした『帰ってきたウルトラマン』タッコングのセルフリメイクのような例もある) 。

 そんな池谷デザインのキャラクター達の造形を担当したのは、初期ウルトラシリーズで怪獣造形の神様と崇め奉られた高山良策氏。
 70年代の高山氏は、まずはピープの『スペクトルマン』で怪獣造形を担当し、『帰ってきたウルトラマン』でグドンとツインテール、ステゴンの三体だけ造形しつつ、一方で『シルバー仮面』『アイアンキング』で日本現代企画・池谷仙克デザインの宇宙人や怪獣の造形を担当し、『アイアンキング』終了と同時に、円谷プロ10周年記念劇場用オリジナル怪獣映画の『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス(72年)』に登場する三体の怪獣と、同じく円谷プロ10周年TV『ファイヤーマン(73年)』の怪獣を手掛ける大車輪状態だった。
 しかし稀代の芸術家・高山氏をもってしてもこの繁忙期に、初期ウルトラ並みのクオリティは保てず、所謂「高山目」だけは生きているものの、『アイアンキング』から『ファイヤーマン』時期までの怪獣はどれもこれも、アクション演技への耐久性と、コスト優先の仕上がりに終始してしまっていた。
 だがシリーズ中盤で登場した首長竜恐竜タイプのトンガザウルス等は、本家円谷のウルトラ怪獣でも(首や尻尾の操演の難しさから)敬遠されたタイプの怪獣で、そこへ果敢にチャレンジし、見事に一定レベルの造形とアクション性を兼ね備えさせた高山良策氏の怪獣造形能力は、この時期まだまだ抜きんでいたと言えるだろう。

特撮に関しては、『マジンガーZ』人気に対抗するため、中盤以降都市戦闘シーンを強化。円谷プロで長年カメラマンを務めてきた鈴木清氏や、同じく長期に渡って助監督を務めてきた山本正孝氏等が特撮監督を担当し、古巣から高野宏一氏も招いて、堅実な特撮表現を見せた。『アイアンキング』はウルトラシリーズには到底かなわない低予算作品なので、大掛かりな都市ミニチュアセットを出す事が出来ない。広大なセットを埋め尽くすビルや都市のミニチュアが用意できないからだ。しかし、『シルバー仮面』後半からの日本現代企画の特撮は主に、セットの両サイドを縦並べでミニチュアのビルで埋めて、真ん中に大きめの道路を配置。そこに怪獣を配置することでセットの奥行きを活かし、予算の低さを補う画を作った。

もちろんそんなセット構造では、ウルトラのような派手な戦闘アクションは展開できないが、『シルバー仮面』『アイアンキング』で、特撮で都市部が描かれるのは、概ね序盤での、敵のロボットによる破壊工作と大暴れのシーンであり、クライマックスのバトルは、殆どが荒野や山岳地帯のミニチュアセットで繰り広げられた。
 それは逆に、筆者のようなマセガキが当時ウルトラシリーズに抱いていた「ウルトラマンと怪獣が戦う時だけ、都会のど真ん中に広がる『ウルトラ広場』」への、興醒め感やガッカリ感を味あわせない効果を副次的に生み、それなりの効果を上げていた。

光学合成でも、どうしても合成カットは経費がかさむし熟練した技術が必要なので、序盤はアイアンキングはキックや格闘を主体にして戦い、敵ロボットのトドメは、弦太郎が(主に敵巨大ロボットを操っていたテロリストが手にしていたコントローラーを、アイアンベルトで奪い取り破壊して自爆させる手法で)最終的に敵ロボットを倒すルーティンが主流であった。
 アイアンキングはあくまで主人公の弦太郎をサポートする役であり、その実力も決して「強くて無敵の巨大ヒーロー」とはほど遠く(活動時間がそもそもウルトラマン達とは比較にならない程短い「1分間」しかない)毎回最終的に敵ロボットを倒すのはアイアンキングではなく弦太郎の方なのである。
 アイアンキングが自力で敵ロボットを倒すのは、第16話『トラギラスを倒せ!』の怪獣ロボット・トラギラスが最初になるのだが、シリーズ中盤以降は、光学合成も多少取り入れて、簡素ながらアイアンキングは光線技も披露することになる。

 つまり物語的にも活劇的にも、メインで主人公として活躍するのは静弦太郎の方なのだ。
 弦太郎は「アイアンベルト」と呼ばれる武器で戦うスタイル。アイアンベルトは、状況に応じてフェンシングのような剣状態と、巨大なロボットの動きさえも止めて弱らせることが出来る、鉄の鞭状とに変形が可能で、弦太郎は常にアイアンベルトを手にして、迫りくる敵を打ち倒していくのだが、筆者達の少年時代、既に子ども達のチャンネル権は『マジンガーZ』へ移っていた筈なのに、ズボンのベルトを外しては、アイアンキングごっこ(というか弦太郎なりきりごっこ)を、休み時間になるとはしゃいで興じる少年が多かったのを記憶している。
 そういった「数々の『ウルトラマン的特撮作品フォロワー』作品群」とは一線を画し、佐々木氏による、佐々木氏でしか出来ない独自性を打ち出し続けた『アイアンキング』。
 しかし「『ウルトラマン』的な怪獣番組としての脆弱さ」を補って有り余る「70年代のテレビ娯楽の面白さ」が幕の内弁当のようにぎっしり詰まったのがこの『アイアンキング』であった。

「お茶の間にも自然と反体制を容認する視点があった時代だったんだ。たとえメチャクチャだろうと……。そういう意味じゃ、今はメチャクチャじゃないもんね。結果的には、こうした作品を書いていた時期はよかったですよ(佐々木氏・談)」(『夕焼けTV番長』「佐々木守インタビュー」岩佐陽一)

【中編に続く】



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