☆ ☆
今でも、残っているので、驚いているのですが、彼女とは、よく西麻布のアマンドという喫茶店で待ち合わせしたり、当時は、トレンドの最先端だった六本木のアマンドに行って、色々な話をしました。もっぱら、彼女に教えてもらっていました。大学の近くの喫茶店で、話をしたときのことです。彼女は「あのね、私、死ぬかも知れないから、死んだら、あなたに、私の本を全部あげるわ」と言ったのです。「えっ、何を言っているの」私は、彼女が冗談を言っているのだと思いました。そして、その二日後、バレンタインの翌日に、彼女が死んだことを知りました。年上で、大学の、確か、助教授をしていた男性は生き残ったと聞きました。彼は、日本を代表するような有名な外交官ファミリーの一員でした。彼女が亡くなってから、何度か、彼女の眠る、西麻布の青山墓地に行ったことがあります。今年のバレンタインデーは、オーストラリアのブッシュファイアーがあって、ブログでは、この話が、できませんでした。私は今でも、なぜ彼女が死んだのか分かりません。学生運動の挫折?あるいは、失恋?彼女は、当時、同級生で小説家の卵に恋をしていました。一緒に心中しようとした人とは、恋愛関係になかったのです。生き残った人は、今何をしているのでしょうね............私の手元には、日本からアルゼンチン、そしてオーストラリアと地球をぐるりと旅して、捨てることの出来なかった、彼女の大学のノートがあります。私が、彼女から借りていたもの。文学?。ノートには、モンテーニュと書かれたところに、「飛ぶことへの憧れ」と書いてあります。私は、彼女は、飛ぶことに憧れて、命を絶ったのだと解釈しているのです。実行力のある人でしたから。ノートは、いつか、彼女のご両親にお返ししようと思っていたのですが、その機会を逃しました。あの頃は、大学近くの穴八幡神社で焼自殺をした学生もいて、不安で・不穏な時代でした。岩田すみれさん。色白で、目が本当に大きく、いつも、紅い口紅をしていた。髪が真っ黒で、カーデガンとセーターのアンサンブルがとてもお洒落だった。彼女のことも、彼女の姿も、私は今でも、鮮やかに覚えています。
☆ ☆
メルボルンに今日は、1.2ミリメートルですが、雨が降りました。しかし、今週末から、また40度近い気温になるということで、ブッシュファイアーが広がる恐れがあると聞きました。弟たち夫妻は、とりあえず、家に戻りました。まだ、煙が立ち込めていると聞きましたが.......。事務所の近くの靴屋さんに、ご主人と息子さんが戻りました。奥さんはまだ戻っていないようです。ブッシュファイアーで亡くなった娘と孫のために、何かしているのでしょうか。生き残った家族のために何かをしているのかも知れません。靴屋さんのことは、近所のドライクリーニングのオーナーが教えてくれました。彼女も「本当に、ひどいことだ。本当にひどいことだ」と、何度も繰り返して言っていました。
☆ ☆
隣のサリーは、月曜日に病院に入りました。今、一生懸命ガンと戦っていると思います。主人が、金曜日に、一緒に病院に行こうと言っています。日本に行く前に、彼女にあって、励ましてこようと思っています。今日は、下の娘と、ちょっとだけ出かけました。少しは、彼女と2人だけの時間を作りたかったのです。日本のアーチストが展示会をしているから、行ってみたいわと、彼女が言っていたので、美術館に行くのかと思ったら、買い物に誘われました。「ねえ、これ買っていいかしら」ふうむ。「お母さんのいない間、サリーと散歩してあげるから」そうか、それを言われるとNOとは言えない。買い物から戻ると、主人が、ロケット、プロシュート(生ハム)、ゴートチーズ(山羊のチーズ)のパスタを作って待っていてくれました。あと、二日で、日本出張。今夜は、遅くまで仕事です。
スポンサーサイト