僕の同期です。
伊藤隆行。
実は同期と言っても、正直そんなに良くは知りません。
もちろん、会えばしゃべるし、
同期会で何度か飲んだことはありますが、
まぁ、その程度。
入社時は早稲田で現役で、何となくエリート臭をさせてるなぁと思ってました^^
で、編成いったからなおさら。
とはいえ、あるタイミングから注目(?)してました。
目立つ番組やってたし。
で、そんな伊藤君
(なぜか僕の中では同期なのに「伊藤君」なのです。畏怖でも揶揄でもよそよそしさでもないんですが)
が、本を出すと。
「伊藤Pのモヤモヤ仕事術」
僕が唯一、弊社バラエティーで録画を欠かさずしているのが、
モヤモヤさまぁ~ず、だったりするのもあり、
こりゃ、読まなあかんなぁと。
僕、たぶんモヤさまに出てくる、伊藤Pのファンなんです。
あの、ふらっと出てくる感じが好きなんだよね。
(細谷Pはそれを真似しているといっても過言ではない。
僕は単なる出たがりでもあるのですが。。。)
なので、同期と言うのももちろんあるけど、
ファンとして読んだのかも。
で、結論です。
なんのひいきもなく、良い本です。
テレビ東京の人はもちろん、テレビ局を目指す人ももちろん、
でも普通の仕事人(主婦も仕事人です)たち、これから社会に出る学生さんも、
読んでください。
出演者の皆さんも(←言ってくれれば僕がプレゼント^^
意外と知らない番組の成り立ちとかもわかります)。
ただ、他局の人は読まないでください。
一言で言うと、潔い本。
肩肘張らず、気配りを忘れず、役割を見極め、
偉ぶらず、攻めるところは攻め、守るところは守り、
もがきながらも、自分を確立するさまが、
潔くさらけ出されています。
面白いことをやりたい、違った番組を作りたい。
そのために何が必要か。
サラリーマンとしてのポジショニングと、
プロデューサとしての立ち位置。
お見事。
そして、潔いなかにも、別に卑屈になるわけでもなく、
あきらめるわけでもなく、
誰でも(一見)簡単にできそうな仕事術、考え方を、
伝授してくれます。
テレビの仕組みや番組の成り立ちなど、
テレビの裏側的な話も多く、
テレビ好きな人たちにはとっても面白いと思います。
特に、テレビ局志望の学生さんは読んだらいい。
ただ、本の中にもあるように、
テレビ東京は小さすぎる分他局とは違う部分も多いと思うけど。
でも、それ以上に、サラリーマン論というか、
リーダー論と言うか、それを語ろうとしているわけではないのかもしれないけど、
そこも読みどころかな。
もちろん、本なので上手く書いている部分もあるとは思うけど、
彼と仕事をすることはいいことなんじゃないかと。
また、第6章のテレビ論については僕は秀逸だと思います。
テレビ業界がやいのやいの言われている中、
伊藤君のマインドは素敵。
その表現方法が、嫌みなく、かつ、はっきりとしている。
ここだけは他局の人も読んでほしい。
きっと僕達も、いろんなことに迷った、迷っている半年です。
答えは出ないのかもしれないけど。
なにはともあれ、
テレビ東京の社員をはじめ、僕の周りにいる人たちにはぜひ読んでもらいたいです。
面白くなかったら、僕がお題は払いましょう。
たぶんテレビ東京で現役の社員(除くアナウンサー)が本出すことなんてなかったでしょ?
でも、価値のある一冊です。
重版もわかるな。
いやぁ、読んでよかった。
僕は一回読んだ本、二度読むことはないんだけど、
また読んじゃうなぁ、きっと。
で、おいおい、自分はどうなんだ、同期なんだろ、しっかりしろ!
ということも、あるのですが、今日は素敵な同期の本が、
思った以上に素敵だったので、僕の話はやめときましょう。
では。
2011年9月27日火曜日
2011年7月25日月曜日
ドリームクリエイターに出してもらいました^^
先日、弊社日曜深夜の番組「ドリームクリエイター」にお邪魔しました。
「アニソンぷらすLive」の告知のために小林ゆうちゃんと。
「ドリームクリエイター」はニコニコ動画に集うクリエイターさんに注目、紹介しながら、
いろいろなコンテンツを作ってもらう番組です。
で、そこで様々なクリエーターを紹介するのですが、
この時代、一人で素敵な作品を作る方々がいらっしゃいます。
そこで、
「こういうクリエーターさんたちをみて、(アニメ事業部でアニメを作っている人の観点から)いかがですか?」
と、聞かれました。
放送上は時間の都合でしゃべったことの1割しか放送されていないので、
その時何を思ったかを、いまさらですが、記します。
ちなみに、1割しか放送されないことに文句言うつもりはないですよ、もちろん^^
そもそも、この手の話だとテレビVSネットメディアという構図になります。
または、旧ビジネスVS新ビジネス。
これが嫌い。
そもそも、張り合うものじゃない。
できることが違うんだから。
それが前提。
で、そういうクリエーターさんたちが出てこれる土壌ができたということは素晴らしいことだと思います。
いままで、30分アニメをつくるのに、
千数百万円かかるのが一人でできちゃうってことは、
すごい時代だなって思いますし。
制作費が安いということはビジネスにも乗りやすいでしょうし。
マンガとして出版社に持ち込み、
それが認められ、
連載が始まり、
人気が出て、
お金が集まり、
アニメになる。
という、とほうもなく、実力と運、そしてそこにかかわる多くの人々の手を経て作り上げられるものが、
自分の時間と技術だけで少なくとも、数十万~数百万人の目に触れる可能性のある場所に、
発表できるのですから。
もちろん、そこからは競争があるんでしょうけど。
多くの人の評価を受けるステージに上ることができることが、
びっくりするぐらい手軽になったということでしょう。
それは
パソコンで作品が一人で作れる、
ニコニコやYoutubeなど、発表の場がある、
という2つの要因が同時に来たってことですよね。
これは裾野が広がり、全体の底上げになると考えられますから、
どう考えても喜ばしいことです。
ただ、既存のビジネスモデルが、完全にひっくり返る可能性もありますが。。。
でも、そこに僕達ができることもきっとあります。
まだ内緒ですが、そりゃぁいろいろ考えてますよ。
奇しくも今日はアナログ停波の日。
いろいろ感慨がある人もいるようですが、
僕にはあんまりまりません。。。
そもそも、我々は電波屋からの脱却をせねばならん。
よく言うのですが、僕達の仕事は電波に放送をのせることではなく、
食べるとか、寝るとか、仕事するとか、人間が動物として生きるため、
そのために社会の一員として、お金を稼がなくちゃいけないとか、
そういう最低限、やらなければいけない「以外」の時間を埋める娯楽の提供だと思っています。
もちろん、それは電波にのせる動画コンテンツが中心になるんですけど、
それがすべてじゃない。
それでも、今のところ電波が優位性を持っているのは、
テレビをつけるとすぐ見られる。
大雑把にいえばこれ一点です。
今のテレビにはLANの端子がほとんどついてる。
空いた10-12のチャンネルにニコニコ、Gyao、Youtubeを家電メーカーさんが割り当てたら、
その優位性は消えちゃうかもって思います。
もちろん、かけているお金や制作のノウハウは一日の長がありますが、
そんなものは外的要因も多いので、たぶんなんとでもなっちゃいます。
現に、制作会社さんがいなかったら、局の番組なんて多くは作れないんですから。
おっと、話がずれました。
なので、そういった意味では、
ニコニコやYoutubeを通じて、素敵な作品をつくる人たちが出てくることは、
別に脅威でもなんでもなく、喜ばしいことなのです。
べつにネットで人気出たからとか、週刊マンガ誌で出てきた作品だからとか、
全然関係ないと。
素敵な作品だったら、ぜひ放送したいですよ、と。
そんなことを言ったんじゃないかと思います。
勢いだけでしゃべったから、定かじゃないですが。。。
そして、アナログ停波で思うこと、は、近日中に書こうかと。
「アニソンぷらすLive」の告知のために小林ゆうちゃんと。
「ドリームクリエイター」はニコニコ動画に集うクリエイターさんに注目、紹介しながら、
いろいろなコンテンツを作ってもらう番組です。
で、そこで様々なクリエーターを紹介するのですが、
この時代、一人で素敵な作品を作る方々がいらっしゃいます。
そこで、
「こういうクリエーターさんたちをみて、(アニメ事業部でアニメを作っている人の観点から)いかがですか?」
と、聞かれました。
放送上は時間の都合でしゃべったことの1割しか放送されていないので、
その時何を思ったかを、いまさらですが、記します。
ちなみに、1割しか放送されないことに文句言うつもりはないですよ、もちろん^^
そもそも、この手の話だとテレビVSネットメディアという構図になります。
または、旧ビジネスVS新ビジネス。
これが嫌い。
そもそも、張り合うものじゃない。
できることが違うんだから。
それが前提。
で、そういうクリエーターさんたちが出てこれる土壌ができたということは素晴らしいことだと思います。
いままで、30分アニメをつくるのに、
千数百万円かかるのが一人でできちゃうってことは、
すごい時代だなって思いますし。
制作費が安いということはビジネスにも乗りやすいでしょうし。
マンガとして出版社に持ち込み、
それが認められ、
連載が始まり、
人気が出て、
お金が集まり、
アニメになる。
という、とほうもなく、実力と運、そしてそこにかかわる多くの人々の手を経て作り上げられるものが、
自分の時間と技術だけで少なくとも、数十万~数百万人の目に触れる可能性のある場所に、
発表できるのですから。
もちろん、そこからは競争があるんでしょうけど。
多くの人の評価を受けるステージに上ることができることが、
びっくりするぐらい手軽になったということでしょう。
それは
パソコンで作品が一人で作れる、
ニコニコやYoutubeなど、発表の場がある、
という2つの要因が同時に来たってことですよね。
これは裾野が広がり、全体の底上げになると考えられますから、
どう考えても喜ばしいことです。
ただ、既存のビジネスモデルが、完全にひっくり返る可能性もありますが。。。
でも、そこに僕達ができることもきっとあります。
まだ内緒ですが、そりゃぁいろいろ考えてますよ。
奇しくも今日はアナログ停波の日。
いろいろ感慨がある人もいるようですが、
僕にはあんまりまりません。。。
そもそも、我々は電波屋からの脱却をせねばならん。
よく言うのですが、僕達の仕事は電波に放送をのせることではなく、
食べるとか、寝るとか、仕事するとか、人間が動物として生きるため、
そのために社会の一員として、お金を稼がなくちゃいけないとか、
そういう最低限、やらなければいけない「以外」の時間を埋める娯楽の提供だと思っています。
もちろん、それは電波にのせる動画コンテンツが中心になるんですけど、
それがすべてじゃない。
それでも、今のところ電波が優位性を持っているのは、
テレビをつけるとすぐ見られる。
大雑把にいえばこれ一点です。
今のテレビにはLANの端子がほとんどついてる。
空いた10-12のチャンネルにニコニコ、Gyao、Youtubeを家電メーカーさんが割り当てたら、
その優位性は消えちゃうかもって思います。
もちろん、かけているお金や制作のノウハウは一日の長がありますが、
そんなものは外的要因も多いので、たぶんなんとでもなっちゃいます。
現に、制作会社さんがいなかったら、局の番組なんて多くは作れないんですから。
おっと、話がずれました。
なので、そういった意味では、
ニコニコやYoutubeを通じて、素敵な作品をつくる人たちが出てくることは、
別に脅威でもなんでもなく、喜ばしいことなのです。
べつにネットで人気出たからとか、週刊マンガ誌で出てきた作品だからとか、
全然関係ないと。
素敵な作品だったら、ぜひ放送したいですよ、と。
そんなことを言ったんじゃないかと思います。
勢いだけでしゃべったから、定かじゃないですが。。。
そして、アナログ停波で思うこと、は、近日中に書こうかと。
2011年5月5日木曜日
テレビで見たままでした。でも、全く違いました。
3月11日以降、連日放送されている風景が岩手にはありました。
��遠いところわざわざありがとうございます。東京も揺れ強かったんでしょ?停電平気でしたか?」と
つくなり、僕や東京を気遣ってくれる人たち。
日本中から集まっている、自衛隊やパトカー。
身近な人々が次々と帰らぬ人となった死が身近になってしまった生活。
線路がなくなったあとを道として歩く人。
役所にとどいている膨大な物資。
地元を支え続ける並々ならぬ「お役所仕事」。
数mの差で全く被害のない家々。
ご両親を津波にさらわれた兄弟が一見元気に遊ぶ姿。
瓦礫をどかすと咲いていたタンポポ。
��手伝います」と声をかけても
��他にも困ってる人いるからそっち行ってあげて」と一人で瓦礫を片付けるおじいちゃん。
ようやく訪れた桜の便り。
そして、あの、
荒涼とした街。。。
全てはテレビで見たものでした。
新しいものは何もない。
全てはテレビで見たものでした。
でも、
全く違うものでした。
完全に違うものでした。
空気感とかそんなものじゃなく、全く違う風景に見えました。
バスの中で僕の目に飛び込んできたあの街。
圧倒的なあの風景。
テレビで見たまま、でも全く違うあの風景。
通った道は多少の凸凹はあれど、ほぼ完璧に通れるようになっていました。
でも、そのすぐわきには道をあけるために寄せられた、生活が転がっていました。
くしゃくしゃになった車が、整然と並んでいます。
とんでもない量のがれきが、
とんでもない高さに積まれています。
そして、そのとんでもない量のがれきは全て生活、人生の破片。
その生活や人生が押し寄せてきました。
もちろん、そんなのわかっていました。
テレビや新聞、ネットのニュースで見ています。
考えれば当たり前。
でも、目の当たりにしました。
そして、その隙間を縫うように、新しい暮らしが、前向きに動いています。
再建への動きは少しづつ、でも確実に動いているように見えました。
僕には写真が撮れませんでした。
地元の変わり果てた姿を思い出として残したり、近しい人たちに報告するためでもなく、
報道を目的とし、広く日本中に今起きている現象を伝える責務を負っているわけでもない、
そんな僕に写真を撮る資格などなく、
僕が切るシャッターはなにかを汚すみたいな気がして。
ただ、見続けるだけでした。
そして、これを見た僕は何ができるだろう。
なにをしなければいけないんだろう。
暗くなった日本の、ほんの少しの人にでも楽しい時間をと思って、
番組を作ってて良かったのだろうか。
今回集めた物資が、本当に文房具でよかったのだろうか。
がれきの撤去をお手伝いに行きました。
全ては、もはやごみです。
セーターや靴、割れたコップに、子供のおもちゃ。
一つ一つに魂が宿っているようで、
それをどんどんかごに入れます。
だいぶ片付いた街。
被災地の皆さんは僕が想像をできないくらいのきもちで、
それらをごみとして扱わざるを得なかった。
地震、津波の恐怖が目の前にあった時期に、
そんな作業をしていたんだ。
東京から「頑張ってください」なんて言えない。
もちろん、「一緒に頑張りましょう」なんて、とてもおこがましくて言えない。
適切な言葉なんてきっとないんだ。
でも、僕は何度か口にした。「がんばってください。」
言いたくなかったけど、口にした。
瞬時に他に言葉が見つからなかった。
「東京も大変でしょうが互い頑張りましょう!」って言われちゃった。
できることを少しづつ。
そう思っていました。
でも、そんなんでいいのだろうか。
そう思っても被災地を転々と回り続けることはできない。
僕はまた、日常に戻っていくのだ。
結局、小さいことでも少しづつ。
みんなが自分にできることをできる範囲でするしかない。
あれだけのものを見て、聞いて帰ってきても、
僕がすることは結局同じ。
小さいことでも少しづつ。
でも、間違いなく僕の中の何かが変わった。
それが何かはわからない。
それがこれからの僕をどう動かすのかもわからない。
だから、一度見てきたほうがいいよ、なんて言うつもりも毛頭ない。
子供たちに文房具を配ってきました。
みんなとっても喜んでくれました。
被災地それぞれの人にそれぞれの支援すべきことがあります。
そのひとつを皆さんの善意に基づいて、皆さんの力ですることができました。
本当によかったと思っています。
盛岡中央高校の川手先生をはじめとした先生方、
ソフトボール部、アイスホッケー部の皆さん、
初対面にもかかわらず、いろいろありがとうございました。
皆さんのおかげでいい活動ができました!
これからも続けます。
僕ができること、僕がみんなにお願いをしてできること。
少しづつ、ときにはたくさん。
あの街を元に戻すのは、僕にはできません。
皆さんの心の傷も癒すことはできません。
でも、きっとできることはある。
たくさんある。
だからやる。
それだけかな。
※GW中の楽しい時期に楽しくなブログですみません。
震災後2カ月近くもたって何言ってんだいって感じですね。
正直僕自身何が言いたくて何を伝えたいのかさっぱりわかりません。。。
��遠いところわざわざありがとうございます。東京も揺れ強かったんでしょ?停電平気でしたか?」と
つくなり、僕や東京を気遣ってくれる人たち。
日本中から集まっている、自衛隊やパトカー。
身近な人々が次々と帰らぬ人となった死が身近になってしまった生活。
線路がなくなったあとを道として歩く人。
役所にとどいている膨大な物資。
地元を支え続ける並々ならぬ「お役所仕事」。
数mの差で全く被害のない家々。
ご両親を津波にさらわれた兄弟が一見元気に遊ぶ姿。
瓦礫をどかすと咲いていたタンポポ。
��手伝います」と声をかけても
��他にも困ってる人いるからそっち行ってあげて」と一人で瓦礫を片付けるおじいちゃん。
ようやく訪れた桜の便り。
そして、あの、
荒涼とした街。。。
全てはテレビで見たものでした。
新しいものは何もない。
全てはテレビで見たものでした。
でも、
全く違うものでした。
完全に違うものでした。
空気感とかそんなものじゃなく、全く違う風景に見えました。
バスの中で僕の目に飛び込んできたあの街。
圧倒的なあの風景。
テレビで見たまま、でも全く違うあの風景。
通った道は多少の凸凹はあれど、ほぼ完璧に通れるようになっていました。
でも、そのすぐわきには道をあけるために寄せられた、生活が転がっていました。
くしゃくしゃになった車が、整然と並んでいます。
とんでもない量のがれきが、
とんでもない高さに積まれています。
そして、そのとんでもない量のがれきは全て生活、人生の破片。
その生活や人生が押し寄せてきました。
もちろん、そんなのわかっていました。
テレビや新聞、ネットのニュースで見ています。
考えれば当たり前。
でも、目の当たりにしました。
そして、その隙間を縫うように、新しい暮らしが、前向きに動いています。
再建への動きは少しづつ、でも確実に動いているように見えました。
僕には写真が撮れませんでした。
地元の変わり果てた姿を思い出として残したり、近しい人たちに報告するためでもなく、
報道を目的とし、広く日本中に今起きている現象を伝える責務を負っているわけでもない、
そんな僕に写真を撮る資格などなく、
僕が切るシャッターはなにかを汚すみたいな気がして。
ただ、見続けるだけでした。
そして、これを見た僕は何ができるだろう。
なにをしなければいけないんだろう。
暗くなった日本の、ほんの少しの人にでも楽しい時間をと思って、
番組を作ってて良かったのだろうか。
今回集めた物資が、本当に文房具でよかったのだろうか。
がれきの撤去をお手伝いに行きました。
全ては、もはやごみです。
セーターや靴、割れたコップに、子供のおもちゃ。
一つ一つに魂が宿っているようで、
それをどんどんかごに入れます。
だいぶ片付いた街。
被災地の皆さんは僕が想像をできないくらいのきもちで、
それらをごみとして扱わざるを得なかった。
地震、津波の恐怖が目の前にあった時期に、
そんな作業をしていたんだ。
東京から「頑張ってください」なんて言えない。
もちろん、「一緒に頑張りましょう」なんて、とてもおこがましくて言えない。
適切な言葉なんてきっとないんだ。
でも、僕は何度か口にした。「がんばってください。」
言いたくなかったけど、口にした。
瞬時に他に言葉が見つからなかった。
「東京も大変でしょうが互い頑張りましょう!」って言われちゃった。
できることを少しづつ。
そう思っていました。
でも、そんなんでいいのだろうか。
そう思っても被災地を転々と回り続けることはできない。
僕はまた、日常に戻っていくのだ。
結局、小さいことでも少しづつ。
みんなが自分にできることをできる範囲でするしかない。
あれだけのものを見て、聞いて帰ってきても、
僕がすることは結局同じ。
小さいことでも少しづつ。
でも、間違いなく僕の中の何かが変わった。
それが何かはわからない。
それがこれからの僕をどう動かすのかもわからない。
だから、一度見てきたほうがいいよ、なんて言うつもりも毛頭ない。
子供たちに文房具を配ってきました。
みんなとっても喜んでくれました。
被災地それぞれの人にそれぞれの支援すべきことがあります。
そのひとつを皆さんの善意に基づいて、皆さんの力ですることができました。
本当によかったと思っています。
盛岡中央高校の川手先生をはじめとした先生方、
ソフトボール部、アイスホッケー部の皆さん、
初対面にもかかわらず、いろいろありがとうございました。
皆さんのおかげでいい活動ができました!
これからも続けます。
僕ができること、僕がみんなにお願いをしてできること。
少しづつ、ときにはたくさん。
あの街を元に戻すのは、僕にはできません。
皆さんの心の傷も癒すことはできません。
でも、きっとできることはある。
たくさんある。
だからやる。
それだけかな。
※GW中の楽しい時期に楽しくなブログですみません。
震災後2カ月近くもたって何言ってんだいって感じですね。
正直僕自身何が言いたくて何を伝えたいのかさっぱりわかりません。。。
2011年3月20日日曜日
東北地方太平洋沖地震で噴出した『テレビ不要論』を見て思うこと。
東北地方太平洋沖地震により被災された方々に、心よりお見舞いを申しあげます。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
��月11日以降日本が大変になっていることに伴い、
テレビ各局も大幅な特別編成を組んだ。
だいぶ通常編成に戻ってきているが、
今回の報道放送に関し、『テレビ局』は大きく批判を受けている。
そして、今、『テレビ不要論』がツイッターなどで大きく盛り上がってきている。
ただ、今言われている『テレビ不要論』はおそらく、
「既存のテレビ局による放送(報道)」への不信感であることが入り口で、
電波を使ってコンテンツを流す、ということの不要論ではなく、
かつ、緊急時の報道というのものが、
ニコニコやUstなどの動画サイト、ツイッター、Facebookなどのソーシャルメディアの
有用性と対比された結果であるものという前提で考えてみたい。
前提として、数多くの人に同じ情報を伝える、ということに関して、
まだ、テレビのほうがコスト的にも、リソース的にも圧倒的に有利である、ということは、
おそらくそんなに異論がないことだと思う。
たとえばニコニコ動画で多くの人が同時視聴しているケース、
数十万人規模が最大であろう。
テレビは東京ローカルの番組で1%17万世帯程度。
なので、東京キー局のみの放送エリアで視聴率10%の番組は最低でも170万人(1世帯一人としても)の
人が見ている計算になる。
全国ネットだとおよそこの3倍前後になる。
おそらく今の動画サイトがこの基準の視聴数をさばくことは不可能ではないかと思われる。
ゆえにそれを論点にする人はいないでしょう。
また、災害時のインフラとしての電波は、たとえば東京だと東京タワー(来年からはスカイツリー)さえ
倒れなければかなりの多くの人が、手持ちの携帯でワンセグを見ることができる。
��もちろんタワーや局に電気が全く通っていなければ無理かもしれないが自家発電装置は各局にあるし、
おそらくタワーやツリーにもあるでしょう。)
携帯通信網(固定電話も)は今回の地震で東京ですらあの状況なので、
災害時(とくに直後)の一時ソースとしては脆弱。
停電になれば家からのネット接続ももちろん不可能。
ただ、これは放送と通信の優位性云々の話ではなく、
あくまでも仕組みの違いの話であり、元々役割が違うので、
本来は同じ土俵で論ずるものではない。
『テレビ不要論』が電波でコンテンツを流すことは不要じゃないですよね、という確認のため。
まず、なぜその不要論が持ち上がっているのかを推察する。
��、全局で同じような報道が連日続く(=各局の連携のなさ)ことによる重複による無駄
��、被害者の心情を考えない無神経な取材が起きていることによる、感情論
��、ニコニコやUstでの放送が情報ソースとして役に立っている
��、3同様ツイッターをはじめとするソーシャルメディアの情報伝播力の有効性の再認識
��、緊急時の節電対策
��、本当に必要な情報を流していないんじゃないかという不信感(節電の呼びかけとか)
��、東京電力というスポンサー企業の事故の扱い方についての不信感
ほかにあるかな。。。
まず、1に関して。
これは全く同感。
たとえばなにをきっかけにするか、民放連+NHKで決めるのか、
国(総務省)が言い出すのかは分からないが、大規模災害が起きた場合、
初動は各局が行うが、あるタイミングから、
全局の報道が一元化され、日本報道局になればいいと思う。
もちろん、報道の自由とか、多様性みたいなものが必要ないとは思わないが、
日本で起きる大規模災害に関して言えば国から電波を借りている以上、
これぐらいやってもいいのかなと思う。
たとえば、NHK、日テレは総合情報。
��BSは安否情報
フジテレビは避難所情報
テレビ朝日はその他周辺情報
テレビ東京は子供のためにアニメ(この場合、ドラえもんもサザエさんもまるちゃんも)
各局報道の記者は日本報道局局長の指揮下に入り、
どこかのチャンネル見れば自分の欲しい情報が手に入るという体制をとる。
��上記の中身についてはあくまでも『たとえば』です。こんなのも必要!とか突っ込むとこではない)
そして、安否情報を見ながらでも、
「これからNHKで首相会見を生中継します!」みたいなのが流れれば
かなり有用だと思う。
ただ、現実的にこれが実現するかと言うとほぼ不可能なんじゃないかと。
各局のプライドが邪魔をして。
でも、こんな時期「○○(放送局)の震災報道は秀逸だったよね」みたいなことにはならないし、
全局CMなしでやってるんだから、各局の社長が全員でやるっていえばできちゃう話でもある、たぶん。
きっと、こういう改革というか反省というか「国民みんなのためになるよう、テレビ業界変わります!」
て言う、「国(=国民)の電波(=財産)を借りて商売してるんで、これぐらいしないとダメでしたね」
という姿勢が見えないと、今回の『不要論』はおさまらない気もする。
これをやって損する人いないし。
やればいいのに、って本気で思う。
また、これは5局地区の理屈だろ、といわれても、
デジタル放送は画質はちょっと下がるけど、各局3番組を同時に流すことができる。
��MXはたまにやっている)
なので、日本中で全部見せることは可能。
��、に関して
これは感情論なので、人によってとり方が違うと思うけれど、
僕も見ていてさすがに「こんなことよく聞けるな」って思う放送を何回も見た。
かといって、主観の問題なので見たい人見たくない人がいるでしょうからしょうがない、
とも片づけづらい。
たとえば、
「家流されちゃってどんなお気持ちですか?」って質問。
テレビ見ている人は
「そんなの悲しくて困ってて残念で悔しいに決まってるじゃないか!聞くなよ、かわいそうに!!」
って思ってるんでしょう。僕もそう思う。
ただ、これを見て「義援金、支援物資送らなきゃ」って思う人がいるのも事実だと思う。
被災地の状況を伝えてそれがそれ以外の人を動かす、これも結果としては必要なんだろうと。
もちろん行き過ぎた報道(と呼べるかも怪しい)があったことは知っている。
言語道断で僕も腹立たしいし信じられない。
そこは今後改めないといけないと思うし、
各局きちんといろんな声を拾って自分たちのやってきたことを検証し、
悪いところはきちんと正し、同じ電波をつかって謝るべきだと思う。
これは最近のニュースがワイドショー化していることにももしかしたら原因の一端があるのかもしれない。
そのワイドショー化が買占めを増幅させたり、
危機感をあおっているところは否めないと思う。
センセーショナルだったり、お涙ちょうだいを誘おうとしたり、
これが不信感の根本にあるのかも。
専門家が平気だって言ってるのに、
わざわざ最悪のこととを言わせたがるキャスターとか。
そして3、
��と4は今回初めて起きた現象。
日本でインターネットのインフラが整備されて初めて起きた大災害。
そして、それを見事し活かした各IT企業の動きの素早さと寛容な対応。
僕もリアルタイムでそれを感じた。
ただ、動画に関してはメインは各局の放送を同時に流したってところで、
その映像を作っているのはテレビ局。
そして、通信のできない被災地では見ることができない。
という観点から見て、実はそんなにネット、テレビ云々という話じゃないのではないかと。。。
テレビが使えなくてネットでNHKを見てた人って
どれくらいいるのだろうか。
��テレビを元々持ってない人はのぞく)
このへんのことに関してはきっと落ち着いてから数字が出てくると思うので、
それから考えることにします。
ただ、ニコニコ独自の生放送は何度か見た。
セットとかなくても非常に内容の濃い放送もあったが、
基本的に国やマスコミに対してアンチ感漂う作りが多かった印象。
そういう人が多く出てくるのはもともとだし、そういうメディアだからそれはそれでいいんでしょう。
ここから世論が盛り上がって1の後押ししてくれると。
��、これが今回一番大きいと思う。
僕もずっとツイッターを見ていた。
堀江さんや浜崎あゆみさんをはじめとして、
数多くのフォロワーを集めている人が細かい情報も、
個人の安否確認も丁寧にRTしていて、
きっと数多くの安否が確認されたことだと思う。
これは素晴らしいこと。
これを機に親とかにツイッターを教える人も出てくるでしょう。
携帯各社が安否の掲示板を作ってもいるが、
自然発生的にできたツイッターのほうが可能性があったのかと思う。
携帯各社の掲示板、伝言ダイヤルは基本的に、
無事だった人が自ら登録、をすることによって
はじめて無事が確認される仕組みだったと思う。
でもツイッターは
たとえば、「四谷にすんでた細谷です、僕の母は無事か知ってる人いますか?」
という投げかけをすれば、
うちの母がツイッターなど知らなくても、
同じマンションのひとがそれを目にしてくれれば安否はわかる。
これはかなり重要。
きっとこんな感じで無事が確認されて人も多いのだろう。
ただ、これも実際に携帯各社の掲示板の利用者数、
ツイッターでの「本当の効果」は検証してみたい。
そこによりよい、安否確認システムの未来が見えると思う。
そして、今回の地震が東京で起きたら、
��通信インフラは生きていたとして)
きっと安否確認のツイートの量はさらにすさまじく、
サーバーは持ちこたえたのか、
多くのフォロワーが個人の善意でどこまで回すことができたのか。
数がおおければ多いほど埋もれてしまう確率は増えていく。
では、それの助けをテレビで何ができるのだろう。
たとえば今回でいえば第二日本テレビでは取材先で出会った人たちの
安否(ビデオメッセージみたいなもの)を動画で流している。
��BSにもあった。
でも、100に満たない。
これではたぶんそんなに意味は大きくない。
万単位の安否確認をどうやったらテレビ局ができるのか。
少なくともかなり多くの避難所には取材にいっている。
さっき話した重複がなければさらに多くの避難所に行けるのだろう。
では、それをどうやって活かすか。
たとえば衛星電話での動画配信システムを何十台も持って、
各地に取材に赴く。
それを各避難所に置いていき、配信。
別に電波使わなくてもいい。
で、各局の電波では
「ただいま特設サイトやニコニコ動画で○○地区の安否動画を受信中です」
みたいなことにすればいいのかな?
もちろん、アーカイブも置いておく。
それを可能な限り放送もする。(さっきの例で言うとTBSで)
ネットが見れない人も多いだろうから。
もちろん気合いで文字起しもする。
それは全局の字幕放送でも流す。
そうすると親御さんの安否の確認も取れないまま、
命がけで取材にいってる甲斐もあるってものでしょうか。
先ほど心ない取材をしている人のことを書きましたが、
志の高い使命感の強いスタッフのほうが圧倒的に多いと思います。
彼らはきっと取材しながら自分たちの無力感を感じていると思います。
テレビを入り口にという意味では長い会見をまんま見たい人にも、
「今から東京電力の快感始まります、ネットで配信しています」というアナウンスをして、
生で全部見たい人はネットで、終了後要点だけテレビで放送っていうのもありかと。
もちろんこれもマルチチャンネルでも対応可能。
��について。
基本的には各局同じような放送をしているところから来るものではないかと。
上記のように、みんなが本当に知りたい情報が、きちんと役割分担されて、
みんなに届くようになっていれば、言われないことかと思います。
必要不可欠な意味のある電力使用だと思ってもらえれば。
もちろん、全部がそれなりに(人によってばらつきはあると思いますが)
有用な情報だと思える放送ができれば、です。
ところで余談ですがいまどきの節電テレビと、パソコンでネットやってるのと、どっちが省エネなんでしょうか。
あと、セットでこうこうと明かりが、という点もあるかもしれません。
これに関しては、ただでさえ暗いニュースでスタジオも暗くっていうのはどうかと思いますが、
豪華なセットで電飾つけてっていうのはもちろん考え物です。
これはやめましょう。
��、
これも上記の役割分担ができれば解消されるんじゃないかと。
各局がそれぞれの放送をしていると、
時間配分もあり、それぞれが薄くなる懸念はあります。
あと、東京圏で大規模停電と言われていたこないだの木曜日、
僕ももっと節電を呼び掛ければいいのにって思いました。
ヤシマ作戦の盛り上がりっぷりをツイッターで体感した人は、
より一層思うでしょうね。
そして、必要以上の節電はいらないということも、きちんと伝えるべきでしょう。
50hz,60hzの変換の問題で西日本では節電の効果も限定的とか
供給量は急に減らせないから、深夜に無駄な我慢をするのはよくないとか。
��に関しては先日ツイッターにも書きましたが、
それはないと信じています。
報道と(スポンサーと向き合う)営業は独立しています。
報道は特に独立心(というのかな)が高く、
営業からの要請などを非常に嫌います。
また、15年テレビ局にいますが、
そんな話も聞いたことないです。
ほんとに営業要請で報道が曲げられることあれば報道の仲間と飲んだ時
一回ぐらい愚痴を聞くことはあるでしょう。
そんなの聞いたことない。
特にこんな大きな事件です。
そんな志低くないですよ。
ただ、そんな不信感が生まれるぐらい信じてもらえていない、ということには
向き合わないといけないと思いますが。
つらつらと書いていたらとても長くなってしまいました。
これから状況も変わっていくと思いますし、
またじっくりいろいろ考えて書いてみたいと思います。
今回の震災は、日本にとってもなにかのターニングポイントになると思います。
これをきっかけに、なんて言っちゃいけないのでしょうが、
せめて停滞し続けている日本が、一致団結して再び立ち上がるきっかけになることを期待します。
もちろん僕もその一端を担いたいです。
そして、それとは別に、テレビ業界も変わっていくきっかけにしないと思います。
ネットの普及でもともとテレビ衰退論が声高に叫ばれ、
しかし、危機感は多少あるものの成功体験から、
変わることができなかった我々が、
本当にテレビが求められているもの、
しなければいけないことに気がつくきっかけになればと思っています。
今回の震災で各局毎日数億円~数十億円の損失が出ているでしょう。
もちろん公共の電波をつかているので、当たり前ですが。
そして、危険な地域で連日取材を続けている仲間もいます。
これも、報道機関に身を置く者として当たり前です。
もちろん直すべきところはきちんと襟をただすために、
皆さんの意見は真摯に受けとめなくちゃいけない。
ただ、必要以上に叩かれるのはとても悲しいです。
私利私欲のために番組を作っている報道マン、テレビマンはいないと思います。
テレビなんていらないなんて、こんな時こそ言われてはいけないのです。
普段の娯楽は他にいろいろ楽しいものがありますが、
これだけの体制を敷いて取材をすることは一朝一夕にはできません。
それができるテレビ局が時代に遅れてしまった、なにかを忘れてしまったことで、
日本中のテレビマンが否定されるのなんて悲しすぎます。
最後になりますが、
僕はテレビ東京で働いていますが、
報道局に身を置いたことはありませんし、
もちろんテレビ東京やテレビ業界を代表する立場にもありません。
あくまでも15年間テレビ東京に勤務し、
そのうちここ10年以上はテレビとインターネットの真ん中で
仕事をしている一サラリーマンとしての私見です。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
��月11日以降日本が大変になっていることに伴い、
テレビ各局も大幅な特別編成を組んだ。
だいぶ通常編成に戻ってきているが、
今回の報道放送に関し、『テレビ局』は大きく批判を受けている。
そして、今、『テレビ不要論』がツイッターなどで大きく盛り上がってきている。
ただ、今言われている『テレビ不要論』はおそらく、
「既存のテレビ局による放送(報道)」への不信感であることが入り口で、
電波を使ってコンテンツを流す、ということの不要論ではなく、
かつ、緊急時の報道というのものが、
ニコニコやUstなどの動画サイト、ツイッター、Facebookなどのソーシャルメディアの
有用性と対比された結果であるものという前提で考えてみたい。
前提として、数多くの人に同じ情報を伝える、ということに関して、
まだ、テレビのほうがコスト的にも、リソース的にも圧倒的に有利である、ということは、
おそらくそんなに異論がないことだと思う。
たとえばニコニコ動画で多くの人が同時視聴しているケース、
数十万人規模が最大であろう。
テレビは東京ローカルの番組で1%17万世帯程度。
なので、東京キー局のみの放送エリアで視聴率10%の番組は最低でも170万人(1世帯一人としても)の
人が見ている計算になる。
全国ネットだとおよそこの3倍前後になる。
おそらく今の動画サイトがこの基準の視聴数をさばくことは不可能ではないかと思われる。
ゆえにそれを論点にする人はいないでしょう。
また、災害時のインフラとしての電波は、たとえば東京だと東京タワー(来年からはスカイツリー)さえ
倒れなければかなりの多くの人が、手持ちの携帯でワンセグを見ることができる。
��もちろんタワーや局に電気が全く通っていなければ無理かもしれないが自家発電装置は各局にあるし、
おそらくタワーやツリーにもあるでしょう。)
携帯通信網(固定電話も)は今回の地震で東京ですらあの状況なので、
災害時(とくに直後)の一時ソースとしては脆弱。
停電になれば家からのネット接続ももちろん不可能。
ただ、これは放送と通信の優位性云々の話ではなく、
あくまでも仕組みの違いの話であり、元々役割が違うので、
本来は同じ土俵で論ずるものではない。
『テレビ不要論』が電波でコンテンツを流すことは不要じゃないですよね、という確認のため。
まず、なぜその不要論が持ち上がっているのかを推察する。
��、全局で同じような報道が連日続く(=各局の連携のなさ)ことによる重複による無駄
��、被害者の心情を考えない無神経な取材が起きていることによる、感情論
��、ニコニコやUstでの放送が情報ソースとして役に立っている
��、3同様ツイッターをはじめとするソーシャルメディアの情報伝播力の有効性の再認識
��、緊急時の節電対策
��、本当に必要な情報を流していないんじゃないかという不信感(節電の呼びかけとか)
��、東京電力というスポンサー企業の事故の扱い方についての不信感
ほかにあるかな。。。
まず、1に関して。
これは全く同感。
たとえばなにをきっかけにするか、民放連+NHKで決めるのか、
国(総務省)が言い出すのかは分からないが、大規模災害が起きた場合、
初動は各局が行うが、あるタイミングから、
全局の報道が一元化され、日本報道局になればいいと思う。
もちろん、報道の自由とか、多様性みたいなものが必要ないとは思わないが、
日本で起きる大規模災害に関して言えば国から電波を借りている以上、
これぐらいやってもいいのかなと思う。
たとえば、NHK、日テレは総合情報。
��BSは安否情報
フジテレビは避難所情報
テレビ朝日はその他周辺情報
テレビ東京は子供のためにアニメ(この場合、ドラえもんもサザエさんもまるちゃんも)
各局報道の記者は日本報道局局長の指揮下に入り、
どこかのチャンネル見れば自分の欲しい情報が手に入るという体制をとる。
��上記の中身についてはあくまでも『たとえば』です。こんなのも必要!とか突っ込むとこではない)
そして、安否情報を見ながらでも、
「これからNHKで首相会見を生中継します!」みたいなのが流れれば
かなり有用だと思う。
ただ、現実的にこれが実現するかと言うとほぼ不可能なんじゃないかと。
各局のプライドが邪魔をして。
でも、こんな時期「○○(放送局)の震災報道は秀逸だったよね」みたいなことにはならないし、
全局CMなしでやってるんだから、各局の社長が全員でやるっていえばできちゃう話でもある、たぶん。
きっと、こういう改革というか反省というか「国民みんなのためになるよう、テレビ業界変わります!」
て言う、「国(=国民)の電波(=財産)を借りて商売してるんで、これぐらいしないとダメでしたね」
という姿勢が見えないと、今回の『不要論』はおさまらない気もする。
これをやって損する人いないし。
やればいいのに、って本気で思う。
また、これは5局地区の理屈だろ、といわれても、
デジタル放送は画質はちょっと下がるけど、各局3番組を同時に流すことができる。
��MXはたまにやっている)
なので、日本中で全部見せることは可能。
��、に関して
これは感情論なので、人によってとり方が違うと思うけれど、
僕も見ていてさすがに「こんなことよく聞けるな」って思う放送を何回も見た。
かといって、主観の問題なので見たい人見たくない人がいるでしょうからしょうがない、
とも片づけづらい。
たとえば、
「家流されちゃってどんなお気持ちですか?」って質問。
テレビ見ている人は
「そんなの悲しくて困ってて残念で悔しいに決まってるじゃないか!聞くなよ、かわいそうに!!」
って思ってるんでしょう。僕もそう思う。
ただ、これを見て「義援金、支援物資送らなきゃ」って思う人がいるのも事実だと思う。
被災地の状況を伝えてそれがそれ以外の人を動かす、これも結果としては必要なんだろうと。
もちろん行き過ぎた報道(と呼べるかも怪しい)があったことは知っている。
言語道断で僕も腹立たしいし信じられない。
そこは今後改めないといけないと思うし、
各局きちんといろんな声を拾って自分たちのやってきたことを検証し、
悪いところはきちんと正し、同じ電波をつかって謝るべきだと思う。
これは最近のニュースがワイドショー化していることにももしかしたら原因の一端があるのかもしれない。
そのワイドショー化が買占めを増幅させたり、
危機感をあおっているところは否めないと思う。
センセーショナルだったり、お涙ちょうだいを誘おうとしたり、
これが不信感の根本にあるのかも。
専門家が平気だって言ってるのに、
わざわざ最悪のこととを言わせたがるキャスターとか。
そして3、
��と4は今回初めて起きた現象。
日本でインターネットのインフラが整備されて初めて起きた大災害。
そして、それを見事し活かした各IT企業の動きの素早さと寛容な対応。
僕もリアルタイムでそれを感じた。
ただ、動画に関してはメインは各局の放送を同時に流したってところで、
その映像を作っているのはテレビ局。
そして、通信のできない被災地では見ることができない。
という観点から見て、実はそんなにネット、テレビ云々という話じゃないのではないかと。。。
テレビが使えなくてネットでNHKを見てた人って
どれくらいいるのだろうか。
��テレビを元々持ってない人はのぞく)
このへんのことに関してはきっと落ち着いてから数字が出てくると思うので、
それから考えることにします。
ただ、ニコニコ独自の生放送は何度か見た。
セットとかなくても非常に内容の濃い放送もあったが、
基本的に国やマスコミに対してアンチ感漂う作りが多かった印象。
そういう人が多く出てくるのはもともとだし、そういうメディアだからそれはそれでいいんでしょう。
ここから世論が盛り上がって1の後押ししてくれると。
��、これが今回一番大きいと思う。
僕もずっとツイッターを見ていた。
堀江さんや浜崎あゆみさんをはじめとして、
数多くのフォロワーを集めている人が細かい情報も、
個人の安否確認も丁寧にRTしていて、
きっと数多くの安否が確認されたことだと思う。
これは素晴らしいこと。
これを機に親とかにツイッターを教える人も出てくるでしょう。
携帯各社が安否の掲示板を作ってもいるが、
自然発生的にできたツイッターのほうが可能性があったのかと思う。
携帯各社の掲示板、伝言ダイヤルは基本的に、
無事だった人が自ら登録、をすることによって
はじめて無事が確認される仕組みだったと思う。
でもツイッターは
たとえば、「四谷にすんでた細谷です、僕の母は無事か知ってる人いますか?」
という投げかけをすれば、
うちの母がツイッターなど知らなくても、
同じマンションのひとがそれを目にしてくれれば安否はわかる。
これはかなり重要。
きっとこんな感じで無事が確認されて人も多いのだろう。
ただ、これも実際に携帯各社の掲示板の利用者数、
ツイッターでの「本当の効果」は検証してみたい。
そこによりよい、安否確認システムの未来が見えると思う。
そして、今回の地震が東京で起きたら、
��通信インフラは生きていたとして)
きっと安否確認のツイートの量はさらにすさまじく、
サーバーは持ちこたえたのか、
多くのフォロワーが個人の善意でどこまで回すことができたのか。
数がおおければ多いほど埋もれてしまう確率は増えていく。
では、それの助けをテレビで何ができるのだろう。
たとえば今回でいえば第二日本テレビでは取材先で出会った人たちの
安否(ビデオメッセージみたいなもの)を動画で流している。
��BSにもあった。
でも、100に満たない。
これではたぶんそんなに意味は大きくない。
万単位の安否確認をどうやったらテレビ局ができるのか。
少なくともかなり多くの避難所には取材にいっている。
さっき話した重複がなければさらに多くの避難所に行けるのだろう。
では、それをどうやって活かすか。
たとえば衛星電話での動画配信システムを何十台も持って、
各地に取材に赴く。
それを各避難所に置いていき、配信。
別に電波使わなくてもいい。
で、各局の電波では
「ただいま特設サイトやニコニコ動画で○○地区の安否動画を受信中です」
みたいなことにすればいいのかな?
もちろん、アーカイブも置いておく。
それを可能な限り放送もする。(さっきの例で言うとTBSで)
ネットが見れない人も多いだろうから。
もちろん気合いで文字起しもする。
それは全局の字幕放送でも流す。
そうすると親御さんの安否の確認も取れないまま、
命がけで取材にいってる甲斐もあるってものでしょうか。
先ほど心ない取材をしている人のことを書きましたが、
志の高い使命感の強いスタッフのほうが圧倒的に多いと思います。
彼らはきっと取材しながら自分たちの無力感を感じていると思います。
テレビを入り口にという意味では長い会見をまんま見たい人にも、
「今から東京電力の快感始まります、ネットで配信しています」というアナウンスをして、
生で全部見たい人はネットで、終了後要点だけテレビで放送っていうのもありかと。
もちろんこれもマルチチャンネルでも対応可能。
��について。
基本的には各局同じような放送をしているところから来るものではないかと。
上記のように、みんなが本当に知りたい情報が、きちんと役割分担されて、
みんなに届くようになっていれば、言われないことかと思います。
必要不可欠な意味のある電力使用だと思ってもらえれば。
もちろん、全部がそれなりに(人によってばらつきはあると思いますが)
有用な情報だと思える放送ができれば、です。
ところで余談ですがいまどきの節電テレビと、パソコンでネットやってるのと、どっちが省エネなんでしょうか。
あと、セットでこうこうと明かりが、という点もあるかもしれません。
これに関しては、ただでさえ暗いニュースでスタジオも暗くっていうのはどうかと思いますが、
豪華なセットで電飾つけてっていうのはもちろん考え物です。
これはやめましょう。
��、
これも上記の役割分担ができれば解消されるんじゃないかと。
各局がそれぞれの放送をしていると、
時間配分もあり、それぞれが薄くなる懸念はあります。
あと、東京圏で大規模停電と言われていたこないだの木曜日、
僕ももっと節電を呼び掛ければいいのにって思いました。
ヤシマ作戦の盛り上がりっぷりをツイッターで体感した人は、
より一層思うでしょうね。
そして、必要以上の節電はいらないということも、きちんと伝えるべきでしょう。
50hz,60hzの変換の問題で西日本では節電の効果も限定的とか
供給量は急に減らせないから、深夜に無駄な我慢をするのはよくないとか。
��に関しては先日ツイッターにも書きましたが、
それはないと信じています。
報道と(スポンサーと向き合う)営業は独立しています。
報道は特に独立心(というのかな)が高く、
営業からの要請などを非常に嫌います。
また、15年テレビ局にいますが、
そんな話も聞いたことないです。
ほんとに営業要請で報道が曲げられることあれば報道の仲間と飲んだ時
一回ぐらい愚痴を聞くことはあるでしょう。
そんなの聞いたことない。
特にこんな大きな事件です。
そんな志低くないですよ。
ただ、そんな不信感が生まれるぐらい信じてもらえていない、ということには
向き合わないといけないと思いますが。
つらつらと書いていたらとても長くなってしまいました。
これから状況も変わっていくと思いますし、
またじっくりいろいろ考えて書いてみたいと思います。
今回の震災は、日本にとってもなにかのターニングポイントになると思います。
これをきっかけに、なんて言っちゃいけないのでしょうが、
せめて停滞し続けている日本が、一致団結して再び立ち上がるきっかけになることを期待します。
もちろん僕もその一端を担いたいです。
そして、それとは別に、テレビ業界も変わっていくきっかけにしないと思います。
ネットの普及でもともとテレビ衰退論が声高に叫ばれ、
しかし、危機感は多少あるものの成功体験から、
変わることができなかった我々が、
本当にテレビが求められているもの、
しなければいけないことに気がつくきっかけになればと思っています。
今回の震災で各局毎日数億円~数十億円の損失が出ているでしょう。
もちろん公共の電波をつかているので、当たり前ですが。
そして、危険な地域で連日取材を続けている仲間もいます。
これも、報道機関に身を置く者として当たり前です。
もちろん直すべきところはきちんと襟をただすために、
皆さんの意見は真摯に受けとめなくちゃいけない。
ただ、必要以上に叩かれるのはとても悲しいです。
私利私欲のために番組を作っている報道マン、テレビマンはいないと思います。
テレビなんていらないなんて、こんな時こそ言われてはいけないのです。
普段の娯楽は他にいろいろ楽しいものがありますが、
これだけの体制を敷いて取材をすることは一朝一夕にはできません。
それができるテレビ局が時代に遅れてしまった、なにかを忘れてしまったことで、
日本中のテレビマンが否定されるのなんて悲しすぎます。
最後になりますが、
僕はテレビ東京で働いていますが、
報道局に身を置いたことはありませんし、
もちろんテレビ東京やテレビ業界を代表する立場にもありません。
あくまでも15年間テレビ東京に勤務し、
そのうちここ10年以上はテレビとインターネットの真ん中で
仕事をしている一サラリーマンとしての私見です。
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