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前回(といっても1年以上経ってしまいましたが、イザナキとイザナミが「大日本」を生んだというところを解説させていただきました。
日本書紀は、ここで「日本」という文字を書いているのですが、そこに「日本、此云耶麻騰。下皆效」と注釈があります。
「日本と書いてヤマトと言う。以下すべて同じ」ということで、もともとは「日本」と書いて「ヤマト」と読んだのだということがわかりました。
今回はその続きで、天照大御神がなぜ日本書紀では大日孁貴(おほなむちのむち)と書かれているのかを考えてみたいと思います。
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)<原文>
次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。既而伊弉諾尊・伊弉冉尊、共議曰「吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。」於是、共生日神、号大日孁貴(大日孁貴、此云於保比屢咩能武智、孁音力丁反)。
一書云天照大神、一書云天照大日孁尊。此子、光華明彩、照徹於六合之内。故、二神喜曰「吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天而授以天上之事。」是時、天地、相去未遠、故以天柱舉於天上也。<読み下し文>
次(つぎ)に海(うみ)生(う)む。次に川(かは)生む。次に山(やま)生む。
次に木の祖(おや)句句廼馳(くくのち)を生む。
次に草(かや)祖(おや)草野姫(かやのひめ)、亦(また)の名を野槌(のづち)生む。
ここに伊奘諾尊(いざなぎ)、伊奘冉尊(いざなみ)は、共(とも)に議(はか)りて、曰(まをさ)くは、
「吾(あれ)已(すで)に、
大八洲國(おほやしまくに)及び
山川(やまかは)草木(くさき)生む。
何(いずくん)ぞ、天下(あめのもと)主(きみ)たる者を、生(う)まざらむ」
是於(ここに)て共(とも)に、日の神を生む。
大日孁貴(おほひるめのむち)と号(まを)す。
(大日孁貴は、此(これ)を於(お)保(ほ)比(ひ)屢(る)咩(め)能(の)武(む)智(ち)と云う。孁の音(よみ)は力丁の反(かへ)し。)
一書(あるふみ)云(いは)く天照大神(あまてらす おほみかみ)、
一書(あるふみ)云(いは)く、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)。
此(こ)の子(みこ)は、光華明彩(ひかりうるはし)く、六合(くに)の内に照(て)り徹(とお)す。
故(ゆゑに)二神(ふたつの はしらかみ)喜(よろこび)て曰(まをさ)く
「吾(あ)が息(こ)多(おほ)しと雖(いえども)、
未(いま)だ此(か)く靈(くし)き異(あや)しき兒(こ)はあらず。
久(ひさ)しくこの国に留(とど)めるはよからず。
自(おのず)から當(まさ)に早(はや)く天に送りて、天(あめ)の上の事(こと)に授(さず)くべし」
是時(このとき)は天地(あめつち)は、相去(あひさる)こと未(いまだ)遠(とおからず)
故(ゆゑ)に、天の御柱(みはしら)を以(もち)て、天の上に舉(あげ)るなり。<現代語訳>
イザナキとイザナミは、海や川や山を生みました。
次に木の祖先となる句句廼馳(くくのち)を生みました。
次に草の祖先となる草野姫(かやのひめ)(別名・野槌(のづち))を生みました。
そしてイザナキとイザナミは、
「私達は、すでに大八洲(おほやしま)の国や、山川草木を生みましたから、
次には天下の主となる者を生みましょう」
こうして日の神が生まれました。
名を大日孁貴(おほひるめのむち)と号しました。
(大日孁貴と書いて「おほひるめのむち)と読みます。
孁の字は国字で霊を変えた字です)
この神様のことを一書(あるふみ)は天照大神(あまてらすおほみかみ)と書いています。
また一書(あるふみ)は、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)と書いています。
この子(みこ)は、光華明彩(ひかりうるはし)く、上下四方を内側から照らし徹(とお)しました。
そこでイザナキとイザナミは、たいへんに喜ばれて、
「たくさんの子を生んできたが、
いまだこのような奇(く)しき子は生まれたことがない。
この子はこの国にとどめるのではなく、
天上界に送って、天上界の事に授けよう」
と申しました。
このころはまだ天地は、互いに近かったので、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界に挙げられました。<解説>
この段では、いよいよ天照大御神がご誕生されます。
はじめに、イザナキが国生みのあとに、海や川、山や草木などを生んだことが明らかにされます。
このときに木の祖先となる神様のことを「句句廼馳(くくのち)」と書いているのですが、「くく」というのは「樹々(きぎ)」の古語になります。
「馳(ち)」というのは、勢いがあるという意味ですから、ここでは木の祖先となる神様のことを、「勢いのある樹々の神様」と呼んでいるわけです。
次に草の祖先となる草野姫(かやのひめ)(別名・野槌(のづち))を生みますが、これまた「チ」が勢いのあるという意味ですから、「勢いのある野の神様」と称しているわけです。
樹々も草花も、ともに勢いのあるものであることを歓迎している、とても美しい言葉だと思います。
こうして国生み、神生みを終えた二神は、次に国や神々の主人になる神様を生もうと話し合います。
そして生まれたのが「日の神様」である大日孁貴(おほひるめのむち)です。
この神様のことを、書によっては「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」と書き、あるいは「天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)」と書いていると紹介しています。
ここで日本書紀は「孁(め)」という漢字に「孁音力丁反」と注釈を加えています。
これで「孁の音(よみ)は力丁(りきてい)の反(かえ)し」と読むのですが、これは「反切(はんせつ)」といって、前の音(力)の最初の読みと、次の音の「丁」の後ろの読みを取って読むということを意味します。
「力」は「ri-ki」、「丁」は「tyou」ですから、それぞれの前後をとって「ryou=リョウ」のことですよ、と注釈しているわけです。
ところがChina漢字に「孁」という字はありません。
あるのは「霊」という字だけです。
つまり日本書紀は、この字の下のつくりのを「女」に変えて、新字を作り、「この字は霊という字なのだけれど、天照大御神は女性神だから「孁」と書きました」と注釈しているわけです。
「大日孁貴」の読みは「於保比屢咩能武智(おほひるめのむち)」であると注釈しています。
そして別の書では、この神様のことを、
「天照大神(あまてらすおほみかみ)」
「天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)」と書いていると紹介しています。
そしてこの神様は、光り華(はな)やかに明(あかる)く彩(いろど)られ、上下四方を内側から照らしとおす神様であると書かれています。
イザナキとイザナミは、たいへんに喜ばれて、
「たくさんの子を生んできたが、
このような奇(く)しき子は生まれたことがない。
この子はこの国にとどめるのではなく、
天上界に送って、天上界の事に授けよう」
と申されて、このころはまだ天地が互いに近かったので、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界に挙げられたとあります。
ここでいう天上界とは、高天原のことをいいます。
こうして「大日孁貴神(おほひるめのむちのかみ)」は、高天原の神様となられるわけです。
さて、ここで日本書紀が、なぜ天照大御神のことを、意図して「大日孁貴」と書いてあるかが疑問になります。
もともと日本書紀は縦書きの文書です。
これが何度も筆写されて、現存しているわけですが、もしかすると、もともとは「孁」という字は「霊女」であったのかもしれません。
日本書紀は「孁(め)」という漢字に「孁音力丁反」と注釈を加えているのですが、「孁の音(よみ)を力丁(りきてい)の反(かえ)し」としているのは「反切(はんせつ)」であって、前の音(力)の最初の読みと、次の音の「丁」の後ろの読みを取って読むということを意味すると、わざわざ解説しています。
「力」は「ri-ki」、「丁」は「tyou」です。
上に述べました通り、それぞれの前後をとれば「ryou=リョウ=レイ=(霊)」となります。
一方、China漢字に「孁」という字はありません。
あるのは「霊」という字だけです。
そして「霊」は、どうみても「るめ」とは読めません。
おそらくこれは、もともとは「霊女」であったのでしょう。
理由は3つあります。
1 China漢字に「孁」という字はない。
2 「霊」という字の旧字は「靈」だが、これを「るめ(ru-me)」とは読まない。
3 「霊」ならば「る」と読むことが可能。
日本書紀はオオヒルメノムチのことを「大日孁貴」と書くとしているのですが、これはもともとは縦書きしたときの「霊女」を、なんらかの理由で後に詰めて書いたものであろうと思います。
もともとは
「大日霊女貴」と書いて
「おほひるめのむち」と読んだのではないでしょうか。
この時代には神代文字が我が国固有の文字として使われていましたが、当時の理解としては、漢字は神代文字を組み合わせてくっつけ合わせたものであるという理解です。
(参照→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-4044.html)
そうであれば、神代文字の「た・へ・る」を組み合わせたら「食」という漢字になるように、漢字を組み合わせて「霊女→孁」としたとしても何ら不思議はありません。
そして「大日霊女貴」ならば、普通に「おほひるめのむち」と読むことができます。
ところが字体を見たらわかりますが、「大日霊女貴」と書くと、「霊女」の部分がなんとなく亡霊か幽霊のような、実体のないもののような印象になってしまいます。
天照大御神は、我が国の最高神なのですから、それでは印象がよくありません。
そこで日本書紀は、「霊女」を、おもいきってつなげて「孁」としたのではないでしょうか。
こうすることにより、漢字の造語にはなりますが、「霊女」と書いたときの「えぐみ」がとれて、「大日孁貴」と、なにやら大日如来様でもあるかのようか高貴な印象を与えることができます。
ちなみに「霊」の略字は「巫」で、「霊女」を略字で書けば「巫女(みこ)」になります。
さらに「大日孁」の「日孁」のところを(もとどおりに)分解して「日霊女=日巫女」と書くと、これで「ひのみこ」となり、略せば「ひみこ」です。
これは魏志倭人伝に書かれた「卑弥呼」と同じ音になります。
一般に日本書紀は天照大御神のことを「おほひるめのむち」と記していると言われているのですが、「日巫女=ヒミコ」なら、「大日巫女貴」は「大いなる日の巫女のみこと」です。
これは「偉大な太陽の巫女」という意味ですが、この意味を別な漢字で書けば「天照大御神」であり、両者は同一の神様であることがわかります。
(つづく)
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これほど皇統が男系男子にこだわっているというのに皇室の元祖が女性というのは不思議です。ホツマでは当然男性天皇となっています。
ヒルコ姫はアマテルカミの姉のワカ姫のことです。記紀ではヒルコ姫とアマテルカミがミックスされています。
今現在でも国体破壊を狙う一味が女性天皇の話を持ち出していますが、その根拠は天照大神が女性だったからというものです。
そのおかげで、保守派は天照大神は神様なので男女の区別はない、などと弱々しい言い訳をしなければなりません。
記紀成立の時代は現在と同じような状況だったと想像します。すなわち白村江の戦いで唐に敗戦し、おそらくしばらくの間は唐の進駐軍がわが国に居て、政治、文化の検閲をおこなっていて自由な活動ができなかった。一挙に漢字化が進められた。持統、元明天皇という女帝が即位したのもあるいは唐の口出しによるものだったのでは。
記紀の編纂に当たっても当然進駐軍の検閲があり、巧妙にも、もっとも貴重な皇室の歴史が書き換えられた。神武天皇以前のことが天界の話になり、実在の男性天皇であった天照大神が女性になってしまった。私はそう考えています。
この三巻との出会いを逃していたら…記紀とは永遠に縁が無かった?でしょうね。
分かりやすい!
良く分かった!
読者の書評にある通り「ねず式現代語」は素晴らしいです。
でも…本を熟読し、ねずブロも読み、倭塾や百人一首塾で御大ご本人から教えを受けても…記紀はそんなに簡単なものじゃ無いな~と感じています。
まだまだ勉強不足ってことですけどね。
記紀は内容も凄いですが、一番の驚きは、大昔にこういう物を書いた事!書き物が残って受け継がれてきた事!です。
もし記紀の様な遺産が無かったら…想像もできません。
これからも勉強を続けます。
次は『ねずさんの日本書紀』を期待しているところです。