社員旅行で酔っぱらって舘山寺温泉一泊以外、浜松には行ったことないが、浜松の地図を眺めていたらずいぶんアイヌ語地名があることに気付いた。
アイヌ語と言うと誤解を招くが、日本武尊や素戔嗚の東征により浜松が大和朝廷に統治される前の古代日本語(エミシ語)といえばいいのだろうか。
代表例を以下に示す。
(但し、古代に戻って命名した方に確認する訳にいかず、想像以上のものではありません。悪しからず。)
佐鳴
(さなる):サ(浜)・ナ(方向)・ル(道)。海岸に出る道。佐鳴湖が浜名湖と繋がっていたころ、歩いて佐鳴湖を横断できないので、徒歩で海岸に出るには佐鳴湖東岸か、浜名湖西岸からしか海に出れなかった。佐鳴湖と佐鳴台の間の道を通って海に出るための道を「さなる」呼んだのでははないか。
志都呂
(しとろ):①シ(大きな)・ト(湖)・ロ(道)。大きな湖への道。上記佐鳴の逆に、庄内湖や浜名湖に通じる道。佐鳴湖と浜名湖がつながっていた頃、佐鳴湖西岸を歩いて南西に向かうと海には出れず、湖にしか出れなかったからではないか。
②シ(大きな)・ト(湖)・ロク(群れを成して座る)。大きな湖が郡列。浜名湖、庄内湖、佐鳴湖が群列するという意味とも考えられる。
雄踏
(ゆうとう):ヨピ(別れ)・ト(湖)。枝のように分かれた湖。佐鳴湖は昔、浜名湖と繋がっており、浜名湖から枝分かれした形となっていたからではないか。従いヨビトは佐鳴湖の旧名ではないのか。(参照:網走湖の呼人沼)
舞坂
(まいさか):モイ(入江、入海、湾、浦)・サ(前)・カ(岸)。浦(=浜名湖)の海側前方の岸。
参照:地名アイヌ語小事典(知里真志保)