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序論3からの続き

 

(ここからハトンの発言)

 

 この時点であなたが考慮すべき非常に重要なことが一つある。それは奉仕へのあなたの個人的な準備である。あなたはあなたの同胞へ奉仕することであろう。それゆえ、あなた自身がこの奉仕に対する準備ができている必要がある。我が友よ。もちろんこの準備は瞑想によってなされるのである。瞑想の重要性は強調して強調が過ぎることはない。この瞑想を通して、あなたはあらゆる疑問への答えを得るのである。このことを理解するのは難しいが、これは真実なのである。あらゆる疑問は極めて単純な一つの概念へと収斂(しゅうれん)するのである。“瞑想において気づきは得られる”というただ一つの概念へと。“気づきの瞑想状態”が達成されるや否や奉仕への準備は整うのである。他の人々が奉仕するがごとく今やあなたの惑星に対して奉仕していることになるのである。以下の指示に従うがよい。瞑想に時を費やすがよい。あなたの同胞に救いの手を差し伸べるに相応(ふさわ)しい人間たれ。そして、光を望んでいながら心の裏側で経験しているその同胞の混乱の闇から、彼を導き出すのだ。

(訳注:“気づきの瞑想状態”とは周辺環境や対人関係による心の動揺の波が鎮まって動揺のない明鏡止水の状態となり、ハイアーセルフの投ずるほんの一瞬の些細な小波を捉えられる状態のことを言う。イベント前の悪条件下では、毎日瞑想に励みながらこのような状態を維持できる時間を少しずつ延ばしていくしかない。イベント後は短時間でこのような状態を常時維持できるようになるはずである。)

 

 

(ここからカーラの発言)

 

 同盟が非常に高く評価している奉仕活動の一つが、1962年からルイビルで私たちが経験したような訓練されたグループによるチャネリングメッセージです。同盟は、彼らのメッセージが唯一のものである、あるいは、そのメッセージを聞くことによってしか救いがもたらされることはないなどとは全く主張していません。また彼らは、そのようなメッセージを他の普遍的な宗教や古典的な哲学を通じて得ている探求者たちがいることにも気づいています。従って、彼らは、そのような情報が利用可能になるような奉仕を提供するためにここに来ているのです。そして彼らの奉仕はチャネリングメッセージを通してのみ可能なのです。

 

 

(ここからハトンの発言)

 

 この地球上には、過去よりも探求者が増えている。とはいえ、彼らの探求の試みは多くの場合非常に混乱している。それゆえ、この時代において、このようなチャネラーたちがより多く必要とされている。このようなチャネラーたちはこの地球上の多くの人々が探し求めている思想を直接受け取ることができるのである。我々はこの時代において、我々の思想を受け取る準備ができている熟練したチャネラーたちの数を増やそうと試みているのである。このようなチャネラーを得るためには日々の瞑想が必要なのである。日々の瞑想、これが求められる全てである。もちろん、この日々の瞑想がなされるにつれて、我々がコンタクトできる望みが現れてくるのである。

 

 

(ここからカーラの発言)

 

 長年瞑想グループに参加している人間として、私は同盟とコンタクトする試みは個別の瞑想ではしないようにと提案します。同盟とコンタクトを試みるのであれば、グループでの瞑想が最善です。そしてこの場合、最低でも一人の熟練したチャネリングメッセージの受け手がそのグループに含まれていることが推奨されます。一人で瞑想しようとグループで瞑想しようと、いつも私は、“波長を合わせる”ことを強く勧めます。それによって、瞑想が最高度のスピリチュアルなレベルに到達することを可能にするのです。この”波長を合わせる”ことは、いかなる場合においても達成されることが瞑想者に望まれるのです。主の祈り、”オーム”あるいは他の歌唱や朗唱、霊感に満ちた著作の朗読、あるいは、一なる創造者の”白色光”の注意深い視覚化は有効な”波長を合わせる”方法です。

 

 同盟のメッセージにとって、転生はとても基本的なものです。瞑想と探求のプロセスにおいて最高の実りとみなされるものの一つが、ラーが言うところの”忘却のプロセス”に探求者が参入する能力です。これは私たちが今生へと誕生する時に起こります。それは私たちがここの今生での間に学ばなければならない課題に気づくようになるために起こるのです。これらの課題というのはいつも、どうすればより良く、よりたくさん、より深く愛せるようになるか?あるいはより多くの親切さと理解とともに愛せるようになるか?に沿ったものとなります。とはいえ、それぞれの存在は各々ユニークな課題を持っています。

 

 

(ここからハトンの発言)

 

 我が友よ。あなたが転生するごとに、その都度あなたはかつて学んだことのないある課題に気づくことになったのである。そしてそれはその今生において達成すべきゴールとなったのである。もしも、あなたにとって、あなたの今生全体がある一連の困難さの特定なパターン(訳注:例えば、短気、怠惰、自分に甘く他人に厳しい、表裏が激しい、すぐに現実逃避するなどの一定の正確・行動パターン)を示していると思うのであれば、あなたはほぼ明瞭に今生におけるあなたの課題の姿を捉えたことになる。あなたが理解しているように、これらの課題は避けて通ることはできない。それらは学ばれなければならないのである。

(訳注:バッタは跳びはね、鳥は飛ぶ。得意なことは昆虫や動物にでもできる。あなたが苦手なこと、あなたが気づかず他人に指摘された欠点こそ、あなたが今生にて学ぶべき課題

であるということをハトンは指摘しているのである。あなたが困難であると感じたことにチャレンジすべきなのである。)

 

 更に我々はあなたに指摘しなければならない。ある課題において対立が起こっているのなら、あなたを理解から分離しているものはほとんどの場合あなた独自の思考なのである。あなたの自意識の強い思考プロセスは、あなたの真の自己が学びたがっている課題から逃避させようとするという意味で自己破壊的なのである。それゆえ、あなたがある課題にアプローチする時、我々は、もしも可能であれば、あなたの自意識の一時的な停止を達成し、分析プロセスの停止を達成することである。そうすれば、あなたは大変クリアな精神状態のもとでその問題へ立ち返ることができるであろう。この大変クリアな精神状態は、あなたが学ぶに至った問題をただ避けるよりもむしろ、何があなたを学ぶべきこの経験に至らせたのかを学ぶ環境を整えるのである。

 

 我々は、常時瞑想状態を達成していることがいかに困難かを知っている。というのは、我々は、あなたが物質的と呼ぶ特異な様式を呈する幻想の存在についてあなたも我々も気づいているからである。我々は、瞑想のやり方次第であなたは常時準瞑想状態の達成に挑むことができると強く主張しておきたい。そしてこの試みにより、あなたの破壊的なネガティブな衝動があなたの精神を完全に曇らせ、あなたが学ぶために今生へと至った課題に気がつくことから妨げているという事実に絶えず注意を向ける精神状態を達成するということを強く主張しておきたい。

(訳注:要はあなたが常時あなたの心の内で繰り広げられる様々な感情の思考の現象を観察し続けられるならば、あなたが克服すべき課題は自ずとその姿を現すのである。そうしなければ気づかないものなのである。それゆえに内面観察の努力を続け、その持続時間の増大を、その観察状態の深化を毎日の瞑想訓練により試みることは重要なのである。)

 

 

(ここからカーラの発言)

 

 この課題の学びを下支えするためには、私たちは愛について学ばなければなりません。その愛が全ては一つであるという基本的な概念の下に成立していることを学ばねばなりません。

(訳注:多くの人は自分自身の内に嫌悪する自己の部分を隠し持っていることに気づかない。まずこれに気づき、これと一つにならない限り、あなたは一つになることができないのである。”全ては一つである”という愛に到達することができないのである。)

 

(ここからハトンの発言)

 

 あなたの完全なる統合の内に瞑想するがよい。さすればあなたは全てを見るであろう。現状の環境下で一度だけやるのではない。何度もあらゆる環境下で、特に、困難な環境下でやるのだ。あなたが愛する時、その範囲内において、あなたが困難と感じるそのことが和らげられていくのである。このことは物質的幻想に由来する法則に依るものではない。一なるものの愛の法則に依るのである。この一なるものの愛こそスピリットの本体であり、物質的身体に染み渡っているのである。それは物質的身体よりも高次である。あなたのスピリチュアルなボディの意志に基づく愛によって、あなたは困難を和らげることになるのである。物質的幻想に対し瞑想の成果を、愛を反映させることが必要不可欠なのである。

 

 わが友よ。全ては一つなのである。私の声は彼女という媒体の声なのである。私の思考は彼女の思考なのである。我々があなたの提供するバイブレーションは個人のものではなく一なる創造主のものであると信じていただきたい。我々もまた一なる創造主のチャネラーなのである。声は一なる創造者の声、それしかないのである。このバイブレーションの内に、この声が一なる創造者の声であると我々は自ら察するのである。それは単にバイブレーションの上昇であって一なる創造者の自己認識ではない。あなたの理解に従って全てのものはついには調和するに至るのである。

 

 あなたの周囲の宇宙が不調和と困難の内にあろうとも、もしもあなたの精神が一なる創造者の統合の上に留まるならば、あなた自身の宇宙は調和するようになる。そしてそれはあなた自身の営為によるものではなくただ単に一なる創造者の愛の故(ゆえ)なのである。

 

 

(ここからカーラの発言)

 

 我々は多くの情報から、我々が進化の特別な時代の最後の日々を過ごしていると聞いています。キリスト教徒のよく知られた著述家たちは啓示の書(注1)の記述を引用して、ハルマゲドン(注2)がすぐそこに迫っていることを示していると分析しています。科学者たちは、木星効果のような通常とは異なる惑星配列の影響の可能性について探求した多くの書籍を執筆しています。彼らはこの木星効果が今そして2000年まで発生すると考えており、地球の変化を助長する可能性について述べています。他の科学者たちは、多くの証拠が2000年までにポールシフト/地軸移動が起こる可能性を示していると考えています。エドガー・ケイシーのような予言者は、劇的な変化の発生に関するチャネリングによる情報を保有しています。その予言の中には人類自らの手によってもたらされるであろう地球の荒廃の可能性に関する懸念が示されています。私たちはまた、地球の変化を議題とした会議に関する集積した情報を保有しています。

(注1原文ではthe Book of Revelations。キリスト教圏でrevelation/啓示を大文字で始まる複数形のRevelationsと記述する場合、これは新約聖書の最後に置かれた書、「ヨハネの黙示録」のことを指す。)

(注2:原文ではArmageddon。1998年に公開されたアメリカ映画「アルマゲドン」の日本放映後はアルマゲドンと称する場合も多くなった。ヨハネの黙示録に出てくる言葉で、神と悪魔の軍勢が最終的に戦う場所を意味しているが、本来はヘブライ語の”メギドの高き所”から派生した言葉である。メギドは古代イスラエルの有力都市の一つ。)

 

 

 

(ここからハトンの発言)

 

 あなたの惑星において、あなたの物質的な幻想の内に深い心の傷を負うであろう時期となっている。このことに関する物質的次元での理由は様々である。あなたの惑星の科学者たちはこのことの研究に多くの時間を費やしてきた。でき得る限り、あなたの惑星の物質界における災害を引き起こすであろう状態の一つ一つを整理し記述してきたのである。あなたの惑星の科学者たちが語っていることはもっともなことである。そのような科学者たちの研究成果は、この地球上での聖なる働き全てによって予言されてきた計画の一部なのである。

 

 

 起こるであろう出来事についてあなたに正確に語ることは我々に許されているわけでも可能ななわけでもない。あるいは、その出来事が起こる場合には、その出来事の詳細を決定し、決定しようとしていることは地球上の人々の精神と感情のバイブレーションによるのである。この惑星地球上では、サイクルが変わる時、多くのカルマがこの変化に適応しなければならない。そしてこのことは実際に起こるのである。それがいつでどのように起こるかは我々は正確に述べることはできない。また、そうすことを望もうとも思わない。雨、風、火はあなたが第三密度と呼ぶ世界にある事物のみを破壊するであろう。あなたはあなたが言う第四密度の存在がどのようなものであるかを理解できないが故にあなたはこれらの第三次元の事物に価値を置くのである。第四密度へのバイブレーションの転換が完了したならば、あなたの第三密度のとしての存在を維持しようとあなたが関わっている時間はないと我々はあなたに示唆しておく。

 

 あなたのスピリットの内に、あなたの卒業の日が来たならば、あなたが第四密度へ至るために必要なことがあなたのためになされるであろう。全ては助け手によりなされるであろう。あなたはそのことを理解しなければならない。

 

 第三密度においてあなたが自分自身を同一視している事物にダメージを負うことは大いにあり得ることである。率直に話すが、あなたは死の影の谷を見ることであろう。わが友よ。これらのまさしく傷のことについて以前あなたに話しておいた。そして、まだあなたはその物質的身体に、物質的周辺環境に執着している。あなたのスピリットが永遠にあなたの物質的身体に囚われているものかのように。

 

 我々はあなたにこのように提唱させていただきたい。あなたはあなたのスピリットをあなたの頭部にも、手にも、胸にも、脚にも、足にも見出すことはない。あなたのスピリットは何処かにあるものではないのである。あなたはそれを何処からか取り去ることはできないのである。それを手助けすることもできないのである。あなたのスピリットは外郭の内にあるのである。外郭は取り去られるかも知れない。しかし、それは問題ではない。スピリットは滅びることはない。

 

(ここからはカーラの発言)

 

 私たちの惑星における物質次元での精神的外傷の示唆する形而上学的な意味は何でしょうか?同盟はこの惑星が新しいバイブレーションの領域へと移動しつつあることを示唆しています。それは時空の新しい領域であり、多くの人々がニューエイジと呼んでいます。しかし、私たちが実際に愛という課題を学ばない限り、私たちはその領域に入っていくことはできないでしょう。この愛という課題について私たちは多くの転生の期間中に学ぶことを選択したりしなかったりしたものなのです。それゆえ、同盟は、そのポジティブな道を選択するか否かが非常に重要であると示唆しています。

 

 

(ここからはハトンの発言)

 

 ただちになされる選択がある。もし、この惑星の全ての人々が、選択というものはなされるものであるという理解に至るならばそれは好ましいことである。この惑星の多くの人々にとって選択ということがどのようなものかを理解することは難しい。なぜなら、それは、彼らは自分が選択しているなど思いも寄らなかったのである。彼らは自分たちの日常活動に夢中になっている。彼らはその中で混乱している。そして些細な欲望に囚われている。これらとの関わりの中で、彼らは選択というものがただちになされていることを理解するに至るのである。彼らが望もうと望むまいと、理解しようとしまいと、その影響に関わらず、惑星地球上に住んでいる各々全ての人々がただちに選択をなしているのである。そこには中間領域というものがない。愛と光の道に従う選択をする者がいる一方で他の道を選ぶ者もいるだろう。

 

 この選択はこのように宣言することによってなされるであろう。「私は愛と光の道を選択する。」あるいは「私は愛と光の道を選択しない。」言葉による選択には何の意味もない。この選択の効果は人々の選択の現れ個々によって評価されるであろう。この現れは我々一なるものに奉仕する惑星同盟にとって判断解釈が非常に容易である。この選択の効果は、選択によって現れる個人のバイブレーションの程度で計測されるのである。もし、個人が愛と理解の選択をなすグループに加わろうとするのであれば、彼のバイブレーションの程度はある基準値を上回っている必要がある。今、この基準値に近くにいる多くの人々がいる。しかし、この地上にはびこっている誤った思考状態が続いているために、彼らはこの基準値のあたりのヴァイブレーションの程度を上下しているのである。あるいは、あるケースでは愛と理解の道を彷徨(さまよ)い出てしまうことさえあるのである。バイブレーションの程度が彼らより十分に高い人々も多くいる。この人々はこの惑星が程なく経験するであろうバイブレーションの密度へ困難を感じることなく旅することができるであろう。

 

 

(ここからはカーラの発言)

 

 将来のある時点において、同盟が収穫と呼ぶあることが起こります。この裁きの日の概念は終末論的な裁きの日とは異なります。終末論的裁きの日では私たちとは別の存在の神が私たちを裁きますが、同盟の言う収穫では私たちの内なる神が裁きます。この収穫の結果として、ある人々は愛と光のニューエイジへと到達します。そして、同盟が言う非常にポジティブで美しい密度において新しい課題について学ぶことになります。他の人々は現在経験しているこの特別学級の課題を再び繰り返さなければなりません。そして再び、愛の課題について学ぶことになるのです。ここに同盟に属する生命体であるハトンが、収穫と同盟の目的について、再びコンタクトグループを通じて話をしています。

 

 

(ここからはハトンの発言)

 

 収穫の日が到来しつつある。あなたがそれをこう呼ぶ時、それはあなたの惑星で間もなく起こるであろう魂の収穫の日なのである。我々はこの惑星から可能な限り最も偉大な収穫を抜き取ろうとしているのである。これは我々のミッションである。というのは、我々は収穫する者だからである。

 

 これを最も効果的に遂行するために、我々は最初に、この惑星上で探求を望む人々の中を探し求める状態を作り出したいと思っている。受け入れ可能なレベルのバイブレーションに近い人々を探し求める状態を作り出すということである。このレベルを越える人々はもちろん、我々の興味をそれほど引かない。なぜならば、彼らはすでに達成を完了しているからである。この受け入れ可能なレベルより遙かに低いバイブレーションの人々については、残念ながら、今は援助することができない。今の我々は、愛と理解の道に向けて収穫されるであろう比較的少数の人々を増やそうと試みているのである。

 

 あなたの惑星に住んでいる人々の少しの割合であってさえ、莫大な数に上る。それゆえ、我々のミッションというのは、それが受け入れられようが拒まれようが、あなたの惑星の人々が証明と呼ぶであろう状態を経ずに情報を広めるために、このような人々からなるグループを通じて働きかけるものなのである。

 

 我々は彼らに、彼らがそれを用いて表現できるような具体的な証明を提供したりはしない。我々は彼らに真実を提供するのである。証明なしに真実を提供すること - これは我々のミッションの重要な役目である。これによって、各々全てのケースで各個人の内側からやる気が起こってくるのである。このようにして、各個人のバイブレーションの程度が増大するのである。各個人に証明を提供したりこの真実を印象付けたりして彼らにそれを受け入れることを強要することは、彼のバイブレーションの程度に有用な効果をもたらさないであろう。

 

 我が友よ。これは我々があなたたちにアプローチする神秘的な手法なのである。

 

(ここからはカーラの発言)

 

 UFOの中の存在からの多くの交信からもたらされるもう一つの概念は”ワンダラー/放浪者”です。彼らは通常、奉仕を指向する人々で、予想されるとおり、彼らはしばしば、地球のバイブレーションに適応することに大きな困難を感じています。しばしば彼らは、この惑星のバイブレーションに適応していない、あるいは、属していないと感じていていますが、一方で大抵の場合、芸術分野で、教育分野で、陽気で幸せなバイブレーションを分け与えてくれるという点で、多くの天賦の才能に恵まれており、造反者にありがちな態度を微塵も示すことがありません。 

 

 この概念はラー資料に惹かれる多くの人々にとって特に興味が引かれるものです。なぜならば、ラー資料によると、この資料に示されている情報の多くは、ワンダラーにとって有用であると極めて容易に認識されるからです。今日、地球上にはワンダラーが少なからず存在しています。ラーはおよそ六千五百万人ものワンダラーが地球上にいることを示唆しています。彼らは調和した他の密度の世界を後にして、最も困難かつ危険な任務を遂行するためにこの地球にやってきたのです。というのは、もしワンダラーが、少なくともこの惑星地球上での一生の間のうちに、この密度への誕生をもたらした忘却のプロセスの突破を開始しないのであれば、そして、分かち合うべく意図されている愛と光に覚醒しないのであれば、そのワンダラーは、おそらく、カルマと呼ばれるものを漠然と積み上げるだけの第三密度の幻想に囚われてしまうのです。そして、この一生において第三密度におけるアンバランスを均衡させない限り、故郷の星へ再び帰還することが遅れることになるのです。

 

 ドン・エルキンスと私が1976年にUFOの秘密を書いた時、私たちはそのうちの一章をワンダラーの概念を記述するために費やしました。そこでは、三人の女性の退行催眠によって収集された資料が用いられました。彼女たちはこの一生において友達どうしでした。彼女たちは別々に退行催眠を受け、独立していながら内容的には完全に符合する、もう一つの惑星での生活を語ったのです。

 

 この本を印刷に回した後、私たちは、この女性たちがもう一つの惑星での経験の一部としてその名を呼んだ一人の男性と一緒に仕事をすることができました。この男性は化学工学の修士課程で学んでいる学生で、私たちがある種の催眠術の実践に取り組んでいること以外は詳しくは知っていませんでした。1975年の5月10日に、ドンは、熟練の催眠術師で、彼がルイビルに住んでいた時にしばしば一緒に仕事をしたローレンス・アリソンと共に、私たちの四番目のボランティアと共に座って、四回にわたって他の世界への探検を行いました。これから得られた情報は特に興味深いものでした。なぜなら、最初の三回の退行催眠で得られた情報は詩的で美しく、専門的なものはごくわずかでした。四回目の退行催眠で得られた情報は全く違った背景を持っていて、より一層正確で具体的なものだったのです。この四番目の退行催眠で得られた情報は、以前の三回の退行催眠で得られた情報と完全に符合していました。

 

 ドンとラリー(退行と復帰を命ずる役割の人物)が、まず最初に着衣について尋ねました。

 

問:あなたは何を着ていますか。

 

答:白い。

 

問:白いとは何ですか?

 

答:ゆったりとした白服だ。

 

問:分かりました。腰から上には何を着ていますか?パンツの上には何を着ていますか?

 

答:ローブのようなものを着ている。実際はローブではない。帯があるゆったりとした服だ。ベルトのようなものだ。

 

問:肩のあたりはどうなっていますか?

 

答:半袖だ。それは暖かい。

 

 このタイプのローブはこの存在が修道者あるいは宗教者階級であることを示唆しています。そして、質問はこの惑星でのオーソドックスな宗教的繋がりを発見する試みへと向かいました。しかし、いかなる関係も見出せませんでした。そのため、質問はこの存在が属する他の世界の名称へと移っていきました。なぜなら、その存在の周辺環境は地球のものとは異なっていたからです。しかし、通常は鋭い答えを返すこの若者は、命名するという概念を知らないようでした。

 

問:あなたの惑星の名前は?

 

答:我々はそこに住んでいるだけだ。私はいかなる山々もそこに見ることはない。名前?

 

答:私には一人の子供がいる。

 

問:一人の子供がいるのですか?

 

答:そうだ。小さな息子がいる。

 

問:彼の名前は?

 

答:私は名前という感覚を持たない。あなたが誰かを欲する時、そして彼らがあなたが彼らを欲していると知るということなら理解できる。私はただ、名前という感覚を持たないのである。

 

 彼らの惑星は名前ばないだけではなく、その存在の話は全く違ったプロセスに基づいているようでした。それは恐らく、私たちがテレパシーと呼んでいるプロセスによってなされているようでした。 

 

問:分かりました。もし誰かがあなたのことを呼ぶならば、彼らはあなたのことを何と呼びますか?

 

答:私は誰かが話すのを聞いたことがない。私はあなたが話さなければならないかどうかを理解しない。

 

答:シンプルな生活なのであろう。しかし、私の書物には光がある。そして、我々の生活は機械化されている。あるいは恐らく、それ以上のものである。私は人々がお互いに話すところを思い出さない。彼らはみな、お互いの質問を知っているのである。何が起こっているかお分かりだろうか?それは歌いだった。そこには歌いがあった。しかし、人々がお互いに会話を交わすことはなかった。あなたが知っているような会話というようなものはなかった。

 

答:私は石かベンチに座っているだろう。彼らは座っているだろう。そして、私はそれを説明している。しかし、私は私自身が彼らに話しているところを本当に見ないのだ。

 

 この学生のエンジニアとしての視点から見て、その主題は女性たちとは違った方法でその存在がいる場所の構造を組み立てています。四つの退行催眠から得られた情報はいずれも、その存在のコミュニティの中心とその目的が、私たちが都合よく神殿と呼ぶ何かと合致していました。

 

 

 

答:それを石だと考える。・・・私は石灰石だと思う。しかし、それはより白いと思う。そのようなものだ。

 

問:周囲の長さはどのようですか?

 

答:側面から天井にかけてアーチになっている。しかし、普通のドーム状ではない。以前にはこのようなドームを見たことがない。

 

答:良く考えてください。このドームは差し渡しどのくらいですか?

 

答:おお、良く考えろというのか。200フィート(訳注:およそ61メートル)の長さだ。いや、もっと長いかも知れぬ。おそらくは250フィート(訳注:およそ76メートル)の長さだろう。そして幅はおよそ150フィート(訳注:およそ46メートル)である。非常に大きな部屋である。

 

問:分かりました。どのように光っていますか?

 

答:ただ(疑わしそうに)・・・実際、ただ天井から輝いているだけだが。光の領域があるのだ。そして暗い領域もある。ペンキを塗られているような感じだが実際にペンキが塗られているわけではない。それは光なのだ。光であろう。それゆえ、光はいらぬ。部屋は明るいのだ。恐らくその光は窓から来ている。その部屋にはいかなる影も認められないのだ。

 

問:あなたは部屋の中の雰囲気自体が輝いているとおっしゃっているのですか?

 

答:左様(さよう)である。ただそれは輝いている。私はいかなる影も見ない。そこに光の根源があるかのようだ。

 

問:なるほど。私はその大きな部屋の中のことを聞きたいのです。そこでは何か音が聞こえますか?

 

答:その部屋では何も聞こえぬ。しかし、彼らはどこかで歌っている。

 

問:とても静かで、遠くから歌声が聞こえてくるのですか?

 

答:うーむ。うーむ。

 

問:分かりました。何というか・・・

 

答:むしろ、聖歌隊に近い。小さな聖歌隊のようなものだ。

 

 

 

 すべての四回のセッションで報告されている主題なのですが、その音楽は私たちがかつて聞いたいかなる音楽とも違うようです。二回のセッションでは空気中に泡立つ音楽を見ていました。残りのセッションではそれは正確には語られませんでした。

 

 

 

答:ただ、言葉にすることができないのだ。ある種の賛美のようなものなのだ。あなたが聞いているであろう讃美歌のようなものなのだ。

 

問:誰への賛美なのですか?

 

答:うーむ。

 

問:神への賛美ですか?

 

答:それが誰であるのか確かなことは分からぬ。ある種の幸せなことをしているのだ。人々が集って、それで歌う・・・

 

 

 

 主題は大きな書物の研究へと発展していきます。

 

 

 

答:私は座って・・・一冊の本をただ読んでいる。

 

問:歴史の本ですか?

 

答:よく分からぬ。

 

問:実用的な作品ですか?科学書ですか?あなたは何を研究しているのですか?芸術ですか?

 

答:ただ大きな、大きな本だ。

 

問:うーむ。あなたは授業で勉強の監督をしているのですか?

 

答:朝には教師がいる。それで午後には、夜遅くには私は勉強をする。

 

問:試験はありますか?

 

答:試験はない。ただ学びたいのだ。十分学ぶことができていないと思っているようなものだ。

 

 

 

 これらの人々は誰なのでしょうか?彼らは惑星全体を代表するものなのでしょうか?それとも、ある一部の住人を代表するものなのでしょうか?もし、彼らがこの仕事をするために選ばれた存在だとしたら?この資料を見た後、ドンと私は、この特定のグループに属する人々の呼び名として”clan/クラン/一門”という用語を用いることにしました。以下はこの主題に関する質問です。

 

 

 

問:誰も個人的な家を所有していないのですか?

 

答:左様。この大きな場所が彼らの家なのである。これが家なのである。

 

答:ここに一つの目的がある。それは学校のようなものなのだ。あるいは教育の場所なのだ。深く学びたい者のための教育の場なのだ。彼らが来訪可能な時に来る場所なのだ。

 

答:これは人々を支配するためのものではない。これはここに来なければならない人々のためのものではない。それは授業のようなものでなないのだ。

 

 

 

 この他の世界の、あるいは少なくともこの一門全体の住民の生活において、瞑想は非常に大きな役割を果たしています。この一門全体において、個人的瞑想と毎日の集団瞑想が行われています。

 

 

 

 

答:私は私自身をそこに見出さない。私は意識の異なった状態に存在しているのだ。朝と夜は祈りに満ちた時間である。部屋で祈り、食事の前には別の祈りを捧げる。朝食の前に祈るのである。夕食時の場合、食事の直前ではなく、食事が運ばれてきたら祈るのである。食事の後には部屋で祈るのである。私的な祈祷を捧げるのである。瞑想とは異なる。食事中の他にグループ全体が集まる時間がある。場所全体が一つの家族のようなものなのだ。個人に付着して存在しているという感覚なのではない。それは、皆に付着して存在しているという感覚なのだ。彼らは皆一つの存在であり。あなたの感じている家族のようなものなのだ。

 

 

 

 

 その一門のもう一つの役割は、スピリチュアルなインスピレーションの到来を望む惑星の住人全てに対して、時代から時代へと、偉大なる神殿を開くことです。どのようにこのような大きな集団が神殿を満たすために到来するかを判断しようとする時、どれだけ大きなヘリポートが必要なのかという疑問が起こります。私たちは後ほど、その乗物がヘリコプターではないことを発見しました。とはいえ、ここで質問者が用いている言葉はヘリコプターでした。

 

 

 

 

問:分かりました。人々がそのヘリポートを出発した後、彼らはどこに向かうのでしょうか?

 

答:これらの船が来る時、騒々しく乗り降りするような人々の群れではないのである。それがそこに着陸し、ドアが開き、人々が出てくる。そして、人々が入って行く。彼らは地上に降り立つことを許されるのだ。ここは彼らの場所でもあるのだ。しかし、彼らはあることをなすために訪問者としてその地に降り立つのである。

 

問:彼らはそこにどのくらい滞在するのですか?

 

答:一日である。

 

 

 

 以下はヘリポートの描写になります。

 

 

 

答:そこは平らな場所である。石のような平らな場所である。その前には、私は道を見ない。それは大きなヘリポートのようなものである。

 

 

 

 質問者は大きな石の領域にそれが着陸することを見出すことになりました。そして質問の主題は輸送手段の描写へと変化しました。

 

 

 

問:分かりました。私はあなたに船のことについてお尋ねしたいと思います。それはどのように推進するのですか?

 

答:恐らくは宇宙船であろう。しかし、私はそれが空間から到来するのを見ない。それは突然そこに存在するようになるものなのだ。

 

問:どのような外見をしていますか?

 

答:それは幅より長い。それは厚くはない。長さの次元と幅の次元においてそうなのだ。肯定と否定の次元においてはそうなのだ。それが降下する時、それは回転しない。それは外形において楕円形と規定される。私はそれが小さく見える状態から大きく見える状態に実際になるところを見ない。

 

 

 

 質問に対して答えている主題が物質化と非物質化の描写を明らかに暗示していることは興味深いものです。

 

 被験者の若者が知的能力において成長するにつれて、一年も立たないうちに、白髪になるまで成熟した人間が教示するような話をするようになりました。多少とも進級した学生に教え始めたかのようでした。やがては、転生を終える準備をしている時期であるかのように話すようになりました。質問者が主題を前世における死の経験に戻した時、その時間を彼がその当時生きていた時の経験まで進ませた時、彼らは主題を転生の時期で止め、この特別なワンダラーが地球にたくさん来た目的について尋ねました。彼がもたらした回答は、挑発的でありながら全てはあまりにも貧弱なものでした。私たちの多くは私たちのこの惑星をいろいろと助ける用向きを探しているのです。そして、課題はいつも、どのように私たちはそれを成し遂げるか?でした。

 

 

 

問:なぜあなたは地球にいるのですか?この人生での目的は何ですか?ここで何をしようとしているのですか?ここで何をするよう役割を与えられているのですか?

 

答:助けるためである。

 

問:何を助けるためですか?特別な何かですか?

 

答:何か・・・

 

問:ここで既に助けましたか?それとも、あなたが助けることになっている問題がまだ到来していないのですか?

 

答:それはまだ起こってはいない。

 

問:あなたは何を予測しているのですか?

 

答:ただ、大きな需要を探しているのだ。

 

問:あなたから、あなたが知っていることで多くの援助を求めた時、何が起こるのでしょうか?スピリチュアルな成長ですか?スピリチュアルな発達ですか?物質的必要性ですか?

 

答:私はある人々が失っている感覚を感じている。あなたには分かるか?

 

問:あなたは彼らを助けることができますか?これがあなたのミッションではないですか?

 

答:私は私が行う必要があると感じる。これが・・・これらの人々を助けるのである。

 

問:うーむ。どの人々を助けるのですか?

 

答:失っている人々である。

 

問:それは特別なグループですか?

 

答:違う。

 

問:具体的には?

 

答:ただ単に人々である。

 

序論5に続く