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序論2からの続き
宇宙が全一的である一方で有機的な連携の下に成立しているというこの性質が、UFOがこの地球に到来している目的を研究する者に対して最良の情報を与えているように思えます。多くの証拠から、それらが数千年もの間この地球に到来していることは明白です。少なくとも、UFOは多くの奇妙な光景とともに聖書を含む初期の歴史の年代において言及されています。
UFOに関する現在における興味は、公正に見て米国ワシントン州のレーニア山におけるケネス・アーノルドの歴史的目撃報告(訳注:アーノルドが目撃した地球上で知られていた飛行物体では不可能な不規則な飛行を行う円盤状の謎の飛行物体をマスコミが”Flying Saucer/空飛ぶ円盤”として報道したことから、この名称が世に広まることとなった。ちなみに、UFOという言葉が日本で初めて知られるようになったのは、英国で製作された特撮ドラマ、”謎の円盤UFO”が1970年に放映されたことが発端であったと記憶している。このドラマでは既に、宇宙人の存在の隠蔽、月面基地、地下秘密基地、地球人の臓器を狙う宇宙人、地球人に憑依する精神体としての宇宙人、地球人協力者に対する宇宙人による特殊能力の付与、緑色の液体中で呼吸する宇宙人、地球人の対宇宙人秘密組織といったコブラのブログやコズミックディスクロージャーで語られているコンセプトが既に現れている。)に始まったと言えるでしょう。UFOに関する議論のために、1947年6月24日におけるケネス・アーノルドの目撃例と並ぶ、極めて信頼のおける目撃証人によって報告されたもう一つの初期の歴史的な目撃例として私が選びたいものは、ドン・エルキンスとも関係の深い、1948年1月7日におけるマンテル事件があります。
トーマス・マンテルは熟練のパイロットでアフリカ、ヨーロッパそして最も有名なノルマンディ上陸作戦の飛行ミッションに参加した経験がありました。1947年において、彼は米国陸軍航空隊を出て、米国ケンタッキー州ルイビルのボーマン飛行場にエルキンス-マンテル航空学校を開設しました。1947年において、ドン・エルキンスはこの学校の最年少の生徒でした。
1948年1月7日の午後2時ごろのことでした。ケンタッキー州警察はフォートノックス陸軍基地に電話し、憲兵隊に円形の飛行物体がその地域をやや速い速度で移動しているところを目撃したことを報告しました。憲兵隊はフォートノックス陸軍基地内にあるゴッドマン飛行場の司令官に電話し、法手続きに基づいて、オハイオ州のライト飛行場の飛行運用状況が調べられました。目撃情報を説明できるような実験飛行が実行されているかどうかを調べたのです。ライト飛行場では全く飛行がなされていませんでした。
その間、フォートノックス陸軍基地のゴッドマン飛行場の管制塔は、すでに円盤形の物体を目視でもレーダーでも確認していたのです。そして報告書が作成され、ただちに司令官へと届けられていたのです。
その最中、四機のF-51航空機がアトランタの近いジョージア州マリエッタからケンタッキー州ルイビルに向かう途上でその空域を飛行していたのです。それらはすでに飛行中だったので、ゴッドマン飛行場の司令官は隊長とコンタクトを取ってそのUFOを調査するよう求める決断をしたのです。その隊長がトーマス・マンテル大尉だったのです。
マンテルはゴッドマンの管制塔からレーダーの方位を指示され、UFOに向かって移動して行きました。彼はその物体を視覚に捉え、彼よりも低速で移動していることを確認しました。そして、更なる確認のために接近しようとしたのです。その時、マンテルは管制塔からその物体が今は彼の上方にいることを知らされたのです。それは金属製のように見えました。そしてその大きさは途方もないものでした。
マンテルの搭乗機を含むいずれのF-51航空機も酸素を用意していませんでした。マンテル以外のパイロットは高度15,000フィート(訳注:およそ4,600メートル)を維持しました。マンテルだけが上昇し続けました。マンテル大尉からの最後の通信がありました。数分後、飛行機が墜落したことを知らせる電話がありました。墜落したのはマンテル大尉だったのです。彼の遺体は残骸の側に横たわっていました。
数千件にもおよぶマンテル大尉のケースのような何か非常に奇妙なことが起こっていることの反駁の余地のない複雑で具体的な証拠を含む目撃例についてうわべだけでも説明しようとするならば一冊の本が書けるほどの時間を費やすことになるかもしれません。レーダーによるUFOの確認例はたくさんあります。イリノイ州エバンストンに本拠を置くUFO研究センターによって出版された一冊の書籍があります。その書籍はもっぱらUFOが残した、土壌中の放射線、土壌組成の変化、地表面の着陸跡などの膨大な物理的な痕跡を扱っています。同じ組織が保有しているコンピューター装置は80,000件以上の報告を含むUFOに関する情報プログラムを扱っています。このコンピューター装置”UFOCAT”を用いることによっていくつかのことが驚くほど明確になりました。たとえば、もし、UFO目撃地点においてUFOの着陸跡の寸法を計測したならば、そのコンピューターを用いることによって、着陸したUFOがどのような特徴を有するものであったかを描出することが可能なのです。そのために、目撃者は、そのコンピューターが何をすでに知っているのかをある程度は確信することができるのです。
とはいえ、これは、形而上学、哲学、地球上の人類の物理的そしてスピリチュアルな進化計画に関する非常に正確な性質のメッセージを書き写した書籍の導入部なのです。従って、私が提案したいことは、私たちのグループが数年を通じて収集した研究成果のいくらかをみなさんと分かち合うことなのです。これらの実例は同じグループに由来するので、私たちは誰がこの情報を受けたのかを記載することはしません。なぜならば、私たちは情報を伝える人物よりも伝えられた情報そのものが重要であると感じているからです。
私たちのグループと話をしていて、多くの年数を他のグループと話をしているハトンと呼ばれる存在によれば、少なくとも私たちの空に目撃されるある種のUFOがこの時期に地球に到来する目的は、災害に遭ったり、著しく貧困化した国に援助の手を差し伸べるにあたって私たちが抱く目的と非常に似ているのです。それは奉仕したいという願いなのです。
(訳注:ここからはカーラではなく、ハトンなる存在が語る内容になる。)
我々はあなた方の言う非常に長い年数の間、惑星地球の人々と接触してきた。我々は数千年の間隔をおいて我々の援助を探し求めていた人々と接触し続けてきた。今やこの惑星の多くの人々にとって我々との接触を受けるべき時である。我々の接触を受けるべき人々は、長きにわたってこの惑星における諸々の事象を思索するにあたって囚われてきた物質世界の幻想の外側に探求すべき何かがあると理解しており、その探求を望んできたのである。我々を刺激し続けるプロセスは自己発生し続けるものなのである。より多くの人々が我々との接触を望めば望むほど、その恩恵を受けることになり、その恩恵を他の人々に分け与えることになる。そして、そのような情報を分け与えられ受け取った人々が今度は、我々との接触を受け取るためのバイブレーションに十分に波長を合わせることが可能となる思考や理解の状態に至ることができるようになるのである。我が友よ。これが、接触が働くメカニズムなのである。もし、その存在が我々との接触が可能になることを望むのであれば、彼が自分の思考の結果としてあるバイブレーションとなることがまず必要である。このことは、このような初期段階を達成した人々がグループを作ることによって顕著に加速化される。そしてそれは、最終的には瞑想を通して達成される。言葉を換えるならば、波動を高める思考システムおよびスピリチュアルな目覚めへの願望を確立した人物によるチャネリングによって、その存在は言葉による接触を受け取ることになるのである。
無量なる一なる創造者に奉仕する我々惑星連合のメンバーは、誠に遺憾ながらあなた方の惑星の地表に降りたって、我々による奉仕を望む人々を教導することはできない。しかし我が友よ。我々が以前に言ったように、この時代において我々の奉仕を望まない人々にとって、
そのような行為は甚だ害悪なのである。そして我々は、我々による援助を望む人々にさえ、理解を及ぼす効果が非常に薄いという事態をもたらすことを恐れている。我が友よ。理解とは内側から来るものなのである。我々が出来ることと言えば、その内側からの気づきの到来を手助けすることだけなのである。我々は示唆することしかできないのだ。我々はこのような援助活動を、自分自身の思索活動を内面へと転じようとしている、愛の唯一の源泉である内面へと向かおうとしている、一なる創造者が我々全てと一つであり、存在するもの全てと一つであり、一なる創造者のゆえに全てが存在することを理解しようとしている人々に援助を試みようとしているのだ。
(訳者私見:タキオンヒーリングチャンバーの持ち主の言動を観察してきたが、なるほど身体的不調は間違いなく改善したようだが、タキオンヒーリングチャンバーによるヒーリングによっては、一時的な安心感は得られるもののすぐに元の不安定な状態に戻り、精神性、スピリチュアリティの非可逆的かつ永続的な改善が一向に認められないことはしっかりと確認できた。他のスピリチュアルグッズもまた然りであろう。訳者もハトンなる存在の“理解とは内側から来る”という主張に全面的に同意するものである。タキオンヒーリングチャンバー等のスピリチュアルグッズは”内なる気づき”に気づきやすくさせる道具であり、”内なる気づき”そのものではない。あなたが”内なる気づき”に気づかない限り、あるいは、それを無視する限り、あなたは進化することはない。モルダバイトがどんなに精妙な波動を発していようとも、あなたがそれに気づく、それを感じ取る能力を開発できていないのであれば、どうしてモルダバイトがあなたによい影響を及ぼし得ようか?波動は感応し合ってこそ”一なるもの”であり、感応し合わない波動は”二元的”なのである。進化の道程は楽しいことばかりではない。苦い薬を飲まされる時もあるのである。苦い薬を飲むことから逃げ続ける人間に進化は訪れない。スピリチュアルグッズは自転車に乗れるようになるための補助輪のように使うべきものである。自転車に乗れるようになるのは”あなた“であって”補助輪“ではない。あなた自身が習熟しない限りあなたは一生自転車には乗れない。全ては”あなたの責任“であって”補助輪の責任”ではない。もちろん、補助輪なしですぐに自転車に乗れるようになる人などまずいないのも事実である。自転車に乗れるようになるのはあなたが自転車の乗り方に習熟したからであり、補助輪はあくまでも乗り方に習熟するまでの補助の役割を果たすに過ぎない。ハトンも結局のところ、”私は自転車の補助輪にはなれるがあなた自身にはなれない”と言っているのである。)
我々は、あなた方の惑星の歴史の中で、今この時特別な奉仕を通じてあなた方と接触するというまたとない特権を与えられている。非常に偉大な時期であるゆえ、偉大な移行期間にあるゆえ、地球上の人々の多くが混乱の状態から単純な理解:一なる創造者は愛であるという理解に上昇させられるであろう。
(訳注:ここからはカーラが語る内容となる。)
ハトンは物質世界の幻想の外側に何かを探し求めようという私たちの願いについて語っています。彼が言葉巧みに語っていることは、しばしば、ラーが呼ぶところの無量なる一なる創造者に奉仕する惑星連合のメンバーによって、”根源的思考”として言及されます。これは我々の言葉で言う”愛”の別の表現ですが、この”愛”という地球の言葉より遙かに多くの意味を包含しています。その言葉には統合という意味も含まれています。そしてこの統合は私たち同士を単なる親友や兄弟姉妹と見なさず一なる創造者として、私たちお互いを一なる創造者として見なすゆえに偉大なのです。この概念はテレパシー現象の中核にあるのです。ハトンはこの概念について、また、一般的な意味で言う根源的思考の概念について語っています。
(訳注:これより再びハトンなる存在が語る内容となる。)
この時私はあなた方が暮らしている場所の遙か上空の宇宙船の中にいた。この時私はあなた方の思考内容を観察することができた。我が友よ。この行為はあなた方の幾人かにとっては侵害行為と見なされるかもしれない。しかし、私はそうではないとあなた方に確証する。我々のこの惑星地球上の人々の思考内容を知る能力は、あなた方の思想や行動を侵害するようには設計されてはいないのである。我々は他者の思考内容を知っているということをもってそれが侵害行為だとは見なさない。なぜならば、我々はこれらの思考内容を我々のものであると見なすからである。我々はこれらの思考内容を一なる創造者の思考内容と見なすのである。
(訳注:我々が一なるものの法則の内にあるならば、他人の思考内容も自分の思考内容で創造者の思考内容であることは常識中の常識である。むしろ、他人が何を考えているのか分からないという状況こそ一なるものの法則に外れた二元性の世界の常識であり、“異常”とみなされるべきである。SNSやe-mailで個人が私的に語った内容が覗かれていると糾弾する人々がいるが、常日頃健全な思考活動をしている人間であれば、他人にその思考活動を覗かれたところで何の痛痒も感じないものである。日頃のものの考え、言動、行動に裏表のある人間こそ、自分が二元性の世界にどっぷりと浸かっていることを反省すべきである。)
我が友よ。あなた方にとって、愛というものは思考の性質に他ならないと思えるかもしれない。そして、兄弟愛は我らが一なる創造者から発せられた思考ではないと思えるかもしれない。そうではありえない。我が友よ。全ての思考というものは一なる創造者から発せられたものなのである。生起した全てのものは一なる創造者から顕れたものなのである。一なる創造者は全てのものの中にあり、全ての場所に存在し、全ての意識あるものの中にあり、全ての思考の中にある。これらの全ては一なる創造者の思考として存在するのである。一なる創造者の無限なる部分は全て自由意志を保有している。そして全ては全ての意識あるものが選択する様に従って全ては出現するのである。一なる創造者のあらゆる部分は、その完全かつ無限の感覚によって全ての創造物と交信しているのである。
我々は一なる創造者のお考えを変えようとしているのではない。我々は一なる創造者のお考えをより分離した部分へともたらし、一なる創造者がそれらを精査して評価できるようにしているに過ぎない。我が友よ。私は孤立した部分と言うのだが、なぜ、我々はこれらの部分を孤立しているとみなすのであろうか?我々はこれらを孤立したものとみなす。なぜなら、我々の視点から察するに、その孤立した部分は、我々が慣れ親しんでいる被造物の大部分に浸透していると我々が見いだした概念から大きくその歩を踏み外しているのである。我が友よ。我々は惑星地球上の人々が彼らの経験や実験によってその考え方において孤立し、我々が自分たちの経験してきた一なる創造者がもたらした創造による膨大な到達に慣れ親しんでいるという事実から、彼らが分離してしまっていることを見出している。
わが友よ。我々があなたに何をもたらしたかを思い出してもらいたい。これよりあなたは自分自身の物質的存在の内に優勢である境遇が創り出す片隅へと戻っていくことであろう。しかしながら、私はあえて言いたい。あなたが学んだことを記憶に留め、それを得るためにあなたが力を尽くしたそのことを忘れないようにと。あなたはいつでもあなたの必要とすることと望むことを変えていくことができる。物質的幻想から父なる一なるものの創造した本当のあなたという存在へと。あなたの目的がこの物質的幻想に依存している限り、この幻想に優先的な法則の虜(とりこ)とならざるを得ない。もし、あなたの望みがあなたが学んでいることを適用することに変化し得るならば、あなたは無限なる一なるものの創造の内へと上げられ、あなたを物質的な幻想へと引き戻している片隅からあなた自身を救い出す偉大なる能力を保有するに至るであろう。
(ここからはカーラの発言)
これらの言葉を読んだある人にとって、それが語るところの考えは実用的とは思えないかもしれません。また、多くの者がニューエイジあるいはアクエリアス/水瓶座の時代と呼んでいるものを議論するにはあまりにも観念的に過ぎるかもしれなません。確かに、惑星全体が哲学的にそれほど悪くなっているとは思えないかもしれません。私たちが自分たちの面倒を見るために進化している以上にその生命体は進化しているのです。
とはいえ、私たちが哲学の”宇宙的”システムの心臓部を探求していくにつれて、私たちは、少なくともそれを単純化し過ぎることなく、短絡的に教条主義に陥ることなく十分に倫理的に、十分に有益に、それが明確かつシンプルであることを見出すことになります。
(ここからハトンの発言)
わが友よ。地球上の人類は創造を評価する上で近視眼的になってしまっている。人類は彼らを取り巻いているシンプルにして美しい生命の真の意味について理解していない。人類は生命の発生と再生についてその真価を認識していない。人類は自分たちが呼吸している大気が植物生命体により循環していることを学んでいる。植物生命体により大気が再生され、人類とその他の生物の生存を補償していることを知っている。この学びの事実は、この惑星に住んでいる大多数の人類が神学というよりテクノロジーを演習していることを意味している。彼らの子供たちに与えられている、彼らの全ての欲望に対して与えられている、完全な状態を彼らに与えている一なる創造者のご計画について人類はまだ気づいていない。地球上の人類は彼らが何であるかに関する正しい気づきを失っている。わが友よ。そして、なにゆえ人類はこの気づきを失っているのか?人類は彼らが保有する機材や発明にのみ注意を払っているがゆえにそれを失っているのである。人類は彼らの外にある慰(なぐさ)み物やアイデアによって惑わされているのである。人類はその精神において幼いのである。
人類は彼の精神が創り上げる幻想への囚われから真のリアリティへの気づきにもう一度立ち返るならば、このこと全ては非常にシンプルに治療可能である。この治療に必要なことは瞑想のプロセスを通して真のリアリティの気づきへと自分自身を用立てることである。というのは、このプロセスが人類の活発に動き回って止まることを知らない意識的な精神、惑星地球上で長きに渡り発達してきた外的幻想の内に絶えず刺激を求め続ける精神を鎮めるのである。こうしてただちに、人類は真の創造の機能の内に、真のリアリティの気づきへと復することができるのである。
(訳注:ここでハトンが言及している瞑想はコブラなどが呼び掛けている瞑想、宇宙のエネルギーを運用する瞑想とは種類が異なる。ハトンが勧めている瞑想は、仏教徒、キリスト教神秘主義者、イスラム教神秘主義者、秘密結社等が実践してきたひたすら自分の内面を観じ、外的刺激を求めて止まない意識の荒波を鎮め、内面のほんの小さな泉のさざ波であるハイアーセルフに気づく瞑想である。日本古来の神道においては、この類の瞑想を鎮魂帰神として伝えている。)
わが友よ。もし人類が真のリアリティとはいかなるものかを知りたいのであれば、地球上の人類はこれに復さねばならない。このシンプルな絶対的な愛へ至る瞑想に。一なるものへの統合へと至る瞑想に。たとえ表現することがお互いに異なろうとも、彼らがいかなる存在であろうとも、人類同胞とともにこの統合に至らなければならない。というのは、これこそあなた方の一なる創造者の本来のお考えなのである。
(訳注:ここで言う統合とは単一化すなわち、全てが全く同じものになることではない。それぞれが異なる性状を保ちながら、その個性を生かしつつ有機的に繋がることである。人体と人体の各パーツや臓器との関係を考えるとよい。)
(ここからカーラの発言)
父なる一なるものの創造、ハトンはこう呼んでいますが、それは非常にシンプルな性質のものであり、その内では、愛が万物の本質でありその働きなのです。
この”真の”創造はいまだに私たちの精神のほとんどにおいて最大限働いてはいないのは明らかです。なぜなら、私たちは、同盟がしばしば幻想として言及する日常の雰囲気の中に暮らしているからです。
(ここからハトンの発言)
我々、無限なる一なる創造者へ奉仕する惑星同盟は、古くから、リアリティの多くの原理に気づいている。我々はこれらの原理に気づいている。なぜなら、我々はあなたの惑星の人々がするように、あなたのために我々を用立てているからである。それは今あなたが経験している幻想を完全に消し去る瞑想を通じて可能となる。その幻想は全ては分離しているという幻想を創り出すのである。それは実際には何であるかというあなたと事物との分離を創り出すのである。幻想とはそのようなものである。我々はあなたに瞑想について語り続けている。我々はあな方に何度もリアリティについて、愛について、理解するということについて、語ってきた。そしていまだにあなたはこの幻想を克服できているようには思えない。
わが友よ。幻想の原因というものは地球上の人類が自ら創り出しているのである。人類は自分たちの欲望からそれを創り上げているのである。この幻想は有用である。それはその内面においてそれを経験し、それを用いることによって素早く進化しようと望む人々にとっては非常に有用である。あなたの惑星を巡っている我々の多くは、この幻想の潜在的可能性の利用という理解を創り出すことを通して、あなたと同じ経験を分かち合おうと望んでいるのである。あなたの幻想の内にあろうとする機会を分かち合おうとしているのである。これがスピリチュアリティを進化させる方法なのである。そしてこの方法こそ我が同胞の多くが探し求めてきたものなのである。
(訳注:欲望という幻想は、地位、名声、豊かさ、スピリチュアルグッズなどのあなたの外的対象にその原因があるわけではない。それはあなたの内面からもたらされるものなのである。その欲望という幻想を内的に捉えて初めてその正体を知ることができる。正体を知りさえすればあなたはそれに使役される奴隷から、それを使役する主人となることができる。欲望という幻想自体は支配されさえしなければ有用なのである。)
その13からの続き
(ハトンの発言)
私はあなたの幻想の内に潜む潜在的可能性の本性について理解することができるようになることの必要性を強調してし過ぎることはない。そして、対象を捉えてからそれについて考えを表明しようとするまでの一連の反応の最中の自己分析と瞑想によって我々に生起するものは我が一なる創造者の思考なのである。このことはあなたがイエスとして知っている教師によってなされたのである。この男は彼の地位を認識していた。彼は幻想という現象を認識していた。彼はこの幻想の内の潜在的可能性の原因を知っていた。彼のこの幻想の内の潜在的可能性と活動への彼の反応を認識していた。その幻想とは一なる創造者の思考を、愛の思考を表現しているのである。
あなたの精神の内面にあなたが経験しているのは幻想であるという幻想を、その幻想はあなたを教導するがためにあなたを取り巻いているという幻想を最大限保つように。もしあなたがその幻想が教導するところのものに気づくならば、それが唯一のあなたへの導きになり得るのである。”彼は神秘的な方法により彼の内の不思議な出来事に働きかける。”と言われている通りである。この方法は神秘的に思えるかもしれない。とはいえ、それはスピリチュアルな進展の道程なのだ。多くのソウルが、あなたがあなた自身の内に見出す幻想を経験している。とはいえ、この幻想を進展させるべく用いている者は少ない。彼らは無意識レベルでそれを実行しているに過ぎず、意識的にそれを実行するには至っていない。なぜなら、彼らはこれを実行できる可能性を探求することにより自分たち自身をそのように用立てていないのである。
(訳注:ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルはこの幻想/illusionを環世界/umbeltと呼んだ。彼は地球上の生物が周辺環境そのものの中ではなく、その生物種が生存するのに必要な情報のみを取捨選択して解釈した環世界という周辺環境に生きていることを様々な実験により明らかにしたのである。例えば、カエルは周辺環境から”動き”と”大きさ”という情報しか採用することはない。カエルの環世界には次の解釈=幻想/illusionしかない。もし”動き”=”静止”なら”無視せよ”、もし”動き”=”動いている”なら②に進め。②もし”大きさ”=”ある閾値より大きい”なら”逃げよ”、もし”大きさ”=”ある閾値より小さい”なら”捕食せよ”。カエルはこの幻想/illusionにその内面において気づくことはない。それゆえ、カエルは永遠にこの狭い環世界=幻想/illusionの中をただ機械的に生き続けるのである。岩波文庫所収のユキュスキュル著「生物から見た世界」には、ハエ、イヌ、人間の環世界の違いを分かりやすく示した図版が添付されているので興味のある方はご覧になるとよい。人間の幻想/illusionについてはブッダが精緻な観察に成功している。彼はこの幻想を五つの時系列的要素とみなした。すなわち、五蘊(ごうん)である。五蘊の五つの要素とは色(対象)、受(感受)、想(無意識下での解釈)、行(反応、行動)、識(意識下での認識)である。ソースとはこの色が顕れ出でる根源であり、ブッダはこれを非色と呼んでいる。生物種はこの色を感受するが色の内どの部分を感受するかは生物種や人間各人の過去世を含む過去の経験によって異なっている。例えば、赤色領域の波長を持つ光を人間の視覚は感受するが犬の視覚は感受しない。https://wanpedia.com/visibility/
同じ対象を感受しても生物種や人間個性に応じてそれに対する“想”は異なる。腐肉という対象を感受すると人間には”嫌悪”の自動反応が起こる。人間はそこから顔を思わず背け人によっては吐き気を禁じ得ない。一方、腐肉食のハゲタカはこれに“好意”の自動反応を起こし、それを食べるために先を争って近づいて行く。ここまで書いたならば受→想→行が自動的に起こっていることが理解できるであろう。ハトンの言う幻想/illusionの操作方法を理解していない人間は腐肉に対する”嫌悪”の自動反応を変更することはできない。制御することはできない。そして最後に”識“が来る。最後の最後になって腐肉を見て顔を”思わず“背け吐き気を”禁じ得ない”自分に気づくのである。”識”が”想”と”行”の後付けとして起こっているに過ぎないことをアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットが科学的実験を通して明らかにしている。http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060407
ただし、ブッダの提唱するヴィパッサナー瞑想に習熟し、幻想/illusionの一部始終を把握できたなら、あなたは、“識”を先行する五蘊の前へ移行させていくことができる。このようにしてあなたは幻想/illusionの奴隷から主人へと変革を遂げることができる。自由意志を行使できるようになる。この可能性については科学者も気づいている。https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/
ブッダは”色”の向こうまで”識”を移行させて行う非色界の瞑想にも習熟していた。このような“色”を越えた”非色界”に関する智慧はブッダの専売特許ではない。グノーシス主義文献のアンソロジー「ナグハマディ文書」、ブラヴァツキー夫人の「シークレットドクトリン」、プレアデスより転生した川面凡児(かわつらぼんじ)の「日本古典真義」、古代中国の智慧、「老子」や「荘子」を読めばそのことが分かる。)
スピリチュアルな進歩のために、あなたが物質世界においてあなた自身の内に見いだしている幻想を利用できる可能性に気づいたならば、あなたに及ぼす影響に関わりなく、あなたは一なる創造者の愛と理解を表現するための知識を用いるという次のステップへと進む必要がある。
(訳注:色→受→想→行→識の一連の幻想/illusionを”想“を働かせることなく、ひたすら観じるのである。考えてはいけない。感じてはいけない。ただこの一連の現象を感受するのである。”想“が働いていないあなたの心は明鏡止水となる。そこに幻想/illusionに関する感受のさざ波が立った瞬間に思考を働かせてそれを捉え、知識として定着させるのである。こうやって幻想/illusionを自由自在に用いるための知識をアップデートしていくのである。純粋感受の前に”想”を働かせてしまった場合、知識は過去のままであり、アップデートされることはない。コツは”対象”と”あなた1”との間の線分から外れた位置でこの線分の間に繰り広げられる幻想/illusionの相互作用の一部始終を”あなた2”を形成してそこから観ずるのである。)
(ここからカーラの発言)
気づきを得た時、瞑想はいつも理解を得るための最善の方法であることが分かってきます。瞑想はスピリチュアリティを進歩させるのです。幻想の性質に対する理解をもたらすのです。そして、あなたがその幻想を体験している目的を理解するに至るのです。各人はもし、望むのであれば、自身のより迅速な進化をもたらすよう、瞑想中において意識を用いるべく幻想あるいはゲームに参入するのです。しかし、私たちが自身をそのプロセスが起こる地点へと連れて行く方法は、しばしば非常に困難です。私たちはどのようにそれを把握し、どのようにその始まりに気づけるのでしょうか?
(これよりハトンの発言)
我が友よ。あなたが受け取るものの鍵はあなたの望みにある。もしあなたが何かを望むならば、あなたはそれを受け取ることになる。これは一なる創造者のご計画なのである。一なる創造者のあらゆる部分たるこのご計画の内にあなた方はその望むものを受け取ることになるのである。実際、非常に多くの事例において反対のことが起こっているように思える。それは逆説である。しかし、このように言わざるを得ない。それは明らかに望んだゆえに実現した結果なのである。我々は言う。例外なく、人はまさしく彼が望んだとおりのものを受け取るのである。我が友よ。恐らくあなたは望みというものを理解してはいまい。恐らくこの理解は理性の内にはないのである。恐らく、あなたの本当の望みがいかなるものかに気づくには、あなたは瞑想に多くの時間を費やす必要があるだろう。というのは、我が友よ。あなたの現時点での幻想における個人的能力が今気づいているよりも遙かに多くのあなたそして創造という領域が広がっているのである。
(訳注:通常の人間の場合、意識は有意識領域と無意識領域に分かたれている。人々は自分に都合の悪い性質や願望やトラウマを自分の無意識領域に押し込めてそれを忘却の彼方に追いやり、そのリアリティから逃避している。ゆえに、あなたの無意識領域はあなたの有意識領域とは反対に、あなたに不都合な願望を望むのである。そして、多くの場合、通常の人間の無意気領域は有意識領域より広く、そのエネルギーは強い。それゆえ、あなたの有意識領域で望んだ願望は叶えられず、あなたの無意識領域で望まれた不都合な願望が成就するのである。例えば、幻想を自律的に扱うことを学んでおらず、かつ、社会に溶け込めず、引きこもっているライトワーカーが平和瞑想に参加した場合、有意識下で世界平和を願う一方で、無意識下では社会への恨みが社会の破壊を望むがゆえに、この人物からは世界の平和を破るネガティブなエネルギーが流出することになりかねないのである。これがイベント遅延の一つの要因となっていると推察される。この幻想/illusionの仕組みを理解し、あなたが真の自己愛を実現するならば、つまり、あなたの無意識領域というリアリティの存在を認め、それを受け入れるならば、あなたの無意識領域は次第にあなたの有意識領域に吸収併合され始め、あなたの有意識領域での願いが叶うようになってくるのである。フロイトやユングの心理的治療手法はいずれもこの原理に依拠している。修正の必要はない。あなたの無意識下の願望に気づきそういうものがあったと素直に認めれば事足りる。これによって障害は破られるのである。)
この惑星の人々にとって彼らの幻想を手放すことは非常に難しい。彼らが信じていることが原因および効果となるという先入観を手放すのは非常に難しい。とはいえ、それは真実ではない。これは幻想なのである。幻想の誕生なのである。この惑星上の人々が創り出している複雑さの単なる産物なのである。我々とともにあなたの思考をそのような複雑さから分離する業に参画するがよい。そしてあなたを創り出しているものに気づくがよい。あなたが経験しているもの全てに気づくがよい。あなたが考えているもの全てに気づくがよい。あなたの一なる創造者に気づくのだ。一なる創造者の望みに気づくのだ。あなたが一なるものの望みに気づく時、あなたはあなた自身の望みに気づくであろう。あなたとあなたの一なる創造者は一つだからである。あなたは一なる創造者のあらゆる部分として一つであり、あなたの同胞全ては一なるものの創造全てを通して存在しているのである。あなたが一なるものの望みを知る時、あなたはそれを感じるであろう。その時にはいかなる混乱も消えているだろう。いかなる疑問も湧かないであろう。あなたはあなたが探し求めてきたものを見いだすであろう。あなたは一なるものの愛を見いだすであろう。というのも、これがあなたの一なる創造者の望みなのだ。一なる創造者のあらゆる部分がその一なるものの愛を表現し経験するのだ。そしてこの一なるものの愛の内にあなたは創造されたのである。このことは瞑想において簡単に見いだされるであろう。あなた方の理性では探すこと能わざるところに、あなた方の精妙なる計画あるいはあなた方の注意深い記述や口述においては表現すること能わざるものがあなたを単純で純粋な真実へと導いていくのである。
(ここからはカーラの発言)
同盟のメッセージは探求と願望の概念に大いに集中しています。そして、各存在の意志は各存在の進化のための探求に絶対的に集中していると感じています。実際、彼らは自由意志が宇宙の基礎であると言っています。各存在は一つの統合の部分であるだけでなく、総体として、この統合の唯一の部分であるとも考えられています。各個人の自由意志はまさしく最高のものであり、同盟の関心事はいつもいかなる個人であろうがその自由意志を侵害することを避けることなのです。彼らが地球上の人間にコンタクトする方法はこの自由意志に対する深い関心に沿う形でなされるのです。
(ここからハトンの発言)
我々はあなた方に我々の理解していることを押しつけようとは思わない。あなたに伝えていることは我々があなた方に直接コンタクトした時に伝えようと考えていたことなのだ。私たちはあなたの理解を助けることはできない。というのは、我々の真実に関する言及はあなた方の多くにとって価値あるものとして受け入れられるだろうからである。我々は我々の考えが一なる創造者の真実を究極的に代表するものであるとは思ってはいない。我々はこの情報を、彼らがそれを自分たちの意志で受け入れるか拒絶するかできるような方法で、あなた方に提供したいのである。我々が理解するところによれば、これは全ての人類のスピリチュアルな進化において必要な規定なのである。進化のある段階において、彼は自分の進化にとって必要なことを受け入れることも拒絶することも可能な状態が保証されるべきなのである。このようにして、あるいはこの唯一の方法によって、彼は真実を、一なる創造者の真実を、それが創造のただ一つの真実だと、創造の愛の真実だと知り得るのである。
それは内より認識されねばならない。それは外より刻印され得ない。我々はあなた方を、彼らの内にこの真実を探し求めようとしている者たちを鼓舞しようと試みているのである。我々は我が一なる創造者の原理に関する我々の理解するところによって、隠れたままでいるように要求されている。というのは、我々は個別には奉仕することができないのである。また同時に、そのような行為を通じて、彼の隣人に我々の存在を証明してしまうことによって害をなすことができないのである。というのは、惑星地球上の多くの者は、現時点では、我々の存在を信じようとはしないし、証明しようとは思わないからである。この理由のゆえに、我々は、このような通信手段を通じて探求しようとする者に話しかけることが必要だという理解に至ったのである。我々は彼らが自分自身のために自分自身の言葉で受け入れるか拒絶するかを評価するようなやり方で探求する者に我々がもたらす考えを与え、我々全てがその内に存在している創造のリアリティについて理解を与えることが必要であるとの理解に至っている。
(ここからカーラの発言)
このメッセージを受け取るという願いが発達するや否や、実際にメッセージが利用できるようになります。私たちのグループだけでなく、世界中のいわゆるコンタクティーやチャネリンググループにも利用可能になるのです。実際あなたは哲学上の宇宙の仕組みについての新しい発見はほとんどないでしょう。それの概念は基本的でありながら奥深くかつ単純なのです。同盟は瞑想と学習-理解というシステムの大いなる到達点の一つのためにその名を頂いているのです。
(ここからハトンの発言)
今という時代においてもあなた方の多くは外側に自分たちの幻想を探し求めている。この人々の探求のために我々は我が理解するところのものを提供するのである。我々は我々が究極の智慧を得ているとは言うまい。我々は価値があると思われるものを提供しなければならない立場にいると示唆するのみである。というのは、我々は、我らが経験において、地球上の人々のごとく同じ経験を通り抜けてきたと理解しているのである。その道程は奉仕の道を探り当てるに最も有益であったのである。我々は今夜ここにいる器を通じて、探し求める人々に理解を与えようとしているのである。我らが存在意義は、探求を鼓舞することにある。このプロセスを通じて、我々は我々とのコンタクトを望むあなたの惑星上のできるだけ多くの人々にコンタクトすることを望んでいる。我々はごく近い将来、理解することを望んでいるあなたの惑星上のより多くの人々とコンタクトできると希望している。様々な種類の人間がいる中でこのようなあなたの惑星の人々にコンタクトするのは困難である。しかし、一人でも我々がコンタクトすることが可能であれば、我々はその努力をする価値があるのである。
我々は今の試みを続けるであろう。真実に気づくに至ったあなたの惑星の人々が十分な数に達するまで、この者のような器を通じて語りかけ続けるだろう。我々は引き続き、多くの通信手段を通じて、地球上の人々に単純明快なメッセージをもたらす努力を続けている。この単純明快なメッセージは、全てはそこにあり、それは愛であるという単純明快なメッセージと共に彼らの元にもたらされるのである。
(ここからカーラの発言)
しかし、理解するということ、その理解するということは、私たちに無限なる一なる創造者の愛を表現しています。そしてそれは、何にも増して瞑想というプロセスを通じて遙かにたやすく可能であることが何度も何度も示されています。
(ここからハトンの発言)
重要である情報もあればそうではない情報もあるのである。我が友よ。智慧へと至る道は孤独なものなのである。あなたは智慧というものは苦しみの内に獲得するものだという真実を受け入れねばならない。その智慧と共にあなたは、真の創造というものはエネルギーの業であり、あなたが望むという行為は、このエネルギーに方向付けを与えるものであるということを注意深く学ぶことになるのである。我が友よ。あなたが知っていることに、あなたが学びつつあることに信を置くがよい。あなたの信をあなたの理解を、瞑想を通じて育てるのだ。この道程を進めば進むほどに、我が友よ、より多くの意義をこの一語すなわち瞑想に見いだすことであろう。それは少しずつ、単純なプロセスとして始まり、やがてそれは、あなたの日常となるのである。あなた自身のスピリチュアルな道程に沿ってあなたが進歩していくのをあなたの内に観察するのだ。
(訳注:前回も言及したが、ここでハトンが勧めている瞑想は自己の内面を観察しながら自己の外側に何かを求めようとする性向を、認識活動を、思考活動の一連の動きを理解し、それを鎮めて行きながらあなたの内にあるハイアーセルフの活動を発見する瞑想である。コブラなどが集団瞑想として勧めているエネルギーを運用する瞑想とは目的を異にするので注意を願いたい。瞑想に習熟すれば、ハトンの言うように、起床中はいつ如何なる時もこの瞑想状態を維持できるようになる。日常がすなわち瞑想となる時が必ず到来する。コブラなどの瞑想では、視覚的に光や炎をイメージすることにより、本人の気づかないうちにエネルギーを光の勢力が望むとおりに運用することになるが、前回指摘した通り、無意識下に自分に不都合なネガティブな側面を押し込めている場合、この無意識下のネガティブな願望がこのエネルギーを妨害することも少なくない。しかし、ハトンの勧める瞑想に習熟した者はエネルギーの流れを自分のチャクラに直接感じることができるので、このエネルギーの運用を遙かに効率的かつ強力に行うことができる。また、この瞑想の習熟者は真の自己愛を実現しており、無意識の意識化と自己のネガティブな側面の浄化が完了しているので、コブラなどの勧める瞑想時に図らずもポジティブなエネルギーの運用を妨害する、あるいは、ネガティブなエネルギーを発する懸念は非常に少ない。)
(ここからカーラの発言)
コンタクティーのメッセージの中に頻繁に示唆されていることは、内面観察の探求者は、自己を知る探求の道に従事していない人よりもいつも楽しそうにしていることが多いということです。とはいえ、瞑想と探求の道には他の実りがあります。それは、予知能力が身につくということと、これらのメッセージをチャネリングした人々に対して注意を向けるべく引き込まれていくということです。
(ここからハトンの発言)
我が友よ。他の者に奉仕することは自己へ奉仕することになることを記憶に留めておくがよい。奉仕とは自己にのみ奉仕するものではないと我々が言っていることを記憶に留めておくがよい。よそ者と同胞との間に何の相似性が認められようか?同一性があるのみである。同一性にこそ完成と統合があるのである。それゆえ、羊の群れにネガティブな感情を向けているのならば、それは、自己に、そして、一なる創造者にネガティブな感情を向けていることになるのである。このようなネガティブな感情を抱えたまま、自分自身への、一なる創造者への奉仕を試み、他者への奉仕へと向かう時、あなたが演じていると思い込んでいる完全なる奉仕に傷を付け、汚点を残すことになるのである。各々の個人は完全なる自由な存在であり、そのアイデンティティがあなたとともにある限り、その独立自由は揺るぐことがないことを記憶に留めて置くべきである。
(訳注:ハトンは自己への奉仕にしろ、他者への奉仕にしろ、自分に都合のよいもののみに奉仕している場合は、その無意識下に自己への、他者への嫌悪が、それらへの奉仕への拒絶が潜んでいることを言っているのである。それゆえに、あなたとあなたのアイデンティティの同一化を図れ、つまり、無意識と有意識の願望の遊離がないようにと言っているのである。基本は自己愛である。それは決して自己の都合の良い部分を愛するということでは断じてない。真の自己愛を実現するには、あなたが無意識下に押しやったあなたの不都合な事実を見いだしその事実を認めなければならないのである。その苦痛をあなたは経験しなければならない。そこをクリアしない限り、あなたはまた同じ課題を抱えて転生を繰り返すことになる。絶対に逃げることの出来ない課題なのであるから、さっさと今生でクリアしてしまうことである。あなたが誰かを憎むのならば、誰かに怒るのならば、あなたがカバールや闇の宇宙人を憎み、それに対し怒るのであれば、あなたの無意識下にあなたの憎むべき自己が怒るべき自己がいるということなのである。敵は外にはいない。あなたの内にいるのである。あなたが浄化すべきはあなたの内面なのである。)
序論4に続く
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ありがとうございます
そして、自己解決できました。暫くこちらのブログ読めていなかったので、新しい方から順に読んで来ました。台風でこの古い家が破壊されてしまうかもという恐怖が幻想だったんですね。それは私の望みが叶う事なのかもしれない、古い物を捨て新しく生活が始められる機会になるかもしれないと。台風集団瞑想は参加しますよぉ。地球の為に地球住民の為に。ネガティブなまま瞑想に参加せずに良くなって良かったです♡内観の瞑想、頑張ってみます。
yahan999heart
2018-09-01 07:12:34
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