「就職氷河期」なんてあったんだろうか?
このブログを事実上お休みしている間、『とある私の平成史(仮)』という本を書いていた。まだ書き上がっていない。いつ書き上がるかもわからない。そもそも書き上がるかどうかもわからない。書き上がったら、出版したいとは思っている。ありがたいことに期待してくれるお声もあったりする。
で、まあ、とりあえず、執筆は「平成5年」に入ってきたのだが、そこで「就職氷河期」が項目になる。そこで、あらためて「就職氷河期」を考えてみたら、これって本当にあったんだろうか?と疑問に思えてしまった。
「就職氷河期」なんてあったんだろうか?
ないわけないでしょ?と言われそうだが、就職しづらかったとか、正規雇用になれなかったとか、そういう個別の状況がなかったとは当然、言わない。それはあった。そうではなく、「就職氷河期」という言葉でまとめられる事態があったのかということだ。いつの時代にもどこの社会にある「就職難」というだけのことではないだろうか。つまり、一般的な「就職難」とこの時代特有の「就職氷河期」はどう違うのか?
当然、定義を見つめ直したい。と、そこで、壁にぶち当たる。定義がないのだ。いや、それもないことはない。例えば、デジタル大辞泉にはこうある。
日本のバブル経済崩壊後、大規模な就職難が社会問題となった時期。特に、平成5年(1993)ごろから平成17年(2005)ごろまでを指す。長期的な景気の冷え込みを氷河期(氷期)にたとえたもの。
これ、定義になってないでしょ? 「大規模な就職難」が社会学的に定義されていない。ほかに、朝日新聞はこう説明している(2010年5月21日夕刊)。
バブル崩壊後の1990年代半ばからの10年ほどを指す。この時期に就職できなかった世代が、フリーターや派遣など非正規労働者の増加の一因になった。2000年代半ばには、輸出産業の好転や団塊世代の定年退職に伴う求人増でいったん終結。しかし、08年秋のリーマン・ショック以降の景気低迷で多くの企業が採用を減らした。就職先が決まらないまま4月を迎えた学生もおり、氷河期の再来といわれる。
これも、定義とは言いがたい。しかもこっちは、期間が「1990年代半ばからの10年」と更に曖昧。
どちらの定義も、リーマンショック後は「就職氷河期」に含まれない。実際に雇用はリーマンショック以降が深刻だが、それが「就職氷河期」とは区別されるのは、リーマンショックの余波は、「就職氷河期」をもたらした要因とは区別されるから、ということなのか?
わからない。
ということで、執筆中の本ではこんなふうに書いてみたものの、やはり判然としない。
ということで、ブログのネタっぽく、執筆中のちょっと引用してみる。これをきっかけに、自分の考えが変わるといいなと思ってもいる。考えが変わったら書き直す。
平成5年(1993年)
就職氷河期
平成5年(1993年)に入り、「就職氷河期」という言葉が聞かれるようになった。雑誌『就職ジャーナル』平成4年(1992年)11月号で提唱された言葉で、この平成5年から平成6年に広まり、平成6年(1994年)に新語・流行語大賞で審査員特選造語賞となった。一気に広まったというより、平成5年から実感されるようになったということだろう。そこで一般的には、有効求人倍率が1を割った期間として、平成5年(1993年)の0.76から平成17年(2005年)の0.95までの12年間を指しているようだ。
この時期に就職した大卒者の像を描くと、平成5年に大学を卒業した22歳をまず想定してみるといい。すると、1971年生まれ。平成が終わる時点では、47歳。これが最初の像で、その終わりは12年後なので35歳ということになる。
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就職難というのは、この12年間で終わったわけではなさそうだ。有効求人倍率の統計値を見ていくと、この期間の最悪年が平成11年(1999年)の0.48だが、その後の平成21年(2009年)が0.47である。就職氷河期と言われる時期より低い。また、有効求人倍率が1を超えたのは平成18年(2006年)とその翌年の2年だけなので、より安定的に有効求人倍率が1を超えるようになったのは、平成26年(2014年)以降のことである。そうしてみると、小康期間はあるにせよ、就職氷河期は20年続いたと言ってもいいだろう。
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平成時代の就職氷河期が非常に特異な現象であったかというと、昭和時代後期を含めるとそれほどでもない。
昭和時代の後期、有効求人倍率が1を超えたのは、1962年に一度、1967年から1974年、1988年から1992年である。ちなみに、私は大学を卒業した1981年の有効求人倍率は0.68で、大学院を出た1983年は0.6で、平成の就職氷河期とさほど変わらない。実感としても、それほど差があるようにも思えない。
もっとも、就職氷河期を考えるなら有効求人倍率より、新規求人倍率で見たほうが実態に近いだろう。ということで、新規求人倍率の統計値を見ていくと、就職氷河期では平成11年(1999年)の0.84がもっとも低いが、1983年でも0.89であり、大きな差があるわけではない。全体傾向としては、新規求人倍率は有効求人倍率と相似なので、昭和時代後期から見ると、平成時代に特有とは思えない。
ただ、さすがに平成21年(2009年)の4月から6月期の新規求人倍率0.77は低いと思えるが、前年のリーマンショックの影響だろう。
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大卒求人倍率という視点で見ていくとどうだろうか。
これについての統計値は政府によるものはなく、リクルート社によるものなので、同社以前の昭和時代後期との比較ができない。昭和62年以降のグラフを見た印象では、大枠では有効求人倍率と相似になっているように思われる。
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「就職氷河期」と呼ばれる期間を振り返って見つめていると、その捉え方が正しいのか疑問が湧いてくる。
まず、平成時代を通して大卒生もまた増えたことだ。大体1.5倍ほど増えている。この増加は人口増加に比例しないから、そもそも大学生が増えた分、就職先は争われるようになるだろう。
「就職氷河期」は非正規雇用者の増加とペアで考えられがちだが、非正規雇用者は雇用の定着率や再雇用などにも関連しているで、分けて考えたほうがいいだろう。
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思い返すと、私が子供のころや青年期でもいつも就職しやすかったわけでもない。当時、就職できなかった人はどうなったかというと、おそらく自営業になっていたのではないか。そう疑問に思って、総務省の雇用統計を見ていくと、自営業者の減少が見て取れる。1968年を100として見た場合(非農林業)、雇用者は平成5年166、平成16年で170.8と増加。他方、自営業は、106.9から88.5と減少している。
こうして見ると、「就職氷河期」とは、安定雇用を求めて増加した大卒者と、自営業の衰退が引き起こした社会構造的な現象ではなかったかと疑問がわく。
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