スポンサーサイト
--.--.--.--.--:--
 上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
飛田に行った
2016.09.05.Mon.01:13
  夢見がちな10代の頃には自分がまさか飛田新地で童貞を卒業することになるとは思ってもみなかった。正確に言うと10代の初心な自分は飛田新地という名前すら知らなかったのだが、風俗(飛田は「料亭」だが)と呼ばれるところに自分が行くようになるとは思わなかったし、そんなところで自分の”初めて”を捧げるとはもちろん思わなかった。
まあ卒業といっても童貞を捨てて素人童貞にジョブチェンジするだけなので、大した意味はないように思えるのだが、自分にとってはそれでも今しておかなければならないという思いがあった。
ツイッターでも自分が童貞であると公言したことはおそらく今までなかったのだが、それは本当につまらない自意識によるもので、それと向き合うために飛田に行くことに決めた。
(この文章はただの自分語りで自己満足、はっきり言って何も面白くないです。正直言ってこのような記事を書くのは心底恥ずかしいことです。でも僕はこのこっぱずかしい文章を書き、更に世界に向けて公開するという辱めを受けなければいけないと思いました。)
この文章では僕がなぜ飛田で童貞を捨てようと思ったのか、行ってどうだったか、ということをダラダラと書こうと思う。
まず”なぜ”そのように思い至ったか。こんなことを言うと嫌味もしくは負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、客観的にみて僕は童貞を捨てることに苦労するようなタイプではないはずの人間だ。中高とサッカー部に所属していて中心選手だったし、学力は学年トップで、自分の見た目について言及するのは気がひけるがそこそこモテる程度の容姿も持ち合わせていた。実際に高校生のときには彼女も居たのだが、その交際の経験が僕が”拗らせる”原因になってしまう。
醜いメンタリティを払拭すると先述したが、それは一言でいうと臆病さだ。僕は度を越して臆病だ。他人に優しくするとき(人から見るとそれなりに優しい方だと思う)は意識的にか無意識的にか自分への攻撃を避けたいと思っているし、他人から攻撃されない為に自分を強く見せるためのハッタリをかますことだってある。まあその程度に臆病な人間はそれなりにいるのかもしれないが、その自分の臆病さを自覚するのが怖くて見て見ぬふりをしてきた。
僕は自分の選択に他人が関わってくるような選択をするとき、急に優柔不断になる。たぶん日本人の集団主義的メンタリティが僕の精神を蝕んでいるのだろう、僕は他人が怖い。正確に言うと他人に攻撃されるのが怖い。だから自分の選択によって他人から攻撃を受ける可能性があるような場合、僕は物事を決めるのが急に下手くそになる。臆病さに自覚的ではなかった今まで、その優柔不断さを「他人への配慮」や「優しさ」、ともすれば「理性的な自分」として脳内で隠蔽していることにすら気付いていなかった。高校のときにいた彼女を自分の部屋に連れてきたときにも、「理性的」で「優しい」自分は何ひとつ事を起こすことができなかった。もちろんそれは優しさでも何でもない、ただの自己防衛なのだ。僕はその数ヶ月後振られた。そして醜い自己防衛を優しさだと勘違いしていた自分はその女の子を憎むことによって取り敢えずの精神の安定を図ることになる。
アイドルにハマるようになったのもちょうどその頃だった。大学生活は彼女も作らずにひたすらアイドルのことを考えるだけのものになった。接触などで関係を深めない限りは、一方的に好きになるだけで向こうから傷付けられることのないアイドルは自分にぴったりの趣味だった。
数年後(つまり今)アイドルへの熱狂から少しずつ目が覚め始める。別にアイドルのことを好きなのが悪いことだとは今も思わない。恐らくこれからも程度がどのようなものになるかは分からないが、アイドルについてのあれこれを相応の興味を持って見聞きし続けるのだと思う。ていうか今も好きだ。
しかし自分をアイドルにハマるに至らせた、根底にある自分の醜さに対峙しない限り、若くて美しい女の子を盾にひたすら自己防衛に自己防衛を重ねることになるだけだと思ったのだ。
ここまで書いて「そこまで気付いたなら普通に女の子と付き合ってセックスすればいいではないか」というツッコミが来そうだと思った。そのツッコミは確かに的確なのだが、普通に女の子と付き合ってセックスをするほど自分に勇気があればそもそも全く問題ない。それが出来ないほど他人(女)に怯えてしまう臆病さが問題だった。
少しずつ段階を踏んで臆病さと対峙しなければならない。そのために飛田に行き(それをブログに書く)ことを決めた。
ここまでは飛田に行くまでに書いた部分で、ここからは飛田に行ったときの話を書こうと思う。
御堂筋線の動物園前駅で降りた僕はアーケードを通って飛田新地へ向かった。初めての飛田に胸を躍らせつつ、本やネットで得た情報を武器にとりあえず2周ほど見て回る。本にもネットにもかわいいと思った子がいればすぐに”上がる”べしということが書いてあったため、その教えを実践しなければと思っていたのだが、何せ全てが初めてなのだ。慎重にならざるを得ない。そう、僕は臆病で決断できない人間なのである。
それにしても全体のレベルはおそらく高い。こんなかわいい子とやれるのかというくらいの子もいる。アイドルにハマるくらいかわいい子を見るのは好きなので女の子を見て回るだけでもすごく楽しい。
2周ほど見て回った後、僕は「そろそろ決めなければならない」と腹を括った。「さっきの店先に座っていたあの子、まだいるかな。」もしいなければ、セオリー通りにあそこで決めなかった自分が悪い。そのようなことを考えながら、先ほどの子がまだいるかもう一度覗く。
居た。
黒髪でかわいらしい癒し系の女の子、胸はそんなに無さそうだが、顔と雰囲気の方が僕(童貞)にとっては大事なのだ。
この子に決めた。
僕は二階へと上がった。
客引きのババアもついてくる。下で料金体系の確認をするという風に聞いていたので何故だろうと思う。
ババア「実はこの子、今日が初出勤やねん!お兄ちゃん飛田は初めてか?」
僕「はい…」
ババア「じゃあ童貞と処女やな!がはは!」
ふざけるなと思いつつもこれくらいの雑さが却って心地よかった。
結局20分を選択。
穏やかでかわいらしい声の女の子、顔はかわいい。何気ない会話をすると同い年の女の子であることがわかった。丁寧に僕のものを舐めて騎乗位で挿入。もともとフィニッシュが早いことは自分でもわかっていたのだが、予想通りすぐにフィニッシュしてしまった。
残り時間は何気ない会話を続けた。やっと終わった。
お店でお金を出してセックスをすることで一遍に何もかもが変わって人生が好転するとは毛頭思っていない。そんなに人生甘くはない。ただお金を出してセックスをすることすらできない臆病な人間が、お金を出してセックスをすることができる程度の臆病に少し成長したというのが大事なのだと思う。
そして何より自分の醜い部分を(自分に対して)隠蔽することなくさらけ出す勇気というのが必要だと思った。こうしてここに文章として公開してしまうこと、そのことが自分にとって今必要なことだった。何も飛田に行ったらそれだけで自分の精神が浄化されて人生上手くいくなどと思っているわけではない。
セックスは気持ちいいし、女の子はかわいい。あともう少し自分が変われば、僕の人生も少しは良くなるのかもしれない。飛田に行ったからといってこれから先の自分(=人生)が変わるのかどうかすら分からない。ただ何だか清々しい。もう少し先の自分が今まで自分に取り付いていた諸々のしょうもないものをしょうもないと言い切れるようになっていたらいいなぁ。終わり。 
   
  まあ卒業といっても童貞を捨てて素人童貞にジョブチェンジするだけなので、大した意味はないように思えるのだが、自分にとってはそれでも今しておかなければならないという思いがあった。
ツイッターでも自分が童貞であると公言したことはおそらく今までなかったのだが、それは本当につまらない自意識によるもので、それと向き合うために飛田に行くことに決めた。
(この文章はただの自分語りで自己満足、はっきり言って何も面白くないです。正直言ってこのような記事を書くのは心底恥ずかしいことです。でも僕はこのこっぱずかしい文章を書き、更に世界に向けて公開するという辱めを受けなければいけないと思いました。)
この文章では僕がなぜ飛田で童貞を捨てようと思ったのか、行ってどうだったか、ということをダラダラと書こうと思う。
まず”なぜ”そのように思い至ったか。こんなことを言うと嫌味もしくは負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、客観的にみて僕は童貞を捨てることに苦労するようなタイプではないはずの人間だ。中高とサッカー部に所属していて中心選手だったし、学力は学年トップで、自分の見た目について言及するのは気がひけるがそこそこモテる程度の容姿も持ち合わせていた。実際に高校生のときには彼女も居たのだが、その交際の経験が僕が”拗らせる”原因になってしまう。
醜いメンタリティを払拭すると先述したが、それは一言でいうと臆病さだ。僕は度を越して臆病だ。他人に優しくするとき(人から見るとそれなりに優しい方だと思う)は意識的にか無意識的にか自分への攻撃を避けたいと思っているし、他人から攻撃されない為に自分を強く見せるためのハッタリをかますことだってある。まあその程度に臆病な人間はそれなりにいるのかもしれないが、その自分の臆病さを自覚するのが怖くて見て見ぬふりをしてきた。
僕は自分の選択に他人が関わってくるような選択をするとき、急に優柔不断になる。たぶん日本人の集団主義的メンタリティが僕の精神を蝕んでいるのだろう、僕は他人が怖い。正確に言うと他人に攻撃されるのが怖い。だから自分の選択によって他人から攻撃を受ける可能性があるような場合、僕は物事を決めるのが急に下手くそになる。臆病さに自覚的ではなかった今まで、その優柔不断さを「他人への配慮」や「優しさ」、ともすれば「理性的な自分」として脳内で隠蔽していることにすら気付いていなかった。高校のときにいた彼女を自分の部屋に連れてきたときにも、「理性的」で「優しい」自分は何ひとつ事を起こすことができなかった。もちろんそれは優しさでも何でもない、ただの自己防衛なのだ。僕はその数ヶ月後振られた。そして醜い自己防衛を優しさだと勘違いしていた自分はその女の子を憎むことによって取り敢えずの精神の安定を図ることになる。
アイドルにハマるようになったのもちょうどその頃だった。大学生活は彼女も作らずにひたすらアイドルのことを考えるだけのものになった。接触などで関係を深めない限りは、一方的に好きになるだけで向こうから傷付けられることのないアイドルは自分にぴったりの趣味だった。
数年後(つまり今)アイドルへの熱狂から少しずつ目が覚め始める。別にアイドルのことを好きなのが悪いことだとは今も思わない。恐らくこれからも程度がどのようなものになるかは分からないが、アイドルについてのあれこれを相応の興味を持って見聞きし続けるのだと思う。ていうか今も好きだ。
しかし自分をアイドルにハマるに至らせた、根底にある自分の醜さに対峙しない限り、若くて美しい女の子を盾にひたすら自己防衛に自己防衛を重ねることになるだけだと思ったのだ。
ここまで書いて「そこまで気付いたなら普通に女の子と付き合ってセックスすればいいではないか」というツッコミが来そうだと思った。そのツッコミは確かに的確なのだが、普通に女の子と付き合ってセックスをするほど自分に勇気があればそもそも全く問題ない。それが出来ないほど他人(女)に怯えてしまう臆病さが問題だった。
少しずつ段階を踏んで臆病さと対峙しなければならない。そのために飛田に行き(それをブログに書く)ことを決めた。
ここまでは飛田に行くまでに書いた部分で、ここからは飛田に行ったときの話を書こうと思う。
御堂筋線の動物園前駅で降りた僕はアーケードを通って飛田新地へ向かった。初めての飛田に胸を躍らせつつ、本やネットで得た情報を武器にとりあえず2周ほど見て回る。本にもネットにもかわいいと思った子がいればすぐに”上がる”べしということが書いてあったため、その教えを実践しなければと思っていたのだが、何せ全てが初めてなのだ。慎重にならざるを得ない。そう、僕は臆病で決断できない人間なのである。
それにしても全体のレベルはおそらく高い。こんなかわいい子とやれるのかというくらいの子もいる。アイドルにハマるくらいかわいい子を見るのは好きなので女の子を見て回るだけでもすごく楽しい。
2周ほど見て回った後、僕は「そろそろ決めなければならない」と腹を括った。「さっきの店先に座っていたあの子、まだいるかな。」もしいなければ、セオリー通りにあそこで決めなかった自分が悪い。そのようなことを考えながら、先ほどの子がまだいるかもう一度覗く。
居た。
黒髪でかわいらしい癒し系の女の子、胸はそんなに無さそうだが、顔と雰囲気の方が僕(童貞)にとっては大事なのだ。
この子に決めた。
僕は二階へと上がった。
客引きのババアもついてくる。下で料金体系の確認をするという風に聞いていたので何故だろうと思う。
ババア「実はこの子、今日が初出勤やねん!お兄ちゃん飛田は初めてか?」
僕「はい…」
ババア「じゃあ童貞と処女やな!がはは!」
ふざけるなと思いつつもこれくらいの雑さが却って心地よかった。
結局20分を選択。
穏やかでかわいらしい声の女の子、顔はかわいい。何気ない会話をすると同い年の女の子であることがわかった。丁寧に僕のものを舐めて騎乗位で挿入。もともとフィニッシュが早いことは自分でもわかっていたのだが、予想通りすぐにフィニッシュしてしまった。
残り時間は何気ない会話を続けた。やっと終わった。
お店でお金を出してセックスをすることで一遍に何もかもが変わって人生が好転するとは毛頭思っていない。そんなに人生甘くはない。ただお金を出してセックスをすることすらできない臆病な人間が、お金を出してセックスをすることができる程度の臆病に少し成長したというのが大事なのだと思う。
そして何より自分の醜い部分を(自分に対して)隠蔽することなくさらけ出す勇気というのが必要だと思った。こうしてここに文章として公開してしまうこと、そのことが自分にとって今必要なことだった。何も飛田に行ったらそれだけで自分の精神が浄化されて人生上手くいくなどと思っているわけではない。
セックスは気持ちいいし、女の子はかわいい。あともう少し自分が変われば、僕の人生も少しは良くなるのかもしれない。飛田に行ったからといってこれから先の自分(=人生)が変わるのかどうかすら分からない。ただ何だか清々しい。もう少し先の自分が今まで自分に取り付いていた諸々のしょうもないものをしょうもないと言い切れるようになっていたらいいなぁ。終わり。
スポンサーサイト